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5月
3.
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――7時
平日と同じ時間にアラームが鳴る、昨日はソファーで眠ってしまったのか、目覚めた彼には毛布と上掛けが掛けてあった。
…よく寝た。
この頃は翌日にまで残るような飲み方からは遠ざかっていた。それでも今日の目覚めはいい、飲んだ後の重だるさが全く無い。最後に合わせたビールとトマトジュースは悪くない、と考えながら彼は起き上がった。
食器とグラスは洗ってあり、空き瓶もシンクに片づけてあった。水音に気づかないくらい眠っていたのだろうかと、書き置きに目をやり思った。食事の礼と土曜も講義がある旨、それだけ。名前も連絡先も無かった。
そのメモを手に取り光に透かしてみたあと、少し考えたふうにしながら寝具と共に片付けた。
――晴れたな。
***
で、千晶が午前の講義が終わって校外へ出ると、昨日と同じ車が停まっている。ネイビーブルーの流線形のスポーツカー。
(なんでいるのかな、なんかやらかしたかな)
あのあと映画の続きを観た。彼らの飢えは互いに分かり合えず永遠に乾いたままだった。一本目の映画は彼を焚き付けたけれど、二本目はいともたやすく彼を眠りに落とした。真剣に見入っている千晶と毛布の間に包まって。
映画が終わってもぐっすりと寝入っていて、千晶が記憶にある名を呼んでも起きなかった。無防備な寝姿に、このひとも大概警戒心が足りないと自分を棚に上げて思ったのだった。
寝た子を起こすなって諺もあるように、ソファーで寝入ってしまった彼を再び起こして面倒になるより放置を決めた。それでも毛布だけ過ごして風邪でも引かれたら更に面倒だと思い直して――漫画だと起こさないよう寝室までお姫様だっこなシチュエーションだけど、残念ながら体重差は少なく見積もっても20キロ以上あった――布団をかけて置いてきた。
ちょっとすいませんねと言い訳のように呟いて寝室に勝手に入ってたけど何もいじっていないから。掛け布団を運んだだけだから。
あれ? もしかして狸寝入りかどうか確かめるために一本毟ったの気づいてたのかな。一本だけなら、ねぇ。毎日自然に50本は抜けるっていうしさ。
きょとんと戸惑いつつ千晶が立ち止まると、彼は降りてきて助手席のドアを開けた。
「?」
訳がわからず千晶が更に首をかしげると、彼はゆったりと微笑んだ。
「2限終わったら迎えにこいって」
「……読み過ぎです、今日はこれからバイトなんです。ちなみに明日も、来週もね」
だから来るな。言葉の先を読めるならこれも通じるだろう。
「どこで? そこまで送るよ」
「新宿の――、通学路線上だから電車でいいの、それに駅からすぐだし」
「じゃぁ駅まで送るよ」
威圧感もない口調に感情も読めない表情。着席を促され、千晶は手を借りずに身体を滑りこませた。
「昨日はご馳走様でした」
当然社交辞令、というか嫌味半分なのに、彼は鼻歌混じりでエンジンを掛ける。
「いつ帰ったの?」
「日付が変わる前には家に着いたよ」
「あぶないでしょ」
「あなたがそれを言うの? それにお酒のんでたよね」
「慎一郎、シンでいいよ、お昼は食べた?」
言いたいことは通じているのに、会話の方向がおかしい。
「まだ、あ、サンドイッチがあるの、手作りは食べられるひと?」
朝食べ過ごした分と昼の分だ。土曜で電車は座れたけどさすがにボックス席でもないのに食べるのは躊躇した。夕方までは持たない
*
首都高のパーキングエリアでコーヒーを買ってベンチに座る。大学の最寄り駅と確認しなかったからこうなった、千晶は自分の詰めの甘さに過ちは繰り返さないと誓いを立てる。
「キューカンバー…」
「私はさっぱりしてて好きなんだ。あとツナにBLT、男の人には物足りないだろうけど好きなのどうぞ」
「懐かしいな、寄宿学校に5年いたから」
「小さい頃?」
「小1の冬から小6の春まで」
あの日、彼の同級生は彼が生え抜きだと表現していた。小学校から大学まである名門私立。
「……それってこっちの小学校を入学卒業したって名目が建つようにってことなの?」
「そうだろうね」
「えげつないなー」
顔をしかめる千晶に、彼はどうってことない風に笑った。
「おいしいよ」
「それはよかった」
弟が短期留学という名の観光で覚えてきたのがサンドイッチとスコーンだ。
「あれ、最後どうなった?」
「どこまで覚えてる?」
「トロッコに乗って、、、水が流れてるあたり」
最初だけね、寝落ちした二本目の映画のことだ。
「そこからやっとたどり着いた部屋には誰も入らなかった。命がけで行ったのに、誰も何も変わらないまま戻ってきた。でも最後に案内人の娘、ベッドに寝たきりの少女が何かに目覚めたみたい。力を得たというのかな」
千晶は簡単に説明し、個人的な意見を付け加える。
「比喩なのかとても受け取り方の難しい映画だった、でも流れている空気感がとてもよかったな」
「部屋はなんだったんだろう、願いが叶うんだよね」
入った者の<本当に>欲している望みが叶う部屋
「なんだろうね、ほんとは入っても何も起きないただの部屋かもしれないし、入らなかったのに案内人の思いは通じたみたいだし」
「部屋が意志を持ってる?」
「うーん、そう考えると創造主的な概念なのかな、地球外生命体? 入らないでいればどう思おうと無限に想像できる」
「入ったら――」
「うん」千晶はただ頷く。
平日と同じ時間にアラームが鳴る、昨日はソファーで眠ってしまったのか、目覚めた彼には毛布と上掛けが掛けてあった。
…よく寝た。
この頃は翌日にまで残るような飲み方からは遠ざかっていた。それでも今日の目覚めはいい、飲んだ後の重だるさが全く無い。最後に合わせたビールとトマトジュースは悪くない、と考えながら彼は起き上がった。
食器とグラスは洗ってあり、空き瓶もシンクに片づけてあった。水音に気づかないくらい眠っていたのだろうかと、書き置きに目をやり思った。食事の礼と土曜も講義がある旨、それだけ。名前も連絡先も無かった。
そのメモを手に取り光に透かしてみたあと、少し考えたふうにしながら寝具と共に片付けた。
――晴れたな。
***
で、千晶が午前の講義が終わって校外へ出ると、昨日と同じ車が停まっている。ネイビーブルーの流線形のスポーツカー。
(なんでいるのかな、なんかやらかしたかな)
あのあと映画の続きを観た。彼らの飢えは互いに分かり合えず永遠に乾いたままだった。一本目の映画は彼を焚き付けたけれど、二本目はいともたやすく彼を眠りに落とした。真剣に見入っている千晶と毛布の間に包まって。
映画が終わってもぐっすりと寝入っていて、千晶が記憶にある名を呼んでも起きなかった。無防備な寝姿に、このひとも大概警戒心が足りないと自分を棚に上げて思ったのだった。
寝た子を起こすなって諺もあるように、ソファーで寝入ってしまった彼を再び起こして面倒になるより放置を決めた。それでも毛布だけ過ごして風邪でも引かれたら更に面倒だと思い直して――漫画だと起こさないよう寝室までお姫様だっこなシチュエーションだけど、残念ながら体重差は少なく見積もっても20キロ以上あった――布団をかけて置いてきた。
ちょっとすいませんねと言い訳のように呟いて寝室に勝手に入ってたけど何もいじっていないから。掛け布団を運んだだけだから。
あれ? もしかして狸寝入りかどうか確かめるために一本毟ったの気づいてたのかな。一本だけなら、ねぇ。毎日自然に50本は抜けるっていうしさ。
きょとんと戸惑いつつ千晶が立ち止まると、彼は降りてきて助手席のドアを開けた。
「?」
訳がわからず千晶が更に首をかしげると、彼はゆったりと微笑んだ。
「2限終わったら迎えにこいって」
「……読み過ぎです、今日はこれからバイトなんです。ちなみに明日も、来週もね」
だから来るな。言葉の先を読めるならこれも通じるだろう。
「どこで? そこまで送るよ」
「新宿の――、通学路線上だから電車でいいの、それに駅からすぐだし」
「じゃぁ駅まで送るよ」
威圧感もない口調に感情も読めない表情。着席を促され、千晶は手を借りずに身体を滑りこませた。
「昨日はご馳走様でした」
当然社交辞令、というか嫌味半分なのに、彼は鼻歌混じりでエンジンを掛ける。
「いつ帰ったの?」
「日付が変わる前には家に着いたよ」
「あぶないでしょ」
「あなたがそれを言うの? それにお酒のんでたよね」
「慎一郎、シンでいいよ、お昼は食べた?」
言いたいことは通じているのに、会話の方向がおかしい。
「まだ、あ、サンドイッチがあるの、手作りは食べられるひと?」
朝食べ過ごした分と昼の分だ。土曜で電車は座れたけどさすがにボックス席でもないのに食べるのは躊躇した。夕方までは持たない
*
首都高のパーキングエリアでコーヒーを買ってベンチに座る。大学の最寄り駅と確認しなかったからこうなった、千晶は自分の詰めの甘さに過ちは繰り返さないと誓いを立てる。
「キューカンバー…」
「私はさっぱりしてて好きなんだ。あとツナにBLT、男の人には物足りないだろうけど好きなのどうぞ」
「懐かしいな、寄宿学校に5年いたから」
「小さい頃?」
「小1の冬から小6の春まで」
あの日、彼の同級生は彼が生え抜きだと表現していた。小学校から大学まである名門私立。
「……それってこっちの小学校を入学卒業したって名目が建つようにってことなの?」
「そうだろうね」
「えげつないなー」
顔をしかめる千晶に、彼はどうってことない風に笑った。
「おいしいよ」
「それはよかった」
弟が短期留学という名の観光で覚えてきたのがサンドイッチとスコーンだ。
「あれ、最後どうなった?」
「どこまで覚えてる?」
「トロッコに乗って、、、水が流れてるあたり」
最初だけね、寝落ちした二本目の映画のことだ。
「そこからやっとたどり着いた部屋には誰も入らなかった。命がけで行ったのに、誰も何も変わらないまま戻ってきた。でも最後に案内人の娘、ベッドに寝たきりの少女が何かに目覚めたみたい。力を得たというのかな」
千晶は簡単に説明し、個人的な意見を付け加える。
「比喩なのかとても受け取り方の難しい映画だった、でも流れている空気感がとてもよかったな」
「部屋はなんだったんだろう、願いが叶うんだよね」
入った者の<本当に>欲している望みが叶う部屋
「なんだろうね、ほんとは入っても何も起きないただの部屋かもしれないし、入らなかったのに案内人の思いは通じたみたいだし」
「部屋が意志を持ってる?」
「うーん、そう考えると創造主的な概念なのかな、地球外生命体? 入らないでいればどう思おうと無限に想像できる」
「入ったら――」
「うん」千晶はただ頷く。
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