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一章 発端
五.隠密御庭番
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風森家を辞した総二郎は、その足で八丁堀にある役宅へと向かった。
主に深川の別宅を住まいにしているが、北町奉行所同心としての屋敷は八丁堀にある。
そこは、古くから総二郎に仕えている津久根信兵衛と妻の雪に任せているのだ。
表向きは中間とその妻ということで住んでいる二人だが、総二郎の裏の顔をしる数少ない人物でもある。
役宅に入ると、物音を聞きつけた雪がすぐに出てきた。
年の頃は二十代半ば、おっとりとした性格の美女で、甲斐甲斐しい働きぶりが評価されている。
「お帰りなさいませ、若様」
「うむ、信兵衛はおるか」
「はい、奥の座敷でお待ちしております」
総二郎は刀を雪に預け、共に奥座敷へと向かう。
そこには、町人のように目立たない服を身に着けた信兵衛が待っていた。
「お帰りなさいませ」
平伏する信兵衛に、総二郎は鷹揚に頷きかけて上座へと座る。
津久根信兵衛は、総二郎の代から和田家に仕えている者である。
寡黙で実直な人柄でありながら、剣術や密偵活動にも長けた逸材だ。
「信兵衛、ちと気になることがあって戻って参った」
「何事でございますか」
信兵衛、そして雪が、総二郎の前に座して厳しい表情となる。
「うむ、先ほど永代橋を渡ったところの寺院の裏で、深川の茶屋娘、お梅が襲われた現場へ行き合ってな」
「なんと、お梅は無事で……」
「うむ、ちょうど千春殿が先に駆けつけておってな。相手は浪人者が五名。今頃は町方で調べを受けておることだろう」
「左様でしたか。無事で何よりでございました」
少し体の力を抜いた信兵衛に、総二郎は厳しい眼差しを向ける。
「うむ、今日は何事も無く終わったが、今後何があるか分からぬ。誰か手の者を遣わして、それとなくお梅殿の護衛を頼みたい」
「かしこまりました。早速手配いたしましょう」
「そなたらにも頼みがある。もしかすると、同じような事件が江戸府中で起きているやもしれぬ。お梅のような美くしい女子を狙うような輩が……な」
「それは、拐かしの類いでごさいましょうか」
信兵衛の問いに、総二郎は無言で頷いた。
「これは俺の勘でしかないが、調べておくに越したことはない。襲ったのは木っ端の浪人共であったが、裏で手を引いておる者がおるようだ。場合によっては町方の手が行き届かぬこともあろう。どんな小さなことでも良い。調べ上げて報告をしてもらいたい」
「かしこまりました。そちらもすぐに手配をいたします」
平伏する信兵衛に、総二郎は鷹揚に頷いた。
「お志津を奉行所にやらせて、事の顛末を聞いてくるように伝えたが、大した情報は得られないであろう。いずれ、金で雇われた浪人者であり、腕も大したものでは無かった。似たような者たちの動きや、出入りしている場所なども、調べがつくかもしれぬ。白昼堂々襲っていたことも気にかかる」
「はっ、承知いたしました。このこと、上様には……」
「まだだな、今少し情報を集めてから報告に上がりたい」
「では、早速に私も含めて町の探索に当たりましょう」
「頼むぞ。雪、そなたはここに残り、集められた情報を伝えてくれ」
「はい、かしこまりました。繋ぎには葉月をやらせましょう」
葉月は、甲賀衆の一人で、総二郎に仕えている忍びである。
信兵衛も、同じように甲賀衆の手練であり、雪こと細雪もくノ一だ。
総二郎も表向きは奉行所の同心であるが、裏の顔は公儀隠密御庭番、甲賀衆を束ねる頭なのである。
町奉行所の管轄から漏れる事件に対して、公儀から密命を帯びて暗躍する者たちであった。
「俺は深川の別宅におるからな。町の様子も探りながら、知らせを待つことにしよう」
「かしこまりました。大事にならなければ良いのですが……」
「そうだな。思い過ごしであればそれで良い。ただ、浪人者の手を引いておる者は突き止めておきたい。また、千春殿も賊に顔を見られておる。そちらのほうも気がかりであるから、しっかり頼むぞ」
「ははっ!」
総二郎は二人に細々としたことを言い含め、役宅を後にした。
美麗な女子を拐かすというのは、江戸の町ではさほど珍しい事件ではない。
だが、隠密御庭番としての勘が、この件はさほど簡単に済むものではないと、総二郎の直感が知らせていた。
主に深川の別宅を住まいにしているが、北町奉行所同心としての屋敷は八丁堀にある。
そこは、古くから総二郎に仕えている津久根信兵衛と妻の雪に任せているのだ。
表向きは中間とその妻ということで住んでいる二人だが、総二郎の裏の顔をしる数少ない人物でもある。
役宅に入ると、物音を聞きつけた雪がすぐに出てきた。
年の頃は二十代半ば、おっとりとした性格の美女で、甲斐甲斐しい働きぶりが評価されている。
「お帰りなさいませ、若様」
「うむ、信兵衛はおるか」
「はい、奥の座敷でお待ちしております」
総二郎は刀を雪に預け、共に奥座敷へと向かう。
そこには、町人のように目立たない服を身に着けた信兵衛が待っていた。
「お帰りなさいませ」
平伏する信兵衛に、総二郎は鷹揚に頷きかけて上座へと座る。
津久根信兵衛は、総二郎の代から和田家に仕えている者である。
寡黙で実直な人柄でありながら、剣術や密偵活動にも長けた逸材だ。
「信兵衛、ちと気になることがあって戻って参った」
「何事でございますか」
信兵衛、そして雪が、総二郎の前に座して厳しい表情となる。
「うむ、先ほど永代橋を渡ったところの寺院の裏で、深川の茶屋娘、お梅が襲われた現場へ行き合ってな」
「なんと、お梅は無事で……」
「うむ、ちょうど千春殿が先に駆けつけておってな。相手は浪人者が五名。今頃は町方で調べを受けておることだろう」
「左様でしたか。無事で何よりでございました」
少し体の力を抜いた信兵衛に、総二郎は厳しい眼差しを向ける。
「うむ、今日は何事も無く終わったが、今後何があるか分からぬ。誰か手の者を遣わして、それとなくお梅殿の護衛を頼みたい」
「かしこまりました。早速手配いたしましょう」
「そなたらにも頼みがある。もしかすると、同じような事件が江戸府中で起きているやもしれぬ。お梅のような美くしい女子を狙うような輩が……な」
「それは、拐かしの類いでごさいましょうか」
信兵衛の問いに、総二郎は無言で頷いた。
「これは俺の勘でしかないが、調べておくに越したことはない。襲ったのは木っ端の浪人共であったが、裏で手を引いておる者がおるようだ。場合によっては町方の手が行き届かぬこともあろう。どんな小さなことでも良い。調べ上げて報告をしてもらいたい」
「かしこまりました。そちらもすぐに手配をいたします」
平伏する信兵衛に、総二郎は鷹揚に頷いた。
「お志津を奉行所にやらせて、事の顛末を聞いてくるように伝えたが、大した情報は得られないであろう。いずれ、金で雇われた浪人者であり、腕も大したものでは無かった。似たような者たちの動きや、出入りしている場所なども、調べがつくかもしれぬ。白昼堂々襲っていたことも気にかかる」
「はっ、承知いたしました。このこと、上様には……」
「まだだな、今少し情報を集めてから報告に上がりたい」
「では、早速に私も含めて町の探索に当たりましょう」
「頼むぞ。雪、そなたはここに残り、集められた情報を伝えてくれ」
「はい、かしこまりました。繋ぎには葉月をやらせましょう」
葉月は、甲賀衆の一人で、総二郎に仕えている忍びである。
信兵衛も、同じように甲賀衆の手練であり、雪こと細雪もくノ一だ。
総二郎も表向きは奉行所の同心であるが、裏の顔は公儀隠密御庭番、甲賀衆を束ねる頭なのである。
町奉行所の管轄から漏れる事件に対して、公儀から密命を帯びて暗躍する者たちであった。
「俺は深川の別宅におるからな。町の様子も探りながら、知らせを待つことにしよう」
「かしこまりました。大事にならなければ良いのですが……」
「そうだな。思い過ごしであればそれで良い。ただ、浪人者の手を引いておる者は突き止めておきたい。また、千春殿も賊に顔を見られておる。そちらのほうも気がかりであるから、しっかり頼むぞ」
「ははっ!」
総二郎は二人に細々としたことを言い含め、役宅を後にした。
美麗な女子を拐かすというのは、江戸の町ではさほど珍しい事件ではない。
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