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いざお見合いへ(2)

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「――あの時……」

 感情が高ぶりそうになって、私は言葉を止める。

「あの時、クマのマスコットを拾おうとした私の目の前で、それを蹴ったじゃない」

 でもやっぱり語気が強まった。

「だから何のことだ? そんなこと身に覚えはない」

 藤原晃成も応戦するように、キッと構えた。
 急変した事態に、倉木さんが唾を飲み込んだ。

「見覚えがないって……そんなはず……」

 思わず声が震え、私は口を噤む。
 ここで弱さを見せてはいけない。

「だいたい、岬の遠く離れたところにいたはずなのに、何でわざわざ私のところまで来たのよ?」

 無実を装う藤原晃成に、喧嘩腰で挑んだ。

「あれは君が倒れたまま動かないから、心配になって見に行っただけだ。君こそ、何であそこで倒れた振りをしていたんだ? 全然大丈夫そうだったじゃないか」

 藤原晃成も、声に怒りが混じる。

「倒れた振りなんかじゃないわよ。高所恐怖症で、思うように動けなかったの。それでも、必死でクマゾウを拾おうとしたところで、あなたが蹴って崖下に落としたのよ」
「君の高所恐怖症など、知るわけがないだろ。第一、高所恐怖症の人間が、あんな高所にいる方がおかしい」

 私が悪いの?

 しまいに彼は、高所恐怖症なのに岬にいた私に非がある言い方をする。
 信じられなかった。

「高所恐怖症の人間でも、高所に行くことはあるの。恐怖症を克服したかったら、高所に行くしかないじゃない」

 責任転換させまいと、高所恐怖症の人間が高所に行く権利を主張してみせた。
 突っぱねるように私を見ていた彼の表情が、物珍しさに変わる。

「あなたのお蔭で克服するどころか、悪化してしまったんだから」

 クマゾウを蹴られたことによっていかに精神打撃を受けたか、それによって、いかに高所恐怖症が悪化したかを、責任を説い詰めるように順序立て細かく語った。
 彼の表情が次第に同情に変わる。思い出したように、

「――もしかして、そのマスコットは黒い布のようなもので作られたものか?」

 とぽつりと聞いてきた。

「そうそれ」

 やっぱり確信犯じゃないの、としたり顔で答える私に、

「ただの古ぼけた布か何かだと思ったんだ。わざと蹴ったわけじゃない。岩に飛び移った拍子に、たまたま靴が当たっただけだ」

 と彼が弁明する。

「わざとではないにしても、すまなかった」と謝ってきた。

 意外とすんなり謝られて、私は肩すかしを食らった。
 考えてみれば、私と二十二年の人生を共にしたクマゾウは、使い古され一見古ぼけた布のように見えなくもない。
思ってもみなかった事実だった。

「そういうことなら……」

 いきなり勢いを奪われ、振り上げた拳の行き場に困った。

「そのクマのマスコットなら崖の窪みに落ちただけだ。今から取りに行けば、まだそこにあるかもしれない」

 気持ちの整理がまだ付かない私に、彼が貴重な情報を提供する。

 クマゾウが取り戻せる?

 私の胸に希望の光が灯る。でも、直ぐにあの時の恐怖が蘇り、掻き消された。

「でも、あの場所に戻るなんて無理……」

 私の口からあきらめの溜息が漏れる。
 そんな私に彼が思いがけない申し出をした。

「弁償として、俺が一緒に行って探す」

 彼を責める気持ちが既になくなっていた私は、驚いて顔を上げた。
 藤原晃成の誠実な目が、私を捉える。
 東尋岬までは、車で二時間は掛かる。

「……そこまでしなくても……」

 そこへ、倉木さんが演技がかったようにポンと手を叩いた。

「それはいい考えですね! 初デートとして行ってみてはどうですか? 当結婚相談所ではお見合い直後にデートをするのは禁止しているので、交際が成立した後日に」

 倉木さんの「交際」、「初デート」という言葉が、私の耳に浮いて聞こえる。
 藤原晃成も引っかかったように、倉木さんを見た。

「そろそろ二人にしてもらえますか」
「そ、そうですよね。申し訳ありません。気が利かなくて」

 倉木さんがハッとしたように、伝票を掴んでいそいそと立ち上がる。

「お会計を済ませておきますね。お見合いは一時間以内と決められていますので、早めに切り上げて下さい。良いご報告をお待ちしております~」

 最後の言葉を甲高い声で言い残すと、倉木さんはその場を後にした。
 藤原晃成がその後ろ姿を見守る。
 倉木さんがホテルを出るのを確認すると、立ち上がった。

「今から東尋岬に向かえば、今日中に戻って来られる」
「でも、それはルール違反――」

 私が断ろうとしたとき。

「ここからは、見合いでも何でもない。単なる罪滅ぼしだ」

 彼が既に立ち去ろうとする身構えで、私に言う。

「大切なものだったんだろ?」

 彼と一緒に行くのか、行かないのか。
 言い換えれば――彼との係わりをこの場で絶つのか、絶たないのか。

 まだ躊躇して座っている私に背を向けて、藤原晃成が立ち去る。
 迷う時間もなく、私は慌てて彼を追った。
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