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一章 発端
三.美貌の女剣士
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「ハァァァッ!」
気合一閃、女剣士が刀を振り下ろす。
横刀で受け止められる直前、流れるように手首を返し、女剣士の刀の峰が痩せた浪人者の腹に叩き込まれた。
「ごぶっ……」
浪人者が腹を押さえて倒れるのを横目に、女剣士は油断なく刀を構えた。
総二郎の目から見ても、素晴らしい剣の冴えである。
それもそのはず、彼女は北町奉行所筆頭与力、風森多一郎の娘、千春であった。
若草色の小袖に藍の袴、髷は結わずに後ろで束ねている。
男勝りの性格の凛とした美女であり、父親から仕込まれた剣の腕は並の男が敵うものではない。
幼い頃から武芸に励むあまり、二十歳になっても嫁の貰い手が無く、多一郎が頭を抱えて悩んでいるほどである。
その千春に、二人目の浪人者が飛びかかった。
今度の相手は、無精髭を生やした大男だ。
力任せに刀を振り回し、最上段から叩きつける。
「くっ……!」
甲高い金属音が響き、かろうじて千春は大男の刀を受け流した。
しかし、その拍子に力負けしてしまい、刀を取り落してしまう。
「へへへ、覚悟しな」
下卑た笑いを上げながら、大男が一歩足を進めた。
その瞬間、総二郎が二人の間に割り込み、腰から抜いた刀の柄頭を大男の喉首に叩き込んだ。
声も上げられずに、大男は口から泡を吹いて崩れ落ちた。
最後に残った馬面の浪人が、総二郎の気迫に押されて震えながら後退する。
「くそっ……うぉぉっ!」
なけなしの気力を振り絞って斬りかかった馬面は、鞘で手首を打たれて刀を取り落とす。
鈍い音と共に砕かれた手首を見て、馬面は情けない声を上げた。
「ひぃっ……おっ……俺の手が……」
「お前たち、いったい何をしていやがる。大の男が五人がかりとは尋常じゃねえな」
腰を抜かした馬面の腹を踏みながら、総二郎が尋ねる。
「うぅっ、たっ、頼まれたんだ! 金をやるから、その女を攫ってこいと……」
馬面は今にも小便を漏らしそうなほど震えながら、千春が庇っている少女を指差した。
「総二郎様っ! 私、お使いの帰りに……この人達にここへ連れ込まれて……」
真っ青な顔で震えていた少女は、富岡八幡宮の茶屋で働くお梅であった。
八丁堀からさほど離れていないため、同心たちもよく訪れる。
もちろん、お目当ては看板娘のお梅だ。
総二郎は馬面の首筋に手刀を入れて気絶させ、刀を腰に差し直す。
「お梅、大事は無いか」
「はい、千春様にお守りいただいたので……。総二郎様も、ありがとうございます」
お梅が深々と頭を下げる横で、蹲っていた千春が手首を擦りながら立ち上がる。
「千春殿も、怪我は無いかな」
「はい。危ういところを助けていただき、申し訳ありません」
総二郎が手を貸すと、千春は口惜しそうな顔をする。
剣の腕に自信を持っていた千春は、自分ひとりで何とかできると思っていたのであろう。
総二郎が刀を拾ってやると、千春は静かに鞘へ納めた。
「あのくらい、私一人でも何とかなりましたものを……」
「うむ、お節介とは思ったがな。相手の数も多かった故、つい手を出してしまった。すまぬな」
頭を下げる総二郎に、千春は悔しそうに唇を噛んだ。
総二郎の言う通り、多勢に無勢、おまけに刀を取り落とすという失態も犯している。
己の自負心から、素直になれないでいるが、総二郎は千春の強さは認めていた。
「私もまだまだだと実感いたしました。総二郎殿、後ほど稽古をつけていただきたく思います」
「おお、もちろんだ。あとでお屋敷に伺うとしよう」
そこへ、お志津が町方を引き連れて走ってきた。
定廻り同心の小林源四郎と、岡っ引の仙吉、そして捕り方の下っ引を数名連れてきている。
「和田殿。いったい何事でござるか」
総二郎が経緯を説明すると、源四郎が怒りに身を震わせた。
生真面目で実直に仕事をこなす源四郎は、お梅にべた惚れしているのだ
同じくお梅に惚れている仙吉も、手荒く浪人たちを縛り上げている。
「経緯は承知いたしました。しっかりと取り調べいたす」
「うむ、どうやら裏で糸を操っている者があるようだ。お梅だけではないかもしれぬ。市中の見回りを厳しくしておくに越したことはないであろう」
「かしこまりました。お梅ちゃん、怪我は無いかい?」
源四郎は顔を赤くして、お梅を気遣った。
面と向かうと、照れくささのほうが大きいのであろう。
真面目過ぎるゆえに、意中の女を前にして平静ではいられなくなるのだ。
「おかげさまで、千春様と総二郎様に助けていただきました」
「源四郎殿、しばらくは物騒になるかもしれぬ。深川の見回りも、特にな」
総二郎の言葉に、源四郎は胸をどんと叩いて頷いた。
「もちろんです。二度とお梅ちゃんに怖い思いはさせませぬ。私が責任を持って見回りましょう」
「よろしく頼む。念の為、私が店まで送り届ける故、そやつらには厳しい詮議を」
「はい! よし、仙吉、行くぞ!」
「へいっ! お梅ちゃんに手を出そうなんざ、太え野郎どもだ。おらっ、来いっ」
源四郎と仙吉たちが、浪人たちを引っ立てていった。
そこで千春も総二郎に頭を下げ、八丁堀の屋敷に戻る旨を伝える。
「お梅ちゃん、大変だったねえ。それにしても、いったいどういったわけなんだろうね」
「私にもさっぱり……」
お志津とお梅が話している傍で、総二郎は腕を組んで考えた。
美貌のお梅を狙っていたようなやり口であるから、他にも同じような事件が起きている可能性はある。
平和も束の間、何かの事件の気配が感じられ、総二郎の顔が憂いを帯びていった。
気合一閃、女剣士が刀を振り下ろす。
横刀で受け止められる直前、流れるように手首を返し、女剣士の刀の峰が痩せた浪人者の腹に叩き込まれた。
「ごぶっ……」
浪人者が腹を押さえて倒れるのを横目に、女剣士は油断なく刀を構えた。
総二郎の目から見ても、素晴らしい剣の冴えである。
それもそのはず、彼女は北町奉行所筆頭与力、風森多一郎の娘、千春であった。
若草色の小袖に藍の袴、髷は結わずに後ろで束ねている。
男勝りの性格の凛とした美女であり、父親から仕込まれた剣の腕は並の男が敵うものではない。
幼い頃から武芸に励むあまり、二十歳になっても嫁の貰い手が無く、多一郎が頭を抱えて悩んでいるほどである。
その千春に、二人目の浪人者が飛びかかった。
今度の相手は、無精髭を生やした大男だ。
力任せに刀を振り回し、最上段から叩きつける。
「くっ……!」
甲高い金属音が響き、かろうじて千春は大男の刀を受け流した。
しかし、その拍子に力負けしてしまい、刀を取り落してしまう。
「へへへ、覚悟しな」
下卑た笑いを上げながら、大男が一歩足を進めた。
その瞬間、総二郎が二人の間に割り込み、腰から抜いた刀の柄頭を大男の喉首に叩き込んだ。
声も上げられずに、大男は口から泡を吹いて崩れ落ちた。
最後に残った馬面の浪人が、総二郎の気迫に押されて震えながら後退する。
「くそっ……うぉぉっ!」
なけなしの気力を振り絞って斬りかかった馬面は、鞘で手首を打たれて刀を取り落とす。
鈍い音と共に砕かれた手首を見て、馬面は情けない声を上げた。
「ひぃっ……おっ……俺の手が……」
「お前たち、いったい何をしていやがる。大の男が五人がかりとは尋常じゃねえな」
腰を抜かした馬面の腹を踏みながら、総二郎が尋ねる。
「うぅっ、たっ、頼まれたんだ! 金をやるから、その女を攫ってこいと……」
馬面は今にも小便を漏らしそうなほど震えながら、千春が庇っている少女を指差した。
「総二郎様っ! 私、お使いの帰りに……この人達にここへ連れ込まれて……」
真っ青な顔で震えていた少女は、富岡八幡宮の茶屋で働くお梅であった。
八丁堀からさほど離れていないため、同心たちもよく訪れる。
もちろん、お目当ては看板娘のお梅だ。
総二郎は馬面の首筋に手刀を入れて気絶させ、刀を腰に差し直す。
「お梅、大事は無いか」
「はい、千春様にお守りいただいたので……。総二郎様も、ありがとうございます」
お梅が深々と頭を下げる横で、蹲っていた千春が手首を擦りながら立ち上がる。
「千春殿も、怪我は無いかな」
「はい。危ういところを助けていただき、申し訳ありません」
総二郎が手を貸すと、千春は口惜しそうな顔をする。
剣の腕に自信を持っていた千春は、自分ひとりで何とかできると思っていたのであろう。
総二郎が刀を拾ってやると、千春は静かに鞘へ納めた。
「あのくらい、私一人でも何とかなりましたものを……」
「うむ、お節介とは思ったがな。相手の数も多かった故、つい手を出してしまった。すまぬな」
頭を下げる総二郎に、千春は悔しそうに唇を噛んだ。
総二郎の言う通り、多勢に無勢、おまけに刀を取り落とすという失態も犯している。
己の自負心から、素直になれないでいるが、総二郎は千春の強さは認めていた。
「私もまだまだだと実感いたしました。総二郎殿、後ほど稽古をつけていただきたく思います」
「おお、もちろんだ。あとでお屋敷に伺うとしよう」
そこへ、お志津が町方を引き連れて走ってきた。
定廻り同心の小林源四郎と、岡っ引の仙吉、そして捕り方の下っ引を数名連れてきている。
「和田殿。いったい何事でござるか」
総二郎が経緯を説明すると、源四郎が怒りに身を震わせた。
生真面目で実直に仕事をこなす源四郎は、お梅にべた惚れしているのだ
同じくお梅に惚れている仙吉も、手荒く浪人たちを縛り上げている。
「経緯は承知いたしました。しっかりと取り調べいたす」
「うむ、どうやら裏で糸を操っている者があるようだ。お梅だけではないかもしれぬ。市中の見回りを厳しくしておくに越したことはないであろう」
「かしこまりました。お梅ちゃん、怪我は無いかい?」
源四郎は顔を赤くして、お梅を気遣った。
面と向かうと、照れくささのほうが大きいのであろう。
真面目過ぎるゆえに、意中の女を前にして平静ではいられなくなるのだ。
「おかげさまで、千春様と総二郎様に助けていただきました」
「源四郎殿、しばらくは物騒になるかもしれぬ。深川の見回りも、特にな」
総二郎の言葉に、源四郎は胸をどんと叩いて頷いた。
「もちろんです。二度とお梅ちゃんに怖い思いはさせませぬ。私が責任を持って見回りましょう」
「よろしく頼む。念の為、私が店まで送り届ける故、そやつらには厳しい詮議を」
「はい! よし、仙吉、行くぞ!」
「へいっ! お梅ちゃんに手を出そうなんざ、太え野郎どもだ。おらっ、来いっ」
源四郎と仙吉たちが、浪人たちを引っ立てていった。
そこで千春も総二郎に頭を下げ、八丁堀の屋敷に戻る旨を伝える。
「お梅ちゃん、大変だったねえ。それにしても、いったいどういったわけなんだろうね」
「私にもさっぱり……」
お志津とお梅が話している傍で、総二郎は腕を組んで考えた。
美貌のお梅を狙っていたようなやり口であるから、他にも同じような事件が起きている可能性はある。
平和も束の間、何かの事件の気配が感じられ、総二郎の顔が憂いを帯びていった。
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