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三章 暗躍
十五.旗本屋敷
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それから半月、さしたる情報も無いまま、日々が過ぎていった。
総二郎はお志津を連れ、富岡八幡宮の門前町に立ち寄った。
「あら、総二郎様!」
お梅が満面の笑みを浮かべて、総二郎を茶屋に引き入れる。
「お待ちしてたんですよ。あのときのお礼をしなくちゃと思って」
「ははは、気にすることはない。その後は何事も無いか?」
「小林様や、仙吉さんが様子を見に来てくれていますし、今は旦那様の家に住み込ませていただいてますので」
「そうかそうか、それであれば良い。ただ、決して油断はせぬようにな」
「はい。分かっております。今、お茶をお出ししますね」
総二郎にぴったりとくっついているお梅を見て、後ろからついてきたお志津は唇を尖らせている。
「なんだ、お志津。その顔は」
「いいえ、別に……。旦那がモテるのは今に始まったことじゃありませんからね」
縁台に腰掛けた総二郎の横で、お志津はぷいとそっぽを向いて拗ねている。
あの夜、総二郎に操を捧げて以来、お志津は一生懸命にお役目を務めていた。
だが、ふとした拍子に、こういう女らしい仕草を見せるようにもなっている。
「そう拗ねるな。可愛い顔が台無しだぞ」
「なっ! か、可愛いなんて……もう、旦那ったら……うふふ……」
たちまち頬を緩めて恥じらうお志津に、総二郎は肩を竦めた。
そこへ、お梅が湯呑と団子を持ってやってきた。
「はい、どうぞ。お志津さんも、食べてくださいね。今日は私の奢りでございます」
「ああ、申し訳ねえ。あっしにまで」
お梅に嫉妬していたのはケロッと忘れたように、お志津は団子に齧りついた。
「すまんな、お梅」
「いいんですよ、これくらいじゃお礼にもなりませんが。ゆっくりしてらしてください」
お梅が働く茶屋は、外に縁台が四つ、中に座敷もあり、大いに賑わっていた。
町人、商人など、客層の幅も広く、少し離れた縁台には笠を被った侍が腰掛けて茶を飲んでいる。
行き交う人も多く、この客入りであれば、そうそうおかしな目に遭うことはないだろう。
総二郎はそう思いながら、ゆっくりと茶を喉に流し込む。
「あっ、旦那。小林様が」
二本目の団子を頬張りながら、お志津が通りを指差した。
小林源四郎も総二郎に気づいたようで、小走りに駆け寄ってくる。
「和田殿、ちょうど良かった」
「いかがいたした?」
総二郎と背を合わせるように、源四郎が縁台に座る。
「例の、浪人者のことですが、それらしき者を見たという話を聞きました」
声を潜めて、源四郎が話す。
「むぅ、どこで」
「はっ、四谷の旗本、古谷玄蕃様の下屋敷。そこの仲間部屋で賭場が開かれているそうで。大萩道場の門人が、そこへ出入りする者の中に、例の浪人がいたと」
「旗本屋敷か。厄介だな」
武家屋敷は目付の管轄であり、町方は手を出すことができない。
とくに下屋敷などは主の目も届きにくく、中間などの奉公人が手引をして、賭場を開帳しているところもあった。
「賭場が開かれるのは、三と七のつく日。ちょうど今日でござります」
「ふむ……。とりあえず、様子を見てみるか。それと、源四郎殿、お梅の身の回りは落ち着いているようだが、他に何か物騒な話は聞かなかったか」
「はい、捕らえた者を責問いいたしましたが、有力な情報は得られず。ただ、あの商人風の男については、廻船問屋の龍野屋と名乗っていたそうで……」
「龍野屋……ふむ、そちらは調べはついておるのか」
「それが、それらしき者は台帳に載っておりませぬ。おそらく偽名かと。ただ、一人十両で請け負ったとのことですから、何がしかの大店の者か、それとも盗賊の類か」
「分かった。そちらのほうは引き続き頼む」
「かしこまりました」
源四郎は一礼し、茶屋の中に入っていく。
お役目は別として、お梅と会話したい一心なのであろう。
総二郎は苦笑いを浮かべながら、茶を飲み干した。
「すいません、旦那。うっかり全部食っちまいました」
「ははは、美味かったか。口元にあんこがついておるぞ」
慌てて袖で拭うお志津を見て、総二郎は大いに笑う。
「よし、お志津。四谷のほうを少し見に行ってみるか」
「わかりました」
茶屋を覗いてみると、源四郎がお梅に新しい前掛けを手渡していたところであった。
顔を真っ赤にし、額に汗をかきながら、しどろもどろにお梅と話している。
お梅も満更ではないようで、笑顔でそれを受け取っていた。
邪魔をしても野暮だと思い、総二郎は店主に礼を言って茶屋を出る。
その後、しばらく経つと、笠を被った侍が静かに立ち上がった。
そして、笠を少し持ち上げて、総二郎とお志津の後ろ姿を見つめる。
目立たぬ色の小袖に袴姿、顔立ちは美しく整っていた。
総二郎たちの話にじっと耳をそばだてていた、風森千春である。
千春は笠を目深に被り、総二郎たちとは異なる方向に歩いていった。
総二郎はお志津を連れ、富岡八幡宮の門前町に立ち寄った。
「あら、総二郎様!」
お梅が満面の笑みを浮かべて、総二郎を茶屋に引き入れる。
「お待ちしてたんですよ。あのときのお礼をしなくちゃと思って」
「ははは、気にすることはない。その後は何事も無いか?」
「小林様や、仙吉さんが様子を見に来てくれていますし、今は旦那様の家に住み込ませていただいてますので」
「そうかそうか、それであれば良い。ただ、決して油断はせぬようにな」
「はい。分かっております。今、お茶をお出ししますね」
総二郎にぴったりとくっついているお梅を見て、後ろからついてきたお志津は唇を尖らせている。
「なんだ、お志津。その顔は」
「いいえ、別に……。旦那がモテるのは今に始まったことじゃありませんからね」
縁台に腰掛けた総二郎の横で、お志津はぷいとそっぽを向いて拗ねている。
あの夜、総二郎に操を捧げて以来、お志津は一生懸命にお役目を務めていた。
だが、ふとした拍子に、こういう女らしい仕草を見せるようにもなっている。
「そう拗ねるな。可愛い顔が台無しだぞ」
「なっ! か、可愛いなんて……もう、旦那ったら……うふふ……」
たちまち頬を緩めて恥じらうお志津に、総二郎は肩を竦めた。
そこへ、お梅が湯呑と団子を持ってやってきた。
「はい、どうぞ。お志津さんも、食べてくださいね。今日は私の奢りでございます」
「ああ、申し訳ねえ。あっしにまで」
お梅に嫉妬していたのはケロッと忘れたように、お志津は団子に齧りついた。
「すまんな、お梅」
「いいんですよ、これくらいじゃお礼にもなりませんが。ゆっくりしてらしてください」
お梅が働く茶屋は、外に縁台が四つ、中に座敷もあり、大いに賑わっていた。
町人、商人など、客層の幅も広く、少し離れた縁台には笠を被った侍が腰掛けて茶を飲んでいる。
行き交う人も多く、この客入りであれば、そうそうおかしな目に遭うことはないだろう。
総二郎はそう思いながら、ゆっくりと茶を喉に流し込む。
「あっ、旦那。小林様が」
二本目の団子を頬張りながら、お志津が通りを指差した。
小林源四郎も総二郎に気づいたようで、小走りに駆け寄ってくる。
「和田殿、ちょうど良かった」
「いかがいたした?」
総二郎と背を合わせるように、源四郎が縁台に座る。
「例の、浪人者のことですが、それらしき者を見たという話を聞きました」
声を潜めて、源四郎が話す。
「むぅ、どこで」
「はっ、四谷の旗本、古谷玄蕃様の下屋敷。そこの仲間部屋で賭場が開かれているそうで。大萩道場の門人が、そこへ出入りする者の中に、例の浪人がいたと」
「旗本屋敷か。厄介だな」
武家屋敷は目付の管轄であり、町方は手を出すことができない。
とくに下屋敷などは主の目も届きにくく、中間などの奉公人が手引をして、賭場を開帳しているところもあった。
「賭場が開かれるのは、三と七のつく日。ちょうど今日でござります」
「ふむ……。とりあえず、様子を見てみるか。それと、源四郎殿、お梅の身の回りは落ち着いているようだが、他に何か物騒な話は聞かなかったか」
「はい、捕らえた者を責問いいたしましたが、有力な情報は得られず。ただ、あの商人風の男については、廻船問屋の龍野屋と名乗っていたそうで……」
「龍野屋……ふむ、そちらは調べはついておるのか」
「それが、それらしき者は台帳に載っておりませぬ。おそらく偽名かと。ただ、一人十両で請け負ったとのことですから、何がしかの大店の者か、それとも盗賊の類か」
「分かった。そちらのほうは引き続き頼む」
「かしこまりました」
源四郎は一礼し、茶屋の中に入っていく。
お役目は別として、お梅と会話したい一心なのであろう。
総二郎は苦笑いを浮かべながら、茶を飲み干した。
「すいません、旦那。うっかり全部食っちまいました」
「ははは、美味かったか。口元にあんこがついておるぞ」
慌てて袖で拭うお志津を見て、総二郎は大いに笑う。
「よし、お志津。四谷のほうを少し見に行ってみるか」
「わかりました」
茶屋を覗いてみると、源四郎がお梅に新しい前掛けを手渡していたところであった。
顔を真っ赤にし、額に汗をかきながら、しどろもどろにお梅と話している。
お梅も満更ではないようで、笑顔でそれを受け取っていた。
邪魔をしても野暮だと思い、総二郎は店主に礼を言って茶屋を出る。
その後、しばらく経つと、笠を被った侍が静かに立ち上がった。
そして、笠を少し持ち上げて、総二郎とお志津の後ろ姿を見つめる。
目立たぬ色の小袖に袴姿、顔立ちは美しく整っていた。
総二郎たちの話にじっと耳をそばだてていた、風森千春である。
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