2 / 43
第2話 姉の行く末と冬の雪うさぎ
しおりを挟む
冬になるとこの一帯は一面の銀世界と化す。積雪量は少なくて頻繁な雪かきや雪おろしがないだけましだが、それでも寒さや足元のおぼつかなさは変わらない。親父は農閑期の真冬には除雪の仕事をして収入を得ている。
姉は難病だったそうだ。病名は知らない。僕は知りたかったが、親父もおふくろもこのことについては何も教えてくれはしなかった。だがとにかく姉は難病だった。
その病気に体力を削られ、いずれは全身が言うことを聞かなくなり、死ぬ。姉を見るたび、その病がまるで見えない大蛇のように姉をじわじわと絞め殺そうとしている気がしていた。親父もおふくろも僕も、そして何よりも姉自身がこの蛇に打ち負かされつつあった。
そんな冬の夕方、僕と姉は居間で掘りごたつに入っていた。僕は宿題をしていて姉はつまらなさそうにタブレットをいじっている。突然姉が僕に向かって口を開いた。
「海行きたい」
「行けば」
ここから海までたぶん百キロ以上はある。常日頃、姉のわがままに辟易している僕はつい反射的にそう答えてしまった。
僕の声を聞くや否やすっくと掘りごたつから立ち上がる姉。とても病人とは思えない。
「待て! 待って! 冗談、冗談だから! いいから落ち着いて、冷静に!」
「じゃ、連れてって、海」
「どうやって」
「んー、車で?」
「何言ってんすか」
僕は十四歳だった。
「じゃあ、あの、ほら瞬間移動ドアで」
「じゃあ、まず便利な道具を出してくれるポケットを持ったロボット猫を連れてきてください。話はそれからです」
「つまんないの」
僕は思案を巡らした。こういう時姉の希望を最大限叶えようとするのが僕の悪いところだと思う。姉もそれを知ってか知らずか、僕には我がままを言いたい放題だ。だけど、姉は両親に我がままも希望も、願望も言ったことは一度もなかった。
「今日はかまくらでも作る?」
姉は驚きながらも嬉しそうな顔になる。
「作れるの?」
「まあ無理なんだけど」
「なんだ……」
掘りごたつに足を突っ込み、呆れるほどつまらなさそうな声で畳に寝そべりゴロゴロ転がる姉。しかたない、僕はうなりながら台所に行く。赤くて丸いお盆を持ち出して怪訝そうな表情の姉を置いて表に出る。十数分後僕はそのお盆をしずしずと姉に献上した。
「ささ、今のところはこれでこらえてくださいませお姉さま」
姉は目を丸くして歓声を上げる。
「かわいい!」
それは昔何かで見た「雪うさぎ」だった。と言ってもなんてことはない、お盆の上に半球形に雪を盛り、木の葉の耳と真っ赤で小さな南天の実の目をはめこんだだけのものだった。
「お主、近頃ようわかってきておるではないか」
となんだか悪代官のようなせりふを吐いて満面の笑みを見せる姉。どうやら満足いただけたようで僕も胸をなでおろした。ついでに小さなかまくらをいくつか作りそこにやはり小さなキャンドルを灯したところ、これもまたいたく気に入ったようで、夜寝るまで何度も庭を眺めていた。
朝、縁側に置きっぱなしだった雪うさぎは空しくただの水と化していた。
姉は難病だったそうだ。病名は知らない。僕は知りたかったが、親父もおふくろもこのことについては何も教えてくれはしなかった。だがとにかく姉は難病だった。
その病気に体力を削られ、いずれは全身が言うことを聞かなくなり、死ぬ。姉を見るたび、その病がまるで見えない大蛇のように姉をじわじわと絞め殺そうとしている気がしていた。親父もおふくろも僕も、そして何よりも姉自身がこの蛇に打ち負かされつつあった。
そんな冬の夕方、僕と姉は居間で掘りごたつに入っていた。僕は宿題をしていて姉はつまらなさそうにタブレットをいじっている。突然姉が僕に向かって口を開いた。
「海行きたい」
「行けば」
ここから海までたぶん百キロ以上はある。常日頃、姉のわがままに辟易している僕はつい反射的にそう答えてしまった。
僕の声を聞くや否やすっくと掘りごたつから立ち上がる姉。とても病人とは思えない。
「待て! 待って! 冗談、冗談だから! いいから落ち着いて、冷静に!」
「じゃ、連れてって、海」
「どうやって」
「んー、車で?」
「何言ってんすか」
僕は十四歳だった。
「じゃあ、あの、ほら瞬間移動ドアで」
「じゃあ、まず便利な道具を出してくれるポケットを持ったロボット猫を連れてきてください。話はそれからです」
「つまんないの」
僕は思案を巡らした。こういう時姉の希望を最大限叶えようとするのが僕の悪いところだと思う。姉もそれを知ってか知らずか、僕には我がままを言いたい放題だ。だけど、姉は両親に我がままも希望も、願望も言ったことは一度もなかった。
「今日はかまくらでも作る?」
姉は驚きながらも嬉しそうな顔になる。
「作れるの?」
「まあ無理なんだけど」
「なんだ……」
掘りごたつに足を突っ込み、呆れるほどつまらなさそうな声で畳に寝そべりゴロゴロ転がる姉。しかたない、僕はうなりながら台所に行く。赤くて丸いお盆を持ち出して怪訝そうな表情の姉を置いて表に出る。十数分後僕はそのお盆をしずしずと姉に献上した。
「ささ、今のところはこれでこらえてくださいませお姉さま」
姉は目を丸くして歓声を上げる。
「かわいい!」
それは昔何かで見た「雪うさぎ」だった。と言ってもなんてことはない、お盆の上に半球形に雪を盛り、木の葉の耳と真っ赤で小さな南天の実の目をはめこんだだけのものだった。
「お主、近頃ようわかってきておるではないか」
となんだか悪代官のようなせりふを吐いて満面の笑みを見せる姉。どうやら満足いただけたようで僕も胸をなでおろした。ついでに小さなかまくらをいくつか作りそこにやはり小さなキャンドルを灯したところ、これもまたいたく気に入ったようで、夜寝るまで何度も庭を眺めていた。
朝、縁側に置きっぱなしだった雪うさぎは空しくただの水と化していた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

茜川の柿の木後日譚――姉の夢、僕の願い
永倉圭夏
ライト文芸
「茜川の柿の木――姉と僕の日常、祈りの日々」の後日譚
姉の病を治すため医学生になった弟、優斗のアパートに、市役所の会計年度職員となった姉、愛未(まなみ)が転がり込んで共同生活を始めることになった。
そこでの姉弟の愛おしい日々。それらを通して姉弟は次第に強い繋がりを自覚するようになる。
しかし平和な日々は長く続かず、姉の病状が次第に悪化していく。
登場人物
・早坂優斗:本作の主人公。彩寧(あやね)というれっきとした彼女がいながら、姉の魅力に惹きつけられ苦悩する。
・早坂愛未(まなみ):優斗の姉。優斗のことをゆーくんと呼び、からかい、命令し、挑発する。が、肝心なところでは優斗に依存してべったりな面も見せる。
・伊野彩寧(あやね):優斗の彼女。中一の初夏に告白してフラれて以来の仲。優斗と愛未が互いに極度のブラコンとシスコンであることを早くから見抜いていた。にもかかわらず、常に優斗から離れることもなくそばにい続けた。今は優斗と同じ医大に通学。
・樋口将司(まさし)愛未が突然連れてきた婚約者。丸顔に落ち窪んだ眼、あばた面と外見は冴えない。実直で誠実なだけが取り柄。しかもその婚約が訳ありで…… 彼を巡り自体はますます混乱していく。
月と影――ジムノペディと夜想曲
永倉圭夏
ライト文芸
音楽を捨て放浪する音大生「想」は冬の函館にフリーターとして身を置いていた。想は行きつけの居酒屋「冨久屋」で働く年上の従業員、すがちゃんに心温まるものを感じていた。
そんな中、駅に置かれているピアノを見つけた想。動揺しながらも、そこでとある女性が奏でるショパンの夜想曲第19番の表現力に激しい衝撃を受ける。それに挑発されるように、音楽を捨てたはずの想もまたベートーベンの月光ソナタ第三楽章を叩きつけるように弾く。すると夜想曲を奏でていた女性が、想の演奏を気に入った、と話しかけてきた。彼女の名は「藍」。
想はすがちゃんや藍たちとの交流を経て絶望的に深い挫折と新しい道の選択を迫られる。そしてついにはある重大な決断をすべき時がやってきた。
音楽に魅入られた人々の生きざまを描いた長編小説。
些か読みにくいのですが、登場人物たちは自分としてはそれなりに魅力的だと思っています。
男性向けか女性向けかというと、消去法的に女性向け、と言えなくもないでしょう……

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる