俺のソフレは最強らしい。

深川根墨

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11.金銭感覚

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 フライパンを熱して揺すると、俵型の肉が遊園地の遊具であるコーヒーカップのように回転する。形が崩れないように慎重に菜箸を動かし、満遍なく均等に表面を焼いていく。しっかりと肉に焦げ目がつけばほぼ完成だ。 
 甘辛い焼肉のタレとみりん、その他の調味料をブレンドしたものを縁から流し入れた。

「よっし、ええ音や」

 じゅうっとタレが蒸発する音に腹が鳴る。
 あとは強火でたたみかける。しっかりと味が染み込むようにフライパンを揺すり続けると、タレの香ばしい香りが漂う。腹の虫が騒ぎだす瞬間だ。
 これこそ、ザ・男の料理だ。用意していた平皿に乗せると小口ネギをたっぷり乗せて
 テーブルの中央に置いた。
 すかさずゼロと雷太がまじまじとそれを凝視する。食いしん坊な二人はすでに席についている。

「これは、何だ?」

 ゼロからごきゅっと生唾を呑み込む音が聞こえた。ゼロの膝の上に鎮座した雷太も同様だ。雷太は食べることは出来ないが、既に匂いだけで半濁した涎が垂れている。雷太は毎食こんな調子だ。キュルルンお目目で催促されても困る。犬にとって人間の食べ物は味が濃いので与えてはいけないと、ゼロが言っていた。
 意外にもゼロは犬の習性や飼育上の禁忌に詳しい。仕事上否が応でも知らねばならなかったらしいが、正直初心者である京にとっては心強い。

「あぁ、それは肉巻きおにぎり。食った事ないんか? コマ肉を握り飯に巻き付けて甘辛いタレで味付けしてん。美味そうやろ」
「あぁ」

 今晩は肉巻きおにぎりだ。ゼロから食費を徴収するようになり、一日に一品は動物性たんぱく質が食卓に並ぶようになった。
 京のいただきますの号令の後、ゼロは恐る恐る肉巻きおにぎりを小皿に乗せた。
 小さめに握った肉巻きおにぎりを口の中に放り込むと、必死に咀嚼している。
 可愛い絵面だ。

「これ、好きだ」
「そうか、そうか、ほな、また作ったるわな」

 ゼロの頬が膨らんで皮膚がはち切れてしまいそうだ。ゼロは好物ほど口一杯に放り込む。新たな好物の発見に京も嬉しくなる。
 ゼロは今まで十秒チャージ的な飲み物や、リンゴなど丸齧りできるものを食べていたらしく、調理したものはあまり食べない生活だったと聞いた。
 美味しいものが溢れているこの世の中で、よくそれで生きてこれたなと感心した。そんな話を聞いてからは、より一層ゼロに餌付けするようになった。

「コマは美味い、コマなら一頭食える」
「いや、コマは動物ちゃうからっ!」

 京のツッコミにゼロはコマ、コマ肉……と呟き、コマという言葉を脳に叩き込んでいた。

 恥を知られた相手だからか、二人はより親密になった。
 ゼロはふざけて京の股間に大丈夫か、と声を掛けるようになった。しかも真顔で。
 更に食事の準備中に京の背中にぴったりとくっつくようになった。ゼロご自慢の疲れマラの存在を背中に感じ、京は顔を赤らめて追い払っていた。

 パーソナルスペースはどうなってんねん! と訴える京に対してゼロは何食わぬ顔で距離を詰める。
 料理中の京の髪にいたずらをしたり、京が雷太と遊んでいるとさりげなく雷太のおもちゃでお手玉をして邪魔をする。そんなお茶目な一面を見せるゼロに、京は親近感が高まる一方だ。
 雷太もよく懐いていて、時折二人でひそひそと秘密話をしているのもツボだ。

 とにかく、楽しい。ほんまに楽しい。
 ゼロと過ごす一日は驚くほど早く感じる。

「あ、ゼロ、そこの海苔取って」
「あぁ」

 ゼロがテーブルの端にある筒状の食卓海苔を掴むと京に手渡した。黒のTシャツの袖から伸びる逞しい腕に目がいくと、京は立ち上がってゼロの腕を掴んだ。
 ゼロの肘には大きな内出血斑があった。酷く肘を打ちつけたようで、紫色から紺色、黒へと染まるように変色している。
 瞬きを繰り返し、しげしげと患部を見る。どうやら何度も肘を打ち付けているようだ。よく見ると二の腕にも打ち身の痕があった。

「どないしたん? コレ」
「……仕事中に、少しぶつかってしまっただけだ。痛くない」
「そっか、湿布あるから、また言うてな」

 ゼロは腕を戻し、再び白米を口に頬張った。齧歯類のように詰め込むともきゅもきゅと咀嚼を繰り返す。どうやらあまり突っ込まれたくなかったようで気まずそうな顔をした。
 京は話題を変えようと、手を叩いて「せやせや、そういえば──」と明るい声を出した。
 
「気になっててんけど、ゼロん家って賃貸? 実家?」

 雷太を飼うときにも確認したが、その時ゼロから住居についての返答がなかった。
 ゼロは唇についた肉巻きおにぎりのタレを拭うと首を傾げた。

「家? 家はない。ずっとホテルだ」
「……は? ホテル?」

 詳しく話を聞くとゼロは二ヶ月ほど前に日本に帰国したばかりで、そのため決まった住まいを持たずにホテルを転々としていたそうだ。
 更に、数時間の仮眠と荷物を置いているだけだというのに、なぜか泊まるホテルは貧乏な京でも耳にしたことがあるような三つ星ホテルばかりだった。一泊いくらするのか検討もつかない。
 平然と話すゼロに対して京はみるみる閉口していく。呆れるほどの金銭感覚の鈍さに怒りすら覚えていた。
 青ざめた顔で拳を震わす京に、ゼロは「肉巻きの最後の一個は、食べたらだめだったか?」と見当違いな問いかけをした。空になった皿を見つめるゼロの瞳は哀愁を漂わせたが、京はそれどころではなかった。
 
「引き上げてこい。今すぐチェックアウトせぇ」
「なぜ?」
「もったいない。ほとんど使ってへんなら、俺んとこに住め」
「……良いのか?」

 良いも何も、実際一ヶ月以上毎日顔を合わせているのだ。寝床も一緒、飯も一緒。
 それはもう既に同居していると言っていいはずだ。

「金は大事に使わなあかん。お前、どこの坊ちゃんか知らんけど、金は湧かないのは分かるやろ。気になるなら、俺にくれたらええ、人間と犬の食費に家賃で三万でええやろ──あ、チェックアウトの時にアメニティはちゃんと回収な。高級シャンプーに一度使ってみたかってん。あ、電気ポットは持って来んなよ。あれ備品やから盗んだら捕まるで。はい、話は終わりや、以上!」

 ゼロの反論は聞かないとばかりに言い切ると京はテキパキと食器を洗い始めた。そうしないと恥ずかしかった。

 誰かと一緒に住みたいだなんて思う日が来るとは思わなかった。ゼロと過ごす時間は穏やかで楽しい。だから、もっとずっと一緒にいられたらと思った。
 どうか、嫌がられませんように、断られませんように……そう願った。

「分かった。そうしよう。……世話になる、すまない」

 善は急げとばかりにゼロが拠点にしていたホテルへと戻ることになった。
 玄関のドアノブに手を伸ばしたゼロが、徐ろに振り返ると優しく京の頭を撫でた。突然のことに京は反応できず、ぽかんと口を開けたまま固まった。
 慌ててゼロの背を押し、送り出すと京は大きく息を吐く。

 謝りながら撫でるなんて高度なテクニックをかましてきやがって! 俺は男やけど、女なら、きっと今頃腰が砕け放題やぞッ!

 熱を持った頬を拭うと京は小さく舌打ちした。やがて自然と口角が上がり、鼻歌を口遊むと京は雷太と共に寝室へと踵を返した。

 数時間後──ゼロが大きな荷物を三つほど抱えて帰宅した。アメニティと一緒にふっかふかの枕と、サイドチェストに置いてあったのだろう聖書をパクってきたゼロに京の雷が落ちたのは言うまでもない。
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