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16.付き添い

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 僕は二週間もの間ピアノが弾けなくなってしまった。それがこんなにも苦痛だなんて思いもよらなかった。
 おかしな話だ、僕は音楽を捨てたんじゃなかったのか。それとも僕が変わったのか。とにかく、二週間たてばピアノが弾ける、そう自分に言い聞かせて僕はそれまでの期間を耐えようと思った。

 そして今日は僕がすがちゃんの付き添いをする日の初日。僕はお店が引けるまで一人でだらだらと飲んでいた。
 もう店じまい間近の時間になると僕しか客のいなくなった店内に長さんの感情のない声が響く。

「ああ、後片付けしときますんで、お二人ともおあとはどうぞ」

「えっ」

「まあっ」

 僕が少し驚いた声で長さんに答える。

「どうして分かったんですか?」

「まあ、匂いというか雰囲気というか、そんなものですかね」

「だとしたらすごい嗅覚ですね。私完全に隠し通していると思いましたもの」

 すがちゃんも驚いた顔が隠せない。

「そうですかい」

 長さんは特にこれといった感情を見せずに言った。

「さ、こんなとこで油売ってないで急いで帰らなくていいんですかい、お二人さん」

「いや、お二人さんって、僕はただの付き添いだし――」

「それでも同じでしょう、二人は二人です。さあ急いだ急いだ」

 こうして長さんに追い出されるようにして僕たちは冨久屋を裏口から出た。すがちゃんは裏口から表に出るのを一瞬ちゅうちょしたので、僕から先に出る。これといった異常はないようだ。すがちゃんが恐る恐る出てきたところで僕は防犯グッズを渡す。

「これ」

「これは?」

「防犯ブザーと催涙スプレーです。ないよりはマシかなって」

「いただけませんそんな」

 あげる、もらえない、で二人で押し問答を続けてしまったので、とりあえず僕がすがちゃんに貸すということですがちゃんには納得してもらった。

 冨久屋から歩いて十分、すがちゃんのアパートにたどり着く。

「それじゃ、これで。お疲れさまでした」

 すがちゃんが申し訳なさそうな顔をする。

「ありがとうございました。本当に申し訳ありません」

 深々とお辞儀するすがちゃん。

 ピアノが弾けなくなっただけではない。手を負傷してから僕の生活は一変した。
 僕は冨久屋に可能な限り出向いて、そうでなければ店の外ですがちゃんを待つ。すがちゃんと僕は一緒に僕の部屋へ行き、右手が不自由な僕のためにすがちゃんが夜食と翌朝の朝食を用意してくれるようになった。いずれも簡単なものだとすがちゃんは謙遜するが、僕にとってはどんなごちそうにも負けないものだった。そして深夜すがちゃんは僕に付き添われて帰って行く。
 あの男、すがちゃんと僕に切りつけたすがちゃんの前夫は現場から逃走。警察が捜査するもその行方は知れなかった。そのために僕はすがちゃんを護衛するために付き添いを続けた。
 それだけではない。すがちゃんは日曜ともなると掃除や洗濯をするために僕の部屋に来てくれるようになった。さすがに最初は断ったが、あまりにも強くお願いされると僕は断り切れずにすがちゃんを部屋にいれた。
 日曜日の午後、近所のスーパーで一緒に買い物をしていると嬉しい反面、これはまるで「通い妻」だな、と思うとかえって申し訳なく思う。それだけすがちゃんはかいがいしく僕に献身してくれた。それにすがちゃんと一緒にいられるのは胸躍る毎日だった。
 このすがちゃんの献身的な行いに対しいつかお返ししないといけないな、と僕は思うようになっていった。

◆次回
17.不安
2022年4月17日 10:00 公開予定
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