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二章 潜入
九.闇の中へ
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暮六つの鐘が響くのを聴き、総二郎はお志津に目配せをした。
二人がいるのは、本所の黒竜寺に程近い、出会い茶屋の二階である。
人目を憚るためとはいえ、男と女が密かに逢引するような場所にいるのだ。
お志津は終始顔を赤くして、じっと俯いていた。
「時間だ。参るぞ」
「はい……旦那……様……」
総二郎は、裕福そうな大店の主といった姿になっていた。
腹に詰め物をして晒で巻き、頬には綿を含んでふくよかな顔立ちに見せている。
秘伝の隠形の術により、筋肉質な体つきを隠すために変装しているのだ。
お志津も普段の男装ではなく、鮮やかな振り袖をまとった娘姿だ。
信兵衛の妻、雪の手により化粧を施され、見目麗しい美女に変貌している。
総二郎が大店の主であり、お志津はその妾というわけだ。
男っぽい口調も改め、楚々と歩く姿は誠に美しい。
「旦那様……そのぅ……」
黒竜寺へと向かう道で、お志津は頬を染めて呟く。
「どうした?」
「いえ、その……晒も下帯もねえってのは、何とも落ち着かないものでやんすね」
日頃、男装しかしていないお志津は、着物が肌に直接触れる感触に戸惑っているようだ。
振り袖の下は、肌襦袢に腰巻きのみ。
普段とは違い、お志津は内股に歩き、裾の乱れを気にしている。
「ふふ、いつもは足を丸出しにしておるというのに」
「そっ、そりゃぁ……そうですけど……あっしだって、これでも女なんでやんすよ」
「分かっておる、分かっておるとも。お志津、娘姿も可愛らしく似合っておるぞ」
「かわっ……かっ……可愛い……あっしが……」
真っ赤になって口籠るお志津の手を、総二郎がそっと引き寄せた。
「ほれ、お前は大店の妾なのだぞ。口調に気をつけよ」
「はっ、はい……旦那様……」
総二郎にぴたりと寄り添いながら、お志津はますます顔を赤くしていくのであった。
「あそこだな」
行く手に、闇の市が開かれる黒竜寺が見えてくる。
形だけは立派な山門はあるが、瓦は落ち、雑草だらけで、荒れ果てた寺であった。
門の周りには、いかにも柄の悪そうなやくざ者が目を光らせている。
「心していくぞ、お志津」
「はいっ……」
総二郎はお志津を伴い、見張りの者にそっと木札を見せた。
すると、その者は丁重に二人を門内に通した。
今にも崩れ落ちそうな本堂の前に、台帳を持った男が控えている。
「どちらさんで……」
「日本橋大伝馬町、江藤宗太郎。こちらは妾の佐奈で」
総二郎は、手筈通りの偽名を名乗る。
身元の確実な者に木札が出されるため、楽衛門の伝手を辿ったのだ。
台帳と木札を照らし合わせ、男は二人を堂内に招き入れた。
「こちらへ……。この廊下を真っ直ぐ進んでくだせぇ。そこでまた指示が出やす」
「分かりました」
総二郎は男に銭を握らせる。
堂内に上がり、薄暗い廊下を進んでいくと扉がある。
そこを開けると小さな一間があり、艶っぽい年増女が控えていた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
女は戸棚から白い着物を取り出した。
極薄の襦袢である。
「お召し物はこちらでお預かりいたします。着物をお脱ぎになり、こちらに着替えておくんなさい」
お志津は身を強張らせて、総二郎にひしとしがみついた。
闇の市への、試練が始まろうとしている。
二人がいるのは、本所の黒竜寺に程近い、出会い茶屋の二階である。
人目を憚るためとはいえ、男と女が密かに逢引するような場所にいるのだ。
お志津は終始顔を赤くして、じっと俯いていた。
「時間だ。参るぞ」
「はい……旦那……様……」
総二郎は、裕福そうな大店の主といった姿になっていた。
腹に詰め物をして晒で巻き、頬には綿を含んでふくよかな顔立ちに見せている。
秘伝の隠形の術により、筋肉質な体つきを隠すために変装しているのだ。
お志津も普段の男装ではなく、鮮やかな振り袖をまとった娘姿だ。
信兵衛の妻、雪の手により化粧を施され、見目麗しい美女に変貌している。
総二郎が大店の主であり、お志津はその妾というわけだ。
男っぽい口調も改め、楚々と歩く姿は誠に美しい。
「旦那様……そのぅ……」
黒竜寺へと向かう道で、お志津は頬を染めて呟く。
「どうした?」
「いえ、その……晒も下帯もねえってのは、何とも落ち着かないものでやんすね」
日頃、男装しかしていないお志津は、着物が肌に直接触れる感触に戸惑っているようだ。
振り袖の下は、肌襦袢に腰巻きのみ。
普段とは違い、お志津は内股に歩き、裾の乱れを気にしている。
「ふふ、いつもは足を丸出しにしておるというのに」
「そっ、そりゃぁ……そうですけど……あっしだって、これでも女なんでやんすよ」
「分かっておる、分かっておるとも。お志津、娘姿も可愛らしく似合っておるぞ」
「かわっ……かっ……可愛い……あっしが……」
真っ赤になって口籠るお志津の手を、総二郎がそっと引き寄せた。
「ほれ、お前は大店の妾なのだぞ。口調に気をつけよ」
「はっ、はい……旦那様……」
総二郎にぴたりと寄り添いながら、お志津はますます顔を赤くしていくのであった。
「あそこだな」
行く手に、闇の市が開かれる黒竜寺が見えてくる。
形だけは立派な山門はあるが、瓦は落ち、雑草だらけで、荒れ果てた寺であった。
門の周りには、いかにも柄の悪そうなやくざ者が目を光らせている。
「心していくぞ、お志津」
「はいっ……」
総二郎はお志津を伴い、見張りの者にそっと木札を見せた。
すると、その者は丁重に二人を門内に通した。
今にも崩れ落ちそうな本堂の前に、台帳を持った男が控えている。
「どちらさんで……」
「日本橋大伝馬町、江藤宗太郎。こちらは妾の佐奈で」
総二郎は、手筈通りの偽名を名乗る。
身元の確実な者に木札が出されるため、楽衛門の伝手を辿ったのだ。
台帳と木札を照らし合わせ、男は二人を堂内に招き入れた。
「こちらへ……。この廊下を真っ直ぐ進んでくだせぇ。そこでまた指示が出やす」
「分かりました」
総二郎は男に銭を握らせる。
堂内に上がり、薄暗い廊下を進んでいくと扉がある。
そこを開けると小さな一間があり、艶っぽい年増女が控えていた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
女は戸棚から白い着物を取り出した。
極薄の襦袢である。
「お召し物はこちらでお預かりいたします。着物をお脱ぎになり、こちらに着替えておくんなさい」
お志津は身を強張らせて、総二郎にひしとしがみついた。
闇の市への、試練が始まろうとしている。
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