好奇心は猫をも殺す

えびねこ

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 あの日彼女が同級生の姉に半ば強引にそこへ連れられていったのは仕方のないことだった、ということにしておこう。姉の彼氏が同学年で集まっているからちょっと顔を出すだけ、そういう話だった。
 その彼が春からエスカレータで名門私大に上がるお坊ちゃま校の出身なのは特に興味も沸かなかった。

 カラオケに誘われて行ったなら年頃の子ならばよくある話だ。それが会員制のカラオケならば好奇心もうずいただろう。駅前のカラオケの、擦り切れたカーペットに、代わり映えのないメニューのフリードリンクに飽きた身には。
 


 4月の始まりの日、彼女は世田谷に引っ越した同級生の家へ遊びに行った。正しくは、男友達が女友達の家に行くのに付き合った。
「私まで行かなくてもよくない?」
「男一人じゃ誤解されんだろ、ケーキおごるから付き合えよ」
 同級生が進むお嬢様学校とのつながりを作りたい男友達の下心に呆れながら。
 

「家具はそのままだから変わんないでしょ、前より狭いし」
「静かだね、でも、こういう趣味だっけ?」
 駅から10分、低層マンションの二階、一通り家の中を案内され、街並みや眺めをつらつらと話す。
「お母さんがレースのフリフリは譲れないって、嫌いじゃないけど」

 チュールレースと花柄のテキスタイルで統一された部屋。他の部屋も同じ。以前はごく普通の、どこにでもある量産型の、しいて言えば北欧モダン風な家だった。それが、ティーセットまで花柄。
 彼女の選んだタヌキ型のケーキの似合わないこと。

「あの学校のせいで変なスイッチが入ったの」、と壁に掛かった真新しい制服を示した。同級生には二つ年上の姉がいて、この春から姉妹で同じ制服を着て同じお嬢様女子大の付属校に通う。姉一人の時は何も変わらなかったのに、急に見栄を張り始めた。

「環境が人を作るか」
「それに…実は…こっそり着てるの見ちゃったんだよね…」
 え、と顔を見合わせる。
「……まぁ…気持ちは分かるよ……うん」
「子供より親が張り切るのはよくあるけど、無しだろ。まさか父親は学ラン着てたり?」
「さすがにそれは…。そんなの見たら立ち直れない」
 
 少女趣味と言うか小マダムに目覚めた母と空気のような父親は外出中。親のいいとこだけを集めた姉妹に対して、両親は平凡なおじさんおばさん。居なくてよかったと、笑いながら再び制服に視線を戻す――その、ちょっとストイックなワンピースとボレロを、着てみたいと思うのは自然なことだろう。いくつになっても、かわいいものはかわいい。

 彼女も物欲しそうな顔をしてしまっていたかもしれない、だって彼女の進学先には制服がなかったから。
「ちょっと待ってて」
 同級生はひらめいたように目を輝かせた。



『二人で着てみたい』妹の提案を、初対面の同級生の姉は嫌がるどころか、喜んで着せてくれた。彼女の背恰好は妹より姉に近かった。更に姉はノリノリで化粧までしてくれた。

「そういうお店あるよね」
「お姉ちゃん、やりすぎ……」
「いいじゃない、今日だけ私たちのお姉ちゃん」
「えっ」 

 くっきり二重のつぶらな瞳とアーチを描いた眉、小ぶりで高すぎない鼻に、ふっくらとした唇。そんな姉妹に寄せてメイクした顔は三姉妹と言っても通じるかもしれない。制服にはちょっと濃いが。
 男友達が笑いながら写真に収めた。同級生も姉には母親が自分の制服を着ていたことは言えなかったが、これで悪い記憶は塗り替えられた。

 そんな流れのなか、姉に連絡が入ったのだ。どうでもいいくらいによくある話。

「カラオケ好きでしょ?」合コンでもなんでもない、ただ、男だけより女の子もいたほうが楽しい、それだけだからという姉に引っ張られ、男友達から「余裕のある年上のほうが男に慣れるにはいい機会だ」と勧められた妹も重い腰を上げた。
 彼女も、制服を着せてもらった、その引け目だけではないけれど、はっきりした顔立ちの美人姉妹なのに、引っ込み思案な妹と正反対な姉の強引さに、制服同様ちょっとした好奇心が沸いたのだった。



 
「やっぱり帰る、ごめん」
「えっ」
 
 着いて早々人見知りな同級生は、年上の面々に怖気づいて、彼女を置いて帰ってしまった。他にも女の子――皆可愛いか綺麗で、ここでは同級生も普通の女の子扱いで済んでいたのに。
 男友達とは途中の駅で分かれた。男とカラオケなんて冗談もいいところ。
 
 皆適当に来て帰って行くから好きに切り上げてとは言われたけれど、頼んだドリンクもまだ来ていなかった。

 唖然とする彼女に、姉はここまで来られただけで大進歩だと笑っていた。一人でも帰ろうとするところも成長だと。

「こんにちは、こんばんは以外の言葉を始めてきいたよ」彼氏もきりっとした眉を下げて苦笑する。

 ちょっと緊張しながらも、話しかけられれば普通に言葉を返していた、その会話が途切れた隙に脱兎のごとく逃げ出した訳で。
 
「放っておいていいから。ありがとうね」
 姉の言葉に、彼女は首を傾げた。お礼を言われるようなことは何もない。いざという時は一人でも逃げること、そう同級生に伝えていた。

 彼女の普通の態度にどれほど救われたか、妹が姉に話していたのを彼女は知らない。
 控え目な性格なのに華のある顔立ちとふくよかに育ちつつある胸のアンバランスは、思春期の本人と周囲に、否応なく軋轢を生んだ。それを気にしないで普通に接して、時には庇ってくれる彼女に、妹が懐くのは当然の成り行きだった。そして懐かれるままでなく、適度に突き放してくれたことにも、姉は感謝していた。
 進路の最終決定が男友達の冷静な分析と、彼女の何気ない一押しだったことは知らないほうがいいだろう。
 


 
 広いリビングがゆるく二つに区切られ、大きな窓もあって開放的なカラオケ空間と、似非暖炉的なダーツのある空間とに分かれていた。
 配信システムは普通のカラオケと変わらない。部屋がきれいでソファーの座り心地が良くて、飲み物やオードブルが美味しい、通りががりに覗かれない、女だけでいても乱入されなさそう、彼女の感想はそんなところ。つまり満足。
 不満なのは姉が紹介してくれた『双子の姉』の単語に、誰一人突っ込んでくれなかったことだった。

 適当に、と言われたように三々五々メンバーは入れ替わっていく。高校一年のクラスで呼びかけたという集まりは久々の再会に花を咲かせていた。マンモス校だから部活が一緒でもないと会う機会はなかったのだと、男ばかりで話の弾むなか彼女を気遣って説明する。人見知りをしない彼女はそれを肯定し、話を繋ぐ。

「ごめんね、俺らだけで。彼ってばオリエンテーリングでツイスターもってきて」
「誰得、ちょっと想像したくないかも」
「でしょ、あれはひどかったね」

 誰かが動画を撮ってたの、あれで打ち解けたのと話は進んでいく。お坊ちゃま校と呼ばれる彼らは、普通に社交性の高い人達だった。男友達の見立てどおり慣れるにはいい機会なのに、同級生は戻って来ない。

 カラオケなのに歌っているのは数人で、盛り上がるというよりBGM代わりで、彼女もそんな曲を選んで歌っていく。そして、食べ、飲み、話し、そして歌う。



 彼もまた友人に無理矢理――ではなく、たまたま時間が空いていたから顔を出しただけ。カラオケは好きでも嫌いでもない、女の子はいなくても構わないが、大体いつもいる。
「結構集まってるね」
「来てくれて嬉しいよ、早かったね」
「ああ、家を出たんだ、近くだから寄ってよ」
 軽く挨拶をしていたら流れてきた懐メロ、音の方向に目をやると淡い琥珀の液体の入ったグラスを持つ右手と、そっとストローに左手を添えて飲む横顔が目に留まった。
 誰もモニターを観ていない、歌い手も注目を求めない。時々、誰かが歌詞を確認するように視線を向け、マイクを持つ手で歌い手が分かる。
 元々女性ボーカルのその曲をキィを4音下げて歌っていたのは辻井――男で、サビに突然マイクを振られた彼女は戸惑うことなくその音程のまま歌った。
 
 はしゃぐより気怠く続く流れに沿いつつも、凛とした一筋が流れに加わりゆるやかに馴染んでいく。

 それから幾度か彼女の声は流れてきた。会話を遮らないのに耳にすっと入ってくる歌声は、心地よいまますり抜けて行った。

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