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第1章 出会い――空と空
第1話 襲い掛かる荒馬(あらうま)に立ちはだかる女
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岩手県全域に梅雨入り宣言が出された今日。牧場の空にはねずみ色の重苦しい雲が低く垂れこめていた。その厚みのある重たそうな雲がいやがおうにも僕らの胸に憂鬱な気分をもたらす。
その日は朝からシエロの機嫌がひどく悪かった。シエロは牝のサラブレッドで元競走馬だ。ほんの少し大柄、栃栗毛、左後脚に半白、流星鼻梁白鼻。ありきたりな外見とは裏腹に、その戦績はありきたりな競争馬とは明らかに違う。そのシエロの機嫌が悪いのはやはりこの天気のせいだろうか。ただでさえ気が荒く神経質な上に、今日は何をさせようとしても嫌がって神経を尖らせている彼女を装蹄場に連れて行くのは僕と原沢美奈にとって至難の業だった。それに気づいたムネさんが僕たちのところまで来てくれる。淡々とした表情でシエロの手綱を握った。
「よお、難儀してるなわけえの」
そうどら声で言ったムネさんの口調は冗句っぽいが眼は笑っていない。
「すいません……」
「あざーっす……」
助かった。でも逆に言えばまだまだ僕らには任せられないということだ。ここに来てようやく2年目になったばかりの僕は内心では悔しい。まだ1年目で18の原沢だってそうだろう。
念のためムネさんがシエロの手綱を取って、厩舎脇のこじんまりした装蹄場へ向かったが、何がそんなに気に障るのかひどく嫌がる。ついには手綱を持つムネさんの手すら振りほどいて逆方向へ駆けだしていった。
「野郎っ」
ムネさんが声をあげてシエロを追いかける。僕も原沢も懸命にその後を追う。だが当然追いつけるはずもない。
そこでその先にありえないものを見つけ僕たちはぞっとした。人影が見えたのだ。それはちょうど馬柵沿いに全力疾走しているシエロの進行方向上にあった。このままでは直撃する。僕は歯噛みをした。
その人物はぱっと見少し短めのセミロングの女性で、ひどく痩せていて薄く細い。背は幾分低めだ。年の頃は26,7だろうか。哀れを誘うほど背を丸めサマーセーターとスキニーデニムといったシンプルないで立ちをしていた。初めて見る顔だ。彼女がふと顔をこちらに向けると眼が合った。遠目からその眼を、その表情を見ただけで僕は背筋が凍り付いた。あれは、あの眼は。間違いない。その眼と顔色に見覚えがあった僕は震えあがった。恐怖が走る。
「危ねえぞお! 柵の外に出ろお!」
ムネさんがあらん限りの声で怒鳴る。
彼女もシエロが自分の方に向かってきてるのが判ったようだ。
シエロはこの女性の目の前まで走ると高らかにいななきながら棹立ちをする。まるで彼女を踏み潰そうとするかに見え息が止まる。すると彼女はシエロの方を向き無表情で両手を大きく広げる。さながらシエロに踏み潰されたいかのようだ。その姿に僕は血の気が引いた一方で、ああやはりなと得心が入った。僕の隣で原沢美奈が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
【次回】
第2話 虚ろな女の起こした奇跡
その日は朝からシエロの機嫌がひどく悪かった。シエロは牝のサラブレッドで元競走馬だ。ほんの少し大柄、栃栗毛、左後脚に半白、流星鼻梁白鼻。ありきたりな外見とは裏腹に、その戦績はありきたりな競争馬とは明らかに違う。そのシエロの機嫌が悪いのはやはりこの天気のせいだろうか。ただでさえ気が荒く神経質な上に、今日は何をさせようとしても嫌がって神経を尖らせている彼女を装蹄場に連れて行くのは僕と原沢美奈にとって至難の業だった。それに気づいたムネさんが僕たちのところまで来てくれる。淡々とした表情でシエロの手綱を握った。
「よお、難儀してるなわけえの」
そうどら声で言ったムネさんの口調は冗句っぽいが眼は笑っていない。
「すいません……」
「あざーっす……」
助かった。でも逆に言えばまだまだ僕らには任せられないということだ。ここに来てようやく2年目になったばかりの僕は内心では悔しい。まだ1年目で18の原沢だってそうだろう。
念のためムネさんがシエロの手綱を取って、厩舎脇のこじんまりした装蹄場へ向かったが、何がそんなに気に障るのかひどく嫌がる。ついには手綱を持つムネさんの手すら振りほどいて逆方向へ駆けだしていった。
「野郎っ」
ムネさんが声をあげてシエロを追いかける。僕も原沢も懸命にその後を追う。だが当然追いつけるはずもない。
そこでその先にありえないものを見つけ僕たちはぞっとした。人影が見えたのだ。それはちょうど馬柵沿いに全力疾走しているシエロの進行方向上にあった。このままでは直撃する。僕は歯噛みをした。
その人物はぱっと見少し短めのセミロングの女性で、ひどく痩せていて薄く細い。背は幾分低めだ。年の頃は26,7だろうか。哀れを誘うほど背を丸めサマーセーターとスキニーデニムといったシンプルないで立ちをしていた。初めて見る顔だ。彼女がふと顔をこちらに向けると眼が合った。遠目からその眼を、その表情を見ただけで僕は背筋が凍り付いた。あれは、あの眼は。間違いない。その眼と顔色に見覚えがあった僕は震えあがった。恐怖が走る。
「危ねえぞお! 柵の外に出ろお!」
ムネさんがあらん限りの声で怒鳴る。
彼女もシエロが自分の方に向かってきてるのが判ったようだ。
シエロはこの女性の目の前まで走ると高らかにいななきながら棹立ちをする。まるで彼女を踏み潰そうとするかに見え息が止まる。すると彼女はシエロの方を向き無表情で両手を大きく広げる。さながらシエロに踏み潰されたいかのようだ。その姿に僕は血の気が引いた一方で、ああやはりなと得心が入った。僕の隣で原沢美奈が「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。
【次回】
第2話 虚ろな女の起こした奇跡
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