隠密同心艶遊記

Peace

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四章 邪教

二十.雨に消えた娘たち

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 しとしとと降る雨の中、傘をさした総二郎とお志津が歩いていく。
 時雨の家は、深川八幡宮の門前町から少し裏に入ったところにある、小さな一軒家だ。
 多くて十人ほどの娘たちが通う、小ぢんまりとした教室である。
 ちょうど終わりの刻限のようで、傘を手にした娘たちが連れ立って出ていくところだ。

「あら! 総二郎様じゃありませんか」

 玄関口で娘たちを見送っていた時雨が、目ざとく総二郎を見つけて声をかけてくる。
 島田髷に色鮮やかなかんざしをさした、艶っぽい美女だ。
 派手な模様の小袖を着こなし、ムッとする色気を漂わせている。
 歳は二十七であり、総二郎とは七年越しの付き合いとなる。

「最近ちっとも顔を見せてくださらなくて、もう私のことをお忘れかと思いましたわ」

 艶かしく囁きながら、時雨はごく自然に総二郎の腕を取る。
 それを見てお志津がぷくっと頬をふくらませるが、時雨は知らぬ顔だ。

「すまんな、お役目が忙しくてのう」
「今度、ゆっくり可愛がってくださいませ……。いつでもお待ちしておりますから」
「おう、そうしよう。ところで、お香とお鈴はまだおるかな」
「はい、後片付けを手伝ってくれております」

 時雨が奥に引っ込むと、お志津がすかさず総二郎の傍に寄る。

「旦那……時雨さんと随分親しいご様子で……」
「まあ、付き合いが長いからな」
「むぅ……、ほんと、そっち関係は派手なんですね……。ええ、知ってましたけども……」

 不服そうなお志津を宥めながら、総二郎も中へ入った。

「あっ、総二郎様!」

 奥からお鈴とお香が駆け寄ってきた。
 二人とも、思わぬところで総二郎と会えて嬉しくてたまらない様子だ。
 その後ろから、小袖姿の葉月も出てくる。
 お鈴の護衛として、行動を共にしているのだ。

「ちょうど良かった。皆、少し話があるから、俺の家まで来て欲しい」

 総二郎は四人を引き連れて、別宅へと向かった。
 座敷に通し、お鈴が茶を配り終えたところで、本題に入る。

「実はな、江戸の市中で神隠しの噂が出ておる」

 正座をした四人は、神妙な顔つきで話を聞く。

「それも、器量良しの若い娘ばかり。ちょうどお前たちの年頃だ。それでな、俺としても、お前たちに何かあってはと考えてな。落ち着くまで、お志津とお香をこの家に住まわせようと思うのだ」
「でも、そんなこと……良いのですか?」

 遠慮がちにお香が尋ねる。

「うむ。お志津とお香は女二人の長屋住まい。お役目もあるから、お志津は留守にすることも多い。お香を一人にするのも心配だという話になった。ここであれば、お鈴や葉月もおるし、俺が守ることもできる」
「お香、旦那のありがたい申し出だ。ここは一つ、お言葉に甘えようじゃないか」

 お志津が重ねて言うと、お香は戸惑いながらも頷いた。
 葉月は元より異論があるはずもなく、お鈴は二人が来ることを喜んでいた。

「何かと準備もあろう。とりあえず身の回りの物だけ持って、今日から泊まってくれぬか。少々手狭だが、事件が落ち着くまでということで……一つ」
「はい、分かりました。総二郎様、よろしくお願いいたします」

 お香は両手をついて、深々と頭を下げた。

「急な話で申し訳ないが、早速準備を頼む。お志津、お前は奉行所へ行き、例の荼吉尼宗について、何か情報を得ていないか確かめてきてくれ。終わったら真っ直ぐここへ帰ってくるのだ」
「分かりました」

 荼吉尼宗が配っていた紙を受け取り、お志津は大きく頷いた。

「葉月、すまんがお香と一緒に長屋へ行き、二人の荷物を持ってきて欲しい」
「かしこまりました」
「暗くなる前に戻れるように、ひとまず最小限の荷物で頼む。必要なものはまた取りに行けば良い」

 話が終わると、お志津は奉行所へと駆け、葉月はお香と共に長屋へと向かう。

「総二郎様、随分と急なお話でしたね」
「うむ、お志津と話していてな。なんとも胸騒ぎがあったのだ。長屋の一人住まいの娘が消えたという例もあるらしくてな」
「まぁ、怖い……。でも、ここなら安心ですね。総二郎様も、葉月ちゃんもいるし」
「そうだな。少々騒がしくなると思うが、よろしく頼むぞ」
「任せてください。ちょうどお野菜をいっぱい買ったところだったんです。今日は腕によりをかけてご飯を作りますね」

 お鈴は腕まくりをして、竈の火を起こし始めた。


 その頃、葉月とお香は深川八幡宮の門前町に差し掛かっていた。
 それまで小雨であったのが、急に滝が降ってきたような大雨となる。
 傘も役に立たないような勢いで、二人は慌てて近くの軒先に身を隠した。

「すごい雨……」

 天を見上げて言うお香に、葉月も頷きかける。
 この雨であるから、付近の店は急いで店じまいをしていた。
 すると、近くの茶店の主人が、二人に声をかけてくる。

「おーい、そんなところじゃ濡れちまうよ。小降りになるまで中で休んでいきな」
「葉月ちゃん、ちょっとだけ雨宿りさせてもらおう?」
「え、ええ……でも、早く長屋へ行かないと……」

 総二郎の言いつけもあり、葉月は少しためらった。
 しかし、雨はますますひどくなるばかりで、このまま長屋へ行っても荷物が濡れてしまうであろう。
 仕方無しに、葉月はお香と共に、茶店の中へと入った。

「大変だったねえ。急に降ってくるもんだから。ほら、熱い茶でも飲んで、一息ついてくださいな」

 茶店の中に客の姿は無い。
 主人が縁台を片付けている間に、女将が二人に湯呑を持ってきた。

「すみません、女将さん」
「ありがとうございます」

 二人は茶をすすり、ほっと一息をつく。
 程なくして、お香がゆらゆらと上体を揺らめかせた。

「あれ……? なんか……うぅ……」
「お香さん!? うっ……これは……」

 強烈な眠気に襲われ、お香は為すすべもなく眠りに落ちる。
 葉月は一服盛られたことに気づいたが、時すでに遅く、意識がすうっと遠くなっていくのを感じた。
 最後の力を振り絞り、袖に隠した針で掌を刺し眠気に抗う。

「上手くいったな。なかなかの上玉だ」
「ちょろいもんだね、ちょうどいい雨だったねえ」

 主人と女将は、顔を見合わせて笑い、二人を簀巻きにして縛り上げる。
 裏口から主人が呼子を独特の拍子で吹き鳴らすと、大八車を押した男たちが駆けつけてきた。
 雨の降りしきる中、二人を載せた大八車が表通りを避けて走り始める。

「くぅっ……」

 葉月は必死に眠気を耐えながら、袂に隠していた苦無で茣蓙に切れ目を入れた。
 そして、荷台の板の隙間から、ポロポロと五色米をばら撒いていく。
 米粒を五色に塗り、甲賀衆で目印として使われているものだ。

 色の組み合わせで文字も伝えられるのだが、今の葉月にその余裕は無い。
 周囲の男たちに悟られないよう、少しずつ撒いていくのが精一杯だ。
 総二郎が気づいてくれることを祈りながら、葉月は意識を必死に繋ぎ止めるのであった。
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