ざまあ/ざまぁ/ザマァ短編集〜人気ストーリーは連載します!〜

マルジン

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推しに裏切られた私は、将来有望な孤児たちを推します!〜冒険者の敏腕マネージャーが裏切られて泣きながら育ててザマァを見るまで〜

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~あらすじ~

冒険者とアイドルはそう違わないのかもしれない、そんな世界線。

推しだったジョニーを、D級からS級の冒険者にまで押し上げたのに、突然の解雇通告。
失意の中にいた私を、優しさで包んでくれた孤児の二人。

推し活はもう止めよう。そう決めたはずだが、彼らを推さずにはいられない。

推し活の魂に火が付き、孤児の二人を推しに推しまくる女性の物語。


◇◇◇


「は?」

私――榊原愛子サカキバラアイコ――は、耳を疑った。
人気ナンバーワンのS級冒険者にまで押し上げたのに、まさかこんなことを言われる日が来るとは思いもしなかった。

「別のマネージャーつけるからクビ。もういい年なんだし結婚でもすれば?と思ってさ。今までありがとね~、頑張って~」

「……ジョニー嘘でしょ?アナタの活躍はこれからなのよ?」

「はあ、もうお前さ、ウザいんだよ。ファンだったお前がどうしてもって言うから、マネージャーとして採用したのにさ、もはやオカンじゃん。グチグチグチグチ、勘弁してくれよ。もうやってらんねえんだよ」

「それはジョニーのためを思って……」

「あ、あと彼女できたから。お前が作るなってうぜえから黙ってたけど、結婚する予定だから。冒険者続けながら、のんびりと幸せに過ごすし、その子にマネージャーしてもらう。正味の話、誰でもできるっしょ?
なーんか忙しそうなフリしてっけど、実は俺のことキープするつもりだったんでしょ?悪いけど年増には興味ねえからさ」

「キ、キープなんて違う」

「もうしんどいって。消えろよババア」

「……」


冒険者ギルドの受付前で、私は捨てられた。

日本では夫の不倫で離婚になって、心機一転推し活に精を出し、そしたら今度は、推しが女遊びで事務所をクビになった。
複数人と交際してて、そのうち数名は堕胎させたと記事になり、推しはだんまりを決め込んだままトンズラ。
しれっとユーチューブを始めていたので、コメント書いたらブロックされて。

失意のどん底で道を歩いてたらトラックにハネられて、気がついたら異世界にいて、新しい人生は、推しを徹底的に推して推しまくって、ファンを大切にする推しを作り、トップにしてやろうと奮起した。

それで5年もの歳月をかけて、無償でマネージャー活動をして、D級冒険者だったジョニーをS級まで押し上げたのに、こんな仕打ちはなくない?

なくない?ってか、ないよ。

「おお、エミリー!」

「ジョニー!」

ギルド内の時間を再び動かしたのは、入口から走ってくる巨乳の修道女だった。
修道女が結婚して良いのかとか、ほぼ露出狂みたいな格好してるけど修道の意味分かってるかとか、そんなのはどうでもいい。

なんで私の前で、わざわざ見せつけるようにイチャイチャするのよ。

「アイコは辞めるから、お前がマネージャーな」

「うん!任せて、私がS級よりも上にしてあげる」

「ハハハ、Sより上はねえよ」

「あるよ?私の旦那さん」

「……エミリー」

「ジョニー」

チュッ――。

本当に、ない。

本当に、ないわコイツら。

「……くっ、そ」

私はギリギリと歯を噛みしだき、小さく罵倒しながらギルドを飛び出した。

死ぬほど悔しすぎて、死ぬほどムカついて、死ぬほど恥をかかされて。

奴の前では泣きたくなくて、走ってギルドを出たけれど、前が見えなくなるほど視界が歪んで、まともに進むこともできなかった。

心許ない視界でふらふらと歩いていると、向こうから若々しい声がした。

まだ幼い子どもだと思う。

通りで色んな人にすれ違い、嗚咽してるところを思いっきり見られてるはずだけど、子どもにだけは、なんか見られたくなかった。

大人としてのプライドだろうか。
こんな醜態を晒したら、子どものトラウマになってしまわないかと、どうにか堪らえようと思った。

けれど、涙が止まることはなく、震える体は落ち着きを取り戻すことはなかった。

私は必死に顔を隠して、ほぼ前が見えない状態で歩いてると、キャッキャッした声がピタリと止まった。

あ、終わった。

サーッと胸に冷たい空気が流れ込み、ギルドで感じた恥辱がぶり返したところで、とうとう声が掛かった。

「だ、大丈夫っすか?」
「前見てないと危ないですよ」

それは少年と少女の声だった。

もう、終わりだ私は。

子どもに心配されて……。

恥辱の極みだ。

「とりあえず座ったほうがいいぜ」
「あの、お話聞きましょうか?」

スススッと私の両脇に移動した2人は、腕と背中を優しくて支えて、沿道に誘導してくれた。

あいも変わらず、私は顔を隠したままで、されるがままだった。

柔らかい下草をクッションにして座ると、両脇から背中をさすられた。

もうこうなってくると、恥ずかしさとか悔しさとかないまぜの沼地に、ズブズブと沈みきった気分で……。
どうにでもなれと、自暴自棄になっていたのだと思う。

それはもう、心理カウンセラーに話すように、べらべらと何もかもを吐き出した。

「わたじ、5年も、がんばっだのに゛……ブランディングのだめに、彼女はつぐらないほうが良いっで言っただけなのに……」

冒険者という職業は、男女から人気を集める職業だ。
男性ファンは、知識力、戦闘センス、装備の外観、ジョブなどを基準として、羨望の眼差しを向けることが多く、B級以上のいぶし銀な冒険者を好む傾向がある。

女性ファンは、肉体美、清潔感、キラキラしたパフォーマンス、丁寧なファンサービスに、好意を持ち、積極的消費活動で「応援している」という気持ちを表明することが多く、下級から上級まで幅広く好む傾向がある。

ジョニーは、典型的なアイドル冒険者で、男性ファンを獲得することが難しかった。

だから女性ファン獲得のために、ブランディングを行った。
見た目を徹底的に改善し清潔感をアピール。
慈善活動を催し、ファンと交流しつつ一体感を生む。
グッズ販売を実施し、ファンが応援の気持ちを表明する機会を与える。
手紙は必ず返すし、握手会も定期的に開催。

熱狂的な女性ファンが多かったため、ファン心理が成熟してきて、固定ファンが増えたら機を見て彼女を作るなりすればいい……と思っていたのに。

「わだじ、ファンだもん!結婚じだいなんで、思っでなかっだ……。ただ応援しだがっただけなのに゛」

キープしてたとか、本当に心外。
私が、どれだけの時間と労力と金をかけて、ジョニーを応援してきたと思ってるの。
ただ結婚したいがために、そこまでするわけないでしょ!

「ジョナザンは、朝が苦手゛だから、起こじであげたのに、ファンを蔑ろ゛にするきらいがあったがら、口酸っぱくファンを大゛切にしてって言い聞゛かぜたら、ウザいオカンみたいだっで……わだじこどもいないの゛にぃぃ」

支離滅裂だったかもしれない。
意味はほとんど伝わらなかっただろう。

けれど二人は、優しかった。

「頑張って欲しかったんだよね。うんうん分かるよ」
「ヒドイ奴。言い方ってもんがあるよな」

なんとなく私の言いたいことを汲み取って、地雷を踏まないように言葉を選んでくれて。
優しさが、ヒシヒシと伝わってきた。

それが余計に悲しくなってしまった。

年甲斐もなく、声を上げて泣いてしまった。
バカみたいにわんわん泣いてるのに、子どもたちは引くどころか、もっと優しさを分けようとしてくれた。

女の子は私のに抱きつき、男の子は背中をトントンと叩いてくれて。

するとなぜか、私のこれまでが思い出された。

離婚と推し活でメンタル爆発し異世界に来た。
それなのに凝りもせずに、推し活に精を出したのはバカだと思う。

でも異世界でなにをしろと?
何人かに言い寄られたけれど、みんなチャラそうな奴で反吐が出そうだった。
普通の一般的な男性は、家同士の話し合いで早くに結婚していて、残ってるのは訳アリの男か、ショタか、ご老人ぐらい。

婚活?
そんな看板は出てないです。
スマホもないし、知り合いもいないし。

結婚はほぼ望めない。

だから推し活に精を出すしかなかったのよ。

ライフワークとして、生きる糧として、ジョニーだけは、裏切らない男だと見込んだのに。

私には、見る目がないのかもしれない。

そう悟ってしまい、絶望した。

こんな最悪な時に、しかも異世界で真理に気づいてしまうなんて。
もっと早く気づいていれば……。
せめて日本で気づいていれば、異世界になんて来なくて済んだかもしれない。

今さら、気付いたって後の祭りだ。
異世界で、私はこれからどうすればいいというの。

「ん?なんか、見たことあるな」

「ええ゛?」

水分がほとんど出切って、目がパンパンに腫れた頃、隣に座ってる少年が私に気づいたようだ。
それもそのはずで、ジョニーの現場には必ず顔を出してたし、できるだけ前乗りしてスタッフと打ち合わせするようにしてたから、S級を知る者ならば私も知っているだろう。

「あ!ジョニーの付き人だ!」

「……マ゛、マネージャーでず」

「うぉっ、あ、ああはい」

男の子に顔を向けたら、しっかりと引かれた。
そんなにぐちゃぐちゃなのだろうか。

……メイク、ボロボロかも。

「これ……で、たぶん、拭いたほうが、いいかなと、思います」

「……ご、ごめんね゛。洗っで返ずから」

男の子は、私にハンカチを渡してくれた。
拭いても綺麗には落ちないけれど、ゴシゴシと強くこすって、涙の後は消せたと思う。
チラリと男の子を見ると、ハッとしてガクガクと頷いてる……。

メイクのことはもういいや。

身だしなみは大事だけれど、人前で大泣きしといて今さらだ。

それよりも気になることがある。

私の魂が聞きたがっている。

「もしかして二人は冒険者?」

男の子はレザーアーマーとショートソードを、女の子は錫杖と祭服という、いかにも冒険者の格好をしていた。

冒険者なんて珍しくもなくて、だからなんだという話だが、もう、クセみたいなものだ。
長年推し活をしてきた、推し魂はそう簡単には抜けないもので。

どうしても気になる。

彼らのランクや人となりが。

「は、はい。冒険者っす」

「二人でパーティー組んでます」

二人パーティー、年齢は10歳程度……。
恐らくE級でくすぶっているはず。
薬草採集、小型モンスター討伐、屠殺や解体、そういったことで稼いでるのだろうけど。

いや待って?
E級にしては、身なりも装備も整っているわね。

ショートソードは安物の大量生産品で、価格は200ゴールド前後。日本円で二万円ぐらいだ。
レザーアーマーは作る人と素材にもよるけど、見た感じだとグレートボアの革鎧ね。
硬化処理してあるから、五万円ぐらい……かな。
素材を提供すればもっと安くなると思うけど、彼らがグレートボアを倒すのはムリでしょうね。

錫杖は教会員であればタダでもらえるけれど、毎日の奉仕活動がある。
祭服は、正規教会員の証。
見た感じだと、助祭位だと思うけれど……この年で?

一体何者なのこの子達は。

見当もつかないのは、初めてだわ。
5年もの間冒険者たちを研究しまくった私に、知らないことがあるなんて。

「君たちは一体何者なの?」

ざっくりした質問だったが、二人はきょとんとしながらも答えてくれた。

「私は西方教会の助祭です。私と同じ年の人は珍しいですけど、確認を取ってもらえれば、嘘じゃないって分かるかと……」

「あ、うん。ありがとう。疑ってるわけじゃないのよ?なにをしたらその年で助祭位になれるのかな?」

「私とピーターは孤児院で育ったので、その分働かないとと思って奉仕活動してたら、助祭にならないかって」

……なんて子なの。

孤児院育ちなのは気の毒だけれど、ただの奉仕活動で、助祭になれるはずがない。
きっと祭事の手伝いやら、教会のお仕事の手伝い、そして信徒からの信頼が厚いから、助祭に抜擢されたのよ。
それを知らずに、さも当たり前のように、しかも孤児院で育ててもらった分を返す為になんて……良い子だわ。

「君は?ピーター君」

「何者って言われても……ナターシャと同じで孤児院育ちの、ただの人間っていうか。うっす」

ほうほう、あまり自慢はしない系ね。
悪くないわね。ファンに自慢話をし始めるバカアイドルもいるけれど、そうじゃないのよね。
アナタの自慢話は全部リサーチ済みで、グッズも全部買ってるの。
私が欲しいのは、これからもよろしくって言葉だけ。
もちろん感謝もほしいけれど、それはファンとしては図々しすぎ……。

とにかくピーター君には素質があるわね。

「その剣と鎧は、結構いい装備よね」

「ああ、そっすね。教会に通う信徒さんがくれたんす」

「へええ、それはどうして?」

「……あー、まあ、普通に。変な奴に襲われてたから、追っ払ったんすよ。そしたら、まあ欲しいのあるって言われて。別にいらないって言ったんすけど、なんかくれました」

自慢話はしたくない硬派な男か。
正義感があり、変な奴を追い払う腕力と度胸もある。

……良い。

二人共良い。

最高に推せるじゃない。

あああ、推したい、もっと上位の冒険者を目指せる素質があるのに。

いやダメよ私。

また痛い目を見るに決まってるわ。
成長するに連れて、いろんなものを見て、いろんな欲が出てくるはず。

きっと上位冒険者になったら、私は捨てられると思う。

だから……一応これだけは聞いておきたい。

「二人共、冒険者になった理由は?」

両脇に座る二人を見やると、なぜか二人共笑っていた。
私が首を傾げると、ナターシャが話し始めた。

「教会だけでは、孤児を受け入れられないんです。お金もかかるし、部屋も足りないし、赤ちゃんの面倒を見る大人も足りません」

「だから俺たちはさっさと自立して、金を貯めて新しい孤児院を作るんだ。んで、みんな冒険者にして、金を稼がせて、また孤児院増やしてく。天才っしょ?」

……。

素質アリ。
性格最高。
優しさ抜群。
見た目良し。
信徒からの信頼アリ。
若さアリの、野望アリ。

ここまでお膳立てされた二人を、推さずにいられるだろうか。

「二人共、どこまでやるの?どこまで目指すか教えて」

私は笑顔をかなぐり捨て、ビジネスウーマン然とした表情で尋ねた。

「どこまで?そりゃあ、テッペンっしょ。上に行けば行くほど金がもらえるし」

「できるだけ上ですね。私たちができるところまで」

二人の言葉を聞き届けた私は決意した。

この二人がもしも、道を踏み外しそうになったら、必ず今日を思い出させる。

この年からこの覚悟をする二人ならば、なにがあってもきっと、冒険者として花開く今日という日を思い出してくれるだろう。

「私が必ず、二人をS級にしてみせるわ」 

驚いている二人をよそに、私の脳みそは輝かしい未来への道筋を立て始めていた。

◇◇◇

「起き……」

「おはようございますアイコさん」

「おいーす」

フライパンとお玉をもって二人の部屋に入ったら、とっく起きていた。
しかも、ピーターは筋トレをしてて、ナターシャは魔力操作の訓練をしていた。

「お、おはよう」

あの日から私たちは、一緒に住んでいる。
狭い家の狭い部屋だけど、一部屋空いてたので、そこに二人を住まわせている。

ちょうどというか、もしかしたらいい男ができるかなと期待してた名残だ。
結局、家を借りた後に絶望したけど。

私が朝食を作ると、二人は暫く祈ってから食べ始めた。
しかも……。

「うめえ」
「美味しいですアイカさん!」

褒めてくれるんだもん。
大した料理じゃないのに、キラキラした目でバクバク食べてくれるんだ。

何回も泣きそうになったな。

ジョニーとか言うアホに捨てられて一ヶ月。
アイツのことなんか気にする余裕もないぐらいに、二人の成長戦略を練り、二人にプレゼンをして、二人の生活の面倒もみた。

食生活、体重管理に筋力向上、それから魔法の訓練と講師を呼んでの剣の訓練。
正直貯金はない。先行き不安ではあるが、二人も不安なはずだ。

私はS級のマネージャーではあったが、単にジョニーの素質があったからだと思う人もいるのは事実。
彼らもきっとそんな不安があったに違いないけれど、私についてきてくれた。

訓練だけではない。
マネージャー業は無償労働だから、二人の面倒を見つつ仕事もしてた。
二人だって教会の手伝いをしながら、毎日を過ごした。

そして迎えた今日という日。

「昇級試験だから、気合い入れてくわよ」

「おう」
「はい」

気合を入れて、私たちはギルドへと向かった。

◇◇◇

「……お、お久しぶりアイコさん」

「パーティー名の登録をお願いします」

「その子たちですか?」

「はい」

「しょ、少々お待ち下さい」

受付嬢は、久しぶりに顔を合わせて、気まずそうにしていた。
肌を焼くようなヒリヒリした感覚から、周囲から奇異の目で見られていることは、重々承知している。

だがここで、顔を伏せたり挙動不審になっては、ピーターとナターシャのモチベーション低下に繋がってしまう。
ただでさえ緊張しているだろうに、私がナヨナヨしてはいけない。

これから準備があるのだから、テキパキ指示を出してかないと。
腕時計を見やると、試験開始まで12分を切っている。

……うーん、遅い。

もったりとやって来た受付をひと睨みして、胸ポケットからペンを取り出した。

「はい書いて」

「じゃあ、俺が書くわ」

ピーターとナターシャは、字を知らなかった。
教会では字を必要としないし、生きてく上で必要なのは、数字と危険と立入禁止の文字ぐらいだったそうだ。

それではいけない。
将来はたくさんのファンレターに返信を書かなければならないし、求められればサインも書かなければならない。

だからこの一ヶ月で、二人は字を覚えた。

「うっす」

ピーターは紙を、受付嬢に差し出した。

「……これでいいんですか?」

「はい。もういいっすか?準備があるんで」

「あ、はい」

目をパチパチさせる受付嬢をよそに、私たちはギルドの外に出た。
D級昇級試験は戦闘能力を披露し、ギルドマスターの許可を得れば合格となる。
戦闘能力はの判定方法は、試験ごとに変わるが、大きく分けて3つ。
対人戦闘、対魔物戦闘、対物戦闘だ。

どれもこれも、体を使うことに変わりはないから、まずすべきことは……。

「はいアップ。軽く走ってきて!」

「おう」
「はい!」

体を温めて、筋肉をほぐし、心拍数を上げる。
これから運動をするんだという気持ちの切り替えと、凝り固まった身体をスムーズに動作するために必要なことだ。

私は腕時計を眺め、大きく息を吐いた。

試験まで10分。

秒針が時を刻むごとに、私の心音も強くなっていった。

カチリ――。

◇◇◇

試験開始時刻を3分過ぎた。
イレギュラーが起きるのは想定内だから、全く動揺はしていない。

目の前の二人の緊張は、ピークを過ぎているようだが。

「やべー、吐きそう」
「大丈夫だよ」

……私も吐きそうだった。
イレギュラーとか関係なく、普通に緊張で吐きそう。
朝ごはんを食べなくて良かった。

ギルド奥の試験場には何度も来たことがあるけれど、今回はこれまでと意味が違う。

私にとっては、最後の推し活なのだ。
この子たちがダメならば、もう私は推し活を引退する腹づもりで、全てを注ぎ込んできた。

正直、やりすぎた感はある。
ここ一ヶ月、詰め込みすぎて、嫌われたんじゃないかと思ったけれど、二人はそんな素振りすら見せなかった。

信じてついてきた彼らなら、きっと受かるはずだ。

周囲の冒険者はみんなだし、あくびしてる奴もいる。
大丈夫、アイツらなんかとは賭ける思いが違うんだ。

カツカツ――。

足音と共に受験者たちの前にやって来たのは、元S級のギルドマスターだ。

彼の登場で、試験場の空気がピリリと引き締まる。

「遅れてすまない。えー、それでは試験を始める。今回の試験は対人戦闘試験だ。試験の相手はS級冒険者ジョニー。出てきてくれ」

カツカツ――。

私は耳を疑い、そして目を疑った。

誰だアイツは。

「悪い悪い、遅れちゃったよ」

ジョニーの面影があるけれど、酷い有様だった。
ぷっくりと小腹が出てて、剃り残しのヒゲやぱさついた髪が、日頃の不摂生を物語っている。

カツカツ――。

「よーしよし、大丈夫でチュよー」
「んぎゃぁぁあ」

ジョニーの後ろからやって来たのは……誰?
私よりも質素な身なりで、赤子を抱えているけれど、本当に見覚えがない。

あ!
あの胸は、たしか、エミリーだったっけ。

「エミリーは、向こうで待ってて」

ジョニーの言葉を受けて、エミリーは目を見開いた。

「分かってるわよね、勝つのよ。ただでさえ仕事がなくなってるんだから、勝ちなさいよ!勝って実力を見せるのよ!」
「んぎゃぁぁあ」

鬼気迫る表情に、修道女の片鱗はなかった。

「……ちっ。お前がちゃんとマネージャーしないからだろ。俺の実力はみんな知ってんだよ」

「はあぁぁぁぁぁ!?そもそも何なのよマネージャーって!アンタが業務内容を把握してると思ったから引き受けたのよ!」

「んなもん知るかよ!全部アイコに任せてたんだよ!」

「またあのオバサンの話!?本当にキモいんだけど、子供の前で元カノの話とかよくできるわね」

「彼女じゃねえって言ってんだろ!あああうぜえ、マジでうぜえ」

「……あっそ。じゃあいいわよ、負けたら別れる」

「……ガチで言ってんのかよ」

「別れる。ウザいんでしょ?母親みたく言われてウザいっていつも言うじゃない」

「……ちっ。ああ、はいはい。勝てばいいんだろクソが」

試験場内は、まるで時が止まったかのように、凍っていた。
S級冒険者の醜態に、唖然としていた。
あのアイドル冒険者の現在が、まさかこんなんになってるなんて。

私は驚きを通り越して、むしろ笑えたけれど、S級を目指す者達には、いささか辛い現実かもしれない。

私は、ピーターとナターシャが心配になった。
彼らもまた、S級を目指す者だから、あんなのを見せられて幻滅していないかと。

言葉をかけようとしたら、ギルドマスターの声が轟いた。

「第一試験者は……パーティーか。えーと、ピーターとナターシャ!パーティー名は【ブレイクスルー】」

【ブレイクスルー】
苦難困難を乗り越え、停滞する状況を打破する。
とにかく前に進み上を目指す二人にはピッタリの名前だと思って、私が提案したら即オーケーされた。
なんかカッコいいからいいねと、言っていたっけ。

あの頃は、まだ子どもであどけなかったのに、今の二人の背中は、とてつもなく頼りがいのあるオーラがにじみ出ていた。

私が言葉をかけるまでもない。

「殺るぜナターシャ」
「うん、ぶっ飛ばそう」

うん?
なんか、不穏なワードが飛び出した気がするけど、気合が入ってるのは良いことだ。

ちなみにこの試合では、勝つ必要はない。
ギルドマスターに力量を見せつけて、及第点をもらえれば大丈夫。

二人なら絶対に大丈夫だ!

私の心音が高鳴る中、二人は試験場中央へと歩き出す。
すると、ジョニーは二人を見やり、そして私を見つけてしまった。

「おお、アイコ!なにしてんだそんなとこで」

とりあえず無視して、日本の神々と仏とそれから、この世界にいる神に祈った。
これだけの強大な方々に祈れば、きっと報われるはずだ!

「おい無視してんじゃねえよ。うちで雇ってやるから、またマネージャーやんねえか?金は払うからよ」

……ムカつくなアイツ。
殺れピーター!ぶっ飛ばせナターシャ!

「ちっ。クソババアが」

さっきからババアババアって……と、ブチギレそうになった時。

ゆったりと歩いていた二人が、魔力を爆発させたのだ。

ピーターは剣を抜き放ち、くるくると小手を返しながらリズムを取る。
ナターシャの錫杖が床を突き、シャーンと鳴った瞬間、二人は走り出した。

「あ、まだ開始って――」

ギルドマスターが言うよりも速く、二人は得物をぶん投げた。

「え?」

驚きのあまり、私は呆然としていた。
得物はジョニーではなく、あらぬ方向へと飛んでいってるのだ。
あんな動き、教えたこともないし、訓練したこともない。
なにを考えて……。

するとナターシャが魔法を詠唱。

強き光よフィルマルクス!』

カッと光が閃き、私まで目が眩む。

身体硬化ミクスチータス!』

怒声にも似たピーターの呪文詠唱が響くと、ドゴンッと鈍い振動が試験場を揺らした。

ドゴンッドゴンッ――。

体が揺れるほどの振動に、私は少しだけ怖くなってしまった。
ジョニーが私への逆恨みで、ピーターたちを……。

眩んだ目をこすり、音の根源に焦点を合わせる。

ドゴンッドゴンッ――。

私が目にしたのは、ジョニーに馬乗りになるピーターの姿だった。

ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、硬化したピーターの拳が振り下ろされる。

ドゴンッドゴンッ――。

そして隣に控えていたナターシャは、なぜかジョニーに治癒の魔法をかけた。

治癒せよアディタテム

血を流すジョニーの顔が、みるみると癒えてしまうと、ピーターの拳が振り下ろされる。

そしてまたナターシャの魔法が……。

一体何をしているの?

私は混乱していた。
あんな優しい子達が、ジョニーをフルボッコしているのだ。
殴っては癒し、癒しては殴り。

「お、終わりだ!二人共離れろ」

ピーターの拳が叩きつけられる寸前、ギルドマスターが慌てて止めに入った。

引きずられるピーターは、まだ足りないとばかりに暴れている。

冷静さを失っている?止めなければ。

そう判断した私は、二人のもとへ走り出した。

「ヒェッ……」

ふと聞こえた小さな悲鳴。
そちらへ視線を向けると、ジョニーの妻であるエミリーがペタリとお尻をつけて震えていた。

何に震えているのか。

彼女の足元には、剣と錫杖が突き刺さっていた。

……あ。
その様子を見てなんとなく察した私は、暴れるピーターのもとへ全力で駆けた。

するとピーターは、ギルドマスターの腕を振り払い、倒れ伏すジョニーへと言い放った。

「ウチのマネージャーを侮辱すんじゃねえよクソが!」

続けざまにナターシャも。

「アイコさんはウチのマネージャーです!もう返しませんから!」

こんなん言われたらもう、無理よね。

涙、止まるわけないよね。

「あり゛がどぉぉぉ!」

私は二人を抱きしめた。
とても嫌がっていたけれど、このぐらいは許してほしい。

「うげっ、鼻水」
「アイコさん、苦しい苦しい」

「二人共ありがとね゛。よぐ頑張゛っだね」

一生、推していいですか。
そんなことは聞くのはド三流。

「絶対に゛S級に推すから゛ね」

一流は勝手に推すのだ。
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俺、そこそこイケてる男爵(32) 可愛い俺の娘はヒロイン……あれ? 乙女ゲーム? 悪役令嬢? ざまぁ? 何、この情報……? 男爵令嬢が王太子と婚約なんて、あり得なくね?  アホな俺の娘が高位貴族令息たちと仲良しこよしなんて、あり得なくね? ざまぁされること必至じゃね? でも、学園入学は来年だ。まだ間に合う。そうだ、隣国に移住しよう……問題ないな、うん! 「おのれぇぇ! 公爵令嬢たる我が娘を断罪するとは! 許さぬぞーっ!」 余裕ぶっこいてたら、おヒゲが素敵な公爵(41)が突進してきた! え? え? 公爵もゲーム情報キャッチしたの? ぎゃぁぁぁ! 【ヒロインの父親】vs.【悪役令嬢の父親】の戦いが始まる?

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