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7月
5.
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「夏休み、8月の半ばから俺ボストン行くんだけど一緒にどう?」
素麺と出来合いの総菜で済ませた夕食のあと、デザートにあんみつでも食べようというノリで慎一郎は千晶を誘う。
(まったくもってこの人達は)大学でもハワイだタヒチだのと誘われ丁重にお断りしたら、じゃぁどこがいい? と返され困惑したばかりだ。
千晶は意図がわからず慎一郎の顔を見る。留学の下準備で三週ほど予定が組まれていて、時間が合えば数日でもどうかという。
「ん、お誘いは嬉しいけど、バイトがあるんだ」
代案を呈示しそうな空気を感じて、千晶は大学の紹介だと言い添える。暗にキャンセルはできないという意味だ。
バイトがなくても男と二人で海外など家族が許可しないだろうとは言わないでおいた。適当な理由で丸め込まれるに決まっている。そもそもまだパスポートも持っていない。が、これもまだ間に合う。
「そう、残念だな」
「別に会いたくないからバイト入れてるわけじゃないから」
だからって会う時間をつくるためにバイトを入れないのは違う、千晶の中でそこは譲れない線引きだ。
「違うの?」
「フツーに生活の為ですよ、お金を稼ぐには色々あるけど今は普通にバイトをね」
「生活のため? 出してもらえないの?」
「ん、学費は出してもらってるよ、その他の細かい所ね。うちは普通の一般家庭なんだよ」
「普通の一般家庭ねぇ」
慎一郎の謙遜も過ぎればという響きに、千晶は軽くかぶりを振る。
「一般家庭ってのは医療関係ではないって意味ね、同期はほぼほぼお医者さんちのご子息だから。まー入るまで私は知らなかったんだけど、他も関係者っぽいし。
普通がどの程度を示すかは難しいところだけど、教育のために費用を惜しまないというレベルからは程遠いかな」
普通ってなんだろう。千晶が暮らしてきた世界で、千晶の家は平均的な範疇に収まる。年に一度の家族旅行の思い出がなくても、電気やガスを止められたりはしなかった。
「教育方針にしても、学費だけというのは厳しすぎるんじゃないの。これからもっと忙しく――」
「進学先を反対されてとかじゃないの…ないものは出せないの」
軽く眉を上げた顔に千晶は内心またか、と思う。千晶は一度もお金がある素振りも、満足な教育を受けた話もしていない、そんな事実もないのだ。なぜか千晶も家族も余裕があるように思われがちなのだが、中高は公立校に通っているといえば微妙に察せられた。
「無いようには」
「よく誤解されるんだけどね」
慎一郎が人の所作をあげつらうようなことはなかったが、彼の気に障らない程度には振る舞えていたのなら両親は喜ぶだろう。女性は外で学ぶ機会もあるが男性はプライドもある、息子たちが恥ずかしい思いをしないように教えていた。
「まぁ、悪く見られるよりいいのかな。変なのに目を付けられないようにってのは気を付けてるし」
(絶対に通じてないな、笑うとこなのに)眉を下げただけの顔に更なる誤解を生んでいそうな予感がした。
それでなくても変わった家だといわれるのに、ハイクラス相手にどう説明したものか。彼にも庶民の友達はいるだろうけれど高校や大学になれば具体的な家庭の事情には触れないものだ。
「…零落したのでもないから。うちは中産階級のほぼ真ん中位じゃないかな、ただそれで子供三人分賄ってるんだからとても余裕があるとはいえないでしょ。
だからお小遣いと教科書代位は自分でどうにかしようと思うわけよ。人より卒業まで時間がかかるしあんまり負担になりたくないだけ、あー、負担って発想を子供に負わせる時点でおかしいって思うかな、変な宗教とかではないよ」
言い訳めいた説明になってしまうのは、ここ3か月の環境の変化による。高校時代は説明する必要すらなかった、アルバイトは禁止されていなかったから、皆なければ自分でどうにかしていた。裕福な子もいたが、そうでない子も、定時制課程もあったのでいろんな家庭があるのはあたりまえで。
昼行燈な父とやや身体の弱い母にアレな兄弟とで、各々できることをやって暮らしてきた。ギャンブルや大病、お人よしで騙されてなどのエピソードもないのだ。
「三人兄弟!?」
「そうなんだよねー、父と母は一人ね、」
「……」
両親の田舎でも子供三人はすごいと言われるらしい、東京だと相当な収入があるか、考えなしかどっちかだ。両親仲はいいよ、と千晶は少々恥ずかしそうに頭を掻く。長男が無理を言ったことは黙っておく。親に金を期待していないし、誰もあてにするな、という兄のスパルタも。
「子供に十分な教育を施すのは保護者の務め、できなきゃ子供を持つなって意見も最もだと思う。そこの前提の価値観でみたら呆れるだろうけれど、自宅から通える範囲に色々あって奨学金を借りずに済んでるだけで十分ありがたいよ。無ければ無いなりに工夫してるだけ。学費以外は出せないとか少しでも働いて家に入れろってんじゃないから」
一時的な相手にそこまで説明する必要はないが、詮索されるのとは違う視線に答えてしまう。無駄によその家の事情を見聞きしてきた千晶は、自分の家がどこにも当てはまらないと知っていた。
「うちは勉強も進路も何も強制されてないんだよ、ただ、丸裸になっても持っておけるものは少ないって。放任とか無関心てわけでもなく、うまくいえないけど支配欲や子供の進路を自分たちの手柄にするような人たちじゃないの。もちろん、足をひっぱることもないの。ああ、兄弟で差を付けられてるってんでもないよ。
まー庶民のなかでも他とは色々価値観がズレてる家だから参考にはしないで」
へらっと、どこまで伝わるかなぁという調子の千晶に、ようやく慎一郎も普通だが普通ではないのはわかったと、自虐混じりに同意する。
「金があっても行きたいところに通わせてもらえるとも限らないしな」
「そうそう、ってあなたが言うと笑えないから」
「それだけ自由でどうして難しい道を選んだの?」
「バックボーンのない自由なんて無力でしかないよ」
「…はぁ」
慎一郎はテーブルに肘をつく。
「そんなに呆れないでよ。一般家庭からだっていうと、ドラマや漫画なの? よく知らないんだけど熱い思いがあるように見られるんだけどなんだかなー」
「……」
「しがらみや進路が決まってるほうが良いってんじゃないから。例え好きでやりたいことだって強制されたら嫌だもん」
「……そういう意味じゃないんだ」
素麺と出来合いの総菜で済ませた夕食のあと、デザートにあんみつでも食べようというノリで慎一郎は千晶を誘う。
(まったくもってこの人達は)大学でもハワイだタヒチだのと誘われ丁重にお断りしたら、じゃぁどこがいい? と返され困惑したばかりだ。
千晶は意図がわからず慎一郎の顔を見る。留学の下準備で三週ほど予定が組まれていて、時間が合えば数日でもどうかという。
「ん、お誘いは嬉しいけど、バイトがあるんだ」
代案を呈示しそうな空気を感じて、千晶は大学の紹介だと言い添える。暗にキャンセルはできないという意味だ。
バイトがなくても男と二人で海外など家族が許可しないだろうとは言わないでおいた。適当な理由で丸め込まれるに決まっている。そもそもまだパスポートも持っていない。が、これもまだ間に合う。
「そう、残念だな」
「別に会いたくないからバイト入れてるわけじゃないから」
だからって会う時間をつくるためにバイトを入れないのは違う、千晶の中でそこは譲れない線引きだ。
「違うの?」
「フツーに生活の為ですよ、お金を稼ぐには色々あるけど今は普通にバイトをね」
「生活のため? 出してもらえないの?」
「ん、学費は出してもらってるよ、その他の細かい所ね。うちは普通の一般家庭なんだよ」
「普通の一般家庭ねぇ」
慎一郎の謙遜も過ぎればという響きに、千晶は軽くかぶりを振る。
「一般家庭ってのは医療関係ではないって意味ね、同期はほぼほぼお医者さんちのご子息だから。まー入るまで私は知らなかったんだけど、他も関係者っぽいし。
普通がどの程度を示すかは難しいところだけど、教育のために費用を惜しまないというレベルからは程遠いかな」
普通ってなんだろう。千晶が暮らしてきた世界で、千晶の家は平均的な範疇に収まる。年に一度の家族旅行の思い出がなくても、電気やガスを止められたりはしなかった。
「教育方針にしても、学費だけというのは厳しすぎるんじゃないの。これからもっと忙しく――」
「進学先を反対されてとかじゃないの…ないものは出せないの」
軽く眉を上げた顔に千晶は内心またか、と思う。千晶は一度もお金がある素振りも、満足な教育を受けた話もしていない、そんな事実もないのだ。なぜか千晶も家族も余裕があるように思われがちなのだが、中高は公立校に通っているといえば微妙に察せられた。
「無いようには」
「よく誤解されるんだけどね」
慎一郎が人の所作をあげつらうようなことはなかったが、彼の気に障らない程度には振る舞えていたのなら両親は喜ぶだろう。女性は外で学ぶ機会もあるが男性はプライドもある、息子たちが恥ずかしい思いをしないように教えていた。
「まぁ、悪く見られるよりいいのかな。変なのに目を付けられないようにってのは気を付けてるし」
(絶対に通じてないな、笑うとこなのに)眉を下げただけの顔に更なる誤解を生んでいそうな予感がした。
それでなくても変わった家だといわれるのに、ハイクラス相手にどう説明したものか。彼にも庶民の友達はいるだろうけれど高校や大学になれば具体的な家庭の事情には触れないものだ。
「…零落したのでもないから。うちは中産階級のほぼ真ん中位じゃないかな、ただそれで子供三人分賄ってるんだからとても余裕があるとはいえないでしょ。
だからお小遣いと教科書代位は自分でどうにかしようと思うわけよ。人より卒業まで時間がかかるしあんまり負担になりたくないだけ、あー、負担って発想を子供に負わせる時点でおかしいって思うかな、変な宗教とかではないよ」
言い訳めいた説明になってしまうのは、ここ3か月の環境の変化による。高校時代は説明する必要すらなかった、アルバイトは禁止されていなかったから、皆なければ自分でどうにかしていた。裕福な子もいたが、そうでない子も、定時制課程もあったのでいろんな家庭があるのはあたりまえで。
昼行燈な父とやや身体の弱い母にアレな兄弟とで、各々できることをやって暮らしてきた。ギャンブルや大病、お人よしで騙されてなどのエピソードもないのだ。
「三人兄弟!?」
「そうなんだよねー、父と母は一人ね、」
「……」
両親の田舎でも子供三人はすごいと言われるらしい、東京だと相当な収入があるか、考えなしかどっちかだ。両親仲はいいよ、と千晶は少々恥ずかしそうに頭を掻く。長男が無理を言ったことは黙っておく。親に金を期待していないし、誰もあてにするな、という兄のスパルタも。
「子供に十分な教育を施すのは保護者の務め、できなきゃ子供を持つなって意見も最もだと思う。そこの前提の価値観でみたら呆れるだろうけれど、自宅から通える範囲に色々あって奨学金を借りずに済んでるだけで十分ありがたいよ。無ければ無いなりに工夫してるだけ。学費以外は出せないとか少しでも働いて家に入れろってんじゃないから」
一時的な相手にそこまで説明する必要はないが、詮索されるのとは違う視線に答えてしまう。無駄によその家の事情を見聞きしてきた千晶は、自分の家がどこにも当てはまらないと知っていた。
「うちは勉強も進路も何も強制されてないんだよ、ただ、丸裸になっても持っておけるものは少ないって。放任とか無関心てわけでもなく、うまくいえないけど支配欲や子供の進路を自分たちの手柄にするような人たちじゃないの。もちろん、足をひっぱることもないの。ああ、兄弟で差を付けられてるってんでもないよ。
まー庶民のなかでも他とは色々価値観がズレてる家だから参考にはしないで」
へらっと、どこまで伝わるかなぁという調子の千晶に、ようやく慎一郎も普通だが普通ではないのはわかったと、自虐混じりに同意する。
「金があっても行きたいところに通わせてもらえるとも限らないしな」
「そうそう、ってあなたが言うと笑えないから」
「それだけ自由でどうして難しい道を選んだの?」
「バックボーンのない自由なんて無力でしかないよ」
「…はぁ」
慎一郎はテーブルに肘をつく。
「そんなに呆れないでよ。一般家庭からだっていうと、ドラマや漫画なの? よく知らないんだけど熱い思いがあるように見られるんだけどなんだかなー」
「……」
「しがらみや進路が決まってるほうが良いってんじゃないから。例え好きでやりたいことだって強制されたら嫌だもん」
「……そういう意味じゃないんだ」
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