【百合】彗星と花

永倉圭夏

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鷹花の二人編

第4話 唐揚げと南蛮漬け

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 女性店員は落ち着いた青い色で楕円形の器を千隼の前に置く。

「はい、小アジの南蛮漬けです。一匹サービスつけちゃいました」

「えっ、いいんですか?」

「いいんです。こうしておいでいただいたお礼です」

 千隼は、タオルまで貸してもらった上、サービスまでされたことに恐縮する。

「すみません、なんか色々……」

「いいんですよー。お互い様です」

 優しくもはきはきとした澄んだ声で店員は答えると今度は真鯛のカルパッチョに取りかかる。千隼は南蛮漬けをそっと口に含んだ。じっくり漬け込んで、骨まで食べられてふっくらと揚げられた身と、よく浸かったさっぱりとして甘酸っぱいたれの風味。それと、しゃきしゃきの玉ねぎの食感が爽やかに口に広がる。千隼はこれが好きだったが、千葉の実家でよく食べていたそれとは全く違う優しさや温かみを感じる風味が、これにはあった。千隼はため息を吐いてこれを一気に平らげた。

「あら、そんなにおなか空いていたんですか?」

 面白そうに言った店員に千隼は答える。

「いや、これ、すごくおいしくて……」

「わあ、嬉しいです!」

 白い上品な器に乗せた真鯛のカルパッチョをカウンターに置きながら歓声を上げる女性店員。これは唐揚げも期待できそうだ、と千隼は心の中で大いに期待した。

「そうだ。店員さんは、もしかして……」

 店員は千隼の問いを見透かしたかのように答える。

「はい。おかみです」

「その若さで?」

「驚いたでしょう」

「ええ、少し」

「実はこのすぐそばにあるウェブデザインの会社で、事務とか庶務とか色々こまごました雑用をしてまして。仕事帰りによくここには来てたんです。それでここのおかみさんにはすごくよくしていただいていて。いつのまにか夜はここで時々バイトしてました。まあ一応『夜のお仕事』かな。それが、おかみさんが三ヶ月前急に入院して先月……」

「そうなんですか。大変だったんですね」

 新鮮な甘みと、柔らかいながらもしっかりとした歯ごたえのある、真鯛のカルパッチョを噛みしめながら千隼は感心した。

「私、ここが好きだったんです。大好き。だからここが無くなるのがもったいなくて、えいっ、って思って思わず跡継いじゃいました」

「すごい決断ですね」

「無鉄砲なだけです。昔からそうなんです」

「大変じゃないですか」

「でも思ったよりお客さんは離れなくて。『いやあ、おかみはやっぱり若いに限るねえ』とか言っちゃって。現金なものですよねえ」

 この若いおかみが、中年や初老や老齢の男性にそんな声を掛けられ、嬉しそうな顔をする場面を想像すると、千隼はなぜだか胸がもやもやとした。

「はい、唐揚げお待ちどうさまです」

 薄緑色の品のいい器に乗せられた、千切りキャベツとマヨネーズを添えた唐揚げがカウンターに置かれる。

「いただきます」

「そうだ、唐揚げにはレモンかける派ですか? かけない派ですか?」

「ああ、かけない派です」

「よかった。実は私もそうなんです。では、そのままどうぞ」

 にこにこと相好そうごうを崩すおかみ。その笑顔に今度はみぞおちの辺りが締め付けられるように痛む千隼。なんだこれは。これが「胸キュン」というやつか。「尊い」というやつか。先ほどから時折喰らう不意打ちに千隼の動揺は高まるばかりだった。
 揚げたてで熱々の唐揚げも絶品だった。しっかりスパイスが効いてカリっとした衣と、脂がしたたるほどにジューシーなもも肉が味わい深い。いっときおかみの存在を忘れ無言で唐揚げにかぶりつく千隼。それを嬉しそうに眺めるおかみ。あえて訊くまでもない。このお客様は本当に喜んでくれている。そうおかみは確信していた。思い切って転職してよかったと思った。

 いつもだったら、この席にいたはずの人を思い浮かべてしまう。そうすると、彼女の細くて薄い胸に氷のような針が突き刺さるような感覚が走った。だが今日は違う。目の前の千隼が彼女の心の空白を少しずつ埋めていくように感じる。しばらくぶりに心が和んだ。

「いやあ、こんなにおいしい唐揚げは久しぶりです」

 千隼が言うとおかみも思わず漏らした。

「私も、久しぶりかも……」

「えっ?」

 聞き返す千隼に慌てるおかみ。

「いえ、なんでもない、なんでもないんです」

「はあ……」

 首を振って様々な思いを振り払った彼女は、大びんビールの栓を抜く。

【次回】
第5話 雨に乾杯す
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