鳥とキツネとアイツ

永倉圭夏

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化け上手のアイツ<短編>

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「よっ、浪人生」

 迷彩柄で狭い野鳥観察用ブラインドの背後から声をかけてくる奴がいる。

「うっさい国立推薦」

 僕は振り向きもせず吐き捨てた。こんな無神経なからかいをしてくる奴は他にはいない。あいつだ。学校では決して誰にも見せない馴れ馴れしさと砕けた口調で僕に語りかけてくる。

「ねえなにやってんの?」

「見てわからんか」

「はー、バードウォッチングなんて浪人生なのに余裕ですなあ」

「うるさい。僕が何しようとお前には関係ないだろ、出てけ」

 僕の言葉を無視して彼女は一人用の狭いブラインドに潜り込む。僕の背中に彼女の身体が密着する。僕は動揺した。

「おいやめろ、きついだろ」

「おやあ、照れてるんですかあ? 一緒にお風呂に入った中なのにい」

「3歳の話を持ち出してくるんじゃないっ」

 僕と彼女は家も隣の幼馴染。お互いのうちを行き来してよく遊んだものだった。それがこんなに差がつくとは。

「……もうそんな頃とは違うんだからさ、お前にふさわしい世界に行けよ。僕なんかほっといて」

「つれないなあ」

 同じ中学に上がった頃からこいつは変わった。急に勉強もできるようになったし、やけにおしとやかになったし。友達も多く高校では生徒会役員でもあった。だけど僕と二人きりでいる時だけ、こいつは小学校までと変わらない態度と口調で僕と接してきた。

「ね、『あたしにふさわしい世界』ってどこ?」

「国立推薦で受かるような連中のいる世界」

「ふうん」

 一呼吸おいてあいつが言った。息が首筋に当たって気持ち悪い。

「あんた、案外つまんないこと言うんだね」

「なんだと」

 僕はイラっとして振り返った。間近にあいつの顔が見える。僕は突然顔が熱くなるのを感じた。

「ねっ、今日なんか食べた?」

 考えてみれば午前3時に自宅でサンドイッチを食べて以来何も食べていない。

「いや、ほとんど食ってない」

 それを聞いて得意げな顔になるあいつ。背中のザックを開いて何かを取り出す。

「そう思って、じゃーん」

 彼女が取り出したものを見て僕は思わず声に出す。

「あ、マルちゃんの『赤いきつね』」

「そっ『赤いきつねと緑のたっぬっき』の赤いきつね」

 あいつは少し調子っぱずれに歌うとまた嬉しそうな顔になった。

「あんたこれ好きだもんね」

「ああ、よく知ってたな」

「なんでも知ってるよ、あんたのことなら」

「嘘つけ」

 彼女の軽口に僕も、そして彼女も軽く笑う。
 僕は向きを変え彼女と向かい合う。彼女がフィルムを剥がし蓋を半分まで開く。小型のポットからお湯を注いだ。

「じゃ、あたしもご相伴しょうばんにあずからせてもらって、と」

 自分でも赤いきつねを取り出しお湯を注ぐ。

 出来上がるのを待つ間、ふと言葉の空白が生まれた。彼女が静かに口を開く。

「来年はどこ受けるの?」

「ん? 今年受けたところをリベンジしようと思ってさ。僕のやりたいような生態学やれるところって結構少ないし」

「……もっと上目指しなよ」

「上?」

「あたしの行くとこでも生態学やってるしさ…… そういうとこ」

「いやいやそれは難しいなあ」

「難しくないよ、あたしだって行けたんだもん」

 彼女の顔はどこか寂しげだった。

「うーん…… じゃ、一応候補には入れておくか。かなり厳しいけどな。お前と一緒なら楽しいかもしれないしな」

「ほんと!?」

 今度は太陽のように輝く笑顔を見せる彼女。

「しかしさ、すっごい差がついたよなあ僕たち……」

「そうかな?」

「そうだよ。かたや国立、かたや浪人。お前なんかもうすっかり変わった」

「変わってない、変わってないよあたしなんにもっ」

 抗議するような目になる彼女。だけど僕は続ける。

「変わった。勉強だけじゃない、外面そとづらだって。猫を被るどころの話じゃない、まるでキツネが化けたみたいだ」

「それは……」

「それは?」

「ただの処世術」

「処世術?」

「……でもあんたは、あんただけはほんとのあたしを知ってるんだからね」

「え? あ、ああ」

 スマートフォンが冷たい電子音を発する。彼女が赤いきつねのふたを全部剥がしてから紅白のプラスチックのどんぶりを僕に差し出す。

「はい出来たあ、あたしの手料理よく味わって食べてねっ」

「手料理ってお湯入れただけじゃないか」

 彼女が僕のすねを蹴る。

「いてっ」

「愛情込めてお湯入れたんだからこれでも立派な手料理なのっ。それにここまで自転車で来るの大変だったんだからねっ」

「はいはい、ありがとうございます」

 僕はつゆを飲み麺をすすった。彼女も美味そうにおあげにかじりつく。

「うわあったまるー、やっぱ赤いきつね最強だわ」

「よかった」

 しばらく赤いきつねを静かに食べる僕を彼女は嬉しそうな顔で眺めていた。どんぶりから面を上げた僕は前から気になっていた事をつい口走ってしまう。

「なんで……」

「ん?」

「なんでお前みたいな出来のいいのが僕みたいな野鳥オタクに付きまとうんだ? 野鳥のことだって何の興味もないのに」

 このいきなりの質問に彼女は意表を突かれたようだ。

「あんたに……」

「僕に……?」

「いやあんたほんと鈍いからだめだわ」

「鈍い」

「なんでもない。まあ一緒にいると楽しいからかな?」

「ふうん」

 身体も温まった僕たちはごちそうさまを言うと、狭いブラインドから出て身体を伸ばす。陽は西に傾こうとしていた。
 僕たちは二人並んで湿原のかたわらに立つ。

「さ、じゃ僕も頑張ってお前と同じ大学目指すかな」

「えっ」

 驚いた顔をしたあいつに僕は笑いかけた。

「やっぱり僕もさ、お前といると楽しいし嬉しいんだ。だから」

 彼女は大きな笑みを浮かべて頷いた。

「うんっ!」

 彼女は肩から僕にぶつかってくる。僕は少しよろけた。
 人様の前では巧く化けても、僕の前ではやっぱり幼馴染のままだ。僕はこのキツネが少し、少しだけ可愛いと思った。
 僕たちは並んでいつまでも西日を浴びて立ち尽くしていた。

                                ―― 了 ――
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