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疾走編
第35話 チームの一員
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メガネをかけタブレット端末を手にしたメカニックの一人が立ち上がって発言する。
「あの、宴もたけなわですが、少しだけ急ぎの確認事項がありまして……」
志乃とバシル以外の、カウンター全体からブーイングが飛ぶ。
「あっ、うちは大丈夫です。もう閉めるところでしたから貸し切りでどうぞ」
さとみは慌ててのれんをしまう。狭い通路で体が触れ合うぐらいの距離で綾とすれ違う。さとみにはなぜだか判らないが、この歳下の女性にさっきからずっとにらまれているような気がして落ち着かない。
スタッフが話を進めるのを、志乃は静かに興味深げに観察していた。どんな内容なのか、耳を澄ませて聞いているようだった。
「ここ三ステージの予選とレースで得られたデータから、昨日までに取り急ぎまとめ上げたマシンのセッティングについて、いくつかご提案がございます。詳しくはお手元のタブレットを見ていただくことにして……」
「なんだ、連絡事項じゃないじゃない」
女性スタッフの一人から不満げな声が飛ぶ。
「すぐ終わります。すぐ終わりますから、お願いします」
メガネをかけた気弱そうな男性スタッフは彼女をなだめて話を進める。結局皆が真剣になってタブレットを見つめる。それを見てさとみも思った。自分もチームに貢献して千隼の勝利の手助けをしたい。でも自分に何かできることなんてあるのだろうか。
七、八分程度のミーティングを終え、情報共有を済ませ一息ついた一同は店を出て行く。勘定はバシル・チームマネージャーがカードで支払う。スタッフは全員が店外に出て初夏の爽やかな風に当たっていた。チームスタッフの中で店内にいるのはバシルだけになってしまった。
会計を終わらせたバシル・チームマネージャーに勇気を振り絞って問いかけるさとみ。どこか必死な表情だ。
「あのっ…… 私でも、チームの、千隼の役に立てることって、何かありますか?」
すぐ後ろにいた千隼はまた驚いた。バシルは表情を変えずにさらりと流ちょうな日本語で言う。
「あなた、チハヤのパートナー?」
「えっ」
「例えば家族も立派なチームの一員になる。食事、生活習慣、睡眠などに目を向け管理して、場合によっては適切な指導をする。食事に関しては特にそう。栄養管理は健康な身体を作る上で重要な要素。そしてメンタル。ストレスの少ない環境でトレーニングをさせるのはとても大事。それに、レース当日にストレスやプレッシャーに押し潰されたら話にならないでしょ。メンタルに関しては特に家族の役割は大きい。チームスタッフに出来ないことがいっぱいあります」
さとみは驚いた。これまでは千隼が一人でストイックにトレーニングをし、食事にも気を配っている姿をただ見守るしかなかった。でも、バシルの言葉を聞いて、自分がその手助けをすることで千隼の負担を軽くできると感じた。驚いた顔のさとみにバシルは続ける。
「もっとも、ほとんどの管理は金銭面での問題を除けば、赤の他人でもできる。だけどメンタルケアだけは他人だけではだめ。やはり配偶者やパートナーや家族でないとできない。そういう意味であなたはチハヤにとって大きな存在なんだと思ったけど。どうかしら?」
大きく見開かれたさとみの眼に決意の色が浮かぶ。バシルの黒檀のような瞳を正面から見据える。
さとみは思う。千隼のために、チームの一員として支えたい。彼女と一緒に団結して、勝利に貢献する。それが、自分にできること——私がなりたい自分。
「それに、じきにみんな気付くと思う。あなたたちの眼を見ればね。だって二人ともこんなにも互いを思いやる眼をしているんだから」
「そう…… ですか……」
ほおをわずかに紅潮させながらも、困惑の表情を浮かべるさとみ。
「そうですよ。だから自分に正直になって。自分を解放するの」
「解放…… する」
「そう」
「では、本当のことを言います。私、九年ぶりに、自分の心を解放します」
【次回】
第36話 九年ぶりのカミングアウト
「あの、宴もたけなわですが、少しだけ急ぎの確認事項がありまして……」
志乃とバシル以外の、カウンター全体からブーイングが飛ぶ。
「あっ、うちは大丈夫です。もう閉めるところでしたから貸し切りでどうぞ」
さとみは慌ててのれんをしまう。狭い通路で体が触れ合うぐらいの距離で綾とすれ違う。さとみにはなぜだか判らないが、この歳下の女性にさっきからずっとにらまれているような気がして落ち着かない。
スタッフが話を進めるのを、志乃は静かに興味深げに観察していた。どんな内容なのか、耳を澄ませて聞いているようだった。
「ここ三ステージの予選とレースで得られたデータから、昨日までに取り急ぎまとめ上げたマシンのセッティングについて、いくつかご提案がございます。詳しくはお手元のタブレットを見ていただくことにして……」
「なんだ、連絡事項じゃないじゃない」
女性スタッフの一人から不満げな声が飛ぶ。
「すぐ終わります。すぐ終わりますから、お願いします」
メガネをかけた気弱そうな男性スタッフは彼女をなだめて話を進める。結局皆が真剣になってタブレットを見つめる。それを見てさとみも思った。自分もチームに貢献して千隼の勝利の手助けをしたい。でも自分に何かできることなんてあるのだろうか。
七、八分程度のミーティングを終え、情報共有を済ませ一息ついた一同は店を出て行く。勘定はバシル・チームマネージャーがカードで支払う。スタッフは全員が店外に出て初夏の爽やかな風に当たっていた。チームスタッフの中で店内にいるのはバシルだけになってしまった。
会計を終わらせたバシル・チームマネージャーに勇気を振り絞って問いかけるさとみ。どこか必死な表情だ。
「あのっ…… 私でも、チームの、千隼の役に立てることって、何かありますか?」
すぐ後ろにいた千隼はまた驚いた。バシルは表情を変えずにさらりと流ちょうな日本語で言う。
「あなた、チハヤのパートナー?」
「えっ」
「例えば家族も立派なチームの一員になる。食事、生活習慣、睡眠などに目を向け管理して、場合によっては適切な指導をする。食事に関しては特にそう。栄養管理は健康な身体を作る上で重要な要素。そしてメンタル。ストレスの少ない環境でトレーニングをさせるのはとても大事。それに、レース当日にストレスやプレッシャーに押し潰されたら話にならないでしょ。メンタルに関しては特に家族の役割は大きい。チームスタッフに出来ないことがいっぱいあります」
さとみは驚いた。これまでは千隼が一人でストイックにトレーニングをし、食事にも気を配っている姿をただ見守るしかなかった。でも、バシルの言葉を聞いて、自分がその手助けをすることで千隼の負担を軽くできると感じた。驚いた顔のさとみにバシルは続ける。
「もっとも、ほとんどの管理は金銭面での問題を除けば、赤の他人でもできる。だけどメンタルケアだけは他人だけではだめ。やはり配偶者やパートナーや家族でないとできない。そういう意味であなたはチハヤにとって大きな存在なんだと思ったけど。どうかしら?」
大きく見開かれたさとみの眼に決意の色が浮かぶ。バシルの黒檀のような瞳を正面から見据える。
さとみは思う。千隼のために、チームの一員として支えたい。彼女と一緒に団結して、勝利に貢献する。それが、自分にできること——私がなりたい自分。
「それに、じきにみんな気付くと思う。あなたたちの眼を見ればね。だって二人ともこんなにも互いを思いやる眼をしているんだから」
「そう…… ですか……」
ほおをわずかに紅潮させながらも、困惑の表情を浮かべるさとみ。
「そうですよ。だから自分に正直になって。自分を解放するの」
「解放…… する」
「そう」
「では、本当のことを言います。私、九年ぶりに、自分の心を解放します」
【次回】
第36話 九年ぶりのカミングアウト
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