Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

文字の大きさ
上 下
17 / 140
7月

2.

しおりを挟む
 掘っ建て小屋の先の露天風呂からは夕暮れのピンク色の空と灰青の山が見える。
 遠く甲府盆地の明かりが少しずつ灯る光景は、とても不思議な気持ちよさと、と同時に気ぜわしさが交互にやってくる。

 日が落ち切る前に千晶は風呂から上がった。

「待った?」
「ううん」

 待たされたのは千晶のほう、脳内で大昔のフォークソングをリピートすること5回目、やっと出てきたそいつは千晶の頬に触れると後から抱きつく。

「ちょっと冷えてる」
「身体は温まってるってば」

 湯冷めをする季節ではない、くっついたらせっかくさっぱりしたのにまた汗をかく、離れろ離れないとじゃれあう。

「長かったね、温泉入ったんだ?」
「そりゃ入るでしょ」
「へんなところ潔癖そうだから苦手かと思った」
「大学に入ってはじめて銭湯に行ったんだ、慣れるといいもんだね」

(湯上りに腰に手を当てて牛乳飲む姿とか、想像でき――)したら肩が震えて千晶は一人笑いをこらえ俯く。薄暗いのもあって、後ろの男は自分が笑われているのは気づいていない。

「アキは?どうだった?」
「うーーん、きもちよかったよ。温泉はちょうどよかったし景色もいい眺めで、どんどん空の色が変わっていって綺麗だったな。建物のカランが並んだ光景はちょっとシュールだったね、ここは浸かるだけの設備でいいのになぁ」
「環境負荷とか考えてんの? お金を払うと途端にクチの大きくなる客が多いからね、もっと楽しみなよ」
「そこが自然に湧き出た温泉と違うとこなのかなぁ」

「混浴だったらよかったのにね」
 俺なら貸し切りが欲しいと言い出す慎一郎に、千晶は何を想像したのか眉を顰める。
「思ってるような光景にはならないから、絶対」
 
 ぷいと横を向いた千晶の荷物が増えている。二人が温泉に着いた時すでに売店は閉まっていた。

「それどうしたの?」
「ああ、さっきおばちゃんからもらったの、プラムだって」
「知らない人から貰ったの?」
 責める口調ではないが、慎一郎なら受け取らない。片や千晶は気さくな商店街育ち。
「……? ヘアゴムとビニール袋のお礼にって物々交換みたいなものだよ。ああ、私は命を狙われたりしないし、いたずら目的ならその場で食べさせるでしょ」
「そこまで言ってないよ」
「いや、危機管理の甘い平和ボケって言いたそう」

 慎一郎はプラムを見つめ、ちょっと考えて、手ぬぐいで拭いて丸ごとかぶりつく。

「無理に食べなくても」
「…酸っぱいな」
「そう?」

 もうひとくち齧って千晶に顔を寄せ、わずかに開いた口に酸味と香りを放り込む。

「…甘酸っぱい」
「もっと?」

 平然と味わってみせた千晶の顔が急に俯いた。慎一郎は楽しそうに、もっと?と顔を寄せると更に顔をそむける。

「こんなところでやめて、向こうに人がいるのに」
「ここでなければいいんだ? ふーん」

 手すりにもたれた千晶の手に慎一郎の手が重なり、耳元でささやく。
「あの湯に二人きりだったらどう?」
 昼間の晴天そのままをたっぷり浴びたような星空と眼下の夜景…と温泉。

「もしかして顔赤い? 何想像してんの?」
「いじわるヘンタイさいてー」

 今日も千晶の負けだ。二人きりなら非道く背徳的かもしれない、
 星だけが見ている。


***


 大学の学生科の掲示板に夏季休暇中の求人が張り出されている。それを眺める千晶ともう一人の女子。と、そこへまた一人。
「これかな、先生の言ってたの」
「君らバイトすんの?」
「うーん、これ、ニュアンス的に男性向けなのかな?」
「どれ、そんなことないんじゃない、男限定だともっと体力うんぬん書いてあるよ」
 一般の情報誌とはちがう表記に、どこまで裏を読めばいいのか分からない。あれこれと情報交換をしながら条件を見ていく。
「うーんこれは20歳以上男性か 5泊で15万だって」
「治験は勘弁して、今何かしてんの? 家庭教師?」
「あたしは夏休みだけしようと思って」
「週末だけホテルでウエイトレスだよ。立ちっぱなしでろくに休憩もないから別の仕事がいいんだ、
 浅井くんは?」
「ダイニングバー、チップと賄いがうまいよ。お、これなんかいいかな夕方までだし」
「夜はそのまま掛け持ちなの?」
「ああ、2年からは忙しくなるっていうから今のうちに貯めておかないとな」
「すごーい、あたしバイトしたことないの、なにがおすすめ?」
「最初は接客かな――」 
 社会勉強だという彼女に彼は苦笑しつつあれこれとアドバイスをする。その傍らで、千晶は時給と鉄道路線図を確認していった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

一夜の過ちで懐妊したら、溺愛が始まりました。

青花美来
恋愛
あの日、バーで出会ったのは勤務先の会社の副社長だった。 その肩書きに恐れをなして逃げた朝。 もう関わらない。そう決めたのに。 それから一ヶ月後。 「鮎原さん、ですよね?」 「……鮎原さん。お腹の赤ちゃん、産んでくれませんか」 「僕と、結婚してくれませんか」 あの一夜から、溺愛が始まりました。

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

処理中です...