俺のソフレは最強らしい。

深川根墨

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32.京さんという人(壱也視点)

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『イチ、ある男に尾いてください』

 ある日所沢さんから命じられた仕事は、かなり意外なものだった。
 護衛、しかも素人相手だ。尚且つ、尾行を悟られるなというレア件だった。ちょうど桜庭組としては閑散期だった。この夏は感染症の予防という名目で、祭りという祭りが中止、あるいは延期となっていた。当然祭りを盛り上げる屋台の仕事も無くなった。どうやってシノギを上げるか悩んでいたそんな時にもらった仕事だった。

 対象は照国京という青年だ。年齢は俺よりも少し上で、在宅の仕事に就いているごくごく普通の男だそうだ。

『探るんじゃなくて、尾行っすか?』
『どちらかと言えば護衛です。外出時にイチに尾いてもらいたいたくて。くれぐれも気付かれないでくださいね』

 桜庭組の若頭である所沢さんに命じられたからには断れない。腑に落ちない部分も多いが俺ごときに話す内容ではないのだろう。余計な事を訊いてしまったと壱也は口を噤む。
 
 所沢が壱也に一枚の書類を手渡した。調査書の下には照国京の文字と中性的な顔立ちの男の盗み撮り写真が添付されていた。壱也自身も綺麗めの顔立ちだと思うが、対象の男はさらに整った顔立ちをしていた。

 所沢は『訳ありでして、あのゼロが珍しく気にかけています』と困ったように笑った。

 ──ゼロ。
 所沢さんの旧友であり、最近帰国したという凄腕の殺し屋だ。必要とあらば相手の骨を身から引き抜くような男だという。
 いや、それ人間か? ただの鬼じゃん……と思ったが、口には出せなかった。所沢さんもそんな男だと笑っていたので、あながち外れてもいないのかも知れない。
 一度だけ路地裏で見かけたことがあるけれど、忍者のように闇に隠れるのが上手い男だった。所沢さん曰く、強くて根暗で愚直な男だそうだ。余計に分からなくなった。

 そんな凄い男が気にかける人間を護衛する……気合が入らない訳はない。
 もしかしたら透き通るような肌に黄金比通りであろう美しい横顔を持つ、この京という男は、ゼロさんの恋人なのかも知れない。いや、もしくは同業者で、日本刀を使いこなすようなブッ飛んだ男なのかも。

『身の危険はあるんすか?』

『そうですね……近々頻発するでしょう。面倒な人間に目をつけられまして』

 どうやら、裏と繋がっている人間を敵に回してしまったようだ。

『早速ですが頼みますね……あ、そうそう。スケにも伝えておいてください。ただし、彼は目立ちますから裏方で』

 見た目だけであれば悪役レスラーのような見た目をしている幼馴染は人目につきやすい。声だけは悪役どころか賛美歌が似合いそうなぐらい澄んでいるのだが……本人は気にしているのであまり言えないが。スケが歌うバラードを聞けばその多くが感涙に咽ぶはずだ。

『わかりました。お任せください』

 内心面倒なことになったと思いつつ、壱也は高台にそびえ立つマンションへと向かった。ここに対象者が住んでいる。

 マンションのエレベーターが動き始めた。壁に埋め込まれた電光が六から一へと下がるのを見て、壱也は気を引き締めた。六階からの稼働ならば、恐らく対象者だろう。

──ビンゴ! 来たっ!

 細身のブラックジーンズに、白のTシャツ。爽やかな好青年がそこにいた。
 男は郵便ポストを確認した後、携帯電話を操作しながら坂道を下り始めた。

 携帯電話の操作に集中しているせいか、元々自分の見た目に無頓着なのかどうかは分からないが、道行く人たちの視線を一切無視している。
 道を歩く足元が危うい婆さんが頬を染めるほどの色男だ。実物を見ると写真写りが悪いと思うほどイケメンだ。
 茶色の髪に淡い色彩のまつ毛と瞳、蒸し暑い季節を感じさせない白い肌は眩しすぎる。現に、対象者に見惚れている通行人がいるものの、恐れ多くて近付けないようだ。
 なるほど、このパターンは珍しい。自分よりも美しい男には気後れするやつだ。そういう男は逆にモテない運命にある。

 商店街へと入ると男は慣れた様子で買い物を始めた。店員とも顔見知りのようで笑顔を振りまいている。
 魚屋で何かを購入し、そそくさと隣の肉屋へと移動した。男の姿を捉えたふくよかな店員は笑みを深めた。きっと、この肉屋の女将だろう。

「よく来たね、今日は月曜日だからコロッケの特売だよ!」
「コロッケかー、お母さんのコロッケは美味しいもんな……でも、今晩はカレーコロッケの口になってもうてんねんなー」

 なんと。めっちゃくちゃコテコテの関西弁が出た。
 さっきの魚屋では標準語だったのに、こちらのお店では関西弁丸出しだ。どうやら、関西圏出身らしい。不思議だ。親しい人には訛りが出てしまう性質なのだろう。

「お上手ね、ハイこれ。カレーコロッケ二つ……あと、コロッケ二つ入れとくね、サービスだよ……」

 後半の音量を絞り、ニンマリと微笑む女将に男が申し訳なさそうに何度もお辞儀をした。

 女将よ、注文の倍を無料でつけたら、もはやそれはサービスとは言わない。やはり見た目の良さがこういう場面で活きる。
 マイバッグにコロッケを入れると男は柔らかい笑みを浮かべた。そして奥にいる頑固親父っぽい職人気質の男に声をかけた。

「お父さん、いつもありがとう。めっちゃめちゃ嬉しい!」
「……おう、また来な」

 ジーザス。どうやらサービスのコロッケは女将と頑固親父っぽい店主の二人からだったようだ。
 頑固そうなのに、男から満面の笑顔を向けられて恥じらい、咳払いをする店主……骨抜きだ。

 それから八百屋と郵便局を回ったが、やはりそこでもとてつもないサービスを受け続けていた。八百屋では大根と人参を購入したが、なぜかそこにほうれん草が追加されていたし、郵便局の窓口ではあり得ないほどのポケットティッシュとクリアファイルを持たされていた。

 商店街を抜けてやや歩いたところにあるスーパーマーケットに到着した頃には戦利品を詰めたマイバッグが重たそうだった。

「牛乳買われへんかもな……ま、紅白なますが作れたらいっか。コロッケも喜ぶかなぁ」

 独り言すら可愛らしいとは何事だ。
 何なのだろうか、この照国京という人物は。
 裏社会との繋がりなんか絶対にない。悪の一欠片もないことが分かる。

 こんな人が、どうしてあのゼロさんと繋がっているのか不思議だ。

 その日から男──京さんの護衛は続いた。京さんを見てると本当に飽きない。
 ある時はスーパーマーケットのワゴンセールに参戦していた。主婦などの猛者を跳ね除け、見事に商品をゲットし、スキップをして帰ったり。
 またある時は店の試食コーナーで食べた黒豚ウインナーの美味しさに驚き、持っていたマイバッグを落としていた。もう一つ食べたかったのか、名残惜しそうに、何度も試食コーナーを振り返っていた。
 買わなかったのは、きっと予算オーバーだったのだろう。京さんは煌びやかな見た目に反してすごく倹約家だ。
 
 護衛という緊張の中、俺は京さんの行動に吹き出して笑い、何でやねんと関西人のようにツッコんでいた。京さんは俺のことを知らないけれど、俺は京さんの人となりを知っている。最高に素敵な人だ。
 毎回ではないけれど、確かに京さんに対して胡乱な視線を送る者や、あからさまな視線を送る者がいた。京さんへの羨望とは異なる、仄暗い視線。もちろん何人かはお声をかけさせて頂いたし、強制的に排除させてもらった。真っ黒な人間のくせに、京さんに近づくなと言いたい。
 まぁ、俺も同じ部類だけど。

 いつか、俺の存在に気づいてくれたらいいのに。
 笑いかけられたら、どんな気持ちになるんだろう。

 まさか、その後……たこ焼きセットを持って京の家に押しかける日が来るだなんて夢にも思わない壱也だった。
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