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21.京のモテ期到来(条件付き⁉︎)

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「へ、あ……なななな?」

 京は腰が抜けてしまった。 
 憮然としたまま現状を把握できない。

「京……」

 ゼロだった。
 ゼロが助けてくれた。

 全身が強張って声も出ない京をゼロが背後から優しく抱きしめた。壊れ物を労るように、無事を確かめるようにそっと腕を撫でていたが、ハッと慌てて正面に回り込み、京の身体を確認する。

「平気か? どこか痛むか?」
「だだだ大丈夫、ちちちょっと、首が痛かった、だだだけッ」

 ゼロが京の顔を覗き込み、瞼や顎、唇をなぞって無事を確かめる。思いのほか顔が至近距離にあって何となくドギマギしてしまう京だった。

 京はゼロの胸を押して距離を取ると、もう大丈夫だからと衣服についた土埃を払った。
 側溝に転がっている男を一目すると、男は失神したままだった。

 ってか、何で誰も外出て来てくれへんの? あー、あれね。変に関わったらまずいから、聞こえないふりしよう作戦ね。世知辛い世の中やわー、助け合いの精神は消え失せたんやな。 

「通り魔とか初めてやわ、この辺で聞いたことないし……警察呼ばないと」
「やめておけ、キリがない」
「……キリがない?」

 聞き間違いじゃないだろうか。いや、絶対に聞き間違いだ。
 通り魔、殺人未遂、通報、犯人確保……この流れは揺るぎないはず。

 京は携帯電話をズボンから引き抜くと、迷うことなく三桁の番号を入力した。これが人生初の110番……通話の緑画面をタッチしようとするその手を、ゼロが握り込んだ。
 何をするんだという抗議の声は出なかった。その代わり肝を潰した悲鳴が暗闇に響き渡った。

「ぬわぁぁあっ!」

 途端に世界が捩れた。社交ダンスのルンバを踊るように身を回転させられたのだと気付いた時には京はゼロの腕に閉じ込められていた。
 京が冷静さを取り戻す間もなく、甲高い金属音が耳についた。
 物音がした方を見ると、何やら棒を地面に叩きつけた男が憤怒の表情でこちらを睨みつけていた。

「グガガガガガ……」

 男はゆっくりと身体を左右に揺らしながら、鉄パイプを引き摺って二人へ歩み寄ろうとしている。薄暗いのでよく見えないが、口元から涎を垂らしているように見える。どことなく焦点も合っていない。ゾンビのような緩慢な動きに肌が粟立った。
 頭のネジがぶっ飛んだ男と遭遇してしまった。いや、正確には今晩二人目!

 いや、いつのまに? ってか、それ、鉄パイプ……ですか。鉄パイプ引き摺る時って、不良漫画の悪役ザコだけだと思ってたけど、ほんまにいるんや。通り魔の男が可愛く思えるのは、俺もレベルが上がったんかも。
 ってか俺、〇〇ホイホイみたいやない? なんか、犯罪者が寄ってくるフェロモンとか出てんの? 一網打尽とかには良いけど、あー囮捜査のあの映画って、何て題名やっけな……あー、ダメだ。頭割れそう。

 京の現実逃避は続く。
 ゼロは京を背中に隠すと正気じゃない男に立ち向かった。
 男が訳の分からないことを叫びながら鉄パイプを振り回すが、ゼロが見切ったように手元を蹴り上げた。迷いない動きに京は息を呑む。
 暗闇の中で鉄パイプは下駄の歩行音のようにカランコロンと音を立てて消えた。
 初めてみるストリートファイトに、京は唖然とするしかなかった。
 勝負はあっという間に決着した。ゼロの回し蹴りが見事に男の頸を捉え、その場に崩れ落ちた。

「……な、何なん、これは」
「…………」
「お前、何者なんや? 何で、ここ、こんな、アホみたいに、襲ってくるねんッ、おか、おかしいやろっ!」

 近づくゼロを拒むように京は後退りする。
 明らかにおかしい。一晩で二人から命を狙われるだなんて、ありえない。そして、この不可思議な現象に、動じることなく対峙する男──ゼロ。
 こんな状況でも冷静でいられるのがおかしい。
 ゼロの背後にある、横たわる二つの影と、じっとこちらを見据えるゼロの鋭い視線に京の心臓が早鐘を打ち始める。

 怖い。逃げたい。知りたくない。

「京、話すから、待て」
「む、無理、ちょ、っと……ごめんッ!」

 ゼロから逃げるように細道を駆け出す。
 脚がもつれそうになりながら、必死で腿を上げて坂道へと出る。さっきまで歩いていたはずの道だが、途方もないほど広く、長く、寂しく見える。まるで誰も住んでいない街のようだった。

 ゼロの本名だって知らないし、どんな仕事をしているのかも知らない。
 常識を知らない奴で、家庭料理を食べたこともない男。筋肉でカチコチの身体に、強面の寡黙な男で、ソフレで、一緒に住んでて、一緒にデトックスする仲で……悪夢にうなされた俺を優しく抱きしめてくれた男だ。
 キル──殺し、武道に長けた様子だった。

 京は足を止めた。
 額の汗を拭うと、乱れた呼吸を抑えて大きく息を吸った。背中を伝う汗がひどく冷たく感じる。
 京は雑念を振り払うように胸を叩き、くそ、と独りごちた。

 違う。
 俺は間違った。俺がすべきことは……ゼロの目を見て、「ありがとう」ってべきだった。ゼロは俺を守ってくれたのに、動揺して馬鹿なことをしてもうた。今からでも戻ってゼロに謝ろう。

 京が踵を返そうとした……まさにその時、坂の上から一台の乗用車が下りてきた。
 暗夜だというのに、かなりスピードが出ている。安全のため道の端へと避けるが、車は吸い寄せられるように京の方へとハンドルを切り突進してきた。

「ちょ、ちょちょちょ……ッ! な、何──」

 来るであろう衝撃に身を固めた。それは死を現すが、京は壁に縋り付くしかなかった。

──っ、轢かれる!

「京っ!」
 
 横からもの凄い力で身体が引き寄せられた。恐る恐る目を開けると逞しい胸板と男らしい喉仏が視界に入った。京を片腕で抱きかかえていたのは、やはりゼロだった。

「……ッ」

 全く言葉が出てこなかった。
 猛スピードで二人の真横すれすれをセダンタイプの車が通過した。暴走車が坂道を下り、丁の字を右折して行くのを京は茫然と見送った。
 瞬刻の出来事だった。道路にはサイコロ状に砕けたガラスが多数落ちていた。
 さらに、数メートル先には、車のタイヤのホイールだろうか、円盤状の塊がいびつに変形し転がっている。
 ゼロは電信柱に背中を預け、安堵の息を吐いた。

「京、平気か」
「いや、アカン‼︎  ってか、今度こそ警察ッ!、ヒャクトウバ──えぇ⁉︎  これ……じ、銃やんか、ごっつい銃やんかぁぁ、ってか、何で持ってんのッ⁉︎」
 
 はい、俺の脳のキャパを超えてます。取り乱してます。深夜にも関わらず叫んでます。いや、今晩この界隈はたいそう賑やかだったとは思うけれども。

「京、落ち着けっ、呼吸しろ!」
「し、してるし! してるけど、ここ、酸素、薄いっ、ねん! 山やし!」

 二件の殺人未遂に暴走車、最終的にはゼロの手にある重々しい黒の拳銃……冷静を欠くのに充分だった。

 先の方についている出っ張りはあれですよね、サイレンサーですよね、銃声消すってやつですよね? ってか、俺を助けて、あの車に数発打ち込んだん? 銃ってどこでも売ってる? あ、ハワイかどっかで練習できるんだっけ、あ、それはクレー射撃? あ、デキ婚、今は授かり婚って、ショットガンウェディングって言うんだっけ、そりゃ、パパも銃持ち出しちゃうよね、大事な娘だからね……ん? 何を考えてたんだっけ、俺。

 はくはくと口を動かしていた京を宥めるようにゼロが頭を撫でてきた。ゼロのやさしい双眸に少しばかり落ち着きを取り戻してきた──のだが。
 
「本当にすまない」
 
 押し殺したようなゼロの響く声が耳に届いた瞬間、後頭部の衝撃と共に京の意識は切れた。
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