Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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7月

6.

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***

『バックボーンのない自由なんて無力でしかないよ』

 間髪いれずに帰ってきた言葉に慎一郎は虚を衝かれた。

 ――彼女の口からどんな言葉を期待していたのだろう、嫌々ながら医者にされる奴がいる一方で、好んで医者になるものもいる。理想か、使命感か、単純に勉強ができたからと言ってほしかったのだろうか。

 とりあえず大学へ、そして安定した企業へ。多数意見を常識と思いこむ、彼らを数値化された集団としか見ていない自分のステレオタイプさ。彼女の動機付けにもテンプレートを押し付けていた。

 
 敷かれたレールを外れないよう走らされる駒のような人生、そのレールに乗りたがる奴は沢山いるのに。自力でレールを敷いて進んだとしても目的地は同じだ。

 彼女が口にしたバックボーンが指すものは。彼女自身の軸か、それを繋ぐ基幹か。

 ドライブ帰りに送っていった彼女の家は、その角で、と家の特定は避けたものの閑静なゆとりある街並みの中だった。お嬢様育ちとは違うのはわかる。が、諸々きちんとしているし、よく知らない慎一郎について来たのが信じられない位に常識的だ。
 能力と経済力と精神性とは比例しないが、相関関係はみられる。そこから感じ取れる父兄像、私立医学部の学費と交際費までは無理でも、勉強に専念する位の費用は当然あるように見受けられた。ただ、そこはかとなく彼女から感じる苦労知らずとも、訳アリとも違う違和感。彼女の精神年齢を引き上げているなにか。集団は置かれた境遇に左右される、個々人ではどうか。精神年齢は経験値により高められる、もとの性質や知能も、ひいては背景も重要なファクターだ。
 
 後ろ盾サポートくらい何とでもしてやる、と一瞬でも思った自分の傲慢さと、不自由だと抗いつつある枷を無意識に利用しようとした自分がもう滑稽で。

 何もないとは? 自由の先も見えていなかった。

***

「……ふっ、ははっ…パラダイムか」

「何が起きてんの? どこにポイントがあったっていうの?」

 とうとう一人で笑いだした慎一郎に、千晶はやれやれと思いながら冷蔵庫を適当に漁って――声はかけたが返事はなかったので、はちみつたっぷりのレモネードを作って渡す。

(疲れた時には酸っぱいものだよね)

「自分にハングリーさが欠けてるのも自覚してるよ、こんなのが多数なら世界は終わると思う位にはね。そんな少数に惑わされずあなたはどんどん世界を回していってよ」

 聞いてるのかわからない相手に淡々と続ける。

「私はそれをただ眺めてるだけで、何かの役に立ってるかどうかもあやしいけれど。もしかしたらきちんと社会に出て働くようになれば、この部屋に憧れるのかもしれない」

 素麺を盛った皿もお猪口替わりのグラスの名も千晶は知らない。素麺に合うから使っただけで、慎一郎もその価値を語ることも、もったいないから使うなとも言わない。棚に並んだ酒の名前を確かめることもその値段も知らない。家具も調度品も、手触りやその精工さでいいものなのはわかる、それだけだ。素敵だけど自分で手に入れたいという欲求はない。
 慎一郎もそれらを蘊蓄うんちくと共にひけらかさないし執着もしない。ただ、それらを見て喜ぶ人がいる、それらでもてなされることを望む人がいるのを知っているだけだ。

 ただ窓の外を眺め、手にしたグラスをかざしてみる男を、千晶は気が済むまで放っておくことにした。

(まぁきっと色々あるんだろうな)

 価値観も何も違い過ぎて分かり合うというのは無理だろうから。
  


「きょうちょっと遅くなるねー、えーと10時までには帰ります、にゃ?」
「どうしたの、にゃーんって」

 携帯電話に向かいネコナデ声で話す千晶に、幾分落ち着きを取り戻した慎一郎が眉をわずかに寄せた。

「ああ、うちの女王様とモップちゃんに」
「?」

 頭がオカシイのか、怪訝そうな顔を向けられても千晶はふふと笑って、電話の相手は猫で、猫の自動餌やり器にスピーカーとカメラとマイクも内蔵されていて、ネット回線を通じて様子がわかるのだと説明する。

「黙って遅くなると怒られるんだよ、こうやって言っておけば返事はなくても聞いてるから」
「へぇ~」

 平静を装える程度には平常心を取り戻したが(何言ってんだこのキ〇ガイ)という思いは隠せていない。立ち上がって千晶の後ろに回り込む。

「猫は賢いよー、犬より。人間の役にたつ賢さとは違うからわかりにくいだけ」

 千晶は千晶で頭がおかしいと思われたほうが距離を置いてもらえそうな気もするが、猫の名誉のために語った。

「犬が人に従順なのは自分の利益のためでしょ、猫はどうしたら人を動せるか知ってるの」
「え、暗に俺は猫以下っていわれてない?」
「気のせいだよ」

 ちょっと拗ねたような言いぐさを笑って返す。猫のように気まぐれに寄ってきて、後にまわってじゃれつくこの大型犬と比べてのことではない、つもり。

「とりあえず猫は正義だから」

 慎一郎は千晶の手元を覗き込む。猫の姿をとらえることはできなかったが、画面に映った室内はゆとりと生活感が適度に混在していた。
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