Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

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6月

3.

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 リビングはマンションの角にあたり、外部との境界は床から天井の梁まで総ガラス。床はマーブルで明るいのにどこか無機質で温度を感じない。

 その窓の少し手前に千晶が立って外を見ている。

 どれほどの人がこの都市に暮らしているのだろう、昼の住人、夜住人。タワーやビルの明かりより、航空障害灯の点滅に街の鼓動を感じる。
 窓の開かないこの部屋はどこか息苦しい。あの日、ここを選んだのは彼なのかと聞いたら何とかと煙は…ってはぐらかされたっけ。
 封印したつもりの記憶はちょっとしたきっかけで顔を出す。

「もう見慣れた?」
「景色はね、下を見るとすくわれそうでまだ怖い」

 慎一郎が千晶の手をとって一歩前へ、人の手があるだけでこれほど安心できるのか。千晶は顔を見合わせたのち、下を覗く。足元の乳白色が外の紺色を一層濃く思わせる。

「何が怖い? まずは足元を掬うものの正体を知ることだよ」
 そしてまた視線を水平に戻して外を眺めると、家主はなんの感慨もなく言い切った。
「この眺めもすぐ飽きるさ」

(もっと高い所に登りたくなるのかな)

「そう、どこまでもね」
 頭をわずかに上げ、上に視線を移しただけの千晶に再び何の感情も篭らない声が答えた。
「何も言ってないよ」
「どこまで行けば満足なのかって顔に出てるよ」

 商業地に立つこのマンションは全室賃貸で、最上階は予約制のプール付きのパーティルームになっている。低層階にはカフェとオープンラウンジ、ジムや会議室もあって、土地柄かSOHOとしての利用が多い。上層階の慎一郎の部屋もアイランドキッチンに広いリビング、メインとサブの寝室それぞれバストイレがあってファミリーよりゲストを意識した間取りだ。

「少しずつ上が目指せるのか、そして一番上はみんなのもの、ツボをよくわかってるんだね」
「狙い通りだろ、ここでもゲストは喜んでくれるけどね。今度来てみる? ぱーりぃ」
「遠慮しとくよ、正体もわからないまま行ったら飲み込まれそう」

 好奇心で首を突っ込むのはこのひとだけにしておきたい、千晶はまだ見ぬ世界が存在すると知っただけで十分だ。

「目的がないとつまらないかもね、若人の顔つなぎだから。それでも大事な種まきなんだ、悪い奴らに盗まれないようにね」
 まったく感情の読めない口調で呟く。
「なるほど。いろいろあるんだろうね。私はせいぜいプールでのんびり浮いていたいな」
 
 高さに飽きたら地下なんだろうか、また下に目をやって考える。横から後に移動した慎一郎も肩越しに視線の先を覗き込む。

「上へ下へ、月へ行くには金だけじゃなく健全な肉体も必要だからね、それに隠匿の愉しみはたまらないらしい」
「人間も植物みたいに人工の明かりだけて育っていけるのかな?」

 慎一郎は千晶の視線の先の問いには答えたが、声に出した疑問には答えなかった。

 同じ景色をみているようで見ていないんだろう。言いたいことは通じ合っているのに、ガラスのように見えない壁がある。乗り越えなければ落ちたりしない。
 
 千晶は自分の位置を確かめるようにまた足元とその先を見る。

 背中に感じる安心感と一緒ならここから飛び降りるのも容易い、今だけは。

 部屋の合鍵は遠慮した。その代わり部屋の前まで来れるよう指紋認証を登録してもらった。



 夜は車で千晶を送ってくれた、家まで送るというのを電車のほうが速いし定期もあると断ると、乗り換えの新宿までまでなら車でも同じだからと。
 マンション前は人通りもあるし、最寄りの地下鉄の入り口まですぐだ。心配ならそこまで徒歩で送ってくれれば十分だし、お酒も飲めばいいのにと言っても、慎一郎は運転が好きだからといって譲らなかった。

「ありがとう、気を付けて帰ってね」
「アキもね、じゃぁ、おやすみ」
「おやすみ、来月からは少し時間ができるよ」

 春先の引っ越しバイトが終わり、次に千晶が始めたのがホテルでウエイトレスと試験監督だ。週末だけなのにもう疲れが溜まってしまったので少しセーブすることにした。バイトよりも生活環境の変化に慣れ緊張が解けた頃に積もったものが吹き出したのかもしれない。なんにしろ自分の都合であって、この男と会う時間をつくりたいからではない。

「へぇ」
「あ、別にあなたのためじゃないから」

 期待しないよう念を押すと、慎一郎はえー、とたいして残念そうでもなく笑った。

「はは、じゃぁドライブに行こうか。気分転換にもなるよ」
「ドライブ? 私は車の免許持ってないよ」
「別にいいよ、そういうつもりもなかったし」
「いざってときに交代要員がいないとしんどくない?」
「そのときはカーサービスも色々あるから」

 千晶は出かけるのも、ごろごろするのもどちらも好きだ。だが、この男にとって千晶と出かけるメリットがあるとは思えない。何か裏があるのかの訝しがると、日帰りだからとまた笑った。
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