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後手(2)
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焦点の合わない目で呆然としている早翔に、向井が「その通りだ」と頷く。
「タイミング良く買い手も決まったのは、親父さんの生前の人徳だと言ってた」
「親父の人徳?」
早翔が眉根を寄せて苦笑した。
「俺たちに借金を丸投げされて…」
「丸投げ? 借入金の連帯保証も引き継がれてるはずだぞ。お前が今、返してるのは、個人の借金だろ」
「個人…」
早翔が言葉を詰まらせる。
「まあ、オーナー経営だから、どこまでが個人の借金かは曖昧な部分はあるけどな。退職金や弔慰金もでき得る限り支給して、借金も当初の半分にはなってたはずだ。まあ、俺から見てもいいブレーンが揃ってたと思う」
向井が諭すように穏やかな口調で言いながら、早翔の前に置かれた空のグラスにシャンパンを注ぐ。
「弁護士が自己破産するよう勧めたらしいが、お袋さんのプライドが許さないのか、借りたものは返すと拒否されたそうだ」
「だったら… 自分で返せよ…」
早翔が絞り出すように言葉を吐く。
「お袋さんは働いたことのない、世間知らずなお嬢さんみたいな人だってな。弁護士だろうが従業員だろうが、見下すような目を向けられると言ってた」
向井が早翔の肩を抱き寄せた。
「お前があと1年早く生まれていたらな。若き社長の元で何とかなったような気がする…」
その優しい言葉が早翔の心の奥底を揺さぶり、不意に目が潤む。
「いや… この店の無駄を無くして売上を伸ばしているところと見ると、お前を経営者会議から排除したのが間違いだったな。未成年の高校生というだけで」
早翔の目から大粒の涙が流れる。
向井が早翔の震える肩を優しくさすった。
気が付くとベッドの上にいた。
見覚えのない部屋に、早翔はあたりを見回した。天井には事務室のような飾り気のない蛍光灯、陽の差すほうを見ると、これまたオフィスの会議室のようなブラインドカーテンが取り付けられた窓。
起き上がろうとすると、ズキズキと頭に痛みが走り、そのままベッドに突っ伏す。そこで初めて、自分が裸であることに気付いた。
ふうと息を吐く音がする。
ギョッとして吐息がしたほうを見ると、そこにスーツ姿の向井が立っていた。
愕然と固まったまま、向井を凝視する。
「ほれ、水だ。飲め」
眼鏡の奥の目にはいつもの冷徹な印象はない。
「お… 俺、どうして…」
「お前、酒弱いんだな。ホストのくせに」
向井はベッドに腰を下ろすと、早翔に水の入ったグラスを差し出した。
早翔は後ずさって、毛布にくるまる。
「何だよ、その目は」
向井が苦笑する。
「俺、なんで裸…」
「何だよ、憶えてないのかよ。なかなか良かったぞ… お前のカラダ」
「ア…アンタ… ゲイ… バイなの」
早翔は、向井の左手の薬指のリングに目をやる。
「いや、ゲイだ。だけど、俺、一人っ子だしな。残念ながら男同士では子供は生まれんから」
その涼しい口調が早翔を苛立たせる。
「俺のこと抱いたのかよ」
「さっき言ったろ、お前の感想。まあ、もう少し筋肉が欲しいが、悪くはなかったよ」
「アンタ、正体ないヤツ抱いて楽しいのか!」
「お前… 自分が覚えてないからって正体ないと思わないほうがいい」
向井がクックッと押し殺すように笑う。
「安心しろ、ちゃんと反応してたし、よがり方は実に可愛いかった」
絶句している早翔のことなど気にも留めず、立ち上がるとベッドの上に鍵を投げた。
「ここは俺の仕事部屋。昔、独立して事務所開いて、あっという間に潰した苦い思い出の場所だ」
向井が視線を向けたほうを見ると、部屋の一角に事務机と本棚があった。
「ブースも作って、クライアントの行列ができるくらいの事務所にしようと思ったんだがな」
向井は自嘲気味に笑って早翔に視線を戻す。
「で、組織に属してるほうが向いてたことに気付いたというわけだ。社畜は出勤だから、お前は好きにしろ。鍵はスペアだから今度会った時でいい」
向井は馴れ馴れしい笑みを唇の端に乗せ、早翔に背を向けた。
早翔は呆然とその背を見送り、向井が出て行くと同時に力が抜けたようにベッドに倒れ込んだ。
「タイミング良く買い手も決まったのは、親父さんの生前の人徳だと言ってた」
「親父の人徳?」
早翔が眉根を寄せて苦笑した。
「俺たちに借金を丸投げされて…」
「丸投げ? 借入金の連帯保証も引き継がれてるはずだぞ。お前が今、返してるのは、個人の借金だろ」
「個人…」
早翔が言葉を詰まらせる。
「まあ、オーナー経営だから、どこまでが個人の借金かは曖昧な部分はあるけどな。退職金や弔慰金もでき得る限り支給して、借金も当初の半分にはなってたはずだ。まあ、俺から見てもいいブレーンが揃ってたと思う」
向井が諭すように穏やかな口調で言いながら、早翔の前に置かれた空のグラスにシャンパンを注ぐ。
「弁護士が自己破産するよう勧めたらしいが、お袋さんのプライドが許さないのか、借りたものは返すと拒否されたそうだ」
「だったら… 自分で返せよ…」
早翔が絞り出すように言葉を吐く。
「お袋さんは働いたことのない、世間知らずなお嬢さんみたいな人だってな。弁護士だろうが従業員だろうが、見下すような目を向けられると言ってた」
向井が早翔の肩を抱き寄せた。
「お前があと1年早く生まれていたらな。若き社長の元で何とかなったような気がする…」
その優しい言葉が早翔の心の奥底を揺さぶり、不意に目が潤む。
「いや… この店の無駄を無くして売上を伸ばしているところと見ると、お前を経営者会議から排除したのが間違いだったな。未成年の高校生というだけで」
早翔の目から大粒の涙が流れる。
向井が早翔の震える肩を優しくさすった。
気が付くとベッドの上にいた。
見覚えのない部屋に、早翔はあたりを見回した。天井には事務室のような飾り気のない蛍光灯、陽の差すほうを見ると、これまたオフィスの会議室のようなブラインドカーテンが取り付けられた窓。
起き上がろうとすると、ズキズキと頭に痛みが走り、そのままベッドに突っ伏す。そこで初めて、自分が裸であることに気付いた。
ふうと息を吐く音がする。
ギョッとして吐息がしたほうを見ると、そこにスーツ姿の向井が立っていた。
愕然と固まったまま、向井を凝視する。
「ほれ、水だ。飲め」
眼鏡の奥の目にはいつもの冷徹な印象はない。
「お… 俺、どうして…」
「お前、酒弱いんだな。ホストのくせに」
向井はベッドに腰を下ろすと、早翔に水の入ったグラスを差し出した。
早翔は後ずさって、毛布にくるまる。
「何だよ、その目は」
向井が苦笑する。
「俺、なんで裸…」
「何だよ、憶えてないのかよ。なかなか良かったぞ… お前のカラダ」
「ア…アンタ… ゲイ… バイなの」
早翔は、向井の左手の薬指のリングに目をやる。
「いや、ゲイだ。だけど、俺、一人っ子だしな。残念ながら男同士では子供は生まれんから」
その涼しい口調が早翔を苛立たせる。
「俺のこと抱いたのかよ」
「さっき言ったろ、お前の感想。まあ、もう少し筋肉が欲しいが、悪くはなかったよ」
「アンタ、正体ないヤツ抱いて楽しいのか!」
「お前… 自分が覚えてないからって正体ないと思わないほうがいい」
向井がクックッと押し殺すように笑う。
「安心しろ、ちゃんと反応してたし、よがり方は実に可愛いかった」
絶句している早翔のことなど気にも留めず、立ち上がるとベッドの上に鍵を投げた。
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向井が視線を向けたほうを見ると、部屋の一角に事務机と本棚があった。
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向井は自嘲気味に笑って早翔に視線を戻す。
「で、組織に属してるほうが向いてたことに気付いたというわけだ。社畜は出勤だから、お前は好きにしろ。鍵はスペアだから今度会った時でいい」
向井は馴れ馴れしい笑みを唇の端に乗せ、早翔に背を向けた。
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