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揺れる記憶
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「璃子ちゃん、大きくなったわね。お姉ちゃんのこと覚えてる?」
璃子は一生懸命記憶をたどり目の前の女の顔を思い出そうとするが思い出せない。
とりあえず、うんと頷くと曖昧に微笑んだ。
「小さかったから覚えてないか」
心の内を読み取られ嘘をついた時のような後ろめたさに思わず璃子は下を向いた。そろそろと目線だけ女のほうに向けると、女は変わらず優しく微笑んでいる。
璃子はほっとして顔を上げ笑顔を見せた。
そこは璃子が今まで住んでいた家のリビングダイニングよりも広く、ダイニングテーブルも大きかった。
今までは向かい合って座っても、母が手を伸ばせば璃子の頬に付いたご飯粒を取れる距離だったが、このテーブルは遠過ぎて少し寂しく感じるくらいだと璃子は思った。
それを察したように女が自分のコーヒーカップを手に立ち上がると璃子の隣の席へと移動した。
「玲子っていう名前なの」
「れいこ。それがおばちゃんの名前なの?」
玲子は目を丸くしておどけるような顔になる。
「おばちゃんじゃなぁい! お姉ちゃん」
「お姉ちゃん…」
「璃子ちゃんのママよりもうんと年下なんだからぁ」
玲子がぷっくり頬っぺたをふくらませる。
璃子は思わず吹き出すと満足そうに玲子が笑った。
「お姉ちゃんはお母さんのお友達なの?」
「うん。もうずいぶん長いこと会ってないけど、元気にしてるみたい」
璃子は玲子の言葉が理解できなかった。
迎えに来た玲子に、母が璃子を引き渡した時には二人がとても友達とは思えなかったからだ。
玲子は鋭い目で母を睨み付け、母はその視線を避けるように顔を横に向けていた。
玲子はフンと鼻を鳴らす。
「まあ、無理にどっちかに引き取られて虐待されても困るし、とりあえず3年半面倒看てくれたことは感謝します」
そう吐き捨てるように言うと、「さあ、行きましょ」と璃子の手を引いて母に背を向けた。
璃子が後ろを振り返ろうとすると、玲子の手がグイっと璃子の手を引き寄せそれを許さなかった。
「これからもお母さんに会ったりするの?」
「どうかなぁ、連絡はしたけどね」
「お母さんとお父さん、また璃子に会ってくれるかなあ」
玲子はえっと驚き、口を半開きにしたまま璃子を見つめて固まった。
玲子の目が潤んだのと同時に、視線を璃子から外してひとつ息を吐く。
「ココア、飲んで。冷めちゃうよ」
玲子が目の前の花模様のカップに入ったココアを指さす。璃子は両手でカップを持つとそろそろと一口飲んだ。
「美味しい」と小さく呟くと玲子は満面の笑みを見せ、璃子の頭を撫でた。
「お父さんとお母さんはもう二度と璃子ちゃんに会うことはないわ。だってニセモノだったんだもの」
「ニセモノ…」
「そうよ。璃子ちゃんのお父さんとお母さんになって立派に育てますって言ったのに、嘘つきだったの」
「嘘つき…」
「本当の親子じゃなくてもね、璃子ちゃんのことを大事に愛情いっぱいに育てた時、本物の親になれるの。あの二人はそれができなかったからニセモノよ。だけど、短かったけど一緒に住んで育ててもらったことには間違いないからそこはありがとうって思ってね」
「じゃあ、お友達って誰のこと?」という言葉が喉まで出かかっていたが、璃子は唇をぎゅっと結んで押し黙った。
その日の夜、大きなベッドの傍らで璃子は透け透けのパジャマらしきものを着せられていた。
「ごめんね、こんなのしかなくて」
ひらひらと花びらのような縁取りがされて膝より少し上のミニスカート丈、胸からすそまでボタンの代わりにリボンで結ばれている。
「可愛いね。こんなの着たの初めて」
ひらひらのすそを揺らせて璃子が嬉しそうに笑った。
「お姫様みたいに見えるよ。明日はパジャマ買ってくるからね。今日だけお姉ちゃんので我慢してね」
唇をニッと横に広げて首を傾げる玲子に璃子は、はにかみながら笑顔を返す。
ベッドに入るように促され、端のほうに小さく横になると、玲子は璃子を抱え上げ中央へと移動させた。
そんな風に抱きかかえられた記憶はなかった。
璃子の背中と腿に触れる玲子の腕の感触が優しくてそのまま抱きしめて欲しいと思った。
璃子は静かに抜き取られる玲子の腕を思わずつかんでいた。
玲子は少し驚いた様子だったがすぐに笑みを浮かべる。
「一緒に寝て欲しいの?」
璃子は目を伏せた。
「子供は遠慮しない。して欲しいことをして欲しいって自分の言葉でいいなさい」
おずおずと玲子を見ると、柔らかな微笑みをたたえている。
「一緒に寝てください…一人はイヤ」
泣くつもりもないのに勝手に璃子の目に涙が浮かぶ。
「はい、じゃあ一緒に寝ましょ」
玲子は傍らに横になると優しく璃子を抱き締めた。
水の中から誰かが見える。
誰…
乱雑に揺らめく水に流れて顔が崩れている。
苦しくて水から顔を出そうともがくが水面から璃子の両肩に伸びた腕がそれを許さない。
必死でその腕をつかもうとするが小さな手ではバタつかせるのがやっとだ。
一瞬、水面の上に引き上げられた時、泣いている女の顔が見えた。そしてまた水の中につけられる。
死んじゃう…
そう思った瞬間、「うわぁッ!」と声を上げ、璃子が力を振り絞って水の外に頭を突き上げた。
璃子はベッドの上にいた。
まるで水の中から生還したように肩を上下させ荒い息を吐いている。
隣にいるはずの玲子はいない。
璃子はベッドから降りるとリビングに向かった。
「あの子は渡さないから」
リビングから玲子の声が聞こえた。
「そんなことお前が決めることじゃない。凪子だって一度捨てた我が子とは一生会わない覚悟だった。こんな状況になったら誰だって考え直すだろう。凪子だってもういい歳だ。昔とは違う」
男の声だった。そっと覗くと、男がソファに座りその隣で玲子がピッタリと体を付けて男にもたれている。
「とにかく凪子姉さんの覚悟を見せてもらわないとね。簡単に渡したりするもんですか」
「なぎこ…」
思わず呟いていた。
「璃子ちゃん、起きちゃったの」
玲子が慌てた様子で立ち上がり璃子の元に駆け寄った。
「お前、何着せてんだよ。風邪ひかす気か」
男は唇の端にニヤついた笑いを浮かべている。
「いいじゃない、お姫様みたいで」
玲子が唇を尖らせると、ねえと璃子に同意を求め、軽々と璃子を抱き上げてソファまで運んだ。
男が自分の着ていたガウンを脱ぐと半袖の白いシャツから複雑な模様の絵が描かれた太い腕がぬっと露わになった。璃子はその腕を凝視して固まったが、かまわず男はガウンに璃子をくるんで膝の上に乗せた。
璃子がおずおずと上目遣いで男を見上げると、男の顔が崩れて白い歯を見せる。
「大蔵おじさんよ。お姉ちゃんの旦那さん」
「お前、俺がおじさんならお前はおばちゃんだろ」
「私はお姉ちゃん、まだ20代だし美人だしぃ、ねえ」
二人が満面の笑顔を璃子に向け、自然と璃子の顔もほころび小さな笑い声が出た。その時初めて、こんな風に笑ったのは久しぶりだと気づいた。
この二人がお父さんとお母さんならよかったのに…
璃子はそんなことをかすかに心に浮かべたが、すぐに打ち消すように小さく首を振った。
璃子は一生懸命記憶をたどり目の前の女の顔を思い出そうとするが思い出せない。
とりあえず、うんと頷くと曖昧に微笑んだ。
「小さかったから覚えてないか」
心の内を読み取られ嘘をついた時のような後ろめたさに思わず璃子は下を向いた。そろそろと目線だけ女のほうに向けると、女は変わらず優しく微笑んでいる。
璃子はほっとして顔を上げ笑顔を見せた。
そこは璃子が今まで住んでいた家のリビングダイニングよりも広く、ダイニングテーブルも大きかった。
今までは向かい合って座っても、母が手を伸ばせば璃子の頬に付いたご飯粒を取れる距離だったが、このテーブルは遠過ぎて少し寂しく感じるくらいだと璃子は思った。
それを察したように女が自分のコーヒーカップを手に立ち上がると璃子の隣の席へと移動した。
「玲子っていう名前なの」
「れいこ。それがおばちゃんの名前なの?」
玲子は目を丸くしておどけるような顔になる。
「おばちゃんじゃなぁい! お姉ちゃん」
「お姉ちゃん…」
「璃子ちゃんのママよりもうんと年下なんだからぁ」
玲子がぷっくり頬っぺたをふくらませる。
璃子は思わず吹き出すと満足そうに玲子が笑った。
「お姉ちゃんはお母さんのお友達なの?」
「うん。もうずいぶん長いこと会ってないけど、元気にしてるみたい」
璃子は玲子の言葉が理解できなかった。
迎えに来た玲子に、母が璃子を引き渡した時には二人がとても友達とは思えなかったからだ。
玲子は鋭い目で母を睨み付け、母はその視線を避けるように顔を横に向けていた。
玲子はフンと鼻を鳴らす。
「まあ、無理にどっちかに引き取られて虐待されても困るし、とりあえず3年半面倒看てくれたことは感謝します」
そう吐き捨てるように言うと、「さあ、行きましょ」と璃子の手を引いて母に背を向けた。
璃子が後ろを振り返ろうとすると、玲子の手がグイっと璃子の手を引き寄せそれを許さなかった。
「これからもお母さんに会ったりするの?」
「どうかなぁ、連絡はしたけどね」
「お母さんとお父さん、また璃子に会ってくれるかなあ」
玲子はえっと驚き、口を半開きにしたまま璃子を見つめて固まった。
玲子の目が潤んだのと同時に、視線を璃子から外してひとつ息を吐く。
「ココア、飲んで。冷めちゃうよ」
玲子が目の前の花模様のカップに入ったココアを指さす。璃子は両手でカップを持つとそろそろと一口飲んだ。
「美味しい」と小さく呟くと玲子は満面の笑みを見せ、璃子の頭を撫でた。
「お父さんとお母さんはもう二度と璃子ちゃんに会うことはないわ。だってニセモノだったんだもの」
「ニセモノ…」
「そうよ。璃子ちゃんのお父さんとお母さんになって立派に育てますって言ったのに、嘘つきだったの」
「嘘つき…」
「本当の親子じゃなくてもね、璃子ちゃんのことを大事に愛情いっぱいに育てた時、本物の親になれるの。あの二人はそれができなかったからニセモノよ。だけど、短かったけど一緒に住んで育ててもらったことには間違いないからそこはありがとうって思ってね」
「じゃあ、お友達って誰のこと?」という言葉が喉まで出かかっていたが、璃子は唇をぎゅっと結んで押し黙った。
その日の夜、大きなベッドの傍らで璃子は透け透けのパジャマらしきものを着せられていた。
「ごめんね、こんなのしかなくて」
ひらひらと花びらのような縁取りがされて膝より少し上のミニスカート丈、胸からすそまでボタンの代わりにリボンで結ばれている。
「可愛いね。こんなの着たの初めて」
ひらひらのすそを揺らせて璃子が嬉しそうに笑った。
「お姫様みたいに見えるよ。明日はパジャマ買ってくるからね。今日だけお姉ちゃんので我慢してね」
唇をニッと横に広げて首を傾げる玲子に璃子は、はにかみながら笑顔を返す。
ベッドに入るように促され、端のほうに小さく横になると、玲子は璃子を抱え上げ中央へと移動させた。
そんな風に抱きかかえられた記憶はなかった。
璃子の背中と腿に触れる玲子の腕の感触が優しくてそのまま抱きしめて欲しいと思った。
璃子は静かに抜き取られる玲子の腕を思わずつかんでいた。
玲子は少し驚いた様子だったがすぐに笑みを浮かべる。
「一緒に寝て欲しいの?」
璃子は目を伏せた。
「子供は遠慮しない。して欲しいことをして欲しいって自分の言葉でいいなさい」
おずおずと玲子を見ると、柔らかな微笑みをたたえている。
「一緒に寝てください…一人はイヤ」
泣くつもりもないのに勝手に璃子の目に涙が浮かぶ。
「はい、じゃあ一緒に寝ましょ」
玲子は傍らに横になると優しく璃子を抱き締めた。
水の中から誰かが見える。
誰…
乱雑に揺らめく水に流れて顔が崩れている。
苦しくて水から顔を出そうともがくが水面から璃子の両肩に伸びた腕がそれを許さない。
必死でその腕をつかもうとするが小さな手ではバタつかせるのがやっとだ。
一瞬、水面の上に引き上げられた時、泣いている女の顔が見えた。そしてまた水の中につけられる。
死んじゃう…
そう思った瞬間、「うわぁッ!」と声を上げ、璃子が力を振り絞って水の外に頭を突き上げた。
璃子はベッドの上にいた。
まるで水の中から生還したように肩を上下させ荒い息を吐いている。
隣にいるはずの玲子はいない。
璃子はベッドから降りるとリビングに向かった。
「あの子は渡さないから」
リビングから玲子の声が聞こえた。
「そんなことお前が決めることじゃない。凪子だって一度捨てた我が子とは一生会わない覚悟だった。こんな状況になったら誰だって考え直すだろう。凪子だってもういい歳だ。昔とは違う」
男の声だった。そっと覗くと、男がソファに座りその隣で玲子がピッタリと体を付けて男にもたれている。
「とにかく凪子姉さんの覚悟を見せてもらわないとね。簡単に渡したりするもんですか」
「なぎこ…」
思わず呟いていた。
「璃子ちゃん、起きちゃったの」
玲子が慌てた様子で立ち上がり璃子の元に駆け寄った。
「お前、何着せてんだよ。風邪ひかす気か」
男は唇の端にニヤついた笑いを浮かべている。
「いいじゃない、お姫様みたいで」
玲子が唇を尖らせると、ねえと璃子に同意を求め、軽々と璃子を抱き上げてソファまで運んだ。
男が自分の着ていたガウンを脱ぐと半袖の白いシャツから複雑な模様の絵が描かれた太い腕がぬっと露わになった。璃子はその腕を凝視して固まったが、かまわず男はガウンに璃子をくるんで膝の上に乗せた。
璃子がおずおずと上目遣いで男を見上げると、男の顔が崩れて白い歯を見せる。
「大蔵おじさんよ。お姉ちゃんの旦那さん」
「お前、俺がおじさんならお前はおばちゃんだろ」
「私はお姉ちゃん、まだ20代だし美人だしぃ、ねえ」
二人が満面の笑顔を璃子に向け、自然と璃子の顔もほころび小さな笑い声が出た。その時初めて、こんな風に笑ったのは久しぶりだと気づいた。
この二人がお父さんとお母さんならよかったのに…
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