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第13話 ファルセットで飯を食う

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 早朝、カラスがゴミ袋の中から食べ残しの生姜焼き弁当を漁っている光景を目の前にし、僕は「カメラ小僧」という名前の本屋さんの前で、黒川さんと待ち合わせをしていた。

 時間は5時55分。
 パチンコだったらこのゾロ目は嬉しい限りだが、今は正直見たくない数字だった。
 我ながら良くこんなに早起き出来たものだと感心し、眠い目をこすりながら自分へのご褒美に買ったピノを頬張っていた。すると、カラスの鋭い眼光にたじろいだ一瞬、最後に残しておいたレアの形のハート形ピノを横から奪われてしまった。

「柳町さんは、美味しい物を最後に食べる派なんですね」
「うん……おはよう」

 ちょっとした楽しみを奪われてしまったショックもあったが、黒川さんの笑顔を見たら全て許そうという気になってしまった。

「私、最近思うんです。私も前は、一番好きな物を最後に取って置く派だったんですけど、やっぱり大事なのは、今この時だからその瞬間を逃しちゃいけない! 食べるなら今でしょ! って思って先に食べるようにしてるんです」

 分かる気もする。
 僕も今まで、どちらかというと待ちの人間で、自分から率先して何かをやろうとするタイプではなかった。京子先生に出会ってから、かなりその意識も変わったと思うが、まだまだ前に出る姿勢が足らないのだろう。
 恥ずかしいとか失敗したらどうしようとか、考えてる時間があったら、その一瞬早く行動するだけで未来が変わるんだと思う。今日から始まる特訓はその為の一歩でもある。
 躊躇せず、前に前に行く姿勢だけは常に持っていようと決心して、僕は歩みを進めた。

「行こう! 黒川さん! 必ず強くなって帰って来よう!」
「はい! それより柳町さん。チャックが開いてます!」

 違う物が前に出ていた。

「それに、駅はあっちです!」

 進むべき方向も間違っていた。
 正にこれが僕の人生を物語っている。
 人はそう簡単には変われないが、この程度で挫けてしまっていては前に進めない。
 そして何より今は一人じゃない!
 その気持ちが僕の足を前に進め、未来を切り開く糧となった。


 この直後、僕は原付バイクに牽かれた。

「何でやね~ん!!」



◇ ◇ ◇


「大丈夫ですか!? 柳町さん!」

 少し気を失っていたようだったが、気がつくとそこは車の中で、僕は横たわりながら運ばれていた。
 救急車かと思っていたが、良く見ると一ノ条さんも一緒にこの車に乗っていた。

「大丈夫かい、柳町君」
「一ノ条さん? 何でここに?」
「君達を迎えに行く途中だったんだが、まさかこんな形で出会うとは思っていなかったよ」
「この車で迎えに来てくれたんですか?」
「いや、原付バイクだ」

 犯人は一ノ条さんだった。

 気は失っていたが、何故か僕の体は無傷だった。

「あれだけの衝撃だったのに、怪我一つ無いなんて驚いたよ。10メートル、いや……10メートル20センチは飛んでいたのに……」

 本当に驚いているのは僕自身だった。
 原付で人を10メートル20センチも撥ね飛ばすなんて、一体何キロ出ていたのか計算したいくらいだったが、人を轢いておいて平然としている一ノ条さんの事よりも、自分が無傷でいる事の方が本当に不思議だった。
 無意識だったけど、とっさの内に能力を使っていたんだろうか……?

「柳町君。そして黒川さんだったかな。悪いが特訓は既に始まっている。敵はいつ何時なんどき何処からやってくるか分からない。それを想定した上での特訓だという事を、改めて知って欲しい」

 原付バイクで僕を牽いた事も特訓の一部だったかどうかはあやふやにされたが、この出来事は今後の僕の能力を使いこなす上で大きなヒントとなった。


 1時間以上車を走らせた後、庭に山があるような、大きなお屋敷の門の前に車が止められた。

「着いたぞ」

 一ノ条さんに先導されて門の中に入り、庭なのか何なのか分からないほど広く長い道を、ゴルフカートに乗ってお屋敷の前まで連れて行かれた。

「ここが我らがブレイブハウンドのボス、犬飼 治五郎の表向きの家だ」

 表向き……?
 闇組織のボスだけあって、本当の家は別にあるって事か……

「ここは通称『ファルセット』と呼ばれる場所で、いろいろな施設がある。面倒なので全ては説明しないが、君達が特訓するのは、その中のエリアBと呼ばれる場所だ。そこには、スポーツジムや闘技場、サバイバルゲームが出来る場所や舞台もある。
 勿論、寝泊まり出来る所も完備されているから、これからの2ヶ月間はここで生活してもらう事になるぞ。
 何かあれば外出してもらっても構わないが、ここにいる間は基本的には我々の管理下で行動してもらう事になるからそのつもりでいるように。
 君達以外にも特訓している者が居るから、エリアBに入ったらそこの責任者の指示に従ってもらう。一応、ボスの知り合いだという事は伝えてあるから、それなりにお手柔らかにしてもらえるとは思うが、あまり期待しない方が良いかも知れないな」

 僕はてっきり、一ノ条さんにマンツーマンで教えてもらえるものだと思っていたけど、良く考えたらボスの側近が僕達に付きっきりになれる訳ないか……

「とりあえずエリアBまでは連れて行くが、そこからは責任者の瀧崎に任せるから指示に従ってくれ」
「分かりました」
「一応、女性もたくさん居るから黒川さんも浮く事は無いと思うよ」
「はい。ありがとうございます」

 想像以上の規模だった事もあり、僕と黒川さんは呆気にとられていた。特訓について行けるかどうかも心配だったが、僕達はここの人達と馴染めるのかが一番心配だった。

 エリアBという場所に着いて一ノ条さんと別れた後、僕と黒川さんは事務所のような大きな建物に入って行った。

「失礼します!」

 扉を開けるとそこは、高級ホテルのフロントのような形になっていて、受付には小綺麗な格好をした糸目のおばさんが座っていた。
 小型のテレビを見ながらフライドポテトを食べていたそのおばさんは、僕達に気付くと声を掛けてきた。

「前歯を叩き割って欲しいのは、どっちの子だい?」
「僕です」

 訳の分からない質問に何故か即答してしまった。

「フフッ。噂通り面白い子だね。一ノ条から話は聞いてるよ。別にアンタ達を特別扱いする気はないからね。早く自分達の部屋に行ってユニフォームに着替えて来な!」

 そう言うとそのおばさんは、僕達にユニフォームなどが入ったバッグと部屋の鍵を渡してくれた。
 黒川さんの鍵には117号室と書かれていて、僕の鍵には豚小屋と書かれていた。

「私は簑田みのだシズコ。皆からは箕田婆さんとか、みのさんとか呼ばれてるわ。ここの事で分からない事があったら何でも聞きな!
 教えないけど」
「わ……分かりました」
「腹減ってんだろ?」
「はい」
「我慢しな!」
「わ……分かりました」

 みのさんはニヤっと笑った。

「腹が減ったら戦は出来ないからね。朝食は本来7時半からだけど、あんた達の分を用意してあるから、準備が出来たら食堂に行きな!」
「かしこまりました!」

 時刻は8時15分。
 この建物内にあまり人気を感じないが、皆は何処か別の場所で特訓しているのだろうか?
 そんな疑問を持ちながら、僕達は自分達の部屋に向かった。

 みのさんが部屋の場所を教えてくれたが、黒川さんはこの建物の一階で、僕の部屋は外だった。
 着いた僕の部屋は、豚小屋というよりどちらかというとウサギ小屋だった。
 僕は外から丸見えのウサギ小屋でユニフォームに着替えた後、みのさんに言われた食堂に向かった。

 食堂に着くと、そこには5~6人が座れる長テーブルがいくつか置いてあり、50人くらいの人が一度に食べられるようになっている。
 ほとんど待つ事もなくすぐに黒川さんと合流出来たので、一緒に料理を受け渡すカウンターの方に向かった。

「すみません。先ほど箕田のおばさんに、こっちで食事するように言われたんですけど……」

 人の気配がしたので、僕がカウンター越しに話し掛けて見ると、奥に居た洗い物をしていた人が手を止めて顔を出した。
 風貌を見た感じは、料理長らしき人に見えた。

「あぁ聞いてるよ。みのさんから、べっぴんさんが2人そっちに行くから甘い物でも出してやってくれって言われてる。梅干しとキムチを用意してあるから、好きなだけ食べな」

 そう言うと、その料理長らしき人はふてくされた顔でお盆を出し、その上には豆大福とカラムーチョが1つずつ置かれていた。

 訳が分からない……
 僕がべっぴんさんじゃなかったから、嫌がらせされているのか……?
 京子先生もそうだけど、冗談なのか本気なのか分からない所は、こういう所から来ているのか……?

「姉ちゃん達は甘い物は嫌いかい?」
「いえ。どちらかというと好きですけど……」
「俺は嫌いだ!」
「…………」
「俺は甘い物と男が大嫌いだ!!」

 やっぱり僕の事を嫌っているような気がする……
 みのさんがべっぴんさんが2人なんて言うから、期待し過ぎて裏切られた気持ちになっているんじゃないだろうか……
 ユニフォームは女装だけど、僕は明らかに男だって分かると思うんだけどなぁ……

「そんな物で腹の足しになんのか?」
「いや……出来れば、ご飯物が頂きたいんですが……」
「飯が食いたきゃサーティワ◯に行きな!」

 逆に甘い物しか無いだろ!! と思ったが、僕がこのまま交渉していても埒があかなそうだったので、とりあえず交渉役ネゴシエーターを黒川さんにバトンタッチした。

「すみません。何か定食みたいな物とかは、ここにありますか?」
「ハイハイありますよ! これがメニューだからね! 好きな物を頼んでね!」
「あ……ありがとうございます」

 もの凄い手のひら返しだ……

 そう言うと、その料理長らしき人は黒川さんをエスコートして席に座らせ、ニコニコしながらずっと黒川さんを眺めていた。

「お前はこれに座ってろ」

 そう言って僕に渡されたのは、3歳くらいまでの子供しか座れないようなお子様椅子だった。
 腑に落ちなさ加減が満載だったが、僕は黙って従ってた方が良いと思い、2度とお尻が抜けなくなる事を覚悟の上で自分のお尻を無理矢理お子様椅子にはめ込んだ。
 黒川さんは、先ほど出された豆大福を食べながらメニューを見ていた。
 僕は食べられれば何でも良いよと、アイコンタクトで黒川さんに合図し、注文を黒川さんに任せた。

「すみません。焼き鮭定食を1お願いします」
「かしこまりました」

 1!! …………全く伝わっていない…………

 厨房に戻っていく料理長の後ろ姿を悲しく見送り、僕は1人寂しくカラムーチョを食べて待つ事にした。

「すみません!」

 黒川さんが厨房に向かって声を掛けると、料理長はすぐ様やってきて膝をついて黒川の前に現れた。

「ハイ! いかがいたしましたか?」
「やっぱり焼き鮭定食を2でお願いします!」
「かしこまりました」

 料理長は、あからさまに嫌そうな顔をして僕をチラ見し「しょうがねーなー」という態度で厨房に戻って行った。

「まさか、黒川さんまで僕を陥れるとは思わなかったよ」
「すみません。何かさっきの柳町さんのアイコンタクトの意味が分からなくて、最初はって言われてるんだと思って気持ち悪かったんですけど、良く考えたら注文は任せるよって意味だったんですね」
「そうだよ! 僕だって好きで女装してる訳じゃないからね! みのさんがこれしかくれなかったから、仕方なく着てるだけだよ!」

 黒川さんは「好んで着てるように見えますけど」という冷たい視線で僕を見つめていた。
 大して待たずに料理が運ばれたので、僕達は何とか朝食にありつけた。
 料理を運んで来てくれた料理長の胸にはネームプレートがしてあり、そこには『井森 ミユ』と書かれていた。
 名前で判断してはいけないが、何となく料理の味が心配だった。
 僕だけにメンチを切って去って行った井森さんは、黒川さんには小声で「デザートも準備してあります」と言っていた。

「そういえば黒川さん。さっきは迷わず豆大福を食べてたよね」
「私、辛いの苦手だし、あの状況は私が食べる所だと思って……」

 最近分かった事だけど、黒川さんって意外と思い込みが激しいというか、結構自分基準で勝手な判断する時あるよなぁと思う。

「まぁ甘い物好きなの知っているし、全然食べて良いんだけど、一言『私、豆大福食べて良いですか?』とかあっても良いかと思うよ」
「柳町さんにですか?」

 何その言い方………
 僕以外だったら勿論気を遣って聞きますけど、柳町は別に良いんじゃない的な見下した感じ……
 元々の天然に、京子先生のSっぷりが混ざってきた黒川さんは、第2の京子先生になる素質は十分だった。

「思ってたより美味しそうですよ。冷めない内に食べましょう」
「そ……そうだね」

 どんな料理を出されるのか心配だったが、見た目は本当に美味しそうだった。
 僕達は同時に一口目を食べた。そしてその瞬間、お互い目を見合せた。

「う……美味うま過ぎる!!」

「本当ですね! 何ですかこの味!?」

 一見ただの焼き鮭定食なのに、尋常じゃない美味さだ!!
 人が作った物とは思えないほど、見た目とのギャップがあり、一瞬何を食べさせられているのか分からなくなるくらい衝撃の味だった!!
 良く考えたら、ブレイブハウンド直属の料理長が料理が下手な訳がない! 性格や人間性の面で問題があったとしても、料理だけは上手いのが当たり前か。

「でも柳町さん。これって焼き鮭の味じゃないですよね?」
「そ……そうだね」

 尋常じゃなく美味いのは確かなんだけど、明らかに焼き鮭の味ではない。見た目とのギャップで味をイメージしにくかったが、これはまさしくハンバーグの味だった。

「これってハンバーグですか?」
「そ……そうだね…………。見た目は鮭なのに、味はデミグラスソースがかかったハンバーグだね……」
「こっちのお味噌汁、ポタージュスープの味がします!」
「えっ!? …………ほ…………本当だ。メチャクチャ美味いけど、何か変な感じだね」

 付け合わせの卵焼きは切り干し大根の味がし、沢庵は冷奴の味だった。視覚と味覚が混乱して何定食なのか分からなかったが、とにかく美味かったので文句のつけようがなかった。

「私、美味し過ぎて、もう全部食べちゃいました!」
「ぼ……僕も。本当に美味かったね」
「柳町さん。これってもしかするとなんですけど、異能力だったりするんですかね?」
「実は僕も同じ事を思ってたんだ。どんなに料理が上手くても、ここまで見た目と違う味は出せないと思うんだよね。さっきの井森さんって料理長らしき人、もしかして味を変えられるような能力を持っているのかも知れない」

 そんな話をしていたら井森さんが奥からやって来て、僕達の食器を下げてくれるのと同時にデザートを持って来てくれた。
 嫌そうな顔をしていたが、黒川さんの分と僕の分を用意してくれていた。

「ありがとうございます」

 井森さんは僕の言葉を無視し、僕にだけ請求書を置いて去って行った。

「何か僕、凄い嫌われちゃったね。何もしてないのに……」
「そうですね……でも、たまには良いんじゃないてすか」

 良い訳ねーだろ! と思ったが、目の前のデザートが気になったので、とりあえずつっこみは心の中にしまっておいた。
 デザートと言って出された物は明らかに梅干しで、大きめの物が3つずつ用意されていた。我慢出来ない様子で迷わず口に入れた黒川さんは、またもや驚いていた。

「これ……モンブランです!! 中の種も栗になっていてそのまま食べられます!! しかも凄く美味しい!!」
「本当?」

 実はケーキの中でも、僕はモンブランが1番好きなのだ!
 恐る恐る食べてみたが、やっぱり衝撃の味だった!

「僕のは梅干しです!!」
「えっ! そうなんですか!?」

 黒川さんは残りの2つを全部食べてみた。

「私のは全部モンブランでした」

 僕も残りの2つを食べてみた。

「僕のは全部梅干しだ!!」

 あまりの酸っぱさに耐えきれず、手元にあったお水を飲んだら醤油の味だった!!

「これ、醤油だ!!」
「そういえばさっき、井森さんがお冷やを取り替えてくれてました」

 何ていう嫌がらせだ……
 初めて会った人にここまで嫌われると、こんなにも傷つくものなのか……
 そして何故か僕だけが料金を払うはめになった。

「瀧崎さんに会いに行きましょう」
「そ……そうだね。とりあえず何をやって良いのか分からないから、瀧崎さんの所に行こうか」

 何をやって良いのか分からないって……特訓でしょ? って言いたげな顔をしていた黒川さんは、井森さんに瀧崎さんの居場所を聞き、いつも大体この場所に居ると言われている事務所に向かった。
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