上 下
72 / 85

第72話 ファーストキス

しおりを挟む

「なんなんだよキスって……」

 軽口は失敗し僕は上ずった声になってしまった。姉を見るのが怖い癖に目が離せない。

「言ったじゃんあたしの結婚式の時。ファーストキスするならって」

 どこかうっとりした顔の姉。

 痩せ細ってげっそりやつれ、今や見る影もない姉の姿。もうそれだけで僕は涙が止まらなくなりそうだ。それをぐっと堪える。

「ね、してくんないの?」

 僕はもう一度考えた。これを逃したら姉はもう一生自分の想いを遂げられない。いいや、いいや姉だけではない。僕だって―― 僕は拳を握り締めた。ベッドの姉を見下ろす。姉は僕を見上げる。意識が混濁しつつあるのかどこかぼんやりとした笑顔を浮かべている。

「ね、早く。でないともうすぐ姉ちゃん死んじゃうよ……」

「死ぬなんて言うな!」

 僕は思わず叫ぶ。姉は驚くこともなく痩せさらばえた天使の微笑みをみせたままだ。

「死ぬなんて…… 言うな……っ」

 僕の涙腺は決壊寸前だった。

「死ぬんだよ」

 姉は落ち着き払って、だけど優しく言い放つ。

「だから一生の思い出に、ね。お願い。そうでないと姉ちゃん浮かばれなくて化けて出てきちゃう」

 ああ、幽霊だっていい。もしも死後も存在し続ける魂なんてものがあると言うのなら。

「それこそ願ったりかなったりだ。毎晩でもいいから僕の眼の前に化けて出てきてくれよ。そしたら朝まで語り明かそう」

「そう言うわけにはいかないの。判って」

「判るもんか」

「だあめ。これ、命令だから」

 姉はまたふっと笑う。

「なんだかもう何もかもが遠い世界のようになってきちゃっててさ。姉ちゃんもう長くないみたいだからとっととキスしてよ」

 散々引き延ばしてきてたけれど僕はようやく腹を決めた。姉のためとあれば僕には何の躊躇ためらいはない。ベッドに手をついて屈みこんだ僕は姉と唇を重ねる。
 二分以上はこうしていただろうか。口づけを終えると今度は額と頬に唇で触れた。

「はあぁ……」

 うっとりとした表情で眼を閉じる姉。ああ、最愛の姉に拭い去れぬ罪科を負わせてしまったのか僕は。

「最後にあなたとキスできて良かった…… しかもファーストキスがあなたとだなんて夢みたい」

「ほんとは姉弟でこんなことしちゃだめなんだぞ」

「もう、判ってるよ。今更何言ってんの。それにあたしとあんたは特別なんだから」

 眼を閉じたままの姉の表情が満たされたようなものへと変わっていく。ふと笑う。

「もっと綺麗な時にしたかったな……」

「何言ってんだ、姉さん今だって全然綺麗だよ」

 僕はくっきりと死相の浮かんだ姉の頬を撫でる。

「あたしもうこれで思い残すことないや…… いや、ほんとはまだあるけど…… ありがとう優斗」

「あ、い、いや、いいんだ。よかった」

「ああ、ああ優斗、優斗お……」

 感極まって涙を浮かべる姉を僕はそっと抱きしめた。首筋に唇を這わせ耳朶を噛む。

「あああぁー、ふあぁっ、あんっ」

 額に頬に鼻の頭にキスをして、見つめ合いまた深く口づける。僕たちは歯止めが利かなくなってしまった。姉は落涙していた。

 姉を寝かせ布団を整え見つめ合う。その瞳は強い信頼と絆とそれ以上の、今初めて生まれた色彩でで彩られていた。姉はゆっくりと頷いた。
 僕はスタッフを呼ぶ。姉の最期の闘いが始まった。それが敗北を決定づけられているものだとしても、微かにでも希望が残されている以上僕たちは闘う。闘い続ける。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幕張地下街の縫子少女 ~白いチューリップと画面越しの世界~

海獺屋ぼの
ライト文芸
 千葉県千葉市美浜区のとある地下街にある「コスチュームショップUG」でアルバイトする鹿島香澄には自身のファッションブランドを持つという夢があった。そして彼女はその夢を叶えるために日々努力していた。  そんなある日。香澄が通う花見川服飾専修学園(通称花見川高校)でいじめ問題が持ち上がった。そして香澄は図らずもそのいじめの真相に迫ることとなったーー。  前作「日給二万円の週末魔法少女」に登場した鹿島香澄を主役に服飾専門高校内のいじめ問題を描いた青春小説。

序列学園

あくがりたる
ライト文芸
第3次大戦後に平和の為に全世界で締結された「銃火器等完全撤廃条約」が施行された世界。人々は身を守る手段として古来からある「武術」を身に付けていた。 そんな世界で身寄りのない者達に武術を教える学園があった。最果ての孤島にある学園。その学園は絶対的な力の上下関係である「序列制度」によって統制され40人の生徒達が暮らしていた。 そこへ特別待遇で入学する事になった澄川カンナは学園生徒達からの嫌がらせを受ける事になるのだが…… 多種多様な生徒達が在籍するこの学園で澄川カンナは孤立無援から生きる為に立ち上がる学園アクション! ※この作品は、小説家になろう、カクヨムでも掲載中です。加筆修正された最新版をこちらには掲載しております。

セリフ&声劇台本

まぐろ首領
ライト文芸
自作のセリフ、声劇台本を集めました。 LIVE配信の際や、ボイス投稿の際にお使い下さい。 また、投稿する際に使われる方は、詳細などに 【台本(セリフ):詩乃冬姫】と記入していただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。 また、コメントに一言下されば喜びます。 随時更新していきます。 リクエスト、改善してほしいことなどありましたらコメントよろしくお願いします。 また、コメントは返信できない場合がございますのでご了承ください。

バレリーナの夫

海山堂
恋愛
姉は悪性腫瘍で入院中の妹を見舞う日々を送り、夕方になると妹の夫のために夕飯を支度する。姉妹はもとはバレリーナで、姉は今はショーガールという仕事ながら、ほそぼそとバレエを続けている。妹は姉のすすめで今の夫と結婚をしたのだったが、その平凡な夫との暮らしを愚痴る妹に対して、姉にはその平凡と安定とが女のしあわせと目に映る。やがて妹に死の影が濃くなって、姉と妹の夫の生活にも変化が訪れるー。

僕は精神病である。

中七七三
ライト文芸
 僕は精神病である。まだ寛解していない。  仕事がきっかけで病気になったらしいのだが、いつおかしくなったかはとんと見当がつかない。  何でも、薄暗く誰もいない深夜のオフィスの床に倒れ込み、寝ていた事は記憶している。翌日、新人が僕を発見した。そこで絶叫されたので記憶は鮮明だ。 ======================= 完全フィクションの精神病、闘病記である。 =====================

【完結】ダフネはアポロンに恋をした

空原海
ライト文芸
「うっ、うっ。だって働いてお金稼がないと、あなたが帰ってきたとき、何も貢げない……」 「貢ぐなっつってんだろ! 薄給のくせしやがって!」  わけありイケメンチャラ男な日米ハーフホストと、ぽんこつチョロインお嬢さんの恋物語。  それからその周囲の人々のクズっぷりだったり、恋愛だったり、家族の再生だったり。  第一章が不器用な子世代のラブストーリー。  第二章がクズな親世代の浮かれ上がったラブゲーム。  第三章以降は、みんなで大団円♡ ※ 「小説家になろう」で掲載している同シリーズの章立てに手を加え、投稿しております。完結済み。

猫スタ募集中!(=^・・^=)

五十鈴りく
ライト文芸
僕には動物と話せるという特技がある。この特技をいかして、猫カフェをオープンすることにした。というわけで、一緒に働いてくれる猫スタッフを募集すると、噂を聞きつけた猫たちが僕のもとにやってくる。僕はそんな猫たちからここへ来た経緯を聞くのだけれど―― ※小説家になろう様にも掲載させて頂いております。

恋人の命を守るために、「恋人と共に歩んできた過去」と「恋人からの想い」のどちらを犠牲にしますか?

伊簑木サイ
恋愛
親友からおかしな手紙が来た。明日、恋人の許へ、殴っても連れて行ってくれという。 翌日彼を訪ねてみれば、彼は恋人のことなど知らないと言った。……ここに穴があいたようだと胸を押さえながら。 (ツイッターの診断メーカーのお題から。『あなたが犠牲にするもの』https://shindanmaker.com/647711)

処理中です...