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二章 潜入
七.神隠しの噂
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その後、さしたる情報も集まらぬまま数日が過ぎた。
総二郎はお志津を連れて日本橋へ来ている。
江戸の一大商業地であり、往来にも人の姿が多い。
総二郎はいつもの着流し姿で、腰には二刀を差し、帯に扇子を挟んでいた。
お志津も、普段と変わらぬ半纏木股という出で立ちだ。
「いやあ、相変わらず賑わってますねえ」
楽しげに辺りを見回しながら、お志津は頬を緩ませる。
色とりどりの商品を並べる大店が立ち並び、付近には歌舞伎小屋や浄瑠璃小屋もある。
侍、町人問わず、数多くの人々が見物を楽しんでいた。
「お志津、お役目で来ておるのだぞ」
「はい、でも、楽しいじゃないですか。今度ゆっくり来たいなあ」
「ははは、そうだな。非番の日に、お香も連れて見物に来るか」
「旦那、本当ですか! いやったぁ!」
喜色満面で飛び跳ねながら、お志津は急いで総二郎の後を追う。
総二郎は苦笑いを浮かべ、日本橋大伝馬町にある呉服店江藤屋の暖簾をくぐった。
「御免よ」
色彩豊かな反物が並ぶ店内で、番頭が立ち上がって迎えた。
「これはこれは、和田様。お久しぶりでございます」
「うむ。ご主人はおいでかな」
「はい、ただいま」
一礼して番頭が奥に下がる。
後ろからついてきたお志津は、目を輝かせて店内を見回している。
「すっご……。綺麗ですねえ」
「なんだ、お前もこういうのを着たいと思うのか?」
「そ、そりゃ、たまには……。あっしだって、こう見えて女ですからね」
「そうかそうか。では今度来たときは、綺麗なのを見繕ってやろう」
年頃の少女らしい顔になり、お志津は見本の反物を手にとって体に当てている。
「旦那、この赤いのはどうですかね。それとも、こっちの黄色いほうがいいですか? こういうの持ってないから、似合うかどうか分からないんですよ」
取っ替え引っ替え当ててみては、総二郎に尋ねてくる。
その姿を微笑ましく見つめていると、奥から恰幅の良い初老の男性が出てきて、総二郎に深々とお辞儀をした。
「総二郎様、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
江藤屋の主人、楽衛門である。
穏やかな笑みを浮かべながら、総二郎とお鈴を奥の座敷へと案内した。
上座に総二郎が座り、お志津はその横でちょこんと正座をする。
廊下に人がいないことを確かめて障子を閉め、楽衛門は総二郎の前に端座した。
「総二郎様、この度はご足労いただき、誠に恐悦至極……」
深々と頭を下げる楽衛門を、総二郎は頭を掻きながら片手で制した。
「楽衛門、俺の前では、そう堅苦しくしないでよいと言ったではないか」
「いやいや、ご先代様にもよく叱られましたが、なかなかどうして、長年の癖とでも言いましょうか。直せるものではございませぬ」
低い声で笑う楽衛門の顔からは、先ほどまでの穏やかな商人の表情が消えている。
鋭い目つきになり、張り付いたような笑顔にも凄みが感じられた。
脇に控えているお志津は、その迫力にぞくりと背中を粟立たせる。
江藤屋楽衛門、江戸で何代も続く老舗の呉服屋の主人であり、裏の顔は総二郎と同じ甲賀衆の御庭番である。
御庭番衆の中には、市井に溶け込みながら諜報活動に勤しむ者がいる。
楽衛門もその一人で、代々商人として財を成しながら、御庭番に情報を伝えたり、資金を援助しているのだ。
「それで、今回の件についてですが……」
「うむ、昨日の今日であれば、さほど情報は集まっておらぬとは思うが」
「いえ、手の者が調べましたところ、妙な噂を耳にいたしました」
楽衛門は、スッと膝でにじり寄り、声を潜めた。
「近隣の村で、百姓の娘が姿を消しているという噂がございます」
「ふむ……」
「それも見目麗しい娘が、ふっと消えたようにいなくなると……」
「拐かされた……ということか」
「村々では、神隠しと恐れられておりまする」
総二郎は表情を改めて、楽衛門を見つめた。
「どのような状況でいなくなるのだ」
「はい。その者たちが申すには、夜寝ている間にいなくなる、山菜を取りに行って帰ってこないなど、様々でございます」
「何か不審な者を目撃したなどはないか」
「怪しい者を見かけたという話は聞きませんでした。幾人か続き、村の者も不寝番や見回りなど警戒をしてはいるようでございます」
「ふむ、お梅のときとは、また違っておるのう。だが、それはそれで放ってはおけぬな」
ぽんと膝を打ち、総二郎は厳しい表情となる。
「楽衛門、引き続き、その娘たちの件、調べてもらいたい。また、お梅のようなことが府内で起きているかどうかも頼む。見目好い娘が拐われているということは、おそらく人買いの類で間違いないであろう」
「かしこまりました。何か分かりましたら、すぐにお知らせいたします」
総二郎とお志津は江藤屋を辞し、街の見回りに戻る。
「旦那、もし人買いなら……」
「うむ、悪の根は断たねばならんな」
「許せねえ。あっしも頑張って聞き込みに回ります」
「頼むぞ。ただ、無茶はしないようにな」
張り切って駆け出すお志津を見送り、総二郎は八丁堀へと向かった。
総二郎はお志津を連れて日本橋へ来ている。
江戸の一大商業地であり、往来にも人の姿が多い。
総二郎はいつもの着流し姿で、腰には二刀を差し、帯に扇子を挟んでいた。
お志津も、普段と変わらぬ半纏木股という出で立ちだ。
「いやあ、相変わらず賑わってますねえ」
楽しげに辺りを見回しながら、お志津は頬を緩ませる。
色とりどりの商品を並べる大店が立ち並び、付近には歌舞伎小屋や浄瑠璃小屋もある。
侍、町人問わず、数多くの人々が見物を楽しんでいた。
「お志津、お役目で来ておるのだぞ」
「はい、でも、楽しいじゃないですか。今度ゆっくり来たいなあ」
「ははは、そうだな。非番の日に、お香も連れて見物に来るか」
「旦那、本当ですか! いやったぁ!」
喜色満面で飛び跳ねながら、お志津は急いで総二郎の後を追う。
総二郎は苦笑いを浮かべ、日本橋大伝馬町にある呉服店江藤屋の暖簾をくぐった。
「御免よ」
色彩豊かな反物が並ぶ店内で、番頭が立ち上がって迎えた。
「これはこれは、和田様。お久しぶりでございます」
「うむ。ご主人はおいでかな」
「はい、ただいま」
一礼して番頭が奥に下がる。
後ろからついてきたお志津は、目を輝かせて店内を見回している。
「すっご……。綺麗ですねえ」
「なんだ、お前もこういうのを着たいと思うのか?」
「そ、そりゃ、たまには……。あっしだって、こう見えて女ですからね」
「そうかそうか。では今度来たときは、綺麗なのを見繕ってやろう」
年頃の少女らしい顔になり、お志津は見本の反物を手にとって体に当てている。
「旦那、この赤いのはどうですかね。それとも、こっちの黄色いほうがいいですか? こういうの持ってないから、似合うかどうか分からないんですよ」
取っ替え引っ替え当ててみては、総二郎に尋ねてくる。
その姿を微笑ましく見つめていると、奥から恰幅の良い初老の男性が出てきて、総二郎に深々とお辞儀をした。
「総二郎様、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
江藤屋の主人、楽衛門である。
穏やかな笑みを浮かべながら、総二郎とお鈴を奥の座敷へと案内した。
上座に総二郎が座り、お志津はその横でちょこんと正座をする。
廊下に人がいないことを確かめて障子を閉め、楽衛門は総二郎の前に端座した。
「総二郎様、この度はご足労いただき、誠に恐悦至極……」
深々と頭を下げる楽衛門を、総二郎は頭を掻きながら片手で制した。
「楽衛門、俺の前では、そう堅苦しくしないでよいと言ったではないか」
「いやいや、ご先代様にもよく叱られましたが、なかなかどうして、長年の癖とでも言いましょうか。直せるものではございませぬ」
低い声で笑う楽衛門の顔からは、先ほどまでの穏やかな商人の表情が消えている。
鋭い目つきになり、張り付いたような笑顔にも凄みが感じられた。
脇に控えているお志津は、その迫力にぞくりと背中を粟立たせる。
江藤屋楽衛門、江戸で何代も続く老舗の呉服屋の主人であり、裏の顔は総二郎と同じ甲賀衆の御庭番である。
御庭番衆の中には、市井に溶け込みながら諜報活動に勤しむ者がいる。
楽衛門もその一人で、代々商人として財を成しながら、御庭番に情報を伝えたり、資金を援助しているのだ。
「それで、今回の件についてですが……」
「うむ、昨日の今日であれば、さほど情報は集まっておらぬとは思うが」
「いえ、手の者が調べましたところ、妙な噂を耳にいたしました」
楽衛門は、スッと膝でにじり寄り、声を潜めた。
「近隣の村で、百姓の娘が姿を消しているという噂がございます」
「ふむ……」
「それも見目麗しい娘が、ふっと消えたようにいなくなると……」
「拐かされた……ということか」
「村々では、神隠しと恐れられておりまする」
総二郎は表情を改めて、楽衛門を見つめた。
「どのような状況でいなくなるのだ」
「はい。その者たちが申すには、夜寝ている間にいなくなる、山菜を取りに行って帰ってこないなど、様々でございます」
「何か不審な者を目撃したなどはないか」
「怪しい者を見かけたという話は聞きませんでした。幾人か続き、村の者も不寝番や見回りなど警戒をしてはいるようでございます」
「ふむ、お梅のときとは、また違っておるのう。だが、それはそれで放ってはおけぬな」
ぽんと膝を打ち、総二郎は厳しい表情となる。
「楽衛門、引き続き、その娘たちの件、調べてもらいたい。また、お梅のようなことが府内で起きているかどうかも頼む。見目好い娘が拐われているということは、おそらく人買いの類で間違いないであろう」
「かしこまりました。何か分かりましたら、すぐにお知らせいたします」
総二郎とお志津は江藤屋を辞し、街の見回りに戻る。
「旦那、もし人買いなら……」
「うむ、悪の根は断たねばならんな」
「許せねえ。あっしも頑張って聞き込みに回ります」
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