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1巻

1-3

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「思ったことを口にしただけだ」

 彼が静かに答える。そして、おもむろに私の手を取った。
 彼の冷たい手が私の冷たい手に触れている。

「事故の動画を見た時、衝撃を受けた。そこに映っていた君は、今まで会ったどの女性より綺麗だった」

 映画のワンシーンのようだ。
 完璧な演出に、滑らかなセリフ……
 きらめく夜の光を背景に、私は彼に手を握られている。

「――その瞬間、俺は君に心を奪われた」

 整った彼の顔が何かにわずらわされたように一瞬ゆがむ。
 これは夜景の効果?
 彼の手は冷たいのに、ジンとした熱さを感じる。
 出会ったばかりの男の人の手を、私は振り解けないでいた。

「祖父は恩返しとして結婚を提案したが、俺は恩返しではなく、祖父に言われたからでもなく、君と結婚したい」

 ……私は、今彼にプロポーズをされているの? ずっと恋愛なんて頭になかった私が?
 しかも、高御堂英之というスペックが違いすぎる男性に。

「まだ結婚なんて、とてもじゃないけど考えられません……それに、合わないと思うんです」

 頭がいっぱいいっぱいになりながらも、正直に胸の内を伝える。

「何が合わないんだ?」

 彼が私の手を握ったままささやく。
 言おうか言うまいか迷った末に、私は言った。

「……私と高御堂さんの身分が」

 音楽が途切れるように、私の一言で彼がただよわせていたムードが消える。彼の目が点になった。

「今の時代に身分も何もない」
「でも、高御堂家は明らかに上流階級で、私は庶民の家庭で育ったし、価値観とか生活習慣とか、色んな面で絶対違うはずです。私が上流階級の家にとつぐなんて、ありえません」
「高御堂家は案外普通だ。一般の家庭とそんなに差はない」

 彼が言い切った。

「本気でそう思ってます?」

 けれど私の問いに、観念したようにため息をつく。

「確かに、大衆的ではない。でも君は高御堂家のことを何も知らない。なのに、ハナから合わないと決め付けている。育った環境とは違っても、君に合うかもしれないだろ?」

 彼が私を説得し始めた。
 私は口をつぐむ。

「結婚のことは、今すぐに決断しなくていい。試しに俺と付き合って、考えればいいことだ」

 彼は答えを待つように、私を見つめる。
 正直、返事に困った。
 試しにと言われても、男性とお付き合いすること自体、私にとってはハードルが高い。
 付き合ってみて、やっぱり好きになれなかったという苦い経験もあるし。

「と、友達からなら……」

 考えあぐねた末、蚊の鳴くような声で答える。すると、彼が明らかに不満そうに、私を見た。

「男性とお付き合いした経験がほとんどないんです。だから、いきなり付き合うなんて無理です」

 私はキッパリと言う。

「今まで何人と付き合った?」

 彼が興味深げに聞く。

「一人だけ」
「いつ?」
「高校の時」
「大学の頃は?」
「ゼロです。ボランティアに目覚めて、長期の休みには発展途上国でゴミ処理問題に取り組んでいたし、恋愛に全然興味がなくて……」

 マジで? と彼の表情が言っていた。
 恋愛経験がとぼしい人は、今時、珍しくもないのに。

「もっと言うなら、高校の時の人も付き合っていたというより、一緒に登下校していただけでした」

 それが何か? と私は開き直る。
 すると予想に反して、彼がフッと笑った。

「だったら、俺の家に住んでみるといい」

 あまりにも自然にそう提案する。
 私は一瞬思考が止まった。

「ええーっ? どうして、そうなるんですか?」

 彼の言葉をようやく呑み込むと、異議を唱える。

「君に高御堂家が合うかどうか、判断してもらうためだ。その間に俺とも交流できる。それに、俺の家は君のアパートより君の職場に近い」

 至極当然のことのように、彼は言う。

「引っ越しするなら、今週末がいい。業者も手配しよう」

 唖然あぜんとする私を他所よそに、スマートフォンで予定をチェックしながら計画を進めていこうとした。

「ちょ、ちょっと待って。私はまだ高御堂家に住むと決めてません」
「いつ決まる?」

 彼が間を置かずに聞く。
 いつって――

「難しく考えるな。家には空き部屋がたくさんある。シェアハウスだと思えばいい。住んでみて嫌だったら、すぐ出ていっても構わない。費用は全て俺が持つ。君に損はないはずだ」

 左手は彼に握られたままだ。
 彼の手は相変わらず熱くて、酔わせるように私の感覚を鈍らせる。
 全てが非日常的で、これは夢かもしれないと思いそうだ。

「三日後……?」

 それが十分な時間なのかも分からずに答えていた。

「いいだろう。三日後に連絡する」

 彼が私の手を自分の唇に近づける。
 何をされるのか見当もつかない私の手の甲に、彼の唇が触れた。

「――ッ」

 ビクッと引っ込めようとした私の手を彼は逃さない。逃さずに――

「いい返事を期待している」

 たった今口付けた箇所を、指でなぞる。
 その行為は誰にも感じたことのない、未知の感覚を私に送ったのだった。



   三


 朝なのにまだ夢の中にいるみたいに、頭がボーッとしていた。
 いつもなら目覚め良く、ぐに体を起こせるのに、今朝の私はベッドの中でぐずついている。手を伸ばしてベッドわきの棚から、体温計を取り出した。
 体温を測ると、三十六度五分。平温だ。
 仕方なくノソノソ起き上がり、洗面所に向かう。
 熱っぽさの原因は分かっている。
 昨夜、手の甲にされた彼のキスだ。
 挨拶あいさつ程度のキスで、こんな微熱のような感覚が続くなんて……よほど私は免疫がないの? 
 ちょっとヤバくない? 五ヶ月前に、二十三歳になったというのに。
 寝癖がついた自分の顔を鏡で見ながら、不安になった。
 もしかして、男性に免疫を付けるためにも、高御堂家で暮らしてみたほうがいいのではないだろうか?
 ふとそんな考えが頭に浮かぶ。
 いやいやいやと、私は慌てて否定した。
 こんな突拍子もない話、どう考えても断るのが正解だ。社会人という自覚を持って判断しないと。
 これが一日目の私の答えだった。
 二日目は心に余裕が出てきたのか、高御堂家での日常生活に関してアレコレと想像を巡らせてみる。
 ご馳走になった時はかなり豪勢だったけど、普段はどんな食事をしているのだろう、とか。あんな大きな家だったら、お風呂は温泉のようにかなり広いだろうな、とか。
 そして、彼らの生活を垣間見かいまみるのも悪くないのでは、と思ってしまい、ちょっと待った、と自分を止めた。
 仕事中なのに、手の甲にされたキスを思い出して、一人であせってしまったではないか。
 それに、どうして彼が私に執着しているのかも分からない。
 動画を見て心を奪われたと言われても、到底本気だとは……
 やっぱり彼から連絡が来たら、断ろう。
 当然、二日目も私の答えは変わらなかった。
 彼に返事をしなければいけない三日目。
 左手を無意識に見ながら職場の給湯室でコーヒーが落ちるのを待っていると、水野所長がやってくる。

「左手がどうかしたの? ここ数日、すごく気にしているみたいだけど」
「ええっ? 全然気にしてません」

 私はいけないものでも見られたかのように、左手を後ろに隠す。

「そう?」

 水野所長は私の過剰な反応を気にせず、私と自分のマグカップにコーヒーを入れる。そして、そのコーヒーを口にし、フゥーと一息ついた。

「御曹司に何かされた?」

 コーヒーが私の口からブッとこぼれ、ダークカラーのセーターを汚す。

「な、何もされてないです。どうしてそんなこと聞くんですか?」

 あらあらと水野所長に渡されたペーパータオルで、私はセーターの汚れを拭き取った。

「顔が赤くなっているからよ」

 私って分かりやすすぎ。

「良かったら相談に乗るわよ?」

 セーターを拭き終わった私に、水野所長が申し出てくれる。
 正直、迷った。
 彼への返事は決まっている。当然NOと言うべきだ。
 はっきり答えは出ている。出ているのに――
 なぜか私の心が揺れ動く。どんなに正当な理由を並べても、本当にそれでいいの? と問う自分がいた。
 でも、上司に相談することではない気がする。友達とも恋愛関係の話は滅多にしないのに。
 ただ、友達は私と似たり寄ったりで、恋愛より趣味に走る女子ばかりだ。ごくたまに恋バナになることはあったが、私はいつも適当にはぐらかしていたし。
 もしかすると、そのツケで今、悶々もんもんとしてしまっているのかもしれない。
 ならばこの際、経験豊富な水野所長に真っ当な道に導いてもらって、迷いを断ち切ったほうが――

「実は――」

 彼のことを話そうとした時、武田先輩が給湯室に入ってきた。

「聞いた? 亀蔵がアメリカの蒸留酒大手メーカーを買収したってニュース。すげえよなー。俺、高御堂英之がうちに寄付をして以降、亀蔵の動きから目が離せなくてさー」

 彼の大声で、不意にその場が騒がしくなる。

「今夜、一緒にご飯でも食べましょ」

 もう恋愛相談はできないなと思っている私に、水野所長が耳打ちする。
 私はうなずいて、デスクに戻った。


 九時間後、定時になるや、私は水野所長と近くの居酒屋に向かった。
 事故の詳細に始まり、高御堂家にほぼ強制的に連れていかれたこと、上から目線で結婚を押し付けられていること、高御堂英之に一緒に暮らしてみないかと誘われていることなど、全てを話す。
 カウンター席とテーブルが一つしかない、こぢんまりとした空間に水野所長の笑い声が響いた。

「笑ってしまってごめんなさいね。花音ちゃんは困ってるのに」
「でも、こんなの笑うしかないです」
「で、花音ちゃんは、高御堂英之のことをどう思ってるの?」

 水野所長が、私の盃にお酒を注ぐ。

「そりゃあ、イケメンだとは思いますけど、出会ったばかりの人に恋愛感情を抱くなんて、ありえません。過去に男性を好きになったことも、きっとないのに」
「そういえば、大学一年の頃からうちの団体に関わっているけど、花音ちゃんの恋愛話なんて聞いたことなかったな」
「恋愛とはずっと無縁でした。だから、心を奪われたと彼に言われてもピンと来なくて。人を好きになるという感情がイマイチ分からないというか。しかも、動画を見て一目れって……彼は女性慣れしてるみたいで告白も完璧だったし、嘘なんじゃないかって気がするんです」

 苦手だと思っていた恋バナだけど、水野所長に話してみると、案外すらすらと言葉が出てくる。温かい日本酒の力も借りて、私はいつもよりオープンになっていた。

「そうは言うけど、彼のことを思い出して顔を赤くした花音ちゃんは、可愛かったわよ? 普段も可愛いんだけど、なんていうか、もっと女の子っていう可愛さが出てた」
「えっ、私可愛くなんか……モテないし」
謙遜けんそんしない。モテないのは、花音ちゃんが恋愛に興味がないせいよ。出会いもないし……私は高御堂家に飛び込んで、当たって砕けてもいいと思う」

 水野所長はそう言って、おでんの大根を美味おいしそうに噛み締める。
 断るように後押ししてくれると思っていた私は、面食らった。

「……本当に思ってます?」
「絶対そう思う。私も昔あったのよ。まだ恋愛もそんなに経験してなかった頃に、手の届かないような男性に誘われたことが。初めは彼の手を取るのも勇気がったけど、彼の胸に飛び込んでみて世界が広がったわ。結局破局しちゃったものの、その経験があって今の旦那に落ち着いたの」

 水野所長が幸せそうに微笑ほほえむ。

「花音ちゃんが迷っているのは、自分の殻から抜け出したいと思っているからじゃないかしら」

 その言葉で、私の気持ちに閃光せんこうが走った。
 モヤモヤの原因はまさにそれだ。
 だからいくら自分を納得させようとしても、それでいいのかと疑問を感じてしまうのだ。

上手うまくいけば、万々歳。駄目でも、それをバネに女を上げればいいじゃない。もし何か問題があったら、うちの理事の弁護士に訴えてもらうから」

 水野所長が力強く、私の背中を押す。
 その後、熱燗あつかんとおでんで温まった私と水野所長は、お店を出た。
 私はその温かさが消えないうちに、自分から高御堂英之に連絡する。
 高御堂家で暮らしてみます――と。
 彼から電話で返事が来たのは、その直後だった。


  ***


 私が高御堂家に引っ越したのは、まだ真冬の天気が続く二月初旬。彼と食事に行ってからたった四日間しか経っていない、土曜日の夕方だった。
 返事をした翌日に引っ越したわけは、彼の押しに負けたのと、引っ越し作業が超簡単だったせいだ。
 キッチン用品は必要なかったし、いつでも戻れるようにアパートはそのままキープするから、衣類を荷造りするだけで済む。業者の手配も断り、大きなスーツケース二つと段ボール箱一つを持って移動した。
 タクシーで高御堂家に着くと、キヨさんと門松さんが迎えてくれる。

「あなたの歓迎のための晩餐ばんさん会が一時間後にありますから、それなりの服装に着替えて、一階に下りてきてください」

 早速私を部屋に案内すると、キヨさんがきびきびと予定を告げた。
 門松さんに荷物を全て運んでもらった私は、自分のアパートよりも広い部屋を見渡す。
 高いごうてんじょうに、バルコニーへ続く大きな格子窓。板床と壁の腰の高さまで貼られた木のパネルが、大正レトロを感じさせる。
 服や小物をクローゼットにしまうと、私は部屋の片隅にあるもう一つのドアが気になった。
 クローゼットや部屋の入り口のドアと違って、アーチ型になっている。
 何のドア? 
 好奇心が湧き、ドアノブに手をかけた。
 開けると、ドアの向こうに更にドアがある。
 二重ドアなんて、パニックルームみたい。
 ドキドキしながら奥のドアを開ける――
 そこにいたのは、半裸の高御堂英之だった。
 ギャーという私の悲鳴がこだまする。

「ここは俺の部屋だ。いて当たり前だろ」

 高御堂英之が耳をふさいだ。

「ご、ご、ごめんなさい!」

 すぐに私はドアを閉め、バクバクしている心臓を手で押さえる。直後、ジーンズしか穿いていない彼が、ドアを開けて私の部屋に入ってきた。

「このドアがあなたの部屋に通じてるって、知らなかったんです!」

 キャーと彼の半裸を見ないように顔を手でおおい、私は必死で弁明する。

「この部屋は、俺の未来の妻用だ。だから部屋が続いている。悲鳴を上げないなら、いつでも俺の部屋に入ってきていい」

 慌てふためく私に彼が近づいてきた。

「う、上に何か羽織はおってくれますか?」
「重症だな」

 彼が尚も近づき、私は足がもつれて床にしりもちをついた。「大丈夫か」と彼が手を貸してくれる。
 彼に手を握られるのは、これで二回目だ。
 その事実を過剰に意識して立ち上がると、堅そうな裸の胸に直面した。
 心臓が爆発寸前になる。
 高御堂家に着いてまだ一時間も経ってないのに、こんな試練にさらされるなんて!

「も、もう大丈夫なので、手を離してください」

 そう懇願しているのに、彼は私の手を離さない。

「嫌だと言ったら?」

 面白がるように、口の端が上がっている。
 私から目を離さず、私の手を自分の顔に近づけると、彼は甲に口付けをした。
 唇で触れるだけでなく、肌をめる。

「や……」

 なまめかしい感触に、私の口から無意識に声が漏れた。
 今までに出したことのないつやのある声が――その瞬間、彼の目が熱をびる。
 ……気がした。
 けれどパッと彼は手を離す。

晩餐ばんさんの時間だ」

 急に素に戻ると、自分の部屋に帰る。
 パタンとドアが閉められた。
 初っ端からこんな感じで、ここで生きていけるのだろうか?
 私はヘナッとその場に座り込んだのだった。


  ***


 一階のダイニングルームは、天井からシャンデリアが下がり、壁に高御堂家の先祖と思われる白黒の写真が飾られた、豪華な部屋だった。
 十八席もある長いテーブルの端に、私は高御堂英之と並んで座り、向かいには彼の弟明之あきゆき君が座って、会長が来るのを待っている。背後には薄桃色の着物を着たお手伝いの丸井まるいさんが控え、テーブルの上にはちょっとした前菜と食前酒が準備されていた。

「花音ちゃんって、俺より四歳年上なんだ。全然見えないね。同い年かと思ったよ」

 明之君は、高御堂英之を可愛いバージョンにしたような、人懐っこい十九歳の男の子だ。私のことをいきなりちゃん付けで呼び、高御堂英之に注意される。
 初対面なのに、距離感が近い。

「苗字で呼ぶなんて、ダサいだろ。会長も花音ちゃんって呼んでたじゃん」

 この家では高御堂会長のことを、おじいちゃんではなく会長と呼んでいるらしい。

「花音ちゃんでいいです。英之さんも私のこと、呼び捨てですし」

 私が弟の肩を持つと、高御堂英之が面白くなさそうに口を閉ざす。

「恩返しなら、俺と結婚しない? 花音ちゃんみたいな女の子、タイプなんだ。歳は俺のほうが近いし、絶対兄貴より気が合うよ」
「まだ酒を飲めないガキは黙れ」

 高御堂英之が冷淡に毒を吐く。
 冗談なのに、そこまで言わなくても……

「でもマジで兄貴はやめたほうがいいよ。花音ちゃんとは別に婚約者もいるし、ヤバイヤバイ」

 続く明之君の言葉に、私は高御堂英之を見た。

「婚約なら解消した。幼少時に親族が勝手に決めた婚約で、相手の女性とは付き合ったこともない。気にとめなくていい」

 高御堂英之が明之君をにらんだ後、私に説明する。
 親族が婚約を決めるなんて。しかも幼少時に。やっぱり世界が違う。現代の一般人にはありえないことだ。
 感心していると、群青色ぐんじょういろのちゃんちゃんこを着た会長が、執事らしい黒服を着た門松さんとやってきた。
 会長の水戸黄門みたいな頭巾ずきんを見るなり、私は呆気あっけにとられる。
 会長の強烈な個性がきわ立ち、似合っているといえば似合っているけれど……そんな時代錯誤さくご頭巾ずきんかぶっている人がいるなんて!
 けれど、明之君と高御堂英之はスルーしている。それならと、私も彼らを見習って気にしないことにした。
 会長は門松さんが引いた椅子に威風堂々いふうどうどうと座る。
 格式張った手順で、徳利とっくりが丸井さんから門松さんに渡され、会長が盃を手に取った。日本酒が清らかな音を立てて注がれる。
 順に私と高御堂英之の盃にも徳利とっくりで日本酒が注がれ、丸井さんが会席料理風に綺麗に盛られたお料理を、説明を交えて運んできた。
 一応、フォーマルなワンピースにカーディガンを着ているが、思った以上に仰々ぎょうぎょうしい。 
 会長による私への歓迎の挨拶あいさつが終わると、四人での食事がおごそかに始まった。


  ***


「――家の案内はもう済んだ? まだだったら、俺が案内してあげるよ」

 歓迎会がお開きになって会長がいなくなり、高御堂英之も電話で席をはずすと、明之君が親切に申し出てくれた。

「まだです。つい先程着いたばかりなので……お願いし――」
「俺が案内する。明之は大学の試験で忙しいだろ」

 ちょうど高御堂英之が戻ってくる。
 けれどスマートフォンが再び鳴り、彼は舌打ちをした。

「残念ながら、俺は案内をできそうにない。丸井に頼む」
「試験なら余裕だから、俺が案内するって」

 そう言う明之君の言葉を無視して、テーブルの片付けを始めた丸井さんに私の案内を頼み、高御堂英之は部屋から出ていった。

「案内はやっぱり明日に……それより、片付けるのを手伝います」

 明之君に案内してもらうと何か都合が悪いのだろうと、私は立ち上がる。

「大丈夫です。これは私の仕事なので、花音さんに手伝っていただくなんて、キヨさんにしかられます」

 冗談めかしながらも、丸井さんはきっぱりと断った。

「この家では、お手伝いさんの仕事は感謝はしても手伝うな、というおきてがあるんだ」

 明之君も冗談みたいなことを、真顔で言う。

「片付けは後でもできるので、案内しますよ。早いほうが、迷わなくて済むでしょう?」

 メガネをかけ髪を後ろにまとめた丸井さんが優しく微笑ほほえんだ。
 私はその厚意に甘え、案内してもらうことにした。


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