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2章 天上天下、蠢動
15.悪魔に警戒せよ
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転生してから悩んだのは、名前だ。
エリック・ベクシンがこの体の名前だ。まあ、悪くない。
虎壱實 龍瑯という名前も、まあ悪くない。
悪くないというのは、決め手に欠けるという事だ。良くもなく悪くもなく、明け透けに言えば、クソどうでもいい、だ。
この体に思い入れもなければ、元の世界に未練もない。ぶっ潰す予定の世界にマジの名前で存在するってのもダサい。
というわけで、仮名としてアルファベット名乗ることにしたわけだが、こいつらはどうだ。
デリクシス・メーンは緑色の綺麗な瞳を持つ、微笑を湛えた優男だ。サラサラした茶色い髪と薄い唇が、やすやすと男の概念を崩す。現代で言えば、オネエっぽい面ってところか。ナヨナヨした外見の癖に、王家を崩壊寸前にする胆力と気違いじみた行動力を兼ね備えた、骨のある野郎だ。
つい最近までは、当主候補にすら挙がらなかった末弟だ。それが今ではマークネイト州の領主なんだから、人生ってのは何があるか分からないもんだ。
何でも、不慮の事故があって、兄達は悉くくたばり、領主であった父親もぽっくり逝ってしまったそうだ。
貴族が立て続けに死ねば、そりゃあ大事だ。
在領の騎士だと疑惑の調査には不向きだと考えた王国政府は、王都の騎士を派遣したらしい。
結果は、こうして薄ら笑っているんだから、上手くやったって事だ。
優男の横にいる挙動不審な女がアーリアルト・ソンブレロ。ショートカットのババアだ。この世界では珍しく黒に近いブルネットの髪色をしている。近眼なのか、びっくり人間の目ん玉みたくなるメガネを掛けて、せわしなく首を動かしている。
魚みたいな目をした鶏みたいなババアだ。
婦人公社とかいうフェミニスト団体を立ち上げて、市民にそれなりの評価を得ているらしい。まあ、図太さとか鈍感さとか愚直さとか、人間的に好感を持てるところは多い。だが少しでも優しさを見せると、つけあがる癖があるから、飴の使いどころは考えなきゃならん。
この2人は俺と同時に転生した、いわば兄弟だ。何の因果か、マモンが転生させた3人ぽっちの少数精鋭は組織のトップに立つ器らしい。
マークネイト州は控えめに言ってクソ田舎だが、貴族であり領主というのは大きなアドバンテージだ。生きてるだけで数万人の人間どもに敬われ、何をせずとも法律が上級国民だと保証してくれるんだ。法律という枷を作れるし、自分はその法律から逃れることだってできる。
婦人公社という団体はトップの写し鏡で、折れない崇高な目的を掲げて猪突猛進する。目の前に岩盤があればぶん殴って突貫し、巨大な落とし穴があれば大きく迂回してでも目的地まで辿り着く。泥水を被り啜り塗れながらも、市民を昂らせるカリスマ性がある。
アリアにカリスマがあるのではなく、団体にだ。
世界を法の支配から弱肉強食の混沌に移行するには、こういう力が必要だ。努力では得られない血筋とか、市民に植わるイデオロギーがきっと必要になる。
だから当面は仲良くしておきたいものだ。転生した新世界で、死んだ人間の名前を借りるような、常識に従順なやつらだが、笑顔を振りまき、多少の便宜を図って、仲良しごっこをするぐらいには魅力がある連中だ。
俺の望む世界に必要な人間ではないが、俺の望む世界を作るまでは必要だからな。
「マモンから聞いた話だが、第3位階の悪魔が召喚されたらしく、同時にやって来た転生者が数人確認されている」
「具体的な人数は聞いていますか?」
「そこまでは教えてくれなかったな。人数は大したことないんじゃないか?俺たちだって3人だったわけだし」
「まあ確かにそうですね」
「でだ、その第3位階の悪魔は超が付く排他的な奴ららしい。狩る時は注意しろって警告されたわ」
「すみません、1つ疑問なのですが、その悪魔たちと転生者に何の関係があるんですか?」
――おいおい、そっからかよ。ゴブリンめ、なんにも教えてねえんじゃねえの。
「悪魔召喚と転生者の転生はセットだ。悪魔がこの世界に来る時に連れてきた魂が、死体に乗り移って転生完了って寸法だ。悪魔との具体的な繋がりはないが、アイツらからすれば、俺たちはペットだろうな」
「記憶の消去は悪魔に対しても有効でしょうか」
「無理だな。実証済みだ」
「となると、王国や魔教団の目を逸らしても悪魔に目をつけられますね」
「ええええ!そうなの!?」
「お前は黙ってろ。後でデリックに噛み砕いて説明してもらえ」
「よろしくねデリック」
「はいはい」
コイツ、やっぱり頭がよく回る。たぶん、転生した人数をはぐらかしてることも薄々気づいてるんだろうな。そんなことおくびにも出さないところを見ると、結構必死か。
「悪魔と戦って勝てますか?」
「いや無理だな」
「僕ではなくエーさんなら?」
「さあな。マモンの全力さえ見たことがねえから、なんともな」
「だとしたら、戦いを回避する他ないと」
「まあ、そうなる」
「何故、攻撃してこないと思いますか?」
「転生者を見つけられてない。それか既に捕らえたか」
「連れてくる時に首輪ぐらい嵌めていそうなものですけどね」
「ああ。たぶん捕らえたんだろ」
「そ、そんな……」
てめえはてめえの心配をしろよ。ったく、救いようのないお人好しだな。なんでここに転生したのか不思議で堪らんわ。
「エーさん、この際だから伺います」
――――嫌だね。
と断りたいが、許される空気じゃないな。
「何か危惧していることがありますよね。それを教えていただけませんか?」
どこまで明かせばいいのか考えてんだよ。
こうもせっつかれちゃあ、答えようにも辻褄が合わなくなるだろうが。
俺の読みでは、あんどうさえ、って奴は悪魔に何かしらの脅しをかけられたはずだ。
ヴィーの『共有』がいい例で、悪魔は能力を介して思考に入り込むことができる。それが難しいのか易しいのか、身近にいる悪魔のマモンからは推し量れない。だがヒントはくれた。
ボソリと呟いていた「ギリギリだ」という言から、何かに反するから実行していないのだろう。規則ギリギリ、流儀ギリギリ、とか?
つまり、できるけどやってない。
能力は悪魔との媒介になり得るわけだ。
それを使ってあんどうさえを脅迫、ないしは洗脳し第3位階の悪魔たちの捕らえやすい位置まで呼び寄せた、と理解した。
呼び寄せて何をするのか。
召喚者、つまり悪魔召喚をした人間の命令を忠実に守るため。
悪魔自身の目的のため。
この国で悪魔召喚するのは、戦争のためだ。
さっきデメキンババアが言ってた『阻滅の囲い』の中で召喚するってのが証拠で、この国のお偉いさんは、悪魔をしっかり恐れてる。
だから目的外使用はしないだろう。
つーことは、悪魔自身の目的遂行のために転生者にコンタクトを取り、呼び寄せた。
マモンは俺が転生した日、こう言っていた。
「オイラたち悪魔は人間界がカオスになればなる程良いことがあるんだ」
だからその邪魔をする善玉の転生者共を退場させてくれと。
悪魔共は、人間界から秩序を奪うことで何かしらの利益を享受したいが、魔界から人間界へと手を出すことはできない。
だから転生者達を送り込むし、マモンのように贔屓してくれる。
仮に第3位階の悪魔たちが、あんどうさえをその尖兵にしたいと考えているなら、俺たち転生者の動きにいい顔はしないだろう。
だから当面は穏便に過ごしながら静観でいい。要するに目立たないようにする。社員たちの趣味も控え目がいいだろうな。
で、警戒はすべきだ。
悪魔について徹底的に分析し理解し、警戒すべきだ。
情報を整理しよう。
まずマモンの手下は二人の悪魔で、マモンが召喚されたタイミングで連れてきた魂も3つ。俺と、デリック、アリアだ。
「オイラが君に入れ知恵するように、他の悪魔もそうするのが殆どさ。もちろんそれぞれ目的がある」
と言っていたように、位階というグループはそれぞれの思惑がある。それらを推測するには情報が足りなすぎるから、現時点では悪魔に利があるという、世界の混沌、これが悪魔たちの共通目的だとしておこう。
世界の混沌、つまり秩序の破壊は俺の望むところでもあるから、勝手は知っている。
一国の王を殺しても秩序は保たれたまま。仮に全世界の国主を殺しても秩序は崩壊しない。
一筋縄じゃいかないし、人手も時間も大量に必要だ。
要するに、位階とういグループが目的を達成するために必要な部下、つまり転生者は多い方がいいに決まっている。
それでも第9位階に囲われる者が、俺たち3人だけなのは、システム的な理由があるのかもしれない。そうでないなら、厳選したメンバーに絞ったか。どちらにしても、きっちり3人ということは、意味があるとしか思えない。
ここから考えられるのは、転生者の数と悪魔の数はニアイコールである可能性だ。
15人の転生者がこの世界にやってきたならば、第3位階の悪魔もそれだけ、もしくはそれ以上いるかもしれない。
もっと言えば、CSOUの社員の数だけ、悪魔が召喚されている可能性がある。
既に魔界へ帰っているかもしれないし、マモンのように居座っているパターンもある。考えれば切りがないぐらいに、悪魔共の影は近い。
CSOUを設立してから、俺が知る限りでは悪魔からのちょっかいはない。つまり、社員たちの裏にいるであろう悪魔とは、反目する関係ではないということだ。当面気にしなくていいだろう。
だからまずは、最近やってきたばかりの第3位階の悪魔だ。仮説に基づけば数は15人前後いる。
で?
こんなんじゃあ何を警戒したらいいのか分からんわな。顔すら知らんつーの。
こうなれば、第3位階悪魔共の情報収集をして、対策を練ってみるか。バレたら即終了の隠密作戦になるが。
さて、コイツらには何と答えようか。
必要な駒ではあるが、社員ほど重要ではないし、裏切らないとも言い難い。
大雑把に答えとくか。
どうしても助けてほしければ、うちの会社に泣きついてくるだろう。そうしたら護衛を引き受ける代わりに、雇ってやろうっと。
「悪魔だよ悪魔。お互いに気ぃつけような」
「――――ええ、そうですね」
不満気な顔が一瞬掠めた。
そんな顔したってダメなんだよ。
聞きたきゃ、うちに入れっての。
※※※
朝4時に悲鳴で起こされ、コーヒーよりも濃い世情を呑まされて、全く眠れる気がしなかった。
まずは5,000万の仕事。それから第3位階連中への探り、それから社員たちのモチベーションの維持。
やるべきことは多い。
表通りの人が少なくなるのは日が昇った証拠だ。キラキラ輝く魔法の光も太陽には敵わない。軒先から顔を出した店員が、ランタンから光を奪って、伸びをする。
「ああ、エーさん。ご無沙汰ですね」
「おっす。景気は?」
「ぼちぼちですよ。エーさんが来てくれればなー」
「今度な。ところでピーちゃんは?」
「いつも通りですよ」
「そっか。じゃまた」
「いってらっしゃーい」
ヘタレのボルボッサファミリアがここを捨ててから、路端の石ころが可愛くみえるぐらい寂しくなった。冬の夜でも体を火照らせる活気があったはずだが、まあ仕方ない。戦争が始まったんだから、大人しく家に引っ込んでるんだろう。
ぬくもりを忘れた暗い店々を横目に、気張って働いたこの街の馴染みたちと軽い挨拶を交わす。
総じて言えるのは、どこもかしこも開店休業状態らしい。その中でも、俺が仕切る店だけはぼちぼち、と。なんでも戦地からの帰路、恋しくなった体を温めに、騎士が寄ってくるらしい。そんなことなら、戦地に出張でもしてやろうかね。死んでも替えが利くってのは、こういう時にこそ強みになるな。
歓楽街から一本外れた暗い路地裏。表通りとは違い黒な海に浸かっている。
これだけでまず、一般人なら立ち入らないだろう。
もしも、迷い込んだ酔っぱらいがいたなら、コイツを見て逃げ出すだろう。
「待て」
2メートル近い巨漢の髭達磨。暗闇でもその容姿が目に焼き付くのは、突然浮遊しだした青白い火の玉のお陰だ。
「俺だ。ピーに用がある」
「………………主は取り込み中だ」
「さみいんだよ。中で茶の一つぐらいいいだろ?」
「………………聞いてくる」
のっそのっそと溶けるように消えたと思えば、ぬっと姿を現した。
「通れ」
「はいよ。どうもな」
髭達磨から離れた火の玉が俺の前でピタリと止まると、とろりと滑り出して行先を照らしてくれた。
ぼんやり映えるのは黒。壁も地面も風もない。
何度か来たが、慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。数十秒ほどか、のろまに辿り着いたのは一枚のドアだった。
青い炎を辛うじて反射する丸いドアノブは氷のように冷たい。
どうにも歓迎はされてないようだが、構わず捻った。
ドアの隙間から細い明かりが溢れ、闇を消し去る。
広がるのは庶民的で一般的な良くあるディスプレイの部屋。ベッドがあって、背の低いちゃぶ台があって、机と椅子があって、本棚があって。
没個性を表す部屋の中には、前世での鬱積を晴らすように、偏った好みの女が4人いた。
「お久しぶりですエー様」
一括りの髪束を揺らすメガネ女が、洗練された所作でまずはご挨拶。他の3人はといえば、ベッドサイドで何かを隠すように立ち並び、睨みを効かせている。
「久しぶ……」
「本日はどのような御用でしょうか」
主とは話させない、そんな意志をひしひしと感じるメガネ女の態度は、毎度のことといえどもやるせない。
ったく、いい加減信用してくれよ。
「さっさとここは引き払って、会社に住めってお前のボスに伝えてくれるか?」
「我が主の返答は変わりません」
「ずっと引き籠もる、それでいいってことか」
「はい」
出会った頃から変わらない。
マモンに紹介されて向かったのは、王都にほど近い漁村だった。
カモメが五月蝿い岸壁の上にはあばら屋がぽつり、その隣には生活感の残る馬小屋があり、さらに隣には汗と潮の歴史が漂う道具置き場があった。
漁師道具や農具、壊れた鍋やら大きな魚の頭骨やら、雑多に詰め込まれた収納棚よりも目を引いたのは、丁寧に畳まれた網ではなく、その横にあった物だ。
ボロ布を被った男――。
子供一人が横になれるスペースで体育座りをしていた彼こそがピーだった。
フケの混りの湿った前髪越しに、絶え間なく観察するギラついた目が印象的だった。
「俺と一緒に来い。力の使い方を教えてやる」
何かに怯える生物は、息を潜め感覚を研ぎ澄ませて相手の真意を汲み取ろうとする。いつかのテレビ番組で、その挙動を取る虐待された犬がいたのをハッキリと覚えていたから、ピーの目を見て欲しいものが分かった。
「安心できるまで、お前に無理はさせない。信用できるまで、お前の好きなようにしてればいい」
返答は無かった。
考える時間を設けるため、母屋でいびきをかいていたジイさんを殺した。ほんの1分だったが、充分すぎる猶予だったようで、骨と皮だけの素足で道具置き場前に佇んでいた。
決して優しくない岩肌を踏みしめて。
そうして、本格的に魔法を使用して作り上げたのがこの家だ。元は閑古鳥が鳴く酒場で、魔法で改装する代わりに間借りさせてくれと頼み込んで、娼館を建設した。
改装も娼館もボルボッサファミリア的にはNGな内容だったが、そこは手打ちが済んでいた。だからスムーズに運営を開始。
酒場の老夫婦は金の匂いに敏感だったようで、娼館の運営に本腰を入れてくれたのは幸いだった。殺す手間が省けたからな。
娼館は暗い路地からしか入れない場所で、基本的に誰も寄り付かない。酔っぱらい共は、髭面の丸坊主に睨まれて気を失うか逃げ出すかがオチで、完全に現世から離れた隠遁の場になっている。
それでも儲かるのは、老夫婦の頑張りと口コミのお陰だ。
デカデカと看板でも掲げればいいのだが、ピーが異常に嫌がるので、こうしてコソコソと運営している。
「ウチの大事な稼ぎ頭だからなあ、安全を思って言ってるんだが、ダメか?何なら、会社の横にお前の家を作ってやってもいい」
「主は血を見るのが嫌いです。貴方はいつも血の匂いがする」
「巻き込まれないか心配ってことか?」
「そうです」
「信用しきれてない、そういうことか。ならしゃーない」
ピーを殺して能力を奪うこともできる。だが、それをしないのは、単純に俺の身が持たないからだ。
コイツの能力『繁栄』は生物を作ることができる。つまり人間だろうが魔物だろうが、なんだって作れる。そして、赤ん坊でも、老人でも、働き盛りでも、任意の年齢で作り出せる。
ただしそれは器でしかない。
要するに自我がないのだ。つまり人として未熟な状態のまま作り出されてしまうということで、どんなに見た目が成熟していようとも、中身は赤ちゃん。
それを人並みにするには、育てなければならない。長い時間をかけてゆっくりと。
そんな時間はないし、ピー以外に任せる気もない。作った人間を商品にするための教育方法、それから日常的管理のノウハウ、そして廃棄方法まで、一朝一夕にはできないし、ピー以外の社員にできるとは思えない。
だから、ピーは唯一無二の能力者であり、現状のCSOUにとっては必要な人材なのだ。
だからこそ信頼を得られるまでは、ゆったりと進めるつもりだ。焦らずじっくり、確実に勝ち取った信頼の元でピーを働かせたい。今はまだ、甘えた子供がよく分からないまま、生きる為に仕事をしているだけだ。それをいつの日か自分の責任を自覚させてやれば、王国は愚か、世界中に間者を送り込める。
そう、こいつは重宝する、会社の大事な資産なのだ。
第3位階の悪魔にちょっかいを出されたくない。
「じゃあ警告だけしておく。俺が受けた仕事の敵対組織が第3位階の悪魔で、もしかしたら社員が狙われるかもしれない。杞憂で終わればいいが、念の為探りを入れて対策を講じたいと考えている。それまでは、身の回りに気をつけろ」
「ここならバレないでしょう?」
「さあどうだかな。もし俺が付けられてたら?」
「会長がそんなヘマなさらないのでは」
「俺だってミスぐらいする。気を付けろ」
「分かりました。これまで以上に警備を強化します」
「悪魔は転生者よりも遥かに強い、そう考えて行動してくれ」
「――――はい」
聞き漏らさないように、確かな口振りで、一言一句に神経を張り巡らせて、悪魔の脅威を添えた。
この女たちは、ピーが作った人間たちで、一口に説明するのが難しい。
母親であり、1人の女でもあり、姉でもあり、親友でもあり、憂さ晴らしの相手でもあり。ピーの側に侍るということは、それだけ特別ということだ。
多少の感情が芽生えて、主を慮るのなら、最後の言葉に危機感を覚えて諫言をしてほしいものだ。
暗い路地を抜けると日月が煩い。鼻から肺に貯まる空気がこんなに冷たいというのに、嫌味なぐらい煌々と歓楽街を照らしている。
お天道様が見ているってのはよく言ったもんで、脛に傷しかない俺は好きになれない。
あの裏にいる月がずーっと顔を出しててくれればいいのに。
眩しい日月に溜め息を吐いた。
悪魔と敵対するのはずっと先だと思っていた。
国を潰して、世界の均衡を崩して、全ての秩序を壊して、弱肉強食の原始時代に返り咲けば出てくるのだろうと思っていた。
想定以上に早い。早すぎる。
なにもないならそれでいい。権益や目的が対立しなければ戦う必要もない。だから調査をするのだが、これまで通りのぬるいやり方じゃ、通用するイメージが湧かない。
俺たちを転生させる力を持つってことは、いわば神みたいなものだろう。そんな奴を相手に手は抜けないし、ヘマも許されない。なんたって、死ぬのは一瞬だからだ。
CSOU総動員で当たるべきだろうが、表に出てきたがらない奴も数名いる。
ソイツらの説得は多分ムリだ。
ピーは見込みがあったが、その他は……。
とりあえず、すぐに動けそうな奴だけでも会社に引きずっていくか。
酒と香水が漂う歓楽街を抜けて徒歩数十分。潮風が鼻先を刺激する。右を向けば青い海がどこまでも広がり、左を向けば緑生い茂る山がなだらかな傾斜を作っている。
長閑すぎる風景だ。
無駄に広い道と揺れる木々。家々の間隔も距離があって、好きなところに建てましたという有様。そして一面に広がる真っ青な海。
見栄えは最高で、思い詰めた奴らがボーッと散歩してそうなロケーションだが、俺は好かない。
強い潮風と一緒に流れてくる濃い魔力のせいで体調が悪くなるからだ。
この世界に充満する魔力は、場所によって濃淡がある。最も濃いのが海。最も淡いのが世界の果てだ。
地球平面説が、まんま適用された世界がここだと考えれば分かりやすい。世界の最果てには大地がなくて、落ちれば魂ごと消滅する奈落がある。魔力も光も命も、なんでも消してしまうらしい。そんな果てが吸い込んでしまうので、その近辺は魔力が少ない。
魔力が少ないと、体の中に取り込む量も少なくなるので、必然的に魔力不足になるわけだが、取り込み方は他にもある。魔力の多い食物を接種したり、魔力の濃い場所に行ってみたり、雨に打たれてみたり。
だから魔力が少ない場所に大きな弊害はないが、強いて言うならちょっと疲れやすいぐらいだそうだ。
反対に魔力が濃い海の側はほぼ住めない。俺のように体調が悪くなるからだ。それでも好んで住んでる奴らは、ほとんどが転生者の子孫たちだ。魔力を殆ど持たない転生者の子供は、魔力に対する感受性が低く、取り込める魔力が少ないので、海沿いでも平気らしい。
感受性が低いということ自体は欠点だが、逆に言えば魔力に左右されづらいとも言える。
そんなんだから、買い手のいない海沿いにでっかい屋敷を建てられるというわけだ。
もちろん、転生者とはなんの縁も無くて、単純に感受性が低いという現地民もいるにはいるらしいが。
そんな海沿いにまでやって来たのは、すぐに動いてくれるだろう社員が住んでいるからだ。
田舎には似つかわしくない、悪目立ちした洋館の前に行くと、無愛想な少女が一人。門前に佇んでいた。
守衛的な役割なのだろうが、こんな子供に何を衛れというのだ。
そしてこの格好……。
既視感に見舞われながらも、ひとつご挨拶。
「いくら?」
「――――娼婦ならずっと先にいるわよ」
「子供には興味ないわ。火、切らしてんだよ。いくら?」
「え?マッチが欲しいの?え、ええーと100円かな」
「はいよ。釣りはいらん」
「――――1万円だよ?本当にいいの?返さないわよ?」
「ああいいよ。家主に用があるんだわ、いる?」
「居なきゃ、こんな格好しないわよ」
「やっぱアイツの趣味か。開けてくんね?」
マッチ売りの少女は腕にかけていたバスケットを下ろすと、両手で門に触れた。
すると表面が水面のように揺れて、足りない油に文句を漏らしながら、ひとりでに開いた。
「魔法か?」
「魔力を識別して開くの」
「じゃあ……」
「なんの為に居るのかって言いたいんでしょ?見栄え、らしいわよ。意味わかんない」
「――――はあ、意味わからんな。じゃあ、あんがとなー」
この広い屋敷から見つけた出すのは骨が折れる。
奴は気分屋で、金を積んでも女を与えても、乗り気じゃなければどんな餌にも食いつかない。
だから俺から逃げる。
会社に籍を置いてほしい、金がなくなったら働かせてほしい。
我儘放題のクズだが、能力は魅力的だ。
今までなら『遠耳』で探し出していたが、騎士団に殺されたエルの能力が手に入ったことだし、使ってみるのもいいだろう。
「『透過』っと……おお見える」
建物をすり抜ける事もできるし、障害物を無視してその中まで見透すこともできる能力だ。
「お楽しみ中ですか。気楽でいいなあ、ったく」
『抹消』と『嫉妬』を持つキューの屋敷へと、俺は踏み入った。
エリック・ベクシンがこの体の名前だ。まあ、悪くない。
虎壱實 龍瑯という名前も、まあ悪くない。
悪くないというのは、決め手に欠けるという事だ。良くもなく悪くもなく、明け透けに言えば、クソどうでもいい、だ。
この体に思い入れもなければ、元の世界に未練もない。ぶっ潰す予定の世界にマジの名前で存在するってのもダサい。
というわけで、仮名としてアルファベット名乗ることにしたわけだが、こいつらはどうだ。
デリクシス・メーンは緑色の綺麗な瞳を持つ、微笑を湛えた優男だ。サラサラした茶色い髪と薄い唇が、やすやすと男の概念を崩す。現代で言えば、オネエっぽい面ってところか。ナヨナヨした外見の癖に、王家を崩壊寸前にする胆力と気違いじみた行動力を兼ね備えた、骨のある野郎だ。
つい最近までは、当主候補にすら挙がらなかった末弟だ。それが今ではマークネイト州の領主なんだから、人生ってのは何があるか分からないもんだ。
何でも、不慮の事故があって、兄達は悉くくたばり、領主であった父親もぽっくり逝ってしまったそうだ。
貴族が立て続けに死ねば、そりゃあ大事だ。
在領の騎士だと疑惑の調査には不向きだと考えた王国政府は、王都の騎士を派遣したらしい。
結果は、こうして薄ら笑っているんだから、上手くやったって事だ。
優男の横にいる挙動不審な女がアーリアルト・ソンブレロ。ショートカットのババアだ。この世界では珍しく黒に近いブルネットの髪色をしている。近眼なのか、びっくり人間の目ん玉みたくなるメガネを掛けて、せわしなく首を動かしている。
魚みたいな目をした鶏みたいなババアだ。
婦人公社とかいうフェミニスト団体を立ち上げて、市民にそれなりの評価を得ているらしい。まあ、図太さとか鈍感さとか愚直さとか、人間的に好感を持てるところは多い。だが少しでも優しさを見せると、つけあがる癖があるから、飴の使いどころは考えなきゃならん。
この2人は俺と同時に転生した、いわば兄弟だ。何の因果か、マモンが転生させた3人ぽっちの少数精鋭は組織のトップに立つ器らしい。
マークネイト州は控えめに言ってクソ田舎だが、貴族であり領主というのは大きなアドバンテージだ。生きてるだけで数万人の人間どもに敬われ、何をせずとも法律が上級国民だと保証してくれるんだ。法律という枷を作れるし、自分はその法律から逃れることだってできる。
婦人公社という団体はトップの写し鏡で、折れない崇高な目的を掲げて猪突猛進する。目の前に岩盤があればぶん殴って突貫し、巨大な落とし穴があれば大きく迂回してでも目的地まで辿り着く。泥水を被り啜り塗れながらも、市民を昂らせるカリスマ性がある。
アリアにカリスマがあるのではなく、団体にだ。
世界を法の支配から弱肉強食の混沌に移行するには、こういう力が必要だ。努力では得られない血筋とか、市民に植わるイデオロギーがきっと必要になる。
だから当面は仲良くしておきたいものだ。転生した新世界で、死んだ人間の名前を借りるような、常識に従順なやつらだが、笑顔を振りまき、多少の便宜を図って、仲良しごっこをするぐらいには魅力がある連中だ。
俺の望む世界に必要な人間ではないが、俺の望む世界を作るまでは必要だからな。
「マモンから聞いた話だが、第3位階の悪魔が召喚されたらしく、同時にやって来た転生者が数人確認されている」
「具体的な人数は聞いていますか?」
「そこまでは教えてくれなかったな。人数は大したことないんじゃないか?俺たちだって3人だったわけだし」
「まあ確かにそうですね」
「でだ、その第3位階の悪魔は超が付く排他的な奴ららしい。狩る時は注意しろって警告されたわ」
「すみません、1つ疑問なのですが、その悪魔たちと転生者に何の関係があるんですか?」
――おいおい、そっからかよ。ゴブリンめ、なんにも教えてねえんじゃねえの。
「悪魔召喚と転生者の転生はセットだ。悪魔がこの世界に来る時に連れてきた魂が、死体に乗り移って転生完了って寸法だ。悪魔との具体的な繋がりはないが、アイツらからすれば、俺たちはペットだろうな」
「記憶の消去は悪魔に対しても有効でしょうか」
「無理だな。実証済みだ」
「となると、王国や魔教団の目を逸らしても悪魔に目をつけられますね」
「ええええ!そうなの!?」
「お前は黙ってろ。後でデリックに噛み砕いて説明してもらえ」
「よろしくねデリック」
「はいはい」
コイツ、やっぱり頭がよく回る。たぶん、転生した人数をはぐらかしてることも薄々気づいてるんだろうな。そんなことおくびにも出さないところを見ると、結構必死か。
「悪魔と戦って勝てますか?」
「いや無理だな」
「僕ではなくエーさんなら?」
「さあな。マモンの全力さえ見たことがねえから、なんともな」
「だとしたら、戦いを回避する他ないと」
「まあ、そうなる」
「何故、攻撃してこないと思いますか?」
「転生者を見つけられてない。それか既に捕らえたか」
「連れてくる時に首輪ぐらい嵌めていそうなものですけどね」
「ああ。たぶん捕らえたんだろ」
「そ、そんな……」
てめえはてめえの心配をしろよ。ったく、救いようのないお人好しだな。なんでここに転生したのか不思議で堪らんわ。
「エーさん、この際だから伺います」
――――嫌だね。
と断りたいが、許される空気じゃないな。
「何か危惧していることがありますよね。それを教えていただけませんか?」
どこまで明かせばいいのか考えてんだよ。
こうもせっつかれちゃあ、答えようにも辻褄が合わなくなるだろうが。
俺の読みでは、あんどうさえ、って奴は悪魔に何かしらの脅しをかけられたはずだ。
ヴィーの『共有』がいい例で、悪魔は能力を介して思考に入り込むことができる。それが難しいのか易しいのか、身近にいる悪魔のマモンからは推し量れない。だがヒントはくれた。
ボソリと呟いていた「ギリギリだ」という言から、何かに反するから実行していないのだろう。規則ギリギリ、流儀ギリギリ、とか?
つまり、できるけどやってない。
能力は悪魔との媒介になり得るわけだ。
それを使ってあんどうさえを脅迫、ないしは洗脳し第3位階の悪魔たちの捕らえやすい位置まで呼び寄せた、と理解した。
呼び寄せて何をするのか。
召喚者、つまり悪魔召喚をした人間の命令を忠実に守るため。
悪魔自身の目的のため。
この国で悪魔召喚するのは、戦争のためだ。
さっきデメキンババアが言ってた『阻滅の囲い』の中で召喚するってのが証拠で、この国のお偉いさんは、悪魔をしっかり恐れてる。
だから目的外使用はしないだろう。
つーことは、悪魔自身の目的遂行のために転生者にコンタクトを取り、呼び寄せた。
マモンは俺が転生した日、こう言っていた。
「オイラたち悪魔は人間界がカオスになればなる程良いことがあるんだ」
だからその邪魔をする善玉の転生者共を退場させてくれと。
悪魔共は、人間界から秩序を奪うことで何かしらの利益を享受したいが、魔界から人間界へと手を出すことはできない。
だから転生者達を送り込むし、マモンのように贔屓してくれる。
仮に第3位階の悪魔たちが、あんどうさえをその尖兵にしたいと考えているなら、俺たち転生者の動きにいい顔はしないだろう。
だから当面は穏便に過ごしながら静観でいい。要するに目立たないようにする。社員たちの趣味も控え目がいいだろうな。
で、警戒はすべきだ。
悪魔について徹底的に分析し理解し、警戒すべきだ。
情報を整理しよう。
まずマモンの手下は二人の悪魔で、マモンが召喚されたタイミングで連れてきた魂も3つ。俺と、デリック、アリアだ。
「オイラが君に入れ知恵するように、他の悪魔もそうするのが殆どさ。もちろんそれぞれ目的がある」
と言っていたように、位階というグループはそれぞれの思惑がある。それらを推測するには情報が足りなすぎるから、現時点では悪魔に利があるという、世界の混沌、これが悪魔たちの共通目的だとしておこう。
世界の混沌、つまり秩序の破壊は俺の望むところでもあるから、勝手は知っている。
一国の王を殺しても秩序は保たれたまま。仮に全世界の国主を殺しても秩序は崩壊しない。
一筋縄じゃいかないし、人手も時間も大量に必要だ。
要するに、位階とういグループが目的を達成するために必要な部下、つまり転生者は多い方がいいに決まっている。
それでも第9位階に囲われる者が、俺たち3人だけなのは、システム的な理由があるのかもしれない。そうでないなら、厳選したメンバーに絞ったか。どちらにしても、きっちり3人ということは、意味があるとしか思えない。
ここから考えられるのは、転生者の数と悪魔の数はニアイコールである可能性だ。
15人の転生者がこの世界にやってきたならば、第3位階の悪魔もそれだけ、もしくはそれ以上いるかもしれない。
もっと言えば、CSOUの社員の数だけ、悪魔が召喚されている可能性がある。
既に魔界へ帰っているかもしれないし、マモンのように居座っているパターンもある。考えれば切りがないぐらいに、悪魔共の影は近い。
CSOUを設立してから、俺が知る限りでは悪魔からのちょっかいはない。つまり、社員たちの裏にいるであろう悪魔とは、反目する関係ではないということだ。当面気にしなくていいだろう。
だからまずは、最近やってきたばかりの第3位階の悪魔だ。仮説に基づけば数は15人前後いる。
で?
こんなんじゃあ何を警戒したらいいのか分からんわな。顔すら知らんつーの。
こうなれば、第3位階悪魔共の情報収集をして、対策を練ってみるか。バレたら即終了の隠密作戦になるが。
さて、コイツらには何と答えようか。
必要な駒ではあるが、社員ほど重要ではないし、裏切らないとも言い難い。
大雑把に答えとくか。
どうしても助けてほしければ、うちの会社に泣きついてくるだろう。そうしたら護衛を引き受ける代わりに、雇ってやろうっと。
「悪魔だよ悪魔。お互いに気ぃつけような」
「――――ええ、そうですね」
不満気な顔が一瞬掠めた。
そんな顔したってダメなんだよ。
聞きたきゃ、うちに入れっての。
※※※
朝4時に悲鳴で起こされ、コーヒーよりも濃い世情を呑まされて、全く眠れる気がしなかった。
まずは5,000万の仕事。それから第3位階連中への探り、それから社員たちのモチベーションの維持。
やるべきことは多い。
表通りの人が少なくなるのは日が昇った証拠だ。キラキラ輝く魔法の光も太陽には敵わない。軒先から顔を出した店員が、ランタンから光を奪って、伸びをする。
「ああ、エーさん。ご無沙汰ですね」
「おっす。景気は?」
「ぼちぼちですよ。エーさんが来てくれればなー」
「今度な。ところでピーちゃんは?」
「いつも通りですよ」
「そっか。じゃまた」
「いってらっしゃーい」
ヘタレのボルボッサファミリアがここを捨ててから、路端の石ころが可愛くみえるぐらい寂しくなった。冬の夜でも体を火照らせる活気があったはずだが、まあ仕方ない。戦争が始まったんだから、大人しく家に引っ込んでるんだろう。
ぬくもりを忘れた暗い店々を横目に、気張って働いたこの街の馴染みたちと軽い挨拶を交わす。
総じて言えるのは、どこもかしこも開店休業状態らしい。その中でも、俺が仕切る店だけはぼちぼち、と。なんでも戦地からの帰路、恋しくなった体を温めに、騎士が寄ってくるらしい。そんなことなら、戦地に出張でもしてやろうかね。死んでも替えが利くってのは、こういう時にこそ強みになるな。
歓楽街から一本外れた暗い路地裏。表通りとは違い黒な海に浸かっている。
これだけでまず、一般人なら立ち入らないだろう。
もしも、迷い込んだ酔っぱらいがいたなら、コイツを見て逃げ出すだろう。
「待て」
2メートル近い巨漢の髭達磨。暗闇でもその容姿が目に焼き付くのは、突然浮遊しだした青白い火の玉のお陰だ。
「俺だ。ピーに用がある」
「………………主は取り込み中だ」
「さみいんだよ。中で茶の一つぐらいいいだろ?」
「………………聞いてくる」
のっそのっそと溶けるように消えたと思えば、ぬっと姿を現した。
「通れ」
「はいよ。どうもな」
髭達磨から離れた火の玉が俺の前でピタリと止まると、とろりと滑り出して行先を照らしてくれた。
ぼんやり映えるのは黒。壁も地面も風もない。
何度か来たが、慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。数十秒ほどか、のろまに辿り着いたのは一枚のドアだった。
青い炎を辛うじて反射する丸いドアノブは氷のように冷たい。
どうにも歓迎はされてないようだが、構わず捻った。
ドアの隙間から細い明かりが溢れ、闇を消し去る。
広がるのは庶民的で一般的な良くあるディスプレイの部屋。ベッドがあって、背の低いちゃぶ台があって、机と椅子があって、本棚があって。
没個性を表す部屋の中には、前世での鬱積を晴らすように、偏った好みの女が4人いた。
「お久しぶりですエー様」
一括りの髪束を揺らすメガネ女が、洗練された所作でまずはご挨拶。他の3人はといえば、ベッドサイドで何かを隠すように立ち並び、睨みを効かせている。
「久しぶ……」
「本日はどのような御用でしょうか」
主とは話させない、そんな意志をひしひしと感じるメガネ女の態度は、毎度のことといえどもやるせない。
ったく、いい加減信用してくれよ。
「さっさとここは引き払って、会社に住めってお前のボスに伝えてくれるか?」
「我が主の返答は変わりません」
「ずっと引き籠もる、それでいいってことか」
「はい」
出会った頃から変わらない。
マモンに紹介されて向かったのは、王都にほど近い漁村だった。
カモメが五月蝿い岸壁の上にはあばら屋がぽつり、その隣には生活感の残る馬小屋があり、さらに隣には汗と潮の歴史が漂う道具置き場があった。
漁師道具や農具、壊れた鍋やら大きな魚の頭骨やら、雑多に詰め込まれた収納棚よりも目を引いたのは、丁寧に畳まれた網ではなく、その横にあった物だ。
ボロ布を被った男――。
子供一人が横になれるスペースで体育座りをしていた彼こそがピーだった。
フケの混りの湿った前髪越しに、絶え間なく観察するギラついた目が印象的だった。
「俺と一緒に来い。力の使い方を教えてやる」
何かに怯える生物は、息を潜め感覚を研ぎ澄ませて相手の真意を汲み取ろうとする。いつかのテレビ番組で、その挙動を取る虐待された犬がいたのをハッキリと覚えていたから、ピーの目を見て欲しいものが分かった。
「安心できるまで、お前に無理はさせない。信用できるまで、お前の好きなようにしてればいい」
返答は無かった。
考える時間を設けるため、母屋でいびきをかいていたジイさんを殺した。ほんの1分だったが、充分すぎる猶予だったようで、骨と皮だけの素足で道具置き場前に佇んでいた。
決して優しくない岩肌を踏みしめて。
そうして、本格的に魔法を使用して作り上げたのがこの家だ。元は閑古鳥が鳴く酒場で、魔法で改装する代わりに間借りさせてくれと頼み込んで、娼館を建設した。
改装も娼館もボルボッサファミリア的にはNGな内容だったが、そこは手打ちが済んでいた。だからスムーズに運営を開始。
酒場の老夫婦は金の匂いに敏感だったようで、娼館の運営に本腰を入れてくれたのは幸いだった。殺す手間が省けたからな。
娼館は暗い路地からしか入れない場所で、基本的に誰も寄り付かない。酔っぱらい共は、髭面の丸坊主に睨まれて気を失うか逃げ出すかがオチで、完全に現世から離れた隠遁の場になっている。
それでも儲かるのは、老夫婦の頑張りと口コミのお陰だ。
デカデカと看板でも掲げればいいのだが、ピーが異常に嫌がるので、こうしてコソコソと運営している。
「ウチの大事な稼ぎ頭だからなあ、安全を思って言ってるんだが、ダメか?何なら、会社の横にお前の家を作ってやってもいい」
「主は血を見るのが嫌いです。貴方はいつも血の匂いがする」
「巻き込まれないか心配ってことか?」
「そうです」
「信用しきれてない、そういうことか。ならしゃーない」
ピーを殺して能力を奪うこともできる。だが、それをしないのは、単純に俺の身が持たないからだ。
コイツの能力『繁栄』は生物を作ることができる。つまり人間だろうが魔物だろうが、なんだって作れる。そして、赤ん坊でも、老人でも、働き盛りでも、任意の年齢で作り出せる。
ただしそれは器でしかない。
要するに自我がないのだ。つまり人として未熟な状態のまま作り出されてしまうということで、どんなに見た目が成熟していようとも、中身は赤ちゃん。
それを人並みにするには、育てなければならない。長い時間をかけてゆっくりと。
そんな時間はないし、ピー以外に任せる気もない。作った人間を商品にするための教育方法、それから日常的管理のノウハウ、そして廃棄方法まで、一朝一夕にはできないし、ピー以外の社員にできるとは思えない。
だから、ピーは唯一無二の能力者であり、現状のCSOUにとっては必要な人材なのだ。
だからこそ信頼を得られるまでは、ゆったりと進めるつもりだ。焦らずじっくり、確実に勝ち取った信頼の元でピーを働かせたい。今はまだ、甘えた子供がよく分からないまま、生きる為に仕事をしているだけだ。それをいつの日か自分の責任を自覚させてやれば、王国は愚か、世界中に間者を送り込める。
そう、こいつは重宝する、会社の大事な資産なのだ。
第3位階の悪魔にちょっかいを出されたくない。
「じゃあ警告だけしておく。俺が受けた仕事の敵対組織が第3位階の悪魔で、もしかしたら社員が狙われるかもしれない。杞憂で終わればいいが、念の為探りを入れて対策を講じたいと考えている。それまでは、身の回りに気をつけろ」
「ここならバレないでしょう?」
「さあどうだかな。もし俺が付けられてたら?」
「会長がそんなヘマなさらないのでは」
「俺だってミスぐらいする。気を付けろ」
「分かりました。これまで以上に警備を強化します」
「悪魔は転生者よりも遥かに強い、そう考えて行動してくれ」
「――――はい」
聞き漏らさないように、確かな口振りで、一言一句に神経を張り巡らせて、悪魔の脅威を添えた。
この女たちは、ピーが作った人間たちで、一口に説明するのが難しい。
母親であり、1人の女でもあり、姉でもあり、親友でもあり、憂さ晴らしの相手でもあり。ピーの側に侍るということは、それだけ特別ということだ。
多少の感情が芽生えて、主を慮るのなら、最後の言葉に危機感を覚えて諫言をしてほしいものだ。
暗い路地を抜けると日月が煩い。鼻から肺に貯まる空気がこんなに冷たいというのに、嫌味なぐらい煌々と歓楽街を照らしている。
お天道様が見ているってのはよく言ったもんで、脛に傷しかない俺は好きになれない。
あの裏にいる月がずーっと顔を出しててくれればいいのに。
眩しい日月に溜め息を吐いた。
悪魔と敵対するのはずっと先だと思っていた。
国を潰して、世界の均衡を崩して、全ての秩序を壊して、弱肉強食の原始時代に返り咲けば出てくるのだろうと思っていた。
想定以上に早い。早すぎる。
なにもないならそれでいい。権益や目的が対立しなければ戦う必要もない。だから調査をするのだが、これまで通りのぬるいやり方じゃ、通用するイメージが湧かない。
俺たちを転生させる力を持つってことは、いわば神みたいなものだろう。そんな奴を相手に手は抜けないし、ヘマも許されない。なんたって、死ぬのは一瞬だからだ。
CSOU総動員で当たるべきだろうが、表に出てきたがらない奴も数名いる。
ソイツらの説得は多分ムリだ。
ピーは見込みがあったが、その他は……。
とりあえず、すぐに動けそうな奴だけでも会社に引きずっていくか。
酒と香水が漂う歓楽街を抜けて徒歩数十分。潮風が鼻先を刺激する。右を向けば青い海がどこまでも広がり、左を向けば緑生い茂る山がなだらかな傾斜を作っている。
長閑すぎる風景だ。
無駄に広い道と揺れる木々。家々の間隔も距離があって、好きなところに建てましたという有様。そして一面に広がる真っ青な海。
見栄えは最高で、思い詰めた奴らがボーッと散歩してそうなロケーションだが、俺は好かない。
強い潮風と一緒に流れてくる濃い魔力のせいで体調が悪くなるからだ。
この世界に充満する魔力は、場所によって濃淡がある。最も濃いのが海。最も淡いのが世界の果てだ。
地球平面説が、まんま適用された世界がここだと考えれば分かりやすい。世界の最果てには大地がなくて、落ちれば魂ごと消滅する奈落がある。魔力も光も命も、なんでも消してしまうらしい。そんな果てが吸い込んでしまうので、その近辺は魔力が少ない。
魔力が少ないと、体の中に取り込む量も少なくなるので、必然的に魔力不足になるわけだが、取り込み方は他にもある。魔力の多い食物を接種したり、魔力の濃い場所に行ってみたり、雨に打たれてみたり。
だから魔力が少ない場所に大きな弊害はないが、強いて言うならちょっと疲れやすいぐらいだそうだ。
反対に魔力が濃い海の側はほぼ住めない。俺のように体調が悪くなるからだ。それでも好んで住んでる奴らは、ほとんどが転生者の子孫たちだ。魔力を殆ど持たない転生者の子供は、魔力に対する感受性が低く、取り込める魔力が少ないので、海沿いでも平気らしい。
感受性が低いということ自体は欠点だが、逆に言えば魔力に左右されづらいとも言える。
そんなんだから、買い手のいない海沿いにでっかい屋敷を建てられるというわけだ。
もちろん、転生者とはなんの縁も無くて、単純に感受性が低いという現地民もいるにはいるらしいが。
そんな海沿いにまでやって来たのは、すぐに動いてくれるだろう社員が住んでいるからだ。
田舎には似つかわしくない、悪目立ちした洋館の前に行くと、無愛想な少女が一人。門前に佇んでいた。
守衛的な役割なのだろうが、こんな子供に何を衛れというのだ。
そしてこの格好……。
既視感に見舞われながらも、ひとつご挨拶。
「いくら?」
「――――娼婦ならずっと先にいるわよ」
「子供には興味ないわ。火、切らしてんだよ。いくら?」
「え?マッチが欲しいの?え、ええーと100円かな」
「はいよ。釣りはいらん」
「――――1万円だよ?本当にいいの?返さないわよ?」
「ああいいよ。家主に用があるんだわ、いる?」
「居なきゃ、こんな格好しないわよ」
「やっぱアイツの趣味か。開けてくんね?」
マッチ売りの少女は腕にかけていたバスケットを下ろすと、両手で門に触れた。
すると表面が水面のように揺れて、足りない油に文句を漏らしながら、ひとりでに開いた。
「魔法か?」
「魔力を識別して開くの」
「じゃあ……」
「なんの為に居るのかって言いたいんでしょ?見栄え、らしいわよ。意味わかんない」
「――――はあ、意味わからんな。じゃあ、あんがとなー」
この広い屋敷から見つけた出すのは骨が折れる。
奴は気分屋で、金を積んでも女を与えても、乗り気じゃなければどんな餌にも食いつかない。
だから俺から逃げる。
会社に籍を置いてほしい、金がなくなったら働かせてほしい。
我儘放題のクズだが、能力は魅力的だ。
今までなら『遠耳』で探し出していたが、騎士団に殺されたエルの能力が手に入ったことだし、使ってみるのもいいだろう。
「『透過』っと……おお見える」
建物をすり抜ける事もできるし、障害物を無視してその中まで見透すこともできる能力だ。
「お楽しみ中ですか。気楽でいいなあ、ったく」
『抹消』と『嫉妬』を持つキューの屋敷へと、俺は踏み入った。
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