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第75話 彩寧の申し出
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初七日も過ぎたあたり、インターホンが鳴る。モニターを見るとそこには少し緊張した面持ちの彩寧《あやね》がいた。二十日くらいぶりだろうか。婚約したというのに僕らの距離は一向に縮まる気配がなかった。
不審に思う僕がドアを開けると彩寧はずかずかと僕のマンションに上がり込んでくる。わざとらしく明るい声を出す。
「はい失礼しますよー。ああ、やっぱり。ぐちゃぐちゃじゃない。もう、カップ麺? ちゃんと栄養あるもの摂らないと持たないわよ。ゆーちゃんだってもういい歳なんだから」
「ああ、全くもって面目ない。でもどうしたんだ」
「どうしたんだって…… 見に来たのよ。何よフィアンセが相手を心配して見に来ちゃいけない?」
「いやいや、そ、そんな事はないけど、いや、その…… ありがとう」
彩寧はありがとうの言葉に少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの彩寧に戻る。
「『最愛の』姉を失って傷心の弟が心配だっただけ」
ほんの少しだけ僕をからかう口調の彩寧は嫌味っぽく「最愛の」に力を入れる。
「うっ」
「さっ、片しましょ。思ったよりぐちゃぐちゃね」
僕は姉を失ってから掃除をしていない。あちらこちらにうっすらと埃が積もっていた。
一時間ばかりかけてリビングとダイニングキッチンだけでも簡単に整頓するとだいぶすっきりした。リビングの二人掛けのソファに彩寧を座らせ、その斜め向かいの一人掛けソファに僕が座る。彩寧がコーヒーを淹れてくれる。
「ふー、ひと仕事のあとのコーヒーは美味しいわね。ねっ」
「う、うん……」
彩寧は僕を探るような目つきで僕を眺めていた。かと思えば急に神妙な面持ちになる。
「この度は、誠にご愁傷さまでした」
突然そう言うと深々と頭を下げた。
「えっあっああっ、お、お心遣いありがとうございます。生前はお世話になりました」
「ほんと、大変だったみたいね。附属の村上助教の心痛具合ったらない、って私の耳にも届いたもの」
「そうか」
「そう」
「まいったな」
「あのね、私…… 同棲してあげてもいいよ」
おずおずと申し出る彩寧。しかもなぜかどこかしら申し訳なさそうな雰囲気さえみせる。
ひどい言いようなのはわかっているが、姉亡き今僕にはもう彩寧しかいない。もし彩寧まで失ってしまったら僕は。
「そうだな、それもいいかもな」
「そうね…… うん」
僕たちは二人だけで会話を続けた。彩寧とこんなに話すのはとても久しぶりだった。
二十分ほど話していたら、彩寧がぽつりと言う。
「でも心配。あなた思ったよりだいぶ辛そうだから」
「確かに辛い。僕はもう――きっと――」
唐突に涙が溢れ出す。だめだ、また涙の発作だ。僕は俯いて目頭を押さえる。涙が止まらない。胸が潰されるように苦しい。そして改めて思い出す。姉さんは死んだ、姉さんは死んだ、姉さんは死んだんだ。死んだんだ。あの温もりを僕はもう一生感じることはない。
彩寧はそんな僕をローテーブルの斜め向かい側のソファから見つめていた。
僕の発作が落ち着いて涙が収まると、じっと僕を見つめる彩寧がいた。
「うつじゃない? 精神科かカウンセリング行ったら?」
「いやだ」
「どうして? 今のままじゃつらいでしょ?」
「だからだ」
「だから?」
「僕が姉さんのことで苦しんでいるということは、それだけ僕の中で姉さんを感じているからだ。それだけ姉さんと繋がってると言うことだ。この苦しみを取り除かれることはその繋がりを引き剥がされることだ。つまり僕の中から姉さんが消えていなくなることを意味する。だからいやだ。これだけは絶対譲れない。精神科へもカウンセリングにも行かない」
彩寧としても僕の気持ちは先刻承知だったようで、眉一つ動かさない。
「そ。ねえ知ってた? それマゾって言うのよ? それに意固地」
「知ってた」
僕は渋い顔で答えた。
「まあ、そう言うとは思ってたから別に驚かない」
「いや、 心配してもらったのにかえって済まない」
「いいの、ゆーちゃんが一番いいと思う方法で自分とつきあえばいいと思う」
「なあ」
「何?」
「死とは何だ?」
「えっ」
さすがに意外そうな顔をする彩寧。確かにそうだろう。
「……」
「前言撤回」
「なに?」
「精神科かカウンセラーにかかることを強く強くお奨めします」
彩寧は真剣で、心底僕のこと心配する声と表情だった。
「そうか……」
「そうよ」
不審に思う僕がドアを開けると彩寧はずかずかと僕のマンションに上がり込んでくる。わざとらしく明るい声を出す。
「はい失礼しますよー。ああ、やっぱり。ぐちゃぐちゃじゃない。もう、カップ麺? ちゃんと栄養あるもの摂らないと持たないわよ。ゆーちゃんだってもういい歳なんだから」
「ああ、全くもって面目ない。でもどうしたんだ」
「どうしたんだって…… 見に来たのよ。何よフィアンセが相手を心配して見に来ちゃいけない?」
「いやいや、そ、そんな事はないけど、いや、その…… ありがとう」
彩寧はありがとうの言葉に少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの彩寧に戻る。
「『最愛の』姉を失って傷心の弟が心配だっただけ」
ほんの少しだけ僕をからかう口調の彩寧は嫌味っぽく「最愛の」に力を入れる。
「うっ」
「さっ、片しましょ。思ったよりぐちゃぐちゃね」
僕は姉を失ってから掃除をしていない。あちらこちらにうっすらと埃が積もっていた。
一時間ばかりかけてリビングとダイニングキッチンだけでも簡単に整頓するとだいぶすっきりした。リビングの二人掛けのソファに彩寧を座らせ、その斜め向かいの一人掛けソファに僕が座る。彩寧がコーヒーを淹れてくれる。
「ふー、ひと仕事のあとのコーヒーは美味しいわね。ねっ」
「う、うん……」
彩寧は僕を探るような目つきで僕を眺めていた。かと思えば急に神妙な面持ちになる。
「この度は、誠にご愁傷さまでした」
突然そう言うと深々と頭を下げた。
「えっあっああっ、お、お心遣いありがとうございます。生前はお世話になりました」
「ほんと、大変だったみたいね。附属の村上助教の心痛具合ったらない、って私の耳にも届いたもの」
「そうか」
「そう」
「まいったな」
「あのね、私…… 同棲してあげてもいいよ」
おずおずと申し出る彩寧。しかもなぜかどこかしら申し訳なさそうな雰囲気さえみせる。
ひどい言いようなのはわかっているが、姉亡き今僕にはもう彩寧しかいない。もし彩寧まで失ってしまったら僕は。
「そうだな、それもいいかもな」
「そうね…… うん」
僕たちは二人だけで会話を続けた。彩寧とこんなに話すのはとても久しぶりだった。
二十分ほど話していたら、彩寧がぽつりと言う。
「でも心配。あなた思ったよりだいぶ辛そうだから」
「確かに辛い。僕はもう――きっと――」
唐突に涙が溢れ出す。だめだ、また涙の発作だ。僕は俯いて目頭を押さえる。涙が止まらない。胸が潰されるように苦しい。そして改めて思い出す。姉さんは死んだ、姉さんは死んだ、姉さんは死んだんだ。死んだんだ。あの温もりを僕はもう一生感じることはない。
彩寧はそんな僕をローテーブルの斜め向かい側のソファから見つめていた。
僕の発作が落ち着いて涙が収まると、じっと僕を見つめる彩寧がいた。
「うつじゃない? 精神科かカウンセリング行ったら?」
「いやだ」
「どうして? 今のままじゃつらいでしょ?」
「だからだ」
「だから?」
「僕が姉さんのことで苦しんでいるということは、それだけ僕の中で姉さんを感じているからだ。それだけ姉さんと繋がってると言うことだ。この苦しみを取り除かれることはその繋がりを引き剥がされることだ。つまり僕の中から姉さんが消えていなくなることを意味する。だからいやだ。これだけは絶対譲れない。精神科へもカウンセリングにも行かない」
彩寧としても僕の気持ちは先刻承知だったようで、眉一つ動かさない。
「そ。ねえ知ってた? それマゾって言うのよ? それに意固地」
「知ってた」
僕は渋い顔で答えた。
「まあ、そう言うとは思ってたから別に驚かない」
「いや、 心配してもらったのにかえって済まない」
「いいの、ゆーちゃんが一番いいと思う方法で自分とつきあえばいいと思う」
「なあ」
「何?」
「死とは何だ?」
「えっ」
さすがに意外そうな顔をする彩寧。確かにそうだろう。
「……」
「前言撤回」
「なに?」
「精神科かカウンセラーにかかることを強く強くお奨めします」
彩寧は真剣で、心底僕のこと心配する声と表情だった。
「そうか……」
「そうよ」
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