Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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11月

1.

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 忙しい合間にも、慎一郎は唐突に出掛けようとする。今日も会う約束はしていたものの、早朝にドライブにしようと連絡が入った。確かに晴天に恵まれたその日差しは暖かく風もなく暖かい、ドライブ日和である。が、千晶はショールを二枚羽織って、更にファー付防寒着弟のN-3Bを手にしていた。
 
「どこへ行くのかって服装だね」
「前回高地で寒かったからね、で、今日はどこへ?」

 目的地がはっきりしていれば、それに合わせた準備ができるのに。この男は相変わらず行先を言わない、のではなくてその時々の気まぐれで決めているらしい。
 とりあえずコートを仕舞おうとトランクを開けてもらえば、そこには厚手のダウンーーしかもロング丈が入っていた。
 雪山に行くならSUVのほうがいいんじゃないかと嫌味っぽく千晶が言えば、隣に立った男はいつもの感情の読めない澄ました顔のまま、ほんの少し首を傾げただけだった。

「飛行機に乗る予定はないね、ああ、遊園地のアレでよければつきあうよ」
 
 子供向けの遊具を指しているのだろう、手をくるくると旋回させる。この男――いつか殴ってやりたい。確かにN-3Bはフライトジャケットだけれど。



 関越道から下道へ、途中、地元の名物ののぼりを見て休憩へ立ち寄る。

「おいしいんだけど名前が合ってないよ。うーん、五平餅まんじゅう的な?」
「……なんだろうな、これ。パン田楽焼き?」

 イートインコーナーで茶色い物体をほおばる二人。微妙な顔の千晶と、やはり無表情な男。
 慎一郎も名前だけ聞いて知っていたらしい、焼きまんじゅう。地元出身者からは名前は深く考えずに、とにかく温かいうちに食べることを力説されたという。はじめての食べ物に戸惑いつつ、次々と買い求める人がやってくるのだから不思議だ。

「イカ焼きってあるじゃない? あれみたいな違和感」
「イカ焼きって串に刺して丸ごと焼いてあるアレでしょ」
 俺だって屋台や居酒屋メニュー位知っている、食べたことはないが。慎一郎は千晶に何言ってんだい的な視線を送る。
「違う、関西の。イカのお好み焼きみたいなの。大阪(梅田)では一般的にそれがイカ焼きなんだって」
「そう」
「おいしかったよ、弾力があってね」
「イカだからね」
 たこ焼きはまるごとタコを焼いてないでしょ、千晶が大阪のB級グルメを解説するも、軽く流されるす。意味はわかったが、千晶はなんでも美味しいんだろうと。
「大阪へ行ったら食べてみてよ」
「はいはい」
 
 そして再び車中。やっと目的地近くになり、ドライバーは助手席にまた地図を確認させる。

「そこを左」「これを?」
 道なりに車は次々直進していく、ドライバーは疑いの声で確認する。
「そう、で突き当りも左ね」

 半信半疑で進み、次に出てきた案内標識をみてナビが間違っていなかったと知った。ナビはドライバーが周囲の流れに引きずられたことを気にした風もない。

 そしてしばらくすると、ゆで卵を濃くしたような刺激が鼻をつく。
「硫黄の臭いくさいな」「硫化水素ね」
 ナビが訂正をする。これも事実のみ。千晶もかなり面倒くさい性格をしている。だが、慎一郎は気にしない。
「はいはい、硫黄化合物ね」

 
 そして、更に道を進む。山間地ではもう枯れ木も山に賑わい、の硫黄の臭いの先には別世界が広がっていた。
 雪山――ではなく、岩山と雲海。いつも景色は突然変わる。

「すっごーぃ」
「おぉ」
「日本じゃないみたい」
「日本だかからこそだ」

 絶景という言葉は陳腐になる、天と地が接する一瞬。海外はスケールの大きさに己の小ささを実感する、この急展開は己の存在そのものを確認させられる。
 
「ここもあと少しで雪に埋もれるんだね」

 冬季は積雪のため道路が閉鎖される旨の予告が所々掲示されている。期間をみると一年の半分は通行できない。贅沢な道路だ。

「春の開通直後は除雪で残った雪が壁になって見応えがあるらしいよ」
「へぇ、綺麗だろうね」

 二人でここに来ることはないだろう、慎一郎がつい口にした言葉を千晶は流した。

 山の天気はうつろいやすい。日差しが陰れば急に寒くなる。そして前回のドライブより更に山地のここは標高2000メートル超、空気は冬のよう。

「持って来てよかったね」
「ああ」
 
 車を降りてコートを着込み、峠の看板兼犬のワンコをもふり、麓の温泉街を散策して――景色に見とれる観光客のすぐそばで二人が興ざめな会話を交わしてしていたのはまた別の話――活火山の麓の広々とした道を走って帰路についた。

 開けた平野の一本道はなぜかすぐに飽きてしまった、遠くまで見晴らせるのは同じなのに。
 


「所沢?降りるの?」
「ああ、家まで送るよ」
「途中その辺の駅で下ろしてくれていいのに、なんなら高速バス乗り場だって」
「…そこはにっこりありがとって言っておけばいいんだよ」
「ふふっ」

 関越道を降りて西南へ、郊外、市街地を経て閑静な住宅街へ。

「ここでいいよ、いつもありがとう」
「ああ」

 車を路肩に停める。前回同様、千晶は家の前までは送らせない。車はこのまま直進したほうが帰りやすい、家はすぐそこで治安のいいところだから大丈夫だとにっこり微笑む。
 慎一郎も深追いせずに軽く微笑み返し、首の後ろに手を当てもみほぐす。

「ちょっと待ってて」

 直ぐに戻ってきた千晶の手には冷えた炭酸水と酸素缶。気圧差もあって血行が悪くなっているのだろうと渡してきた。ここからマンションまで小一時間かかる。小走りで持ってきた炭酸水をすぐに開けたりはしなかったが、酸素を一息吸えば楽になった。
 千晶の言葉に嘘はないのだろう、気遣いもある。楽になったと礼を言えばよかったと返ってきた。
「今日は楽しかったよ、気をつけて帰ってね」
 その言葉にも裏は感じない、ただ、線はある。



 千晶は家で一息つくと、先日買った関東圏の地図帳をパラパラとめくって、行ったルートを蛍光ペンでなぞった。膝の上の猫が手を出したそうにうずうず眺めていた。
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