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5月
6.
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こじんまりした洋食屋の、L字型の店内の中央にカウンター席、両辺にテーブル席が数席ずつ。オープンして半世紀前かそれ以上経っていると思われる店内は、使い込まれ飴色に光っていた。
テーブル席は空いていたけれどカウンターに二人座り、慎一郎はミックスフライを、千晶はタンシチューをオーダーした。
新聞を広げて数分、サラダとスープが出てきた。
「いただきます」
ふたりはゆったりと口に含んでいく。黙々と食べる気配だけなのに横からは満足している様子が互いに伝わってくる。
次いでメインが出てくると、千晶はふふっとまた手をあわせた。
食べ物で機嫌が戻るなど安上がり過ぎるが、千晶が無言でおいしそうに食べる姿をみて、慎一郎も心が落ち着いていった。
「口にあったみたいだね」
「ここが家ならお皿まで舐めちゃう位おいしい」
「犬か」
慎一郎がちぎったパンで皿のソースをぬぐい口に運ぶ。
「ああ、おいしいね」
「ぼっちゃま」
千晶は声を顰める。フライを音もたてずこぼさず上品に食べていた男の行動は、マナーとしてアリなのかナシなのか。
「はは、ほら、あーん」お残しは許さないというようにまたパンでソースをぬぐい、今度は千晶の口に入れてくる。
店内は初老の男性と青年の二人だけで切り盛りしているらしい、千晶がちょっと視線を伺うと、いいんだよとでもいうように気づかないふりをしてくれた。控え目ながら丁寧な料理と同様の気配りを感じ、心の内で礼を言う。
ピカピカの皿が引っ込むと、最後はデザートだ。千晶はアイスクリーム、慎一郎はフルーツ盛り合わせ。
「一口食べる?」
ウエファースが添えられただけのアイスクリームはシチューの後にもさっぱりとした美味しさだ。千晶は手の付いてないほうを満足そうに差し出す。慎一郎が断るとじゃぁ遠慮なくと食べ進める。
「ほら、あーん」
慎一郎はコーヒーを飲みながらフルーツを千晶の口に放り込む。
「これ生ライチ? おいしーい」
アイスとフルーツも半分は千晶の口に収まった。食べすぎ、とお腹をさするほうも、それをみているほうも満足そうに笑った。
「家に買って帰ろうかな」
「そんなに気に入ったんだ」
「うん、やさしい味だよ」
とてもシンプルな材料だと思う、牛乳に砂糖に生クリームに卵黄。帰り際、お土産用にアイスがあるのに気づくと、千晶は6個、4つと2つに分けて包んでもらった。
「お早目に冷凍庫に入れてくださいね」
「はい、とても美味しかったです、ごちそうさまでした」
「ありがとうございます、またのお越しをお待ちしています」
車に戻って千晶が食事代を払おうとするもやんわりと拒否された。
それから家まで送るというのを駅までに収めてもらい、アイスだけは家族への土産だからと言って代金と小分けにしてもらった包みの片方を押し付けて降りた。
「俺の分?」
「そ、じゃアイス溶けるから、今日はごちそうさまでした」
*
一週間後、何故かにこにこ顔の医師から二人揃って結果を聞かされた。受付と待合では患者さまのプライバシーに配慮して番号でお呼びしますと張り紙がしてあり、確かに二人番号で呼ばれたのだが。ここへきて配慮の仕方が間違っていないか。
「この病院のコンプライアンスってどうなってるのかな」
「俺もちょっと驚いてる、病気だけじゃアレかと思ったのが仇になったな」
二人が戸惑う間もなく、医師は早口でまくし立てる。
「若いのにえらいねぇ、彼女は学生さん? うちも学生結婚でさ、」
(も、って何?)否定するのも面倒なので千晶はあいまいに微笑んでおいたが、照れた風に誤解が深まっただけだった。黙っていれば二人とも品行方正に見える。
二人は気を好くした医師のどうでもいい個人情報と家族情報にのろけ話を聞かされ、検査の時とはまた違った疲れを感じていた。話が横に逸れるたびに軌道修正を試みるも脱線しまくり、一般の若者の病気の増加と診察の遅れつまりは性教育が不十分だのと嘆くのを最後はベテラン看護師が切り上げてくれた。
「めずらしくしっかりした若い二人がやってきたからはしゃいじゃって、ごめんなさいね」そのしっかりってのはどうかと思ったけどお互い黙っていた。誰にでもぼやきたい時はあるだろう。
結果は千晶が少し貧血気味なだけでどこにも異常は見当たらず、慎一郎も全て正常範囲で感染の履歴も見られないとお墨付きをいただいてしまった。長く感じた時間も部屋を出てみれば15分程だった。
「…よかったね」
「注意してたけどやっぱり結果出るまでは緊張するな、…もう当分来たくない」
「敷居は高いよね、いろんな意味で。私も経験にはなったけど当分遠慮したい」
「あれ以上の検査とか恐ろしいな」
「男の人はそんなにないんじゃないの、多分」
「そうだと思いたい」
「どうしてここまでして?」
「さぁ」
「他人事みたいに、私もだけど」
検査だけなら郵送のキットもあるはず、というか真に受けてくれなくていいのだ。病気なんて口実なのだから。
珍しく本当にわからないという顔に、問うた千晶も自分がわからない。
そうして、とうとう連絡先を交換させられた。
「教えないと誠仁からきくだけだよ」
「ええ、どうして、教えた覚えはないのにな。伝手をたどればすぐでしょうけど」
「……」
千晶もあの男の連絡先は知らない、というか聞いてもいない。
「担がれちゃいましたかねぇ」
「っ」
「まぁ、あのひとも断られたことなさそうですもんねー」
どんだけ話を盛ったんだ、腹黒さも自分相手でなければ愉しい。千晶は声に喜びが混じるのを隠せない。片や珍しく不機嫌さを滲ませる慎一郎。
「彼は俺よりしつこいよ、さぁ」
「えーと、042-32×-「家電でいいの? 042って八王子? 相模原? 車で1時間か、電話にでてくれれば関係ないけどね」
調べれる気になればどうとでも、という含みに仕方なく携帯電話を取り出した。千晶のほうだってあの男のこともこの男のことも調べる気になれば簡単だろ、だけどそんなことしない。だが、この男の場合、偶然を装って本当に家まで来そうでもあり。
「高遠千晶――アキでいいよ」
「今更だけど藤堂慎一郎、じゃそういうことで」
差し出された右手にちょっと訝しがりながら千晶も右手を出すと、普通に軽く握手が交わされた。
千晶がほっとすると、慎一郎はそのまま手を引き寄せて千晶の手首の内側に唇を寄せた。
テーブル席は空いていたけれどカウンターに二人座り、慎一郎はミックスフライを、千晶はタンシチューをオーダーした。
新聞を広げて数分、サラダとスープが出てきた。
「いただきます」
ふたりはゆったりと口に含んでいく。黙々と食べる気配だけなのに横からは満足している様子が互いに伝わってくる。
次いでメインが出てくると、千晶はふふっとまた手をあわせた。
食べ物で機嫌が戻るなど安上がり過ぎるが、千晶が無言でおいしそうに食べる姿をみて、慎一郎も心が落ち着いていった。
「口にあったみたいだね」
「ここが家ならお皿まで舐めちゃう位おいしい」
「犬か」
慎一郎がちぎったパンで皿のソースをぬぐい口に運ぶ。
「ああ、おいしいね」
「ぼっちゃま」
千晶は声を顰める。フライを音もたてずこぼさず上品に食べていた男の行動は、マナーとしてアリなのかナシなのか。
「はは、ほら、あーん」お残しは許さないというようにまたパンでソースをぬぐい、今度は千晶の口に入れてくる。
店内は初老の男性と青年の二人だけで切り盛りしているらしい、千晶がちょっと視線を伺うと、いいんだよとでもいうように気づかないふりをしてくれた。控え目ながら丁寧な料理と同様の気配りを感じ、心の内で礼を言う。
ピカピカの皿が引っ込むと、最後はデザートだ。千晶はアイスクリーム、慎一郎はフルーツ盛り合わせ。
「一口食べる?」
ウエファースが添えられただけのアイスクリームはシチューの後にもさっぱりとした美味しさだ。千晶は手の付いてないほうを満足そうに差し出す。慎一郎が断るとじゃぁ遠慮なくと食べ進める。
「ほら、あーん」
慎一郎はコーヒーを飲みながらフルーツを千晶の口に放り込む。
「これ生ライチ? おいしーい」
アイスとフルーツも半分は千晶の口に収まった。食べすぎ、とお腹をさするほうも、それをみているほうも満足そうに笑った。
「家に買って帰ろうかな」
「そんなに気に入ったんだ」
「うん、やさしい味だよ」
とてもシンプルな材料だと思う、牛乳に砂糖に生クリームに卵黄。帰り際、お土産用にアイスがあるのに気づくと、千晶は6個、4つと2つに分けて包んでもらった。
「お早目に冷凍庫に入れてくださいね」
「はい、とても美味しかったです、ごちそうさまでした」
「ありがとうございます、またのお越しをお待ちしています」
車に戻って千晶が食事代を払おうとするもやんわりと拒否された。
それから家まで送るというのを駅までに収めてもらい、アイスだけは家族への土産だからと言って代金と小分けにしてもらった包みの片方を押し付けて降りた。
「俺の分?」
「そ、じゃアイス溶けるから、今日はごちそうさまでした」
*
一週間後、何故かにこにこ顔の医師から二人揃って結果を聞かされた。受付と待合では患者さまのプライバシーに配慮して番号でお呼びしますと張り紙がしてあり、確かに二人番号で呼ばれたのだが。ここへきて配慮の仕方が間違っていないか。
「この病院のコンプライアンスってどうなってるのかな」
「俺もちょっと驚いてる、病気だけじゃアレかと思ったのが仇になったな」
二人が戸惑う間もなく、医師は早口でまくし立てる。
「若いのにえらいねぇ、彼女は学生さん? うちも学生結婚でさ、」
(も、って何?)否定するのも面倒なので千晶はあいまいに微笑んでおいたが、照れた風に誤解が深まっただけだった。黙っていれば二人とも品行方正に見える。
二人は気を好くした医師のどうでもいい個人情報と家族情報にのろけ話を聞かされ、検査の時とはまた違った疲れを感じていた。話が横に逸れるたびに軌道修正を試みるも脱線しまくり、一般の若者の病気の増加と診察の遅れつまりは性教育が不十分だのと嘆くのを最後はベテラン看護師が切り上げてくれた。
「めずらしくしっかりした若い二人がやってきたからはしゃいじゃって、ごめんなさいね」そのしっかりってのはどうかと思ったけどお互い黙っていた。誰にでもぼやきたい時はあるだろう。
結果は千晶が少し貧血気味なだけでどこにも異常は見当たらず、慎一郎も全て正常範囲で感染の履歴も見られないとお墨付きをいただいてしまった。長く感じた時間も部屋を出てみれば15分程だった。
「…よかったね」
「注意してたけどやっぱり結果出るまでは緊張するな、…もう当分来たくない」
「敷居は高いよね、いろんな意味で。私も経験にはなったけど当分遠慮したい」
「あれ以上の検査とか恐ろしいな」
「男の人はそんなにないんじゃないの、多分」
「そうだと思いたい」
「どうしてここまでして?」
「さぁ」
「他人事みたいに、私もだけど」
検査だけなら郵送のキットもあるはず、というか真に受けてくれなくていいのだ。病気なんて口実なのだから。
珍しく本当にわからないという顔に、問うた千晶も自分がわからない。
そうして、とうとう連絡先を交換させられた。
「教えないと誠仁からきくだけだよ」
「ええ、どうして、教えた覚えはないのにな。伝手をたどればすぐでしょうけど」
「……」
千晶もあの男の連絡先は知らない、というか聞いてもいない。
「担がれちゃいましたかねぇ」
「っ」
「まぁ、あのひとも断られたことなさそうですもんねー」
どんだけ話を盛ったんだ、腹黒さも自分相手でなければ愉しい。千晶は声に喜びが混じるのを隠せない。片や珍しく不機嫌さを滲ませる慎一郎。
「彼は俺よりしつこいよ、さぁ」
「えーと、042-32×-「家電でいいの? 042って八王子? 相模原? 車で1時間か、電話にでてくれれば関係ないけどね」
調べれる気になればどうとでも、という含みに仕方なく携帯電話を取り出した。千晶のほうだってあの男のこともこの男のことも調べる気になれば簡単だろ、だけどそんなことしない。だが、この男の場合、偶然を装って本当に家まで来そうでもあり。
「高遠千晶――アキでいいよ」
「今更だけど藤堂慎一郎、じゃそういうことで」
差し出された右手にちょっと訝しがりながら千晶も右手を出すと、普通に軽く握手が交わされた。
千晶がほっとすると、慎一郎はそのまま手を引き寄せて千晶の手首の内側に唇を寄せた。
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