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30.お返しだ

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でっぷり太った男がフロアを横切った。
アスドーラたちとは反対の方向へと、ちょこちょこ歩いていく。

『アイツかッ……』

今にも走り出しそうな声色が頭で響き、ノピーが慌てて制止する。

『ダメだよ!今暴れたら――』

『ぐっ……分かってる』

ジャックは怒りを抑え込んだ。
優雅な時が流れていたフロアに、焦燥と警戒の臭いが立ち込めたからだ。

『早く追いかけよう!スクムがどっか行っちゃうよ』

アスドーラが促すが、ジャックとノピーは静かに状況を観察していた。

まさに今、受付に走って行ったのは、外で倒れている冒険者を発見し、半狂乱になっていたボーイだ。

さらに後方では、用心深く辺りを見回している女がいた。
廊下で出くわした冒険者だ。
アスドーラたちが『詳明ルクヴィラーレ』の範囲外に出たことで、どうやら見失ったらしい。


事は既に露見したと考えていい。
一刻の猶予もなく、ホテル内は厳戒態勢に入り、危機感を持った宿泊者たちは外出を控えるだろう。

ジャックの頭に、諦めの二文字はなかった。
しかしノピーの魔力を考えれば、これ以上は付き合わせられない。
やはり帰ってもらうしか……。

『アスドーラ君!お願いがあるんだ!』

ノピーの声が二人の頭に響いた。

『受付の人たち全員に『陶酔せよテネフォリア』という魔法をかけてほしいんだ』

『うんいいよ!その後は?』

『その後は……』

『どうしたの?』

一瞬だけ言葉に詰まったノピーだったが、すべてを説明した。
アスドーラはその案に了承し、合図と共に駆け出した。

ジャックとノピーはスクムのもとへ。
そしてアスドーラは受付へ。

ノピーの指示通りに魔法をかけた。

陶酔せよテネフォリア!』

焦った様子で話し込むボーイ。
それを聞く3名ほの受付。

全員に魔法が降りかかる。

途端に彼らはぼーっと虚空を眺め、ボソボソとうわ言を言い始めた。

「帰りたいよー仕事したくない~」
「大変だーたーいへんだ♪たたた大変何が大変?」
「もももす!とたたたんとす!スス!すぅ!」

『……変なの』

魔法をかけた張本人は、彼らを憐れみで一瞥した後、フロアの中央に立った。
すべてを見渡せるフロアのど真ん中で、ノピーに教えてもらった呪文を詠唱する。

『ファハン20匹ヴェンティ召喚コンヴォカーレ!』

鏡のように煌めく床が、ポコポコ泡立つ。
すると泡の中から、緑色の皮膚がヌッと露わになり、次第に全貌を現した。

禿げ上がった頭部と大きな1つ目の顔に、胸から飛び出した一本の腕。
そして、ぴょんぴょんと跳躍を可能にするのは、筋肉質な1本の脚。

魔物ファハンが20匹、アスドーラの召喚に応じて現れたのだ。

『面白い形だねえ。それじゃあッ!』

走り出すアスドーラ。
するとどこからか絶叫が轟き、冒険者たちがフロア中央へと集まっていく。

「何故魔物が?」
「召喚だろうな、さっさとやるぞ!」
「にしてもファハンかよ。雑魚を喚び出して何がしたいんだか」

例の女冒険者もフロア中央へと意識が削がれ、アスドーラ一行を追うものは誰もいなくなった。

『終わったよ!今どこにいるの?』

『……あ、ありがとう!魔力は大丈夫?』

『うん。大丈夫だよー。ジャックにはできないだろうねえ』

『ああできねえよ!魔力バカッ!』

『ア、アスドーラ君、階段があるからそこを登って来て!』

『おうッ!』

それから数階を駆け上がり、スクムの背中が見えた頃。
ノピーの声が頭に響く。

『これ以上魔法を使い続けるのは危ないから、今から魔法を解くよ!』

まさかの提案にジャックが反論する。

『いやあり得ないだろ。危ないってどういう意味だ』

『あの女冒険者は『詳明ルクヴィラーレ』で対応できないと判断して『解明ルクプリカティオ』っていう魔法を使おうとしてた。
ふたりが使ってる魔法を、強制的に解ける魔法だよ。
さっきは運良く免れたけど、これからは冒険者たちの警戒度がぐんと上がる上に、情報も共有されちゃう。
だからこそ、魔法を解くんだ』

『……待て、意味が分からん。それなら他の魔法を試せばいいんじゃないのか?』

『僕たちは3人、敵は何人?十名なのか二十名なのか分からないけど、魔力も体力も僕たちの数十倍はある。
上位魔法を迎え撃つために上位魔法をって繰り返してたら、先に疲弊するのは僕たちだよ』

『ノピー?僕は大丈夫だよ?』

『アスドーラ君ごめん、一旦黙ってて』

『……あ、うんごめん』

初めて怒られたアスドーラは、少ししょんぼり。

だが今回ばかりは、ノピーも譲れなかった。
何度も転移して、召喚の口頭術までしてのけたアスドーラの魔力は、もはや異常。
それは確かに頼りになるが、一般人であるジャックや魔力貧者のノピーと同じ土台に並べて語るものではない。
だからこそノピーは、一般人であるジャックのために、異常値アスドーラを省いて説明を続けた。

『だから魔法を解く……』

『うん。ここからは魔法じゃなく、演技が物を言うんだ。僕たちは宿泊者になりきって、冒険者の目を欺きそして、スクムの部屋へ侵入する!』

『マジかよ』

『マジだよ。あ、スクムが』

ぜえぜえと肩で息をしながら、5階の宿泊フロアに入ったスクム。

『よし!じゃあ魔法を解くよ!』
『……ああ』
『おいしょお!』

階段の踊り場で3人は姿を現し、スクムの後を追って歩き出す。

「はあ、はあ」

長年の運動不足が祟ったか、階段を上っただけで、かなり苦しそうなスクム。
自身の背後にいる少年たちには、気付く気配もない。

スクムはゆっくりと歩き、はたと立ち止まる。
自身のポケットに手を突っ込むが、下がりきったズボンのせいで奥まで手が届かず、だんだんと苛立たしさが表情に表れる。

3人は、じっとスクムを見つめながら背後を通り過ぎた。

『部屋番号は覚えたぞ!アスドーラ!お前は面が割れてるんだから顔を伏せとけ!』

『やってるよ!いちいちうるさいな君は』

『スクムが部屋に入ったら、僕たちも突入しよう!』

てくてくと廊下を歩き、背後の音に耳をそばだてる。鍵を取り出して解錠し、扉が開閉するまでの音を聞き漏らさないように。
ピリリと張り詰める中、ようやく待望の時が来た。

ガチャリ――。

『よし!スクムの野郎をとっちめるぞ。もしもの時はアスドーラ!寮へ転移しろ!』

『ふーむ。まあいいでしょう』

『行こう!』

ノピーの合図で振り返り、走り出したちょうどその時、階段の踊り場から一人の影がやってくる。

『だ、大丈夫!上手く誤魔化せば切り抜けられるよ!一番上等な服を着てるジャックに懸かってるからね!』

『なっ、ここに来てそれ言うかよ。日和ったなお前!』

『だだだだってそうじゃないか!アスドーラ君は平民丸出しで、僕はエルフだよ!?君の方はなんか、御曹司みたいだ!うん!すごく御曹司!』

『おい適当言うな!さっきまでの威勢はどこ行ったよ!』

頭の中で言い争いを始めたノピーとジャック。
珍しく当事者ではないアスドーラは、やってくる冒険者をじっと見つめ、何かに気づいた。

『……なんかさあ。あの人、僕たちのことをスゴい見てるよ』

『……き、気のせい気のせい。気のせいだよ』

『……いや、見てるだろ。ものすごく』

冒険者と3人の距離が、互いの顔がよく見える程になった時。
バタンと扉の閉まる音が響いた。

すると冒険者の男は、まるできっかけを探していたかのように、3人へと言葉を投げ掛ける。

「じゃあ始めるね」

スラリと抜き放たれる銀色の剣。
そして3人のもとへと突っ込んだ。



少し時は遡り、ファハンを退治した一階フロア。
冒険者たちは、死体となったファハンを収納魔法に放り込み、辺りを検分しながら召喚者を探っていた。

『一階で魔物が召喚された。各階、警戒を強めろ』

とある冒険者は、同僚たちに思念を飛ばして警戒度を高めた。
すると、彼のもとへ女冒険者がやってくる。
眠りこけた冒険者を背負って。

「……マーテル、それはなんだ」

「誰かにやられたみたい。この件の犯人と同じよ、きっと」

「起こしてやれ。何か分かるかもしれん」

マーテルと呼ばれた女冒険者は、背中に背負っていた男を乱暴に床へ転がすと、腹にドスンと尻を乗せた。
そして、眠りこける男の頬をバチンッ!と叩く。
何度も何度も、何度も。

「……可哀想」

起こせと言った張本人がポツリと溢すほど、マーテルは加減せずに引っ叩く。

「……はぅ……ぐっ……ちょ……いた……痛い!」

すると、横たわっていた冒険者はぼんやりと目を覚ました。

「何してんのよアークム!アンタ失神させられてたのよ!」

「……あ、ああ。だからこんなに魔力酔いしてるのか。誰がやったんだ?」

「それを聞くために起こしたのよ!バカ!」

「お、怒るなよマーテル。ちょっとどいてくれ、胃の中身が出そう」

「何よ。重たいっての?」

痴話喧嘩の様相を呈する二人に、指揮官である冒険者は、ため息をついた。
この分じゃあ大した情報は得られそうもないなと、諦めかけていたら、また次のがやってくる。

「おーい!サボりを連れてきたぞー」

今度は、入口の方から冒険者を背負う冒険者がやってくる。
ドサリと男を降ろすと、例の如く、頬にキツイ一発をぶち込んだ。

すると「ううっ」と呻きながらも、すぐに目を覚ました。

「……ここは、ん?ああ、俺はやられたのか」

周囲を見回して、得心したように呟く男を見て、指揮官の眉尻は上がる。

「相手を見たのか?」

「……3人の少年だった。1人はエルフ、1人は赤髪で顔にピアス、そしてもう1人は……俺をやったソイツは、黒髪でぽやぽやした顔をしてた」

「なんだあ?ぽやぽやって」

「なんというか……トロい顔とでも言えばいいのか?何も考えてなさそうな、ぼんやりした腑抜けみたいな顔だったが、アイツは強い」

「具体的には」

「転移を使う。それに失神もな。戦闘中にいきなり強制系の魔法をカマしてきやがるんだぜ?」

「目的は?」

男は首を振った。

指揮官の男は、腕組みをして思案する。
転移を使う魔力と胆力。
警戒していたA級冒険者に、強制系の魔法を使って成功させたイカれ具合。

要注意だが、危険だとは考えなかった。
何故なら死人が出ていないからだ。
2人共眠らされただけで、暴行された様子もない。

人数をかければ捉えるのは容易い。
そう考えたところ、マーテルから追加の情報が上がる。

「……ごめん、報告が遅れたけど私も戦ったわ。2人だと思ってたけど、3人だったなんて」

「情報は?」

「1人は操魔術を使うわ。しかも頭が切れる。他の2人は認識阻害の上位魔法を使ってたわよ」

「……実力のある少年たちが、このホテルに忍び込むか。どこぞから派遣された暗殺者の可能性もあるな。他には?情報はないか?」

すると今度は、受付の方から奇妙な声が響く。

「らりらりらりらりほーほーほーほー」
「仕事したくないよー。支配人ーお休みくださいよー」
「変が大、大が変♪大が変変、変が大♪」

「お、お前たちどうしたのだ?」

支配人に群がる3人の受付と、虚空を眺めるボーイを見て、指揮官の男はすぐに察する。

「……精神系・強制系の魔法がよっぽど得意なようだ。マーテル、アークム叩き起こしてやれ」

指揮官の男は、受付が引っ叩かれるのを見ながら、各階の冒険者へ思念を送る。

『召喚の件について情報を更新する。犯人は少年3人だ。繰り返す少年3人だ。暗殺者の可能性が有るため、警戒度は高とする。即時捕縛を実行しろ。
1人はエルフ、1人は赤髪で顔にピアス有り。もう1人は黒髪で特徴のない顔。
操魔術、転移魔法、精神・強制系魔法を使用し、上位の認識阻害魔法で潜伏している可能性が高い。
それから、司令塔はなかなかに頭が切れるようだ。
特に精神系魔法の効きはS級と考えていい。冒険者とホテルマンが数名やられている。
操魔術、障壁、結界等の使用を徹底しろ。
決して情報共有を抜かるな。
以上』



時は戻り、5階フロアにて。

『下がれ!』

ジャックの声で、2人は後ずさる。
だがA級冒険者の踏み込み速度は、常人の認識を凌駕する。

「遅いなあ。それでも暗殺者?」

ブンッと剣が振り抜かれ、先頭にいたノピーの腕にパックリと傷が開く。

『あ、ありがとう』
『ヤバかった。今のはマジで、ヤバかった』

間一髪、ジャックが服を引っ張ったおかげで、ノピーの傷は皮膚を裂くだけで済んだ。
もしも遅れていたら?

間違いなく腕が切断されていただろう。

「今のはただの幸運だよ?」

コテリと首を傾げた冒険者は、再び踏み込み肉薄する。
瞬きすら許さない猛攻に、3人が思考する間もなかった。

シュッ!
ブンッ!

ジャックは歩速を緩め、冒険者の剣をひたすらに躱し続ける。
二人が距離を稼ぎ逃げられるように……。
しんがりのつもりであった。

だがA級の冒険者の剣技を無傷でとはいかない。
避けても避けても、すべてが間一髪。
すんでのところで致命傷を避けられただけ。
斬撃が皮膚を裂き、突きが筋繊維に触れ、蹴りが、拳が、重たく骨に響く。

『ジャック』
『……』

『ジャァァック?』
『……』

冒険者を相手に、喋る余裕などなかった。
ひたすら無言で、目の前の剣に集中する。

『ジャャャャャァァァァァァァァック!』

『ああああぁぁぁあ!うるっせえわッ!頑張ってんだから無言で逃げんかいッ!』

アスドーラは、ずーっと無視されていたので、思わず叫んだ。

「……なんか弱いなあ。3人まとめて来たら?」

冒険者はピタリと剣を止めて、3人を挑発する。

『ジャック!その人を引きつけといてね!』

『……アレをやるのか?』

『ムハハハ。やってやるぜえ!』

アレとは、アレ。
すなわち失神である。
もはやアスドーラの十八番おはことなりつつ有る、失神の魔法で、倒すというのだ。

引きつけろ。

十中八九、転移してから失神させる腹積もりであろうが、ジャックは結構精一杯。
だがアスドーラのアレが、唯一の勝機であることも理解していた。

『任せるぞアスドーラ』

『ムハハハ。任せとけい!』

ジャックはポケットに手を突っ込み、ある物を取り出した。
冒険者は少し首を傾げたが、特に気にした様子もない。

「おいザコ剣士。品のない騎士みたいなツラしやがってよお!ああ!それってただの野盗かあ。だからこんなに貧乏くせえんだな」

「……煽ってる暇があるなら、準備したら?それ、切り札なんでしょ?」

「……うるせえな。言われなくてもやってやるよボケがッ!」

啖呵を切ったジャックは、手に持っていた2つのリングを両手に嵌めた。
人差し指の第二関節辺りでリングを止めると、すかさず魔力を流した。

するとリングに嵌めこまれた石と魔力が反応し、微かな光が漏れ出る。
そしてすべての指に橋が架かるように、分厚い金属が伸びてゆく。

「ナックルダスターか。剣とは相性が悪そうだね。ナメてる?」

「ああ、死ぬほどナメてるぜ。だってお前の剣、全然当たらねえもん」

「あそ」

一瞬であった。

今までよりもずっと速く、そして的確に肉を抉り、筋肉にまで切っ先が食い込む。

「……っぐ」

肩口に刺さった剣は、さらに深く沈み込む。
身幅の太い剣身が傷口を無理矢理こじ開けながら、ズブズブと体を突き抜けた。

「ザッコ。本気出せよ」

ニヤリと冒険者が笑うと、ジャックも負けじと笑みを返した。

「ふっ。お前の負けだバカ」

間近に迫った冒険者の顔……の下。
ジャックはナックルダスターを構え、ブンッと振り抜いた。

ドゴォォン!

「……バレバレだけど?」

しかし、その攻撃を察するのは容易い。
敢えて攻撃を受け入れ、近接戦用のナックルダスターで、一撃を与える。
その程度は察した上で、冒険者は突進していたのだ。

ただ唯一、意外だったのはその威力。
天井に穴を開けた、強烈な一撃であった。

「良い魔道具だね。後で買った場所教えて?」

冒険者はニコリ笑みを浮かべると、膝を付いたジャックの首元に剣身を当てた。

その時だった。

やや遠巻きに事を見守っていたアスドーラが、姿を消したのだ。
それに気づいた冒険者は、即座に魔力を放出する。

失神せよテネコーペ!』

アスドーラは冒険者の背後を取り、そして失神魔法をぶつけた。
確実に当てたはずだが、魔力の層に阻まれて自身の魔力が霧消していることに気づく。

「お前か。転移するってやつ」

「……うっ」

次の瞬間には、アスドーラの鼻先で剣が振り抜かれていた。

ギリギリで躱したが、見物するのと体感するのでは別物であった。

『……ごめんみんな。僕は間違えた。完全に忘れてた。ホテル入口で倒した冒険者が、僕たちの顔を見てるってことを。
間違いなく情報共有されてる。
他にもアークムって人とか、女冒険者とか、全部共有されてる!
勝てないよ。
アスドーラ君の失神の魔法も対策されてんるんじゃ、打つ手がない!
そもそも作戦に穴があったんだ。前提が間違ってたんじゃ、作戦なんて呼べない。今から一か八かでA級冒険者と戦うのは無謀なんだ。だから逃げよう!アスドーラ君転移――』

『落ち着けッ!』

ジャックは頭の中で叫んだ。

『ノピー!対策考えてよ、こっちは相手をしておくからさ!』

アスドーラは人間の肉体を最大限にまで動かし、限界値を超えてもなお動かし、そして回復し、常人とは思えぬ身のこなしで剣戟を避け続けていた。

本来の魔力を使い、人が構築した魔法理論から外れ、アースドラゴンとして戦えば当然勝てる。
だがそれをしては、もう人としてはいられない。
ノピーに正体を見抜かれるわけにはいかない。

「……んっ!しょっとぉぉ!」

「避けるのが上手いなあ。でもジリ貧じゃない?」

ゴンッ!

迫りくる切っ先から体を捩り、滑らかに移動する刃に仰け反ったのだが、後頭部に強い衝撃が走る。

「はい終わり」

いつの間にか壁際に追い込まれていた。
剣戟を避け、敵の動きばかりを見続けていたことで、視野が狭まり周囲の把握ができていなかった。
壁にぶつけた後頭部がジンと痛むが、すぐに回復する。

そして、視界の端から刃が迫る。

スパッ!

その瞬間、アスドーラは直情的な動きをみせた。
こんな狭っ苦しいところで逃げ続けるなんて嫌だ、と。
それだけの理由で、突進を試みたのだ。
壁に足を当て、できるだけ素早く捉えにくく、敵の懐目掛けて飛び込んだ。

ガスッ!

上手く刃は躱せたが、突進の動線上で交錯した敵の肘が、こめかみにめり込んだ。
しかし勢いは止まらず、アスドーラの肩口が敵のみぞおちに痛撃を与える。

「ゴフッ」

息を吐き出した敵。
ようやく一撃を与えた。
反撃のチャンス!

アスドーラは腕を回し、思い切り力を込める。

「……ぎぃゃはッ」

バキバキと肋骨が砕ける音がして、声にならない声が漏れる。
アスドーラの勢いに押され敵は後ずさる。
しかも剣を振り抜いた勢いそのままに、体は回転。
不意を突かれて体の制御ができていないようだ。

今なら効くか!?
アスドーラは失神の魔法を試みる。

失神せよテネコーペ

魔法は間違いなく発動した。
しかし効果が見られない。
肌が触れ視認せずとも感じたのは、自身の魔力が敵の魔力に跳ね返される抵抗だった。

ならばと、さらに追い討ちをかける。
肩口を押し込みながら腕を絞り上げた。

「……かッ」

もはや息すら出ない。
敵はふらふらと回りながら、背を壁にぶつけた。
だらりと垂れる剣。
目をかっ開き、白目を充血させる。

確かに、肉体的にはアスドーラの優位であった。

肉体的には。

ズワッ!

敵は魔力を放出した。
全身から溢れ出し、瞬く間に体を包み覆い尽くす。

アスドーラの怪力が体を絞り上げ、回した両腕の指先はくっつきかけていたが、魔力の層によってみるみると離されていく。

「……すぁぁぁあ、はあ、はあ」

魔力はどんどん膨張し、締め上げているはずの腕は広がり、密着していた体も離され、アスドーラは全身の動きが鈍いことに気づく。

足も腕も頭さえも、重たい泥に拘束されたかのように動きが遅くなる。それは次第に強くなり、果ては完全に制御が効かなくなった。

「……ぺっ。折れた、骨が。殺す気だったろ、このガキ!」

血反吐を吐き出し、敵冒険者に初めて表れた怒気。
ギリリと奥歯を噛みしめると、魔力がうねりだす。

纏わりつく魔力がアスドーラの体を完全に拘束。まるで処刑を待つ罪人のように、空中で磔にされた。

「殺す気はなかったよ。でも仕方ないよね、お前が殺気いろけを出したんだから」

ふぅーと息を吐きながら、一撃に沈めんと剣を構える。

「死ね」

銀色の光沢が残像の軌跡を描き、切っ先がアスドーラに触れようかという瞬間。

「……なにっ!?」

ガクリと足を踏み外し、アスドーラを目の前にして落下していく。
驚きを浮かべる彼は、眼下に死を見た。

そこには、血を流しながらニヤリと笑う、赤髪の少がいたのだ。

いつの間に………。

「お返しだクソがぁぁ!」

ジャックの拳が直上に突き上げられた。

ドゴォォォン!

ナックルダスターに込められた魔力が弾けた。
拳は敵冒険者の腹部にめり込み、まるで人形のように吹き飛ぶ。
ジャックが拳でぶち抜いていた天井をすり抜け、冒険者は6階の天井に激突。
そして、ジャックが待ち構えていた4階へと落下した。

「……ぜぇぜぇ、ゴボッ」

冒険者は、息も絶え絶えに、血を吐いた。
ズズズと腕を動かすが、ジャックに踏みつけられて、近くに落ちていた剣も放り投げられる。

「こっちだってマジなんだ……」

ジャックは申し訳なさそうに冒険者を見下ろす。

「悪いが治療はしてやらない。でも死ぬな」

それだけ言うと、ポケットから1枚の紙切れを抜き出した。

「おーい!上に行くから離れてろよな!」

上を見上げ、穴の端でひょこっと顔を覗かせていたアスドーラが離れると、紙切れに魔力を流す。

「……ぅぉッ」

ひょぉぉぉおと風が巻き上がり、ジャックの体がふわっと上昇、そして二人の待つ5階へと着地した。

「どうするのあの人。このままだと死んじゃうよ?」

アスドーラは穴を覗き込み、隣りに降り立ったジャックへ尋ねた。

「A級なら、簡単には死なねえだろ。第一治療しちまったらまたやり直しだぞ?」

「うーむ、確かに」

アスドーラは、ズルズルと床を這う冒険者を眺めながら、助けられない理由に納得した。

ジャックは、申し訳なさそうに冒険者を一瞥した。

殺す気はない。
いや死なないはずだ。

死んでしまったら、などとは考えない。

何故ならやるべきことがあるのだから。

「……早く妹さんを助けよう!そしたらあの人も死なずに済むんだから!」

ふらふらしながらノピーがやってきた。
もともと白かった肌が、血色悪く青褪めている。

「ノピー、気分が悪いの?」

「……もう魔力がないよ。あっちの穴を作るのに全部使っちゃった」

指さしたのは、ジャックが肩を刺された場所だった。
そこには、目の前の大穴よりも何倍も小さな、人一人が通れそうな穴がぽっかりと空いている。

「魔力が切れると、魔力酔いするからな。もう少し我慢してくれ」

「……う、うん。良かった、作戦が上手くいって」

「そうだねえ。やはりノピー先生は頭が良いッ!」

「て、照れるなぁ……ヴォォェエ」

「お、おい吐くなよ!近づくな!」

三人は大きな穴を避けて、スクムのいる部屋へと向かう。

しかしここは、警備の厳しいセントラルグランドホテルである。
これだけの騒ぎを起こし、警戒度も高まっている今、そうやすやすと何もかもが終わるはずもない。

「あーりゃりゃあ。でっけえ穴空けちゃってえ。そういうお年頃かコノヤロー」
「……アイツらだ。俺に失神の魔法をかけたのは」
「ようやく顔を拝めたわねアークム」
「こんな子ども……可愛いな。イタズラ盛りだ」

三人は踊り場からやってきた冒険者たちを見て、放心した。

頭の片隅では、分かっていた。
きっと仲間が来るだろうと。

だが考えなかった。

満身創痍の今、決して勝てないから。

縋る想いで、仲間が5階へ来ない未来を想像していたというのに……。

すると三人の背後から、乾いた声が響く。

「ペリーロを治療してやれ。死にかけだ」

先程倒した冒険者を抱えて、4階から5階へと着地した男。
今までのどの冒険者とも、明らかに違った雰囲気が滲み出ている。

「俺はS級だ。決して勝てないから、抵抗は止めておけ」

三人は前後を囲まれ、ゴクリと生唾を飲み込んだ。





――――作者より――――
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比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。 寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。 プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い? そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない! スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

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