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91.番外編SS 看病
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今年の夏は、とにかく暑かった。
たこ焼きを売るのにも命懸けだ。屋根があるからといって、暑くないわけない。じりじりと灼熱の太陽に焼かれて、日焼けもひどいが、知らず知らずのうちに体中の水分が蒸発する。
その日はなぜか昼前から客足が途切れなかった。たまにある、そういう日。水分を取ることもできずにひたすら小麦粉でできたまん丸の球体をひっくり返し、転がし、位置替えして、待っているお客へ手渡す。
やっと一息ついた時には、もう手遅れだった。血液が沸るような感覚と、激しい頭痛……熱中症の症状が現れた。
慌てて水分補給をして店を閉めて、事務所に連絡を入れてマンションへと戻った。
たこ焼き臭がする住人はきっと自分だけだろう。このマンションは俗に言う成功者が暮らす建物だ。
スケと暮らす部屋の前に立つ。意識が朦朧としていて、タッチキーが上手く鞄から取り出せない。ラグジュアリー丸出しの扉に頭を預けて、どうにか解錠すると玄関に雪崩れ込んだ。
ほっとしたせいか、足にうまく力が入らない。夏だというのに、悪寒が止まらない。寒い。やばい。
靴をなんとか脱いだところまでは覚えている。そこからは沼に沈むようにゆっくりと意識が落ちていった。
目が覚めると、見慣れた寝室の天井が見えた。ベッドサイドには金属製の棒、透明な薬剤の袋……あれは、生理食塩水か?
額には濡れたタオルが置かれていた。ずれ落ちそうなタオルを掴もうとするが、腕が随分と重たくて動けなかった。下を見ると、腹回りにスケが纏わりついていた。
病人を抱き枕にするな。鬱陶しい。重い。
時計を見ると夜中の二時を過ぎていた。
スケは手を握りしめて眠っていた。スーツのまま、風呂も入っていない。疲れているように見えるのは気のせいじゃないだろう。きっと、何も知らずに帰宅して、玄関で倒れている俺を見て医者をよんで看病してくれたに違いない。
申し訳なくて、大きく溜息をついた。
「悪りぃな、びっくりしたろ」
スケの赤い髪にそっと触れる。熟睡していることを確認すると、大胆に手櫛で髪を梳いてやる。男らしい鼻筋が見える。
悪友から親友になり、恋人になった今。
今になってみれば、ずっとスケという人間に惹かれていた。他人に興味がないのは相変わらずだが、自分を見つめる視線に熱が篭っている時、たまらなく嬉しい。
完全なる独占欲だ。
「なんでこんなに惚れちまったんだか……」
「……それ、本当?」
いつのまにかスケの目がぱっちりと開いていた。思わず喉の奥がひゅっと鳴った。
詐欺だ。今目覚めたのではないのが分かる。いや、最初から眠ってなんかいなかったのかもしれない。この赤だぬきが。
慌てる壱也を置いて、スケは枕元からミネラルウォーターを取り出すと、徐ろに飲み始めた。何口か飲み込むと、突然身を屈めて口付けた。
「っ……⁉︎」
驚きはしたものの、注ぎ込まれる水をゆっくりと飲み込んでいく。乾燥していた喉は与えられる潤いを甘受する。
嚥下し終わるたびに、スケが唇を舐めるように離れると、繰り返すように水を口伝いに与えてくる。
まるで甲斐甲斐しく世話を焼く親鳥のようだ。そして、それを大人しく受け入れる俺もすっかり毒されている。
口伝いで飲む水はひどく甘い。水がもっと欲しくて舌を伸ばすと、優しく吸われてしまう。
いつのまにか水はなくなり、荒々しく口付けだけが続く。何もかもを食べ尽くすような深く口付けに頭が痺れた。顎を伝うものが唾液かこぼれ落ちた水か区別がつかない。
ただ、唇を離したくなくて貪欲に求め合う時間。
スケに強く引き寄せられた時に、点滴に繋がれた自分にようやく気が付いた。
ハッと気づき胸を強く押すと、口元を袖で拭った。
「病人、に……こんなことすんなよ……」
「イチだって、夢中になってた」
「うっせぇ、黙ってろ……」
「じゃあ、二人とも黙ろっか?」
スケは名案だと言わんばかりに膝を打つとベッドに横になった。鼻先が触れ合う位置はもどかしくて、腹立たしい。
「くそ……」
掌の上で転がされている……分かっていても。抗えない。
壱也は顎を上げて自分から唇を重ねた。スケが微かに笑った気配がしたが、無視を決め込んだ。
あーはいはい。俺はどうせ簡単で単純な男だよ。悪いな。
互いの唇が触れ合っている感覚だけが支配する時間。
感情が唇から伝わってくるだなんて、恋情で頭がおかしくなった奴らの戯れ言だと思っていた。
間違いなく、伝わってくる。誰よりも、俺は愛されている。
スケの指が壱也の頭を撫で、壱也の指がスケの頬に触れた。
微かに微笑み合うと、二人は静かに眠りについた。
たこ焼きを売るのにも命懸けだ。屋根があるからといって、暑くないわけない。じりじりと灼熱の太陽に焼かれて、日焼けもひどいが、知らず知らずのうちに体中の水分が蒸発する。
その日はなぜか昼前から客足が途切れなかった。たまにある、そういう日。水分を取ることもできずにひたすら小麦粉でできたまん丸の球体をひっくり返し、転がし、位置替えして、待っているお客へ手渡す。
やっと一息ついた時には、もう手遅れだった。血液が沸るような感覚と、激しい頭痛……熱中症の症状が現れた。
慌てて水分補給をして店を閉めて、事務所に連絡を入れてマンションへと戻った。
たこ焼き臭がする住人はきっと自分だけだろう。このマンションは俗に言う成功者が暮らす建物だ。
スケと暮らす部屋の前に立つ。意識が朦朧としていて、タッチキーが上手く鞄から取り出せない。ラグジュアリー丸出しの扉に頭を預けて、どうにか解錠すると玄関に雪崩れ込んだ。
ほっとしたせいか、足にうまく力が入らない。夏だというのに、悪寒が止まらない。寒い。やばい。
靴をなんとか脱いだところまでは覚えている。そこからは沼に沈むようにゆっくりと意識が落ちていった。
目が覚めると、見慣れた寝室の天井が見えた。ベッドサイドには金属製の棒、透明な薬剤の袋……あれは、生理食塩水か?
額には濡れたタオルが置かれていた。ずれ落ちそうなタオルを掴もうとするが、腕が随分と重たくて動けなかった。下を見ると、腹回りにスケが纏わりついていた。
病人を抱き枕にするな。鬱陶しい。重い。
時計を見ると夜中の二時を過ぎていた。
スケは手を握りしめて眠っていた。スーツのまま、風呂も入っていない。疲れているように見えるのは気のせいじゃないだろう。きっと、何も知らずに帰宅して、玄関で倒れている俺を見て医者をよんで看病してくれたに違いない。
申し訳なくて、大きく溜息をついた。
「悪りぃな、びっくりしたろ」
スケの赤い髪にそっと触れる。熟睡していることを確認すると、大胆に手櫛で髪を梳いてやる。男らしい鼻筋が見える。
悪友から親友になり、恋人になった今。
今になってみれば、ずっとスケという人間に惹かれていた。他人に興味がないのは相変わらずだが、自分を見つめる視線に熱が篭っている時、たまらなく嬉しい。
完全なる独占欲だ。
「なんでこんなに惚れちまったんだか……」
「……それ、本当?」
いつのまにかスケの目がぱっちりと開いていた。思わず喉の奥がひゅっと鳴った。
詐欺だ。今目覚めたのではないのが分かる。いや、最初から眠ってなんかいなかったのかもしれない。この赤だぬきが。
慌てる壱也を置いて、スケは枕元からミネラルウォーターを取り出すと、徐ろに飲み始めた。何口か飲み込むと、突然身を屈めて口付けた。
「っ……⁉︎」
驚きはしたものの、注ぎ込まれる水をゆっくりと飲み込んでいく。乾燥していた喉は与えられる潤いを甘受する。
嚥下し終わるたびに、スケが唇を舐めるように離れると、繰り返すように水を口伝いに与えてくる。
まるで甲斐甲斐しく世話を焼く親鳥のようだ。そして、それを大人しく受け入れる俺もすっかり毒されている。
口伝いで飲む水はひどく甘い。水がもっと欲しくて舌を伸ばすと、優しく吸われてしまう。
いつのまにか水はなくなり、荒々しく口付けだけが続く。何もかもを食べ尽くすような深く口付けに頭が痺れた。顎を伝うものが唾液かこぼれ落ちた水か区別がつかない。
ただ、唇を離したくなくて貪欲に求め合う時間。
スケに強く引き寄せられた時に、点滴に繋がれた自分にようやく気が付いた。
ハッと気づき胸を強く押すと、口元を袖で拭った。
「病人、に……こんなことすんなよ……」
「イチだって、夢中になってた」
「うっせぇ、黙ってろ……」
「じゃあ、二人とも黙ろっか?」
スケは名案だと言わんばかりに膝を打つとベッドに横になった。鼻先が触れ合う位置はもどかしくて、腹立たしい。
「くそ……」
掌の上で転がされている……分かっていても。抗えない。
壱也は顎を上げて自分から唇を重ねた。スケが微かに笑った気配がしたが、無視を決め込んだ。
あーはいはい。俺はどうせ簡単で単純な男だよ。悪いな。
互いの唇が触れ合っている感覚だけが支配する時間。
感情が唇から伝わってくるだなんて、恋情で頭がおかしくなった奴らの戯れ言だと思っていた。
間違いなく、伝わってくる。誰よりも、俺は愛されている。
スケの指が壱也の頭を撫で、壱也の指がスケの頬に触れた。
微かに微笑み合うと、二人は静かに眠りについた。
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