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一章 発端
二.長屋の姉妹
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新しい衣に着替えた総二郎は、お鈴と別れて街を歩いていた。
同心という肩書はあるが、見た目は遊び人のような風体である。
与力、同心が合わせて百名ほどが詰めている北町奉行所。
北町奉行、榊原主計頭の下で、統率の取れた見事な動きを見せている。
江戸の治安を守るのが仕事の彼らだが、中でも有名なのは三廻と呼ばれる同心たちだ。
定廻り、臨時廻り、そして隠密廻り。
それぞれの持ち場を見回って、江戸市中の警備をしている。
小銀杏と呼ばれる粋な髷を結い、朱房の十手を携えた彼らは、町娘の憧れでもあった。
黒の紋付羽織に格子の着流しという姿で、日々市中を歩き回っている。
総二郎は隠密廻りであり、他の同心のように羽織を纏うことはない。
市井にいる町人とさほど変わらない姿で、町中の情報を集め報告するのが役目だ。
とくに大きな事件でもなければ、総二郎の暮らしは気ままなものであった
平湯を出て、しばらく歩くと藤兵衛長屋のある辺りに差し掛かる。
男たちが仕事に出掛け、女たちが洗濯をしながら井戸端会議をしている頃合いだ。
留吉の住まいということもあり、馴染みの顔が多い。
早朝に出てきたばかりの長屋の木戸口を抜けると、近くの戸が勢い良く開かれる。
「おっ、旦那! おはようございます!」
元気よく出てきたのは、女岡っ引のお志津だ。
年齢は十九歳。亡くなった父の跡を継ぎ、総二郎付きとして一生懸命に頑張っていた。
月代は剃っていないが、男髷に髪を結い上げ、半纏木股の動きやすい格好である。
胸には晒を巻いているので、一見しただけでは少年のように見える。
だが、木股から伸びる太腿は瑞々しく、爽やかな色香を感じさせた。
「おう、今日も元気だな、お志津」
「もちろん! 元気が取り柄ですからね!」
やる気に満ちた顔で、お志津は拳を突き上げた。
「それにしても旦那。昨日は随分盛り上がってたようで」
「ああ、留のやつが離してくれなくてな」
「へへっ、相変わらずですね、留さん。さっき、ものすごい勢いで出掛けていきましたよ」
「湯屋で見かけたよ。やっこさん、寝坊して相当慌ててたようだな」
総二郎とお志津は顔を見合わせて笑った。
そこへ、両手に洗濯物を抱えた女性が出てくる。
「おはようございます。総二郎さま」
お志津の双子の妹、お香であった。
可憐な稚児髷に、朱色の小袖姿、胸元が豊かに盛り上がっている。
お志津と顔立ちは瓜二つで、同じ着物を着ていれば見分けがつかないであろう。
「おう、お香。今日も精が出るな」
総二郎に微笑みかけられ、お香はぽっと頬を赤らめる。
姉のお志津は女だてらに岡っ引をするほどお転婆だ。
だが、妹のお香のほうは、双子でもこれほど違うのかと思わせるほど、奥手で大人しい少女だった。
総二郎を気にしながら、小さくお辞儀をして井戸のほうに立ち去っていく。
すぐに、女たちのかしましい声が聞こえてきた。
どうやら、真っ赤な顔のお香がからかわれているようである。
人情味溢れる岡っ引として慕われていた父親と、深川小町と呼ばれるほど美人で評判だった母親。
愛情をたっぷり受けて育った姉妹だが、昨年の流行り病で両親を亡くしてしまった。
勝ち気なお志津は父の跡を継いで女岡っ引となり、お香は得意の縫い物で生計を立てている。
力を合わせて生きる姉妹は、長屋の住民全員から可愛がられていた。
留吉などは実の妹のように二人を可愛がっていて、何くれと面倒を見ていてくれるのだ。
「旦那、今日はどこを廻るんです?」
「そうだな、深川から浅草のほうに行ってみようと思っている」
「がってんだ。お供させてもらいます」
総二郎の後に続き、お志津は張り切って歩き始めた。
藤兵衛長屋を出てしばらく進むと、富岡八幡宮の門前町がある。
参拝に訪れる者で賑わい、茶店や露店なども大いに繁盛していた。
人混みをかき分けながら歩を進め、総二郎とお志津は永代橋を渡る。
「暖かくなって、だいぶ人出が増えたのぅ」
「あっしらも後でお参りに行きやしょう」
「そうだな、何事も無ければ……おっ?」
古い寺院の裏手、竹藪が生い茂る辺りで、小さな悲鳴が聞こえた。
総二郎はお志津と顔を見合わせ、裾を捲って走り出す。
駆けつけた先には、少女を背にかばい、刀を正眼に構えた女剣士の姿があった。
月代を伸ばした、薄汚い身なりの浪人者に囲まれている。
地面に二人が倒れて苦悶しており、女剣士の腕は相当な物と見受けられた。
残った三人は、すっかり頭に血を上らせており、女剣士を滅多斬りにしかねない勢いである。
「お志津! 町方を呼んでこい!」
「分かりやしたっ!」
すぐさま状況を察した総二郎が、鋭い声を発する。
お志津が一目散に駆け出し、総二郎は素早く女剣士の元へ向かった。
同心という肩書はあるが、見た目は遊び人のような風体である。
与力、同心が合わせて百名ほどが詰めている北町奉行所。
北町奉行、榊原主計頭の下で、統率の取れた見事な動きを見せている。
江戸の治安を守るのが仕事の彼らだが、中でも有名なのは三廻と呼ばれる同心たちだ。
定廻り、臨時廻り、そして隠密廻り。
それぞれの持ち場を見回って、江戸市中の警備をしている。
小銀杏と呼ばれる粋な髷を結い、朱房の十手を携えた彼らは、町娘の憧れでもあった。
黒の紋付羽織に格子の着流しという姿で、日々市中を歩き回っている。
総二郎は隠密廻りであり、他の同心のように羽織を纏うことはない。
市井にいる町人とさほど変わらない姿で、町中の情報を集め報告するのが役目だ。
とくに大きな事件でもなければ、総二郎の暮らしは気ままなものであった
平湯を出て、しばらく歩くと藤兵衛長屋のある辺りに差し掛かる。
男たちが仕事に出掛け、女たちが洗濯をしながら井戸端会議をしている頃合いだ。
留吉の住まいということもあり、馴染みの顔が多い。
早朝に出てきたばかりの長屋の木戸口を抜けると、近くの戸が勢い良く開かれる。
「おっ、旦那! おはようございます!」
元気よく出てきたのは、女岡っ引のお志津だ。
年齢は十九歳。亡くなった父の跡を継ぎ、総二郎付きとして一生懸命に頑張っていた。
月代は剃っていないが、男髷に髪を結い上げ、半纏木股の動きやすい格好である。
胸には晒を巻いているので、一見しただけでは少年のように見える。
だが、木股から伸びる太腿は瑞々しく、爽やかな色香を感じさせた。
「おう、今日も元気だな、お志津」
「もちろん! 元気が取り柄ですからね!」
やる気に満ちた顔で、お志津は拳を突き上げた。
「それにしても旦那。昨日は随分盛り上がってたようで」
「ああ、留のやつが離してくれなくてな」
「へへっ、相変わらずですね、留さん。さっき、ものすごい勢いで出掛けていきましたよ」
「湯屋で見かけたよ。やっこさん、寝坊して相当慌ててたようだな」
総二郎とお志津は顔を見合わせて笑った。
そこへ、両手に洗濯物を抱えた女性が出てくる。
「おはようございます。総二郎さま」
お志津の双子の妹、お香であった。
可憐な稚児髷に、朱色の小袖姿、胸元が豊かに盛り上がっている。
お志津と顔立ちは瓜二つで、同じ着物を着ていれば見分けがつかないであろう。
「おう、お香。今日も精が出るな」
総二郎に微笑みかけられ、お香はぽっと頬を赤らめる。
姉のお志津は女だてらに岡っ引をするほどお転婆だ。
だが、妹のお香のほうは、双子でもこれほど違うのかと思わせるほど、奥手で大人しい少女だった。
総二郎を気にしながら、小さくお辞儀をして井戸のほうに立ち去っていく。
すぐに、女たちのかしましい声が聞こえてきた。
どうやら、真っ赤な顔のお香がからかわれているようである。
人情味溢れる岡っ引として慕われていた父親と、深川小町と呼ばれるほど美人で評判だった母親。
愛情をたっぷり受けて育った姉妹だが、昨年の流行り病で両親を亡くしてしまった。
勝ち気なお志津は父の跡を継いで女岡っ引となり、お香は得意の縫い物で生計を立てている。
力を合わせて生きる姉妹は、長屋の住民全員から可愛がられていた。
留吉などは実の妹のように二人を可愛がっていて、何くれと面倒を見ていてくれるのだ。
「旦那、今日はどこを廻るんです?」
「そうだな、深川から浅草のほうに行ってみようと思っている」
「がってんだ。お供させてもらいます」
総二郎の後に続き、お志津は張り切って歩き始めた。
藤兵衛長屋を出てしばらく進むと、富岡八幡宮の門前町がある。
参拝に訪れる者で賑わい、茶店や露店なども大いに繁盛していた。
人混みをかき分けながら歩を進め、総二郎とお志津は永代橋を渡る。
「暖かくなって、だいぶ人出が増えたのぅ」
「あっしらも後でお参りに行きやしょう」
「そうだな、何事も無ければ……おっ?」
古い寺院の裏手、竹藪が生い茂る辺りで、小さな悲鳴が聞こえた。
総二郎はお志津と顔を見合わせ、裾を捲って走り出す。
駆けつけた先には、少女を背にかばい、刀を正眼に構えた女剣士の姿があった。
月代を伸ばした、薄汚い身なりの浪人者に囲まれている。
地面に二人が倒れて苦悶しており、女剣士の腕は相当な物と見受けられた。
残った三人は、すっかり頭に血を上らせており、女剣士を滅多斬りにしかねない勢いである。
「お志津! 町方を呼んでこい!」
「分かりやしたっ!」
すぐさま状況を察した総二郎が、鋭い声を発する。
お志津が一目散に駆け出し、総二郎は素早く女剣士の元へ向かった。
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