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19.偶然、必然
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当然たこ焼きの材料はあっという間に尽き、こたつ机を囲むようにして飲み会へと突入した。
京が山のように焼いたたこ焼きは所沢ではなく、なぜかゼロの胃袋へと収まった。所沢の皿にのせたたこ焼きを横からゼロが強奪したのだ。ソースの香りが好きなのか、たこ焼きの表面をねっとりと覆うほどソースを掛けるのがゼロ流らしい。
開封したばかりのたこ焼きソースはもう底をつきかけていた。
ゼロは綺麗に出し切れず、量を確かめようとして誤って顔にソースを噴射していた。頬にへばりついたソースに思わず笑ってしまった。
そのとき、京の動きが止まった。
唐突のフラッシュバック。モノクロで出来た記憶が脳に流れて込んできた。海馬が恐怖のあまりに消去した記憶が蘇った瞬間だった。
蘇った記憶を占めるのは雷の光に照らされたゼロの顔──返り血を受けたゼロの顔だ。
あれは悪夢だったのか、それとも現実だったのか。
血を浴びたゼロの姿は背徳的でいて、作物めいていた。
京は俗世離れした男の過去が、歩んできた人生が気になった。夢であって欲しいと願うが、あれが現実であると京は気付いていた。
俺は……ゼロのことを何も知らない……。ゼロは、何者なんだろうか。あの返り血は幻だったのだろうか。
「京、京……飲み過ぎだ」
怖い顔をしたゼロが京の顔を覗き込んだ。
怖い顔だ。でも、分かる。こいつは俺のことを心底心配しているんだ。そうだ、ゼロは怖い顔だけど、怖くない。優しい、本当にいい奴だ。大好きだ。
「ゼロ。お前、心配?」
「あぁ」
「ありがとぉ……ほんまに」
「…………」
「もしかして京さん、酔ったんっすか?」
「よ、酔ってへんよ、こんなん余裕やよ」
年上の沽券か、男の矜持か。京は目の前の缶ビールを飲み干し、さらに隣に置かれていた所沢のものであろうウイスキーのオンザロックを一気に煽った。周りの人間が慌てた様子が見えたのが最後、京は夢の世界にダイブした。
◇
京は胡座のまま堕ちた。時折ぐらんと頭が揺れる。ゼロは京の膝の後ろに腕を通し、抱き上げた。
軽すぎる身体。簡単に折れてしまいそうな程細い。
ゼロはベッドへと運び、子をあやすように頭を撫でた。
酔い潰れた時には悪夢を見ないのだろうかと、気になった。京の目の縁をなぞって、涙で濡れていない事を確認すると安堵の息を吐いた。
「随分と大事にしてるんですね」
「……何が言いたい」
「美味しいたこ焼きの作り方なんか聞いたりして……どうせ、この子のためだったのでしょう?」
壁に寄りかかり、グラス片手に所沢がこちらを窺っている。
ゼロにとって所沢は仕事で付き合いのある男で、知り合ったのは前の仕事でトラブルに巻き込まれたのがきっかけだった。同い年ということもあり、それから連絡を取り合うようになった。今は立派な悪友だ。
所沢は薄笑いばかりしているが、正真正銘極道の世界に身を置く男だ。ここら辺りを取り仕切る天下の黒龍会の傘下、桜庭組の若頭だ。京に手渡した名刺は本物で、あのやりとりを見て、所沢の首の骨をへし折りたい衝動に駆られた。
京は何も知らない。知られたくなかった。
「こいつに近づくな」
「そう言われても、近づいちゃいけないのは貴方でしょう。最近様子がおかしいと思ったら……まさか一緒に住んでいるとはね……」
熟睡する京に近づく所沢の胸を押し制止する。ほぼ同時に酒を飲んでいたカクが所沢を庇うように間に入った。
「お前たち、邪魔だ。どけ」
「ゼロくん、若頭は君のことが心配なんだ」
年嵩のカクが優しい声色で話し掛けた。凄みはないが、かためた意志が懐柔されるかのような話し方だ。これが桜庭組の落とし屋、カクの十八番だった。しかし、ゼロには効果がなかった。
静かに睨み合うが、それを止めたのは酒に酔った壱也だった。
「ちょ、ちょ、ちょーっと、何してんっすか? こんな狭いトコで暴れちゃったら大変っすよ。ムキムキ三人と若頭で乱闘なんてされたら、俺、泣いちゃう。筋肉の狂宴はいやぁ」
泣き真似をして、よよよ、と頽れる壱也に皆が呆れたように溜め息を漏らした。
壱也は所沢の舎弟だが、ヤクザには見えない。今まで壱也の仲裁で激突が避けられてきた。角が取れるというか、軋轢をほわほわと埋める才がある。
壱也は千鳥足で京のそばにやって来ると、規則正しい寝息を立てる京を見つめた。
京は細身で、肌も白くて、儚い空気を纏っている。
「キュウ……ぉン」
沈黙を破るように雷太が大きな欠伸をした。机の下で眠りこけていたが、京の元へと行きたそうにベッドに前足を掛けた。ゼロがベッドへ上げてやると雷太は京のわきに顔を埋め、再び眠り始めた。京の寝息と、雷太の轟音のいびきがなんとも言えない音楽を奏でる。
人間と犬のはずなのに、とても似ている。
無垢で、幸せそうで、清らかだった。ベッドの上が神聖に思えてゼロは一歩後退した。
こんな場は自分のような人間には相応しくないのは分かっている。いつだって胸を焦がされる。暖かで、愛おしい。
「平和っすね、ここは」
壱也も同様に感じたのかもしれない。
枕元には京が雷太のために作った布製のおもちゃが置かれている。歪なハート形で、雷太の唾液でかなり汚れている。
京が古着を解体し、何重も布地を折り重ねて縫った力作だ。一針一針縫いこんだ。歪だが、愛情たっぷりのおもちゃだ。完成までに京の指には幾つもの絆創膏が貼られていたのをゼロは見ていた。
ゼロはおもちゃを傍へと置くと京と雷太の頭を交互に撫でてやる。その様子を見て、所沢も、壱也も、スケもカクも無言だった。別次元のような穏やかな光景だった。
「……このままじゃ、貴方の身まで危ないんですよ。相手方はご立腹なのでしょう」
「あぁ、分かっている」
「分かっていないから、言っているんですっ」
所沢の柳眉が形を変える。だが、その瞳はいつだってゼロを慮ってくれている。消えそうな声で謝ると所沢は手にしていた酒を一気に煽った。
壱也が唇を噛み締めて鼻を啜る。まだ酔いが醒め切れていないのか、三角座りをして膝小僧の間に顔を埋めた。
「どうして、こんな良い人なのに……こんなに、優しいのに」
「イチ……」
スケがしゃくり上げて泣き出した壱也を引っ張り上げ、外へと出そうとする。壱也はスケの胸元に顔を埋めると唸り声を上げながら更に泣く。ほろほろと涙が零れ落ち、シャツに吸い込まれていく。
「どうして、始末されちゃうんっすかぁ……」
壱也の呟きが、悲壮に満ちた訴えがゼロに突き刺さった。たちまちゼロの優しさに満ちた瞳が、澱んだ、冥冥としたものへと変化していく。
その瞳に映る京の寝顔はどこまでも穏やかだった。
京が山のように焼いたたこ焼きは所沢ではなく、なぜかゼロの胃袋へと収まった。所沢の皿にのせたたこ焼きを横からゼロが強奪したのだ。ソースの香りが好きなのか、たこ焼きの表面をねっとりと覆うほどソースを掛けるのがゼロ流らしい。
開封したばかりのたこ焼きソースはもう底をつきかけていた。
ゼロは綺麗に出し切れず、量を確かめようとして誤って顔にソースを噴射していた。頬にへばりついたソースに思わず笑ってしまった。
そのとき、京の動きが止まった。
唐突のフラッシュバック。モノクロで出来た記憶が脳に流れて込んできた。海馬が恐怖のあまりに消去した記憶が蘇った瞬間だった。
蘇った記憶を占めるのは雷の光に照らされたゼロの顔──返り血を受けたゼロの顔だ。
あれは悪夢だったのか、それとも現実だったのか。
血を浴びたゼロの姿は背徳的でいて、作物めいていた。
京は俗世離れした男の過去が、歩んできた人生が気になった。夢であって欲しいと願うが、あれが現実であると京は気付いていた。
俺は……ゼロのことを何も知らない……。ゼロは、何者なんだろうか。あの返り血は幻だったのだろうか。
「京、京……飲み過ぎだ」
怖い顔をしたゼロが京の顔を覗き込んだ。
怖い顔だ。でも、分かる。こいつは俺のことを心底心配しているんだ。そうだ、ゼロは怖い顔だけど、怖くない。優しい、本当にいい奴だ。大好きだ。
「ゼロ。お前、心配?」
「あぁ」
「ありがとぉ……ほんまに」
「…………」
「もしかして京さん、酔ったんっすか?」
「よ、酔ってへんよ、こんなん余裕やよ」
年上の沽券か、男の矜持か。京は目の前の缶ビールを飲み干し、さらに隣に置かれていた所沢のものであろうウイスキーのオンザロックを一気に煽った。周りの人間が慌てた様子が見えたのが最後、京は夢の世界にダイブした。
◇
京は胡座のまま堕ちた。時折ぐらんと頭が揺れる。ゼロは京の膝の後ろに腕を通し、抱き上げた。
軽すぎる身体。簡単に折れてしまいそうな程細い。
ゼロはベッドへと運び、子をあやすように頭を撫でた。
酔い潰れた時には悪夢を見ないのだろうかと、気になった。京の目の縁をなぞって、涙で濡れていない事を確認すると安堵の息を吐いた。
「随分と大事にしてるんですね」
「……何が言いたい」
「美味しいたこ焼きの作り方なんか聞いたりして……どうせ、この子のためだったのでしょう?」
壁に寄りかかり、グラス片手に所沢がこちらを窺っている。
ゼロにとって所沢は仕事で付き合いのある男で、知り合ったのは前の仕事でトラブルに巻き込まれたのがきっかけだった。同い年ということもあり、それから連絡を取り合うようになった。今は立派な悪友だ。
所沢は薄笑いばかりしているが、正真正銘極道の世界に身を置く男だ。ここら辺りを取り仕切る天下の黒龍会の傘下、桜庭組の若頭だ。京に手渡した名刺は本物で、あのやりとりを見て、所沢の首の骨をへし折りたい衝動に駆られた。
京は何も知らない。知られたくなかった。
「こいつに近づくな」
「そう言われても、近づいちゃいけないのは貴方でしょう。最近様子がおかしいと思ったら……まさか一緒に住んでいるとはね……」
熟睡する京に近づく所沢の胸を押し制止する。ほぼ同時に酒を飲んでいたカクが所沢を庇うように間に入った。
「お前たち、邪魔だ。どけ」
「ゼロくん、若頭は君のことが心配なんだ」
年嵩のカクが優しい声色で話し掛けた。凄みはないが、かためた意志が懐柔されるかのような話し方だ。これが桜庭組の落とし屋、カクの十八番だった。しかし、ゼロには効果がなかった。
静かに睨み合うが、それを止めたのは酒に酔った壱也だった。
「ちょ、ちょ、ちょーっと、何してんっすか? こんな狭いトコで暴れちゃったら大変っすよ。ムキムキ三人と若頭で乱闘なんてされたら、俺、泣いちゃう。筋肉の狂宴はいやぁ」
泣き真似をして、よよよ、と頽れる壱也に皆が呆れたように溜め息を漏らした。
壱也は所沢の舎弟だが、ヤクザには見えない。今まで壱也の仲裁で激突が避けられてきた。角が取れるというか、軋轢をほわほわと埋める才がある。
壱也は千鳥足で京のそばにやって来ると、規則正しい寝息を立てる京を見つめた。
京は細身で、肌も白くて、儚い空気を纏っている。
「キュウ……ぉン」
沈黙を破るように雷太が大きな欠伸をした。机の下で眠りこけていたが、京の元へと行きたそうにベッドに前足を掛けた。ゼロがベッドへ上げてやると雷太は京のわきに顔を埋め、再び眠り始めた。京の寝息と、雷太の轟音のいびきがなんとも言えない音楽を奏でる。
人間と犬のはずなのに、とても似ている。
無垢で、幸せそうで、清らかだった。ベッドの上が神聖に思えてゼロは一歩後退した。
こんな場は自分のような人間には相応しくないのは分かっている。いつだって胸を焦がされる。暖かで、愛おしい。
「平和っすね、ここは」
壱也も同様に感じたのかもしれない。
枕元には京が雷太のために作った布製のおもちゃが置かれている。歪なハート形で、雷太の唾液でかなり汚れている。
京が古着を解体し、何重も布地を折り重ねて縫った力作だ。一針一針縫いこんだ。歪だが、愛情たっぷりのおもちゃだ。完成までに京の指には幾つもの絆創膏が貼られていたのをゼロは見ていた。
ゼロはおもちゃを傍へと置くと京と雷太の頭を交互に撫でてやる。その様子を見て、所沢も、壱也も、スケもカクも無言だった。別次元のような穏やかな光景だった。
「……このままじゃ、貴方の身まで危ないんですよ。相手方はご立腹なのでしょう」
「あぁ、分かっている」
「分かっていないから、言っているんですっ」
所沢の柳眉が形を変える。だが、その瞳はいつだってゼロを慮ってくれている。消えそうな声で謝ると所沢は手にしていた酒を一気に煽った。
壱也が唇を噛み締めて鼻を啜る。まだ酔いが醒め切れていないのか、三角座りをして膝小僧の間に顔を埋めた。
「どうして、こんな良い人なのに……こんなに、優しいのに」
「イチ……」
スケがしゃくり上げて泣き出した壱也を引っ張り上げ、外へと出そうとする。壱也はスケの胸元に顔を埋めると唸り声を上げながら更に泣く。ほろほろと涙が零れ落ち、シャツに吸い込まれていく。
「どうして、始末されちゃうんっすかぁ……」
壱也の呟きが、悲壮に満ちた訴えがゼロに突き刺さった。たちまちゼロの優しさに満ちた瞳が、澱んだ、冥冥としたものへと変化していく。
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