俺のソフレは最強らしい。

深川根墨

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36.熱に浮かされ、溶かされて

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 電子音が鳴ったので、液晶画面を確認してみた。体温計の画面の数字を確認し、京は肩を落とす。
 目の前のベッドに横たわるゼロ。真っ赤な顔をしてこちらをじっと見上げている。高熱のためか白目まで充血しており、明らかに発熱状態だ。

「アカンわ、ゼロ。三十八度超えてる」
「平気、だ。四十度越えれば、タンパク質が、凝固するだけだ」
「いやいや、死んでまうで……もうええから、寝とけって、な? 見張りはいてくれてるし、心配ないって所沢さんも言うてたし」

 一昨日の晩にゼロが全身水浸しで帰宅した。泥臭く、雨に濡れた訳ではないのは確かだが、ゼロに何があったのかを尋ねても教えてくれなかった。仕事中のアクシデントらしいが。それだけではないはずだが、無口なゼロを饒舌にする方法はないので諦めた。

 ところが、ところがだ。それからゼロの様子がおかしくなった。
 トイレの扉で頭を打ち、呆然と立ち尽くしていた。
 いつもは嫌がるくせに、なぜか雷太のペロペロ攻撃を甘んじて受け、顔中を濡らしていた。しかも真顔で。
 極めつけは大好物である紅白なますを二口しか食べなかった。
 おかしいとは思ったが、昨日は何でもないと言い張るので不穏ながらいつものように就寝した……そして、朝になってこの有様だ。
 目覚めると隣で眠るゼロの身体が燃えるように熱かった。
 きっと昨日から発熱していたに違いない。
 京は気付いてあげられなかった自分に腹が立った。我慢強いゼロ、孤独に慣れた男だからこそ気遣ってやるべきだった。

 普段の朝とは違う空気にご飯を催促していた雷太も不安げにゼロを見つめている。落ちぬように先程まで寝ていたスペースに雷太を置いた。

「とりあえず……薬持ってくるから、ちょっと待って」

 薬を飲ませ、小一時間家事をしながらゼロの様子をみた。よほど無理をしたのか、朝よりも熱が上がっていた。ゼロ曰く、タンパク質凝固ゾーンへと突入しかけている。
 高熱により苦悶の表情を時折浮かべ、体内に溜まった熱を吐き出すように呼吸をする。
 これは病院に行ったほうがいい。
 京が所沢に連絡を取ろうと立ち上がると、突然ゼロが目を覚ました。

「ん、京」
「ん? なんや……おぉっと」

 腕を掴まれあっという間に抱き込まれた。強く抱きしめられて、ゼロの鎖骨と喉元しか見えない。ゼロの早鐘を打つ心臓の音と、流れる血液が滾っているのを肌で感じる。

「ちょ、あ、あぁ……」
「……はぁ……」

 小刻みな呼吸と、溶けそうなほどの熱い吐息を感じる。
 怖くなった。亡き祖母を思い出した。

 魂をちぎり捨てるような呼吸を繰り返し、人間は死んでいくのだ。静かに、熱を放散し、冷たくなる。

 突然ゼロが静かになった。
 何かから取り戻すかのように、京はゼロの頬を両手で掴んだ。ざわつく心に強く言い聞かせ。恐る恐るゼロの顔を覗きこむ。
 まるで積もった粉雪を払うように頬を撫でて、黒くて長い睫毛に触れた。

「ゼ、ゼロ、大丈夫、よな?、しっかりして」
 
 動く気配のない瞼に声が震えてしまう。
 息を呑みながら京はゼロの唇に人差し指を当てる。薄い唇の間から溢れる吐息に自然と涙が溢れてくる。
 生きている。ほっとした。大丈夫だと分かってるのに、涙が止まらない。

 ゼロは俺よりも体温も高くて、大きくて、厚みもある。とっても強くて、今まで出会った誰よりも俺を大切に思ってくれている。ゼロを、失いたくない。婆ちゃんの時のように、離れないでほしい。

「良かった。良か──った……」

 ゆっくり休んで欲しい、眠って欲しいのに、目覚めて欲しい。大丈夫だと言って欲しい。

「……っ、ふぅ……ゼ、んぅ……」

 涙が肌を伝って消えていく。嗚咽を堪えているとゼロの黒い睫毛が微かに揺れた。
 瞼が引き上げられると黒い瞳が京を捉えた。

「ゼ、ロ?…………んっ」

 ゼロの唇が俺の唇を塞いだ。
 キス、だ。キス。

 俺の唇が、ゼロに喰われた。

 ゼロの高い鼻梁が触れている。女性とは違う。微かに生えた髭、ざらつく肌。

 理解するのに少し時間がかかった。呆然とする京をよそに、ゼロは触れ合うキスを深いものへと変える。瞬く間にゼロの熱い舌が口腔に侵入する。
 驚き、縮こまった京の舌を誘うように巻き込んだ。

 熱い。
 舌も、混ざり合う唾液も、ぶつかり合う吐息も。

 ゼロはキスをしながら京の涙の跡を指でなぞっていく。頬を撫で、櫛で解くように髪を撫でる。思いがけない心地よさに、抵抗する手を弱め、京はゼロの首に腕を回した。
 自分からねだるように舌を絡ませ、ゼロの熱を奪うように唇を合わせた。
 重なっていた唇が名残惜しそうに離れると、一本の銀糸が二人の唇を繋げた。ぷつりと切れると、魔法が切れたように二人の視線が絡まった。 

「……泣くな、京」
「ゼロ……俺……」

 何かが欠けてしまったようで寂しい。もう、ゼロと口付けることしか考えられなかった。もう一度唇が触れ合う瞬間……何かが勢いよくぶつかった。

「ふんが、ふんがふんが」

 二人の間を割くように雷太が突進してきた。仲間外れはダメよと言いたげに二人の顔を交互に舐める。ゼロは雷太の好きなようにさせていたが、顔色がみるみる青くなった。好きなようにさせていたのではなくて、高熱で抵抗できなかったのかもしれない。
 京は慌てて雷太を引き剥がして、ベッドから飛び降りた。

 それから慌てて薬と氷枕を用意し、慌ただしく看病を続けた。桜庭組のお抱えの医師がお忍びで往診にやってきて、ようやくゼロの熱は下降し始めた。

 京の頭の中はこんがらがっていた。あのキスは夢なんじゃないかとか、高熱で意識が朦朧としていたから、誰かと勘違いしたのかもしれないとか。キスの理由を探していた。
 不思議だったのは、男同士だからおかしいと思わなかった事だ。それどころか、濃厚なキスを思い出しては一人赤面し、悶絶を繰り返した。

 ただ、あのキスは……京が、自分から、ゼロを求めた。きっかけはゼロだったが、欲望のままに縋りつき、ゼロと一つになりたいと必死になった。
 この感情は、何なのだろう。

 元々の身体の作りが違うのか、明け方に平熱まで下がり、ゼロの夏風邪は呆気なく治癒した。
 ゼロを起こしてお粥を食べさせたけれど、ゼロはあの時の事を覚えていないようだった。いつもと同じ様子で拍子抜けしたけれど、どこかほっとしていた。
 京は食べ終わった食器を洗いながら、赤いままの耳朶を濡れた手で冷やした。
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