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第9章 空とパステル
第39話 秘密の場所
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その日の夕のお勤め前、空さんは空き時間にあの平べったくて薄い箱を持ってシェアトの西にある木戸からこっそり隠れるように外に出て行く。
それを目撃した僕は、空さんがまた危険なことをするのではないかとひどく不安になりできるだけ穏やかな口調で声をかけた。
「どこに行くんですか」
空さんは大げさにびくっとした後、恐る恐る僕を見つめる。まさかまたこの間みたいに死に繋がるような真似をするつもりだったのか。僕は緊張した。すると空さんは僕を値踏みでもするようにじーっと見つめたあとこう言った。
「誰にも言わないって約束できる? ならついてきてもいいよ」
勿論僕は空さんに秘密を守ると誓いを立て、空さんのあとについて行った。
道なき道を十分ほど進むと小さな草原に出た。そこは湿地帯だった。
いくつもの小さい沼や小さな泉と湧き水でできた透明な水の池が連なり、水面をアメンボやミズスマシが涼し気に泳いでいる。きれいな水色のイトトンボが飛び交う。ここから見た池や沼の向こう側には岩が折り重なる低い崖が見え、その上から小さな滝が流れていた。滝の飛沫と木陰のせいでここは周りより3~4℃も気温が低く感じられる。僕は感嘆した。ここはまるで自然の庭園だ。
「これは驚いたな。こんな場所があるだなんて……」
「色々歩き回っていたら偶然見つけた。きれいなとこでしょ」
自然の織り成す造形に嘆息し、茫然とする僕の言葉に淡々と答える空さん。だが色々歩き回っていたと空さんは言った。まさか死に場所を求めていたのではないだろうか。僕の胸に疑念と恐怖が湧き上がった。
空さんはすぐそばにある池の目前に広がる草原に腰かけると、スケッチブックとパステルともうひとつのケースを取り出してきた。
「それは?」
「パステルと色鉛筆」
「僕の知ってるクレヨンなんかとは随分違いますね」
「小学校の教材とは違うよ。プロ仕様って程じゃないけど」
「これ何色あるんですか」
「50色。もっとちゃんとしたのだと100色くらい普通」
「へえ、すごいな」
空さんの妙にプロっぽい言葉に僕は驚いた。空さんはもともとこういう仕事をしていた人なのか? 画家とか、イラストレーターとか。それにしても今日の空さんは驚くほど饒舌だ。
空さんは早速木漏れ日の差す泉を描き始めた。草むらがあり、岩があり、小さな滝があり、清水があり、沼や水の澄んだ小さな池がある情景を黙々と描く空さん。その真剣で集中している顔の美しさに僕は引き込まる。こうして改めて見るとその横顔は思ったよりも童顔だ。鼻は高くとも小さく目は大きい。
そしてこうして絵を描いている空さんからはシエロと触れあっている時と同じく、いつも身に纏っている暗い死の翳がすっかり消えさっている。きれいだ。僕の視線に気付いたのか空さんがこっちを向く。目が合う。顔が火照るのを感じ、僕は思わず空さんから目を逸らす。
「今度ひろ君も描いてあげようか」
僕は何と答えて良いか分からなかった。嬉しいような気恥しいような気持ちが交錯する。空さんは僕の答えなど期待していなかったように絵を描き始めた。
パステルで手慣れた様子で絵を描きながら描いた部分をティッシュや指で軽く擦る。パステルで一通り書き終えると色鉛筆でさらに細かく描き込んでいく。みるみるうちに出来上がっていく泉の風景画。僕は、その見事な絵に空さんが絵の仕事をしているに違いないと確信した。
【次回】
第40話 空のスケッチ
それを目撃した僕は、空さんがまた危険なことをするのではないかとひどく不安になりできるだけ穏やかな口調で声をかけた。
「どこに行くんですか」
空さんは大げさにびくっとした後、恐る恐る僕を見つめる。まさかまたこの間みたいに死に繋がるような真似をするつもりだったのか。僕は緊張した。すると空さんは僕を値踏みでもするようにじーっと見つめたあとこう言った。
「誰にも言わないって約束できる? ならついてきてもいいよ」
勿論僕は空さんに秘密を守ると誓いを立て、空さんのあとについて行った。
道なき道を十分ほど進むと小さな草原に出た。そこは湿地帯だった。
いくつもの小さい沼や小さな泉と湧き水でできた透明な水の池が連なり、水面をアメンボやミズスマシが涼し気に泳いでいる。きれいな水色のイトトンボが飛び交う。ここから見た池や沼の向こう側には岩が折り重なる低い崖が見え、その上から小さな滝が流れていた。滝の飛沫と木陰のせいでここは周りより3~4℃も気温が低く感じられる。僕は感嘆した。ここはまるで自然の庭園だ。
「これは驚いたな。こんな場所があるだなんて……」
「色々歩き回っていたら偶然見つけた。きれいなとこでしょ」
自然の織り成す造形に嘆息し、茫然とする僕の言葉に淡々と答える空さん。だが色々歩き回っていたと空さんは言った。まさか死に場所を求めていたのではないだろうか。僕の胸に疑念と恐怖が湧き上がった。
空さんはすぐそばにある池の目前に広がる草原に腰かけると、スケッチブックとパステルともうひとつのケースを取り出してきた。
「それは?」
「パステルと色鉛筆」
「僕の知ってるクレヨンなんかとは随分違いますね」
「小学校の教材とは違うよ。プロ仕様って程じゃないけど」
「これ何色あるんですか」
「50色。もっとちゃんとしたのだと100色くらい普通」
「へえ、すごいな」
空さんの妙にプロっぽい言葉に僕は驚いた。空さんはもともとこういう仕事をしていた人なのか? 画家とか、イラストレーターとか。それにしても今日の空さんは驚くほど饒舌だ。
空さんは早速木漏れ日の差す泉を描き始めた。草むらがあり、岩があり、小さな滝があり、清水があり、沼や水の澄んだ小さな池がある情景を黙々と描く空さん。その真剣で集中している顔の美しさに僕は引き込まる。こうして改めて見るとその横顔は思ったよりも童顔だ。鼻は高くとも小さく目は大きい。
そしてこうして絵を描いている空さんからはシエロと触れあっている時と同じく、いつも身に纏っている暗い死の翳がすっかり消えさっている。きれいだ。僕の視線に気付いたのか空さんがこっちを向く。目が合う。顔が火照るのを感じ、僕は思わず空さんから目を逸らす。
「今度ひろ君も描いてあげようか」
僕は何と答えて良いか分からなかった。嬉しいような気恥しいような気持ちが交錯する。空さんは僕の答えなど期待していなかったように絵を描き始めた。
パステルで手慣れた様子で絵を描きながら描いた部分をティッシュや指で軽く擦る。パステルで一通り書き終えると色鉛筆でさらに細かく描き込んでいく。みるみるうちに出来上がっていく泉の風景画。僕は、その見事な絵に空さんが絵の仕事をしているに違いないと確信した。
【次回】
第40話 空のスケッチ
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