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猩々飛蝗

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 突拍子もない、微塵も望まない場所へ迷い込んでしまったらしい。
 私は朝寝坊をやらかして必要以上の焦りを抱え込んだのであった。不測の恐怖が身体中の筋組織にカルシウムを染み渡らせて電気信号が勝手に流れるのである。  色々な家具に転んだりぶつかったりして目の焦点が合わないままヨーグルトをトースターで炙りパンを一斤スプーンで食べきったのである。上着を履いてズボンを着込みやたらに腕と足を動かし気付くとここにいたのである。
 ここは屹度密林であった。しかし普通の密林とは趣が異なり、変なところがいくつかある。
 まず良く目につくので言及しておきたい事としては、幹が余りにも真っ直ぐなのである。地面に対して幾本も垂立して規則的に生えている様に見える。どこまで延びているのだろう、なんて上を見上げるとずっと続いていて果てがなかった、が、頭上からは案外に暖かく明るい光が部屋のLED程に降り注いでいて密林とは思えなかった。
 理由として私はこの密林の異状性をもう一つ提出する。其処等畏にある大木の幹がみんな透明なのである。
 植物学の放送教育番組には海辺で根を丸出しにした蛭木や蝿を捕る草、只管に臭い花等が特集されていたが、透徹に延び止まない木は聞き及んだことが無かった。これ程の珍種が奉られない筈もない、奉られないと言うことは奉り様が無かったということに他成らず、其れ即ち私が取り急ぎ奉り挫削り仕る他矢張る所有るまいとされる明瞭な事実を透徹極致に指し示している事に又此他成らず。『落ち着き給え』貴様こそ餅つき給え。いや、やはり落ち着くのは私だ。脳内で常に自身を観察する理性探題にさえケチを付け始めては始まらない。
 新発見のノーベル生物学賞(編集者注:ノーベル生物学賞は存在しない)の妄想に取り憑かれた私は少しばかり焦り奉った。
 普段から冷静な判断に従事し、自己を殺し、寧ろ冷静であることで何かを得る可しという考えを冷静に捨て去って、更に冷静であること事態を超自由的目的と定めて、冷静を愉悦と同義に捉える私らしくなかった。
 考えを戻そう。
 幹を覗くと向こう側の幹が見えてその連鎖が段々呆也(ぼや)けつつも永久の無限直線空間を私に見せていた。ここまで聞くと私の居る場所が極めて澄み渡った幻想的西欧建築空間だと皆言うと思う。
 其れは違うのである。
 確かに我がルーチンを一朝に突如なる逸脱に貶めて終った事に対してのアパシーが消化不良で困るというのも大きいが、それらは全てグリコーゲンとして肝臓に貯めてあるので問題無い。寧ろ私のアパシーは私の身の上に関する一切と全く相互作用しない所に存在しているのである。如何な話かと言うと、この空間自体が暗黒の絶望的雰囲気を内包しているのである。認識解剖学に於いて我々の主観と外界を繋ぐ唯(ゆい)五(いつ)の通路である目、鼻、口、舌、皮に基準を設けて一般化してみるとこうなる。まず、全てが完璧に木の林立で埋め尽くされているわけではなく一望の元には何か貝が縁固まった富士壺の集団のようなもの、黄土色の岩石のようなもの、歩き行く粘体生物や網目状の巨大な板のようなものが時折見受けられる。そして、それらは各々悪臭を放ち私の嗅覚は状況判断に少しの貢献も果たさない只の突起に成り下がったのである。又、無音である。何処からどの様な音もせずに、したと思えば私の呻き声や腹の音、散屁に他ならないのである。更には余りにも湿ったここは私の敏感な表皮に発疹を拵え集中火力型の神経力が其の一粒一粒の痒みを我慢することに使われるのである。ここに大量のまち針でもあれば肌にどんどん突き刺して痒みを混ぎらわす事が出来たであろうに……これ等の状況にあって私のアパシーは晴れの増幅を繰り返すわけである。そして私はアパシーとはどういう意味の言葉か全然知らないのである。
 如何ともし難い。
 しかし、如何ともし難い所を何とかする事で現在の安定した生活を手に入れた私は、ここに於いて最後に一度でも道理を曲げないと、この奇妙な現実に金や社会的地位に果ては命まで飲み込まれてしまうであろう。
 ごうごうごう!何事であろうか、突然爆音が聞こえ始めた。ごごごごごご、ずざー、ごうんごうん、じゃーーー!弓矢場居り(編集者注:ヤバいの意)である。
 生命体これ自然淘汰の恩恵からカオティックな本能なる存続コピー能力を与下されている訳であるが、天変地異が起こると其れ等が私に告げるのである。擬音的な域を通り越してもう濁音であろうなとしか判別がつかなくなった激音に慄いた私は最近辺にある木、銘々直木一号に掴まり踞る。案の定蓋然性合理主義の達成である。暴走音の暴虐が耳の蝸牛管を覚醒させてもうそろそろ両耳からナメクジが出てきそうだと思ったころ、圧倒的な空気圧と共にばごんと何かが私を全方向から押し潰す。耐える。耐える。掴まる。耐える。ぶおおおおん……ぶおおおおん……何だ……?体が軽くなり服が肌にまとわり付く。目を開くと何が変わったか一瞬気付かぬ、でも、直ぐに分かった。海中である。先の一寸ばかしの間、大気が全部一酸化水素と置き換わったのである。なんたる事か、私の肺は一酸化水素から水を取り出すことが出来るだろうか、それとも腮に成るだろうか。心配は私のアパシーを悉く排除した見渡し確認対応の元無用の長物となった。木の根本を囲むようにに大きな泡が残っていた。よかった。安心だ。三泊数えて、顔を突っ込む。あっ、泡が上へ剥がれ上っていこうとするのをどうにか地面に張り付ける。空気と地面の間の水を丹念に外へ出してやる。
 全体が壮麗に見える。ぷっくりとした泡の中から眺めた低姿勢の密林はある程度異物が流れ去って(しつこくへばりついたものの方が多かったが……)全体をサファイアで構成し直した様だった。又この水は奇妙だった。いやに粘度が高くまとわり付く様で、この空気の玉に入ってくる時も巨大な饅頭の餡が詰まった所まで無理矢理首を突っ込んでいる心地であった。これはつまり液面境界の異変であると解釈されねばならない。何故かというと、自身は先程まで確かに大気空間中で困らず息をしていたのであるから、その名残であるこの玉の界面に異状があるならば、二つの構成要素中液体側がおかしいに決まっているという塩梅である。個体然として体にびしばし当たるから痛い。影が差す。いきなり辺りが薄暗くなった。何だ。体勢を変えて無理に上を見ると全体の把握は叶わずとも遥か上空に岩盤的豪壮質量塊の気配を感じる。圧迫感が呼吸的所作を経ない息苦しさを引き起こす。
「落第だよ、君は」
現状と何の関係もない過去の絶望がぶっつけ短兵急にフラッシュバックした。そういえば、この泡球であっても何時れ内部の酸素率が呼吸可能域を下回ってしまうだろう。あぁ、人生は非情、浮世は盲目である。こんな場合にあってどうして助かり様が有ろうか……如何ともし難い。そう、如何ともし難いということは奉る他無い!奉り仕るアパシーの奔流である。
 芸術的爆発。
 籠絡的楽浪である。
 おう。おう。
 思考ばかりが繰返し空回り。
 如何ともし難い。
 今度のは本物の行き詰まりである。
 あれ?可笑しいな。苦しいな。
 暗転。
 ぐおおおう。
 ずげー、伽藍伽藍!
 粘性の液体の対流が始まる。
 私の沫建築バロック水城は分子の砲撃に翔び行き往く。幸いにも私は繰り返される公案無情の末、最後の晩餐で肺を一杯に沫タバコを味わおうという蒙昧に取り憑かれていたので肺胞が励起していた。物凄い流れ方だ。私は誇りある国旗の様に旗めく。嫌だ。この大木から手を離せば私はあの世への凱旋を果たし輪廻の和(一説には其処は蛋白質上を闊歩するリグニンを魂に変換しただけ、そんな巨体構造である。仏的境地は我々のような多細胞核生物の生体代謝でしか無く悟りは筋肉痛、我々の筋肉も輪廻転生の仕組みで動いていると聞く) からor.and的選別を受けて終う。そして猿かコオロギ辺りに生まれ変わって終う。手が離れた。駄目だ、物凄い加速だ。銘々直木三十五号に頭を強く打ち付ける、着陸状態の意識が少し空気圧を繰り出しホバー。ふわりと失神しかけるが坂を越えかけたボールの内部運動量が結局高低ポテンシャルを超え得ず、すさー、と今度は覚醒の方向に加速する。こういう時に最も大切なことは把握である。入力に対してエントロピーの減少を経て適切な対応を施す。其れこそが生物機能の基本原理であるから。都合の良い事に粘体の流動運動と無呼吸の暴力に真綿絞束(しんきんこうそく)の責め苦を賜り続けた末、私のニューロン間全ての代入値が閾値を超えたのでは無いかと思う。当然其の様な現態に於いて物事を思考することは不可能であり、起こり得ない稀有な均衡体な訳だがねこれが、(私はこの発想のあまりの興味深さに寧ろ滑稽を覚え笑いを堪えきれず、洗濯中の靴下の身分では最低の悪手、即ち胸腔からの空気の開放便の発進を許成して終った。現状に在っては肺容量と寿命を同義に扱わなければならないので、私は咄嗟の天才的ユーモアを用いて自身の抹殺を試みたという事である。何と愚かな……)しかし其れ程までに私の生存の為の外把握能力が悉く働き始めたのである。冗談妄言の類では無く、事実判然として私の副交感神経が消滅した。理性探題の焼却取り壊しである。この様な脈絡ない人間を楽人(パリピ)という。楽人と河童と天狗、嘗て日之本が粟島の名を冠していた頃の三大豪族と伝わっている。何と私の中には楽人の血が脈々と受け継がれ巡っていたのだ。楽人はギリシアの神話に出てくるパラテイ・ペオプレ(註:忖度と土星を司る女神)やニュージーランドに伝わる伝承のタウマタファカタンギハンガコアウアウオタマテアポカイフェヌアキタナタフ、兄弟のチャーゴグガゴグマンチャウグガゴグチャウバナガンガマウグ、日本で言えば天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命から続く家系等世界中の伝説の中にそうと思しき(記述の研究の結果楽人がその存在のモデルであろうと思われるもの)存在が確認されている。伝わり方は違えど人類と密接に文化を作ってきたことは確かである。楽人は鶏を家畜化した種とも言われており、かの蟻地獄凸吉大先生著『楽人はなぜ絶滅したか~マヤの滅亡~』の中にこんな話がある。(編集者注:第二話に続く)
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