早翔-HAYATO-

ひろり

文字の大きさ
上 下
62 / 69

起動(1)

しおりを挟む
 赤茶色の壁に程よく暗緑色の蔦が這っているレトロな風情の建物の1階に、そのバーはあった。
 酒好きの間ではちょっとした老舗の有名店で、早翔も蘭子に連れられ何度か訪れたことがある。
 70をとうに過ぎたオーナーの流れるようなカクテルを作る姿には、年齢を感じさせない矍鑠かくしゃくたるものがあった。

 忙しい日々の中で、すっかり足が遠のいて、その存在も忘れていたある日、向井から「ちょっと会えないか」と連絡が来た。
 その口調がビジネスモードなのか誘っているのか、どちらともつかない。
「向井さんの仕事部屋以外ならいいけど」
 ことさら感情を抑えて返す早翔に、電話の向こうからフンと鼻を鳴らしたような音が聞こえる。

「お前の店の候補を一つ提供したい」
 予想外の返しに、「なんで向井さんが…」と言って言葉が詰まる。
「まだ決まってないと聞いたんでね」
「聞いたって誰から」
「お前は誰にものを言ってる。とにかく一つ候補を用意したから見に来い」
 相変わらずの不機嫌と高姿勢である。

 店のコンセプトや内装の雰囲気、提供する酒の種類など、具体的に思い描いてはいたが、肝心の場所が決まらない。
 不動産屋にいくつか店舗を提案されていたが、どれも決め手に欠けていた。
 そして向井に連れて行かれたのが件の老舗バーだった。
 その時初めて、オーナーが高齢のためバーテンダーを引退し、閉店していたことを知った。

 内見した物件はどれもコンクリート打ちっぱなしの物件だったが、そこはすぐにでも開店できそうな居抜き物件だった。
 内装や設備にかける初期費用が抑えられ、何より常連だった客を呼び戻せることを考えると、迷う余地もない。

「見返り無しでいいの」
 早翔はカウンターの中に入り、目線の高さを確認しながら店内を見回し、軽い調子で尋ねる。
「求めてもいいのか」
 表情ひとつ変えずに訊く向井に視線を合わせ、早翔が苦笑する。
 釣られたように、向井の頬もゆがむ。
「まあ、見返りが必要かどうか蘭子に訊いてみろ」
「蘭子さん?」
「前オーナーからここを譲り受けたのは蘭子だ。どうせ自分で店を開いて、お前をバーテンで立たせるつもりだったんだろ」

 早翔は蘭子と一緒に訪れた時の会話を思い出していた。
 そのレトロな外観が、店のランクを低く見せているような気がすると言うと、蘭子はわかってないわねと笑った。
「曖昧にはしているけど、低く見せてはいないわ。それに、街に特徴のない同じようなビルが立ち並んでも、こういう建物は残したいわよね。その街のアクセントになるし、小さなランドマークにもなって行く。何より移り行く街並みの中で郷愁を誘うじゃない」
 そんなことを、遠い昔を懐かしむような微笑みを浮かべて語っていた。

 早翔は店を見回しながら何度か頷く。
「ここに決めようかな」
 穏やかな笑みを浮かべ向井を見た。
「やけに素直だな… 面白くない」
 眉根を浅く寄せて不満げに早翔を睨んでいる。
「もっと拒否されると思ったのに… お前にはポリシーがない。プライドもない」

「何が言いたいんだよ。向井さん、この話断らせたいの」
「いや、蘭子からは脅してでも契約させろと言われてる」
 早翔の口から笑いが漏れる。
「つまり、俺を脅して泣かせてハンコ押させたかったわけか… 俺のこと言えないくらいガキ…」
「なんだと」と、唇をゆがませ、ニヤリと笑う。
「そんなこと言ってタダで済むと思うのか」
 早翔は「はぁ…」と、呆れ顔で大袈裟に声に出して息を吐く。

「向井さん、もう付き合ってる人いるんでしょ。裏切っちゃダメだよ」
 向井が目を細めてジロリと睨む。
「お前だろ… くだらん告白の仕方教えやがって。俺は社内のヤツとは付き合わん」
「リスクマネジメントってやつですか… 断ったの」
 向井がぷいっと横を向く。
「いや… あいつ、自分が会社を辞めるからと食い下がってきた」
 その顔には珍しく感情が出ている。

「最初から泣き落としだ」
「俺、泣けなんて言ってないし」
 チラッと早翔を見て、すぐに視線を戻す。
「健気で女々しい。アイツは俺を満足させようと必死だ。時々、お前と比べてどうかと訊かれる… 涙ぐみながら」 
「可愛いね… てか、全然想像できない」
 向井の横顔がほころび、想像するなよと唇の端で笑う。
「まあ… そのギャップも含めて可愛いヤツだな」
「そこら辺にあったね… 恋とか愛とか」
 向井が、鼻で笑って小さく「ぬかせ」と吐き捨てる。

「まだ先の話だけど、開店した時は二人で来てよ」
「そうだな… 来てやってもいい」
「大事な奥さん、連れてきてもいいし…」
 一転、冷めた視線を早翔に投げる。
「まあ… 考えておく」
「子供が成人したら一緒に…」
「もういいわ。どれだけ必死なんだ」と、早翔の言葉を遮り破顔した。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

蘭 子ーRANKOー(旧題:青蒼の頃)

ひろり
現代文学
大人の事情に翻弄されながら、幼い私が自分の居場所を探し求め手に入れた家族。そのカタチは少々歪ではあったが… 《あらすじ》 ある日、私は母から父のもとへと引き渡された。そこには、私を引き取ることを頑なに拒否する父の妻がいた。 どうやら、私はこの家の一人息子が亡くなったので引き取られたスペアらしい。 その上、父の妻にとっては彼女の甥を養子に迎えるはずが、それを阻んだ邪魔者でしかなかった。 ★「三人家族」から乳がんの話が出てきます。苦手は方は読まないで下さい。 ★会話の中に差別用語が出てきますが当時使われた言葉としてそのまま載せます。 ★この物語はフィクションです。実在の地名、人物、団体などとは関係ありません。 *凛とした美しさの中に色香も漂う麗しい女性の表紙はエブリスタで活躍中のイラストレーターGiovanniさん(https://estar.jp/users/153009299)からお借りしています。 表紙変更を機にタイトルも変更しました。 (「早翔」に合わせただけやん(^◇^;)ニャハ…28歳くらいの蘭子をイメージしてます。早翔を襲った時くらいですかね(^^;)) *本文中のイラストは全てPicrew街の女の子メーカー、わたしのあの子メーカーで作ったものです Picrewで遊び過ぎて、本文中に色々なイラストを載せたので、物語の余韻をかなり邪魔してます。余計なものを載せるな!と思われたらそっとじしてくださいm(._.)m

ロングマフラー

ひろり
現代文学
~あれから二十年…時は流れても、お婆ちゃんの心にはいつまでも生きている~ 《あらすじ》 老人介護施設に入居してきた麻子は、サックスブルーの長い手編みのマフラーをぐるぐると首に巻いていた。 何とか麻子から取り上げようとするが、麻子は強く拒否して離さない。 それは亡くなった孫の形見の品だった。 *表紙はpicrewあまあま男子メーカー、背景は悦さんのフリー素材「沈丁花」を使用させていただきました。 ***** 沈丁花サイドストーリー 沈丁花から20年近く時が経った頃の、蒼葉くんのことを一番理解していたお婆ちゃんの物語です。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...