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第1章 出会い――空と空
第4話 装蹄(そうてい)
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装蹄場は狭くて、工具や蹄鉄や鉄床がごちゃごちゃ所狭しと並んでいる。
「やっとシエロ連れてこれたねえ。随分派手に暴れてたけど。で、その人誰?」
もう60歳をとうに過ぎている革製の前垂れを着た装蹄師の比嘉さんは見慣れぬ彼女を見て小首をかしげた。この比嘉さんについては誰も分からないことだらけだ。今までどこの牧場や厩舎にいたのかさえ誰も知らない。それどころか装蹄師になったのも比較的最近なのではないかと噂されている。しかも装蹄師になる前の職歴なども全く不明の人物だ。ただ性格は非常に温厚で誰にでも優しく装蹄師としても人としてもとても信頼の篤い人物なのは間違いない。
「いや、なんでかわかんねんだが、こいつがいねえとシエロが暴れて仕方ねえんだ」
ムネさんが困惑した顔で比嘉さんに答えた。
「へえ、そんなことってあるもんかねえ。どおれ、じゃみしてもらおうか」
彼女は無表情のままシエロの装蹄を眺めていた。
比嘉さんはシエロの蹄を綺麗にしてから蹄鉄を外し、伸びた蹄を削ぎ落しやすりで削る。熱した蹄鉄を叩いて形を整え蹄にあてがう。しゅうっと煙が上がる。彼女が能面の様な表情で言う。
「……熱そう」
「馬の蹄は人間で言えば中指の爪。爪だから痛くも熱くもないんです」
「……」
僕の言葉に無表情な中にも感心したように小さくうなずく女性。
「蹄は馬のもう一つの心臓と言われるほど重要な器官だ。これなくして馬は生きられない」
「だからこうして丈夫な靴を履かせる必要があるっす」
ムネさんが腕組みをして野太い声で言うと原沢が不機嫌そうな声でその後に続く。これにも彼女は小さくうなずいた。
比嘉さんが蹄鉄を叩いて形を整えながら優しい声で付け加える。
「こうして一頭一頭の蹄の形にきちんと合わせた蹄鉄をつけるんだ。人間だって靴を買う時、サイズを確かめるよね? それとおんなじ」
「……」
「つーかそんなことも知らないでよくここにきたっすね」
「……」
この漆黒の雰囲気に包まれた女性は特段表情を変えることもなく無言で小さく頭を上下に振る。
火鉗で蹄鉄を掴んで鉄床に乗せ手槌で叩いて形を整えまた蹄の形に合わせる。それを何度か繰り返して蹄鉄をシエロの蹄に合わせ蹄釘を打ち付けて留める。蹄鉄から飛び出した部分の蹄釘があれば、頭を釘切剪鉗で切り落としてから蹄鉄の溝に曲げ込み、さらに蹄鑢で削って蹄鉄全体を滑らかな仕上がりにする。
「はい一丁上がりっと。こいつは蹄が厚めだからいいね。でも確かに今日のシエロはやけに素直だねえ。いつもこうだったらいいのに。さて、じゃ今度はこっちをやってみようか」
「相変わらず手際がいいなあ」
ムネさんが感心して言うと、比嘉さんは小さく笑って謙遜する。
「いやいや私なんかまだまだ」
こうしてシエロの装蹄は順調に終わった。
「はいおしまい。最後ちょっと気になるとこあったから、薬塗っといたよ」
「助かる。いつもすまない」
「なあに、これが仕事だからねえ」
比嘉《ひが》さんは穏やかな笑顔で前垂れの埃を手で払った。
【次回】
第5話 行き場のない彼女
「やっとシエロ連れてこれたねえ。随分派手に暴れてたけど。で、その人誰?」
もう60歳をとうに過ぎている革製の前垂れを着た装蹄師の比嘉さんは見慣れぬ彼女を見て小首をかしげた。この比嘉さんについては誰も分からないことだらけだ。今までどこの牧場や厩舎にいたのかさえ誰も知らない。それどころか装蹄師になったのも比較的最近なのではないかと噂されている。しかも装蹄師になる前の職歴なども全く不明の人物だ。ただ性格は非常に温厚で誰にでも優しく装蹄師としても人としてもとても信頼の篤い人物なのは間違いない。
「いや、なんでかわかんねんだが、こいつがいねえとシエロが暴れて仕方ねえんだ」
ムネさんが困惑した顔で比嘉さんに答えた。
「へえ、そんなことってあるもんかねえ。どおれ、じゃみしてもらおうか」
彼女は無表情のままシエロの装蹄を眺めていた。
比嘉さんはシエロの蹄を綺麗にしてから蹄鉄を外し、伸びた蹄を削ぎ落しやすりで削る。熱した蹄鉄を叩いて形を整え蹄にあてがう。しゅうっと煙が上がる。彼女が能面の様な表情で言う。
「……熱そう」
「馬の蹄は人間で言えば中指の爪。爪だから痛くも熱くもないんです」
「……」
僕の言葉に無表情な中にも感心したように小さくうなずく女性。
「蹄は馬のもう一つの心臓と言われるほど重要な器官だ。これなくして馬は生きられない」
「だからこうして丈夫な靴を履かせる必要があるっす」
ムネさんが腕組みをして野太い声で言うと原沢が不機嫌そうな声でその後に続く。これにも彼女は小さくうなずいた。
比嘉さんが蹄鉄を叩いて形を整えながら優しい声で付け加える。
「こうして一頭一頭の蹄の形にきちんと合わせた蹄鉄をつけるんだ。人間だって靴を買う時、サイズを確かめるよね? それとおんなじ」
「……」
「つーかそんなことも知らないでよくここにきたっすね」
「……」
この漆黒の雰囲気に包まれた女性は特段表情を変えることもなく無言で小さく頭を上下に振る。
火鉗で蹄鉄を掴んで鉄床に乗せ手槌で叩いて形を整えまた蹄の形に合わせる。それを何度か繰り返して蹄鉄をシエロの蹄に合わせ蹄釘を打ち付けて留める。蹄鉄から飛び出した部分の蹄釘があれば、頭を釘切剪鉗で切り落としてから蹄鉄の溝に曲げ込み、さらに蹄鑢で削って蹄鉄全体を滑らかな仕上がりにする。
「はい一丁上がりっと。こいつは蹄が厚めだからいいね。でも確かに今日のシエロはやけに素直だねえ。いつもこうだったらいいのに。さて、じゃ今度はこっちをやってみようか」
「相変わらず手際がいいなあ」
ムネさんが感心して言うと、比嘉さんは小さく笑って謙遜する。
「いやいや私なんかまだまだ」
こうしてシエロの装蹄は順調に終わった。
「はいおしまい。最後ちょっと気になるとこあったから、薬塗っといたよ」
「助かる。いつもすまない」
「なあに、これが仕事だからねえ」
比嘉《ひが》さんは穏やかな笑顔で前垂れの埃を手で払った。
【次回】
第5話 行き場のない彼女
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