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第二章 公爵は身代わりの花嫁に接近したい

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三木は物置を出ると、そこに立っている龍迫に一瞬息を飲んだ。
そして、初めて屋敷の主を睨んだ。
龍迫はその力強い瞳が使用人ではなく、1人の男として睨んでいる事は一瞬で把握をした。

「この家の全ての男が恵麻様を自分の妻に迎えたいと思っています」

「却下」
低く牽制するように言う三木の声に龍迫はより低い声で答える。
本当であれば。
婚姻関係がある以上。
“ふざけるな!”
”貴様はクビだ“
そう言い放つ権利はある。
しかし、龍迫は言えなかった。
初対面での、恵麻に行った言葉。
今までの自分の言行は、怒るに値しないことを自覚していた。

あー、もう。
屋敷の主に三木さんはなんて事をいうのかしら?
クビになるわよ。
めんどくさいなぁ。公爵様はいつからそこにいたのかしら?それとも、タイミング悪く通りかかったのかしら?
2人の会話に恵麻はため息をつく。
「寝言は寝て言わなきゃダメよ」
恵麻は深いため息をついてから物置を出ると、小さく首を左右に振りながら三木の肩をぽんっと叩く。
そして、顎をひょういっと前に出てこの場をどうにかしてあげるから去りなさいっという合図を送るが。
三木は従わない。
チラリと恵麻を一瞥はしたものの龍迫を睨みつけていた。
龍迫は龍迫で三木を見つめる。
一触即発ね。
どうしようかしら?
三木さんは絶対に動かなそうだから、こうなると・・・。
無謀だけれど公爵様をどうにかするしかないかしら?
恵麻は龍迫を見ると両手を体の前で合わせ、頭を下げようとした瞬間だった。
すっと、両手を握られたかと思うと恵麻の体は宙に浮く。
しかし、まるで、ダンスにでも誘うような優雅さと優しさで体が浮くが手にも腕にも痛みがない。
気が付くと、恵麻の背は壁に付き。
右頬の真隣に龍迫の手、正面に龍迫の胸板が目に入った。
当然、龍迫は服を着ているものの。
その胸板、腕、全てにおいて引き締まり、逃げられないことは確認するまでもなかった。
うわぁー。
人生で初めての壁ドンだわ。
壁ドンって彼氏とか、される女の子の好きな相手がするから絵になるし。
少女漫画でドキドキ、ラブラブシーンの王道になるんだろうけれど・・・。
この公爵様の鬼のような形相。
この後の展開は胸倉掴まれて、ぶっ飛ばされとかかしら?
あーあ。殴るのだけは勘弁してほしいわ。
精神的な、心の暴力だけにしてほしい。
覚悟を決め、歯をしっかり食いしばり目を瞑るが待てど暮らせと物理的な攻撃も精神的な攻撃もどちらも来ない。

「公爵様?」

悲しそうな、思いつめるような顔をする龍迫に恵麻は顔をあげしっかり目を合わせて首を傾げる。
そんな恵麻に龍迫は壁から手を離したかと思うと、背を向け恵麻の手を引っ張た。
普段なら体制を崩さないが、龍迫から攻撃にされると思い心頭滅却。
攻撃されても、痛みを感じにくいよう身を固くして身構えていただけに恵麻は思いっきり大勢を崩し、前のめりになる。
「きゃっ」
小さな悲鳴を上げ、床に投げ飛ばす気だったのかと目を瞑るが待てど、やはり待てど暮らせと痛みはどこにもない。
その反対に温かいモノに包まれた。
目を開けると、龍迫は恵麻を宝物のように大切に。
触れれば壊れてしまう繊細なガラス細工のように抱き上げていた。
「ご主人様?恵麻様?恵麻様、お怪我?」
「恵麻様?え?ご主人様?ご主人様が女性をお姫様抱っこ?」
すれ違う使用人達は皆、驚きの声を上げていた。
そんな声を無視して龍迫がヅカヅカと向かうのは、有栖川公爵家の正妻の部屋。
龍迫の隣の部屋だった。
そんな部屋のドアをぞんざいに龍迫は足でドアを蹴り破るように開けると、中に入り部屋のソファーに恵麻を座らせる。

「あ。あの。申し訳ございません」

とにかく、謝っておこう。
恵麻はソファーから滑り落ちるように床に座り込み、手をつき詫びる。
龍迫は細くすらっとしているが、抱き上げられたその感覚はしっかりと男性のもの。
鍛え上げられたその体は鋼のように固く、絶対に逃げられないことを確認する。
手を挙げられるとは思えないが、彼が意を決して“何か”をしようとしているのだけは分かる。
恵麻が普通の家庭環境で育ってきた娘であれば、頓珍漢とんちんかんな解釈はしないだろうが。なにせ、彼女は虐げられてきた。
罵倒され、罵られ、迫害されてたことは記憶にあれど。
愛されたことも、心配されたことも、謝られたこともない。
何も悪い事をしていないにも関わらず詫びる恵麻の前に龍迫は胡坐をかいでどっかりと座り込んだ。
龍迫は恵麻とは対照的だった。
両親に愛され、周囲に必要とされ、いつも求められ、尊敬されて育ち。
そして、彼自身が天才でもあり秀才でもあったために謝った事がなかったのだ。
あまりにも距離が近く、土下座の先は龍迫の膝の上になってしまうので恵麻はそのまま星座をして事の展開を待つのだが。
「・・・公爵様?」
相変わらず龍迫は黙り込み続け、ちらりと恵麻は静寂を打ち破った。
顔を上げると、龍迫は鋭い目で恵麻を見続けていた。
あぁ、やっぱり殴られるかしら?
最後に殴られたのは10歳になる前。
それ以降は、上手に立ち居振舞うことができ殴られたことなんてなかったけど、本当に痛いのは嫌だわ。
まな板の上の鯛。
どうにでもなれと、腹を決め、目を閉じるが痛みはやってこない。

キスじゃないよな。
目を閉じて大人しくしているこの様子は・・・。
キス待ちじゃないよな。
龍迫は恵麻をじっと見る。
触れたい、抱きしめたい。
自分の周りにいる女は常に俺に気に入られ、俺に好かれようとしていた。
自分の前で目を瞑る女は、キスをせがむやつだけ。
俺はこんなに“ご都合主義だったのか?”
「どうぞ、お殴り下さい」
静かに言う恵麻に龍迫は歯を食いしばり、意を決すると口を開いた。

「すまない」

今にも泣き出しそうな、悲しく後悔に満ちた声。
「え?」
小さく驚き、恵麻は顔を上げると龍迫は恵麻に向かって頭を下げていた。
「申し訳ない!」
ハッキリ聞こえるように再び龍迫は謝る。
「頭をお上げください」
「許してくれとは言わない。許してもらえるとも思わない。この部屋を使ってほしい。少し時間をくれないだろうか。今すぐ、出て行かないで欲しい」
三木に対して、“自分の手掛けている事業が落ち着いて。後、3か月たったら出ていく”と言っていた。
龍迫は能津伯爵領を調べると、恵麻は確かに伯爵家の人間として政策を多数行っていた。
「ご主人様。どうされたんですか?一服、盛られたのですか?」
理不尽に謝ることは何度もあっても、人生において誰かに謝られることは初めてだった。
しかも、誤っている相手は地獄の番人と名高い有栖川公爵。
彼は白のモノでも黒に変え、黒のモノでも白に変える。
自分の意のままに物事を的確に決め、間違いなどしない。
驚き毒でも盛られたのかと心配する恵麻に龍迫は頭を下げ続ける。
「頼む。少し俺に挽回する時間をくれないだろうか。一年、いや、半年でも一か月でもいい。頼む」
「皆さん、集まって。お医者様!お医者様をお願いします。公爵様、頭をどこかで打たれたわ」

恵麻は完全に狼狽えた。
今まで誰かに謝られたことなど、人生において一度たりともなかったのだ。

慌てふためき、医者を呼ぶべく立ちあがった恵麻の両腕を龍迫は優しく掴んだ。
その眼差しはまっすぐで、一度目を合わせると吸い込まれるよう。
嘘偽りなく後悔していることが分かった。
そして、それは、恵麻も気が付いていたのだ。
この家に来て、翌日から昼と夜の食事は日に日に最高級の物が提供されていたし。
寝具や服も誰が見ても上質の物を渡されていた。
今朝においては訪問後に花を送って来たのだ。
ただ、それが。
王族の姫君も嫁ぐほどの名家で財産が余っているからなのか。
それとも、恵麻が噂のような女ではないから使用人が気を使っていたのか。
はたまた、龍迫が指示をしたものなのかは分からなかったが、一人の人間として大切にされているのは分かっていた。
「公爵様が私を大切にしてくださっているのは、分かっていましたよ?屋根裏部屋にいろんな家具や衣類を下さっていること。飯田さんや岬さんを筆頭に皆さんが良くしてくれているのは、公爵様の好意です」
「すまない。俺は会った早々、酷い事を言った。噂や偏見でモノを言った。すまない。頼む。・・・この部屋に住んでほしい。初日の事をどうか・・・挽回させてくれ」
許してくれでもなければ、挽回させてくれ。
この人は面白い。
普通ならば、許して欲しいとお願いするのに。
お願いではなく、実力で挽回するという。
「ありがとうございます。ご主人様が要らないとおっしゃられるまで、利用価値が無くなるまでありがたく住まわせていただきます」
お前を。
恵麻を要らないなんて、誰が言う者か。
利用価値がなくなる?
誰が恵麻を利用するものか。
時間を巻き戻したい。
もしも、神様がいるのだとすれば・・・。
時間を巻き戻してくれ。
龍迫は願うが現実世界には神様なんて存在も無ければ、時間を巻き戻す秘密の道具的なモノもない。
2等身の青い元猫的な設定のロボットは存在しない。

「私がここで生活をするのは良いですが。お客様がいらしたときは・・・」
「ホテルでも手配すれば良いだろうし。今まで、この家に仕事以外で人がきたことがあったか?」
「記憶する限りではないですね」
「俺に泊まりに来るような友達がいると思っているのか?」
その問いに恵麻は固まる。
そう言えば、仕事仲間はいれど友達がいる気配がない。
「・・・友達は今から作りましょう!大丈夫です!にっこり笑うことは・・・無理でも。今のように優しく話すことは出来るお方!まだ、公爵様は28歳。人生平均は約80歳。今から友達を作っても遅くはないです!目指せパジャマパーティーですよ!」
恵麻の謎な励ましに龍迫はぷっと小さく噴き出した。
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