俺のソフレは最強らしい。

深川根墨

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4.俺の部屋、誰かおるん?

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 睡眠導入剤と抱き枕の組み合わせは当たりだった。
 あれから数日経ち、二日に一回は満足な眠りを得られるようになっていた。
 続けて数日眠れた日もあった。なんと、副作用である眩暈もなかった。
 爽快な朝を迎えた日は大音量でロックを掛けまくりたくなるほど京は興奮していた。もちろん、気が小さいためそんな愚行はありえない。
 とにかく、幽霊だった京はもういない。過去にお世話になったソフレを持ってしても、これほど質の良い睡眠を経験したことはなかった。

 やはり、文明の利器に勝るもの無し!
 抱き枕の売り文句を馬鹿にしてすみません。不調を睡眠導入剤の副作用と決めつけて封印してすみません。そして、これからもよろしく。

 仕事も予定よりも順調に進み健康状態も良好。食欲も出てきて自然と台所に立つ時間も長くなった。
 先日には大特価だった根菜を存分に使った料理を作った。
 きんぴらごぼうに豚汁、紅白なますは心持ち酢を多めに。ざっと二家族分はあるだろうが、一日三食しっかり食べるので三日ほどでなくなる。冷蔵庫の中から紅白なますが入ったタッパーを取り出した。蓋を開けて違和感を覚える。

「こんなに、俺、食べたっけ? おっかしーな、あと二食分はあると思ったんやけど」

 昨晩取り分けた時には半分ほど残っていた紅白なますが、三分の一しかない。京はきんぴらごぼうのタッパーを確認してみると、やはりこちらも握り拳分抉られたようになくなっていた。明らかにおかしかった。
 生唾をごくりと飲み込むとタッパーを冷蔵庫に押し込み部屋を見渡した。慣れ親しんだはずの我が家なのに見えるもの全てが物恐ろしい。
 
 ここ数日、部屋にある物の配置が微妙に違っていることがあったけど……まさか、誰かが侵入してる、とか? まさか、幽霊……とか?

 思い返してみると水出しコーヒーの減りが早かったり、歯磨き粉の位置が少し違っていたり、楽しみにしていた関西だし醤油味のスナックがなかった。確かに感じた違和感の数々を思い返して京はひとり身震いした。

 京の頭に海外の珍ニュースが浮かんだ。海外の一軒家の屋根裏にストーカーが忍びこみ、夜な夜な皆が寝静まった頃に家の中を徘徊していた男の話だ。
 頭のネジが吹っ飛んだ奴だ。主のピザを頂戴したことで事件が発覚したらしいが、まさに全く同じことが京の身に起こっている。

 犯行の発覚を恐れた犯人が口封じのために襲ってきたらと思うとじっとしていられなかった。しかし、筋肉も武道の心得のない京に対抗する術はない。
 盗聴器や隠しカメラが仕込まれているのかもしれないので、下手に声は出せない。口元を押さえつつ瞳だけで周囲を窺う。
 
 まさか、ベランダから?

 椅子にかけていたタオルを手にベランダへと向かう。
「洗濯物干さなきゃな」と独りごちて網戸を開け、ベランダを見渡す。室外機には随分前に活を入れた時の足跡が残っているだけだけだった。手摺りにも、どこにも侵入の形跡は見当たらなかった。
 六階までよじ登れば必ず足跡が残る。更に両隣にも住人がいる。絶対に不可能だ。

「ま、ですよねー。まぁ、夏やし、さっぱりしたもんとか、冷たいもんはあっという間になくなるわな」

 神経質過ぎたのだと苦笑し部屋へと戻った。その日は仕事もそこそこに台所周りを念入りに掃除した。ただ、なんとなくそうしたかった。おかげでシンクは鏡のような輝きを取り戻していた。



 夢を見ていた。
 熱した鉄のような夕日を背にしている。縦に伸びた影は陽炎のように揺めき続けていた。夢と記憶が織り混ざっているのだろう。京はこの場所を知っていた。一時期通っていた保育園の園庭だ。
 京は保育園の砂場で一人座り込んでいた。砂利を両脇から掻き集めて山を作っていた。太陽の熱を一日中受けた砂は、陽が落ちた時間でも暖かかった。

 砂が水のように流動性を持つと、たぷんとした効果音とともに砂の沼へと引き摺り込まれる。砂地獄、底無し沼──どちらにしても苦しくて辛い。身を捩らせて助けを呼ぼうにも声が全く出なくなっていた。
 
 怖い──目が覚めなきゃ、早く、早く……っ!

 一瞬身体が浮いた感覚がした。腕を誰かに引き上げられた感じ。壊れ物に触れるように抱きしめるとゆったりとした手つきで撫でてくれた。

『すまない、遅くなった』

 男性特有の低い声。抑揚のない口調。それなのに涙が出るほど安堵した。誰かも分からない。だが、京はこの男が味方だと知っていた。必死でその首にしがみついた。

 突然耳元で何かが割れる音がした。眩しかった夕陽がたちまち細かな粒子となり地面に叩きつけられ、一瞬にして闇が訪れた。
 夢から覚めたのだと気付いたのは窓の外から聞こえる雷鳴だった。興奮していたせいか、心臓の鼓動がうるさくて胸を叩いた。停電しているのか、就寝灯は消えて部屋の中は暗かった。

「目覚めてしもた……」

 その刹那──部屋を青錆色に染める雷光が部屋を照らし、一層激しい雷鳴が響いた。

「ッ──」

 暗闇を雷光が切り裂いた。
 その時初めて部屋の中に誰かがいることに気がついた。部屋の壁に佇み、こちらを見下ろす直立不動の人影が見えた。人間は本当に恐ろしい時には声帯も手足も動けなくなるのだと京は初めて知った。

 確かにいた。誰かがいた。

 夏だというのに黒の長袖をきた男が立っていた。幽霊、かもしれない。京は自慢じゃないがこの年まで幽霊を見たこともないし、第六感についても否定的だった。

 もしかして、泥棒──いや、生きてても死んでても怖い。無理無理、この状況怖いッ!
 
 雷鳴だけがこの部屋を支配していた。物音ひとつしない部屋が不気味だ。

 このまま寝たふりをした方がいい? それとも静かにお経を唱えた方が……あ、俺、無宗教だった。さっき、動けなかったのって、もしかして金縛り──あ、そっか。これ、夢なのか? 悪夢の続きか! よし、目覚めよう! 

「よし、俺、起きろ起きろっ。もう目覚め──」
「もう、起きてるぞ」
「……へ?」

 再び雷鳴とともに空が明るく光った。
 目の前に男の顔があった。鼻と鼻がくっつきそうなほど近い。
 やたらと堀りの深い顔だった。
 暗闇だというのに眼光が鋭く、射抜かれたように動けなかった。
 稲光が点滅するように瞬いた。そこで、ようやく目の前の男の頰から首にかけて飛び散る赤い点に気がついた……返り血だ。

「ひ、血……」

 叩きつけられたような血の跡が男の頬にへばりついていた。その瞬間、京の視界は暗転した。
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