Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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8月

4.

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 二階の客間の隣が慎一郎の使っていた部屋で、本やおもちゃが残っていた。
 部屋の明かりの白熱灯は暗く陰影を際立たせる。気泡の残る窓ガラスに漆喰壁に素板張りの床もマホガニーの家具に調度品も段通もみな温かみがある。千晶は手こそ出さないが物珍しそうに眺めている。

「気に入った?」
「うん、はしたなくてごめん」
「いいさ、こういう感じが好きそうだからね」
 揶揄するつもりで連れてきたのかわからないが、口調は穏やかだ。

「ありがとう、でもここも当時は背伸びな建物だったのかな」
「そうだろうね、ご先祖も当時は新興の成り上がりだったからね。だからこそ頑張ったんだろう。空襲で残ったのはここだけだったそうだよ」
 慎一郎の家が何をしている家なのか思わず聞きそうになって止まった。そこまで踏み込めない。

「そう言うとあの高層マンションも懐かしくなるのかな、でも百年も持たないもんねぇ」
 コンクリート技術やらに話が逸れたのち。
「躯体が持っても50年か、それに当時は目指すものがちゃんとあったし、その先も広がってた。
 今は残す価値のあるものはどれだけあるだろう」

 お替りしたサングリアにブランデーをたっぷり足してぽつぽつ話す慎一郎に、この人は呑んだほうがめんどくさくないなと、千晶もお替りしたふつうのサングリアを飲みながら思った。

 学友を誘って遊びにきて、他人の別荘に忍び込んだこと、弟にスカートを履かせて過ごさせたこと、納屋の軽トラを勝手に乗り回したこと、海辺で――
 
 ほんの障りだけ昔話をしながら、慎一郎も疲れていたのか寝てしまった。

 開け放たれた窓から虫の音にカエルのなき声が入ってくる。
 天井のファンだけでエアコンはないのに寝苦しさはない。そうして千晶も眠りについた。



 ――真夜中、突然音がなくなる。その静けさに目が覚めた。
 千晶がそおっと起き上がる。

「――目が覚めた?」

「うん」
 返事は声にならないまま、ただ頷いただけの千晶のお腹に慎一郎の腕が巻き付く。
 暑苦しさは感じなかった。


 いつものように首筋に肩に温かいものが触れる。足に足が重なる。
 巻き付く足がふくらはぎまでのミニ丈ワンピースの裾をめくれ上がらせる。
 身体を滑る手の動きと熱さ、熱を持った身体を、時おり窓から入る新鮮な空気が冷やしていく。
 
 匂いを感じられるのは最初の30秒だという、そうだろうか。

 冷えた空気とほっとするような彼の香り、――きっとそれなりに経験を重ねたのであろう、心地いいから気持ちいいへ そしてその先も。 
 

 いつの間にか向き合って、暗闇に慣れた目が合う。絶対に乱れきらないその顔が、5日目の薄い月明かりのなか少しだけやわらくなる。反応を愉しむような行為に思わず声が出てしまったら、ちょっと目を細めてやさしい眼差しで、強く繰り返してきた。

 ゆっくりと瞬きを一度して、また目を閉じた。



 全てが寝静まった世界で、二人の気配だけが波のように寄せては返す。でも、二人の瞳は凪いだまま。

 遠くで波の音がはじけた。




 まだ明けきらない朝波の音に目覚めて、千晶はそっとバルコニーに出る。朝霧がかかっていてよくわからないが芝庭はかなり広い。

 階下に降りると慎一郎の言っていた管理人さんだろう、初老の男性と女性がもう支度をしていた。挨拶をし、昨日のカレーのレシピを聞いてから、少し庭を散歩をしてもいいか尋ねてみた。建物から見える範囲でしたら、と言われて朝露に濡れた芝生を踏む。慎一郎ぼっちゃまは一時間もすれば起きるだろう。

(リアルでぼっちゃまって初めてきいた)

 自然樹形だけれど手が入った庭。温室や納屋のようなものもある。

 散策していると後から犬がついていた。中型の短毛牧羊犬で、首に巻かれた赤いバンダナが似合っている。目が合うと短いしっぽをぶんぶん振ってくる。その誇らしげな様子におもわず微笑む。

「おはよう、わんちゃんもおさんぽかな、パトロールかな、えらいね」

 納屋の隣に馬小屋らしきものがあって、覗いてみれば中には馬ではなく山羊と鶏がいた。小屋の中もきちんと整頓されている。
 それにしても犬といいファミリー牧場っぽい顔ぶれに可笑しさがこみ上げる。鶏も尾が長い観賞用ではなくちょっと頭に飾り羽根がついた普通の黒い鶏だ。山羊、山羊だけがアンゴラだかカシミヤだか判らないがもふもふしていてブラッシングしたくなる。よくみればその背に猫が乗っていた。これも普通のサバトラ猫。

「山羊…犬…猫…鶏、惜しいなー、お前はドンキーね。あ、ねこちゃんごめんね、起こしちゃったね」
 
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