56 / 85
第56話 姉との通話
しおりを挟む
僕と彩寧は駅前の居酒屋に行き、酒にはめっぽう強いはずの僕は人事不省になるまで酔った。彩寧の肩を借り、彩寧の運転で僕の部屋の目の前にあるカーシェアの駐車場に車を停めた彩寧は僕を助手席から引きずり下ろし担ぎ僕の部屋にぶち込む。そのまま帰るかと思いきや水を汲んでくれたりネクタイを外してくれたりとかいがいしく面倒を見てくれた。だが僕はありがとうを言う力さえ残されていなかった。
彩寧は朝までいてくれようとしたが僕は痛い頭を抱え、気だるい身体を引きずってそれを固辞した。今日という日に限っては僕一人で姉を送りたかった。僕はなんだかんだと理由をつけ、心配そうにしている彩寧には帰ってもらった。
午前四時ソファの上で突然僕は起床した。くしゃくしゃになったスーツを着たまま引き出しからワインを持ちだして開けベランダに出る。しゃがみ込んで窓に背中を寄りかからせる。
しゃがみ込むと同時に、突然の春の朝風に僕の髪はくしゃくしゃに乱される。姉がふざけて僕の頭を掻きまわした時のようだ。
東の空に微かにオレンジ色の日が差す黎明。僕はワインをラッパ飲みで流し込んだ。喉を鳴らして飲み干すと手の甲で赤くなった口を勢いよく拭う。こんな無様な飲み方は初めてだ。姉が結婚式を挙げたというだけでこの有様だ。僕は自嘲する。と、同時にウエディングドレスを着て上気した切ない顔で僕を見つめる姉も思い出す。思い切り抱き締めた時の感触を、その早い鼓動を思い出す。あの時、あのわずか二ミリを距離を僕たちが越えていたら。すんでのところで彩寧が声をかけてくれたのは良かったのだろうか、それとも。そう思うと僕は胸が焼かれるような思いがする。これは決して酒のせいではなかった。
この空を、そしてこの空に浮かぶ有明の月を、姉もまた見ている。間違いない。なぜだか僕には確信があった。だって、僕たちは特別な姉弟なんだ。そうだろう。
その瞬間ポケットの中のスマホが鳴動した。こんな非常識な時間に通話してくる奴はひとりしかいない。僕は画面も見ないで出る。
「もう、出るの遅い」
「なんだよこんな時間に」
「ねえ今何してる?」
「ベランダで外見てる。もうすぐ太陽出るところ」
「やっぱり、姉ちゃんもおんなじ。姉弟だけあってすることも考えることはおんなじだね」
「樋口さんは?」
「披露宴でも二次会でもいっぱい飲まされたからがーがー寝てる。ゆーくんと違って下戸だもん」
「そか」
僕はまたワインをラッパ飲みする。げっぷが出る。
「ね? 飲んでるの?」
「ワイン。飲まずにいれるか、こんなめでたい日にっ」
最後は吐き捨てて言った。
「……」
「姉さんこそなんでこんな時間に起きてきたんだ? やっぱ樋口さんと同衾したくない?」
「同衾なんかしないよ。ベッドも別。寝室の端と端に置いてる。安心して」
「へえ~、安心ねえ……」
またワインを飲む僕。
「ねえ飲み過ぎじゃない?」
珍しく姉が僕を心配するような声を出した。
「心配ご無用。僕は樋口さんなんかと違って酒は強いんだ」
「ねえ、ゆーくん……」
「なに?」
「こんな形の結婚だけど、ゆーくんにとっては絶対必要な結婚で、何も知らない人たちからたくさんの祝福を受けて、私もたくさんのありがとうを言って……」
「それがなに?」
「だけど、だけどっ、ゆーくんにはっ、優斗にはあたし何ひとつ言ってなかったの。一番お礼を言わなくちゃいけない人なのにっ。小っちゃい時からずっとあたしの面倒を見てくれて、世界中のすべての人の中で誰よりも一番あたしを大切にしてくれた人。あたし、あたしっ、どんな言葉でお礼を言っても言い尽くせないっ」
「泣いてるのか?」
「泣いてないっ」
鼻をすする音が聞こえる。
「無理してお礼なんか言わなくていいんだ」
「えぇっ」
「姉さん良く言ってたろう。『あたしたちは特別な姉弟』なんだって。だからいいんだ。その一言だけで。僕たちはきっと誰よりも強い絆で繋がっている。その言葉ひとつだけで構わないし、何よりも嬉しい」
彩寧は朝までいてくれようとしたが僕は痛い頭を抱え、気だるい身体を引きずってそれを固辞した。今日という日に限っては僕一人で姉を送りたかった。僕はなんだかんだと理由をつけ、心配そうにしている彩寧には帰ってもらった。
午前四時ソファの上で突然僕は起床した。くしゃくしゃになったスーツを着たまま引き出しからワインを持ちだして開けベランダに出る。しゃがみ込んで窓に背中を寄りかからせる。
しゃがみ込むと同時に、突然の春の朝風に僕の髪はくしゃくしゃに乱される。姉がふざけて僕の頭を掻きまわした時のようだ。
東の空に微かにオレンジ色の日が差す黎明。僕はワインをラッパ飲みで流し込んだ。喉を鳴らして飲み干すと手の甲で赤くなった口を勢いよく拭う。こんな無様な飲み方は初めてだ。姉が結婚式を挙げたというだけでこの有様だ。僕は自嘲する。と、同時にウエディングドレスを着て上気した切ない顔で僕を見つめる姉も思い出す。思い切り抱き締めた時の感触を、その早い鼓動を思い出す。あの時、あのわずか二ミリを距離を僕たちが越えていたら。すんでのところで彩寧が声をかけてくれたのは良かったのだろうか、それとも。そう思うと僕は胸が焼かれるような思いがする。これは決して酒のせいではなかった。
この空を、そしてこの空に浮かぶ有明の月を、姉もまた見ている。間違いない。なぜだか僕には確信があった。だって、僕たちは特別な姉弟なんだ。そうだろう。
その瞬間ポケットの中のスマホが鳴動した。こんな非常識な時間に通話してくる奴はひとりしかいない。僕は画面も見ないで出る。
「もう、出るの遅い」
「なんだよこんな時間に」
「ねえ今何してる?」
「ベランダで外見てる。もうすぐ太陽出るところ」
「やっぱり、姉ちゃんもおんなじ。姉弟だけあってすることも考えることはおんなじだね」
「樋口さんは?」
「披露宴でも二次会でもいっぱい飲まされたからがーがー寝てる。ゆーくんと違って下戸だもん」
「そか」
僕はまたワインをラッパ飲みする。げっぷが出る。
「ね? 飲んでるの?」
「ワイン。飲まずにいれるか、こんなめでたい日にっ」
最後は吐き捨てて言った。
「……」
「姉さんこそなんでこんな時間に起きてきたんだ? やっぱ樋口さんと同衾したくない?」
「同衾なんかしないよ。ベッドも別。寝室の端と端に置いてる。安心して」
「へえ~、安心ねえ……」
またワインを飲む僕。
「ねえ飲み過ぎじゃない?」
珍しく姉が僕を心配するような声を出した。
「心配ご無用。僕は樋口さんなんかと違って酒は強いんだ」
「ねえ、ゆーくん……」
「なに?」
「こんな形の結婚だけど、ゆーくんにとっては絶対必要な結婚で、何も知らない人たちからたくさんの祝福を受けて、私もたくさんのありがとうを言って……」
「それがなに?」
「だけど、だけどっ、ゆーくんにはっ、優斗にはあたし何ひとつ言ってなかったの。一番お礼を言わなくちゃいけない人なのにっ。小っちゃい時からずっとあたしの面倒を見てくれて、世界中のすべての人の中で誰よりも一番あたしを大切にしてくれた人。あたし、あたしっ、どんな言葉でお礼を言っても言い尽くせないっ」
「泣いてるのか?」
「泣いてないっ」
鼻をすする音が聞こえる。
「無理してお礼なんか言わなくていいんだ」
「えぇっ」
「姉さん良く言ってたろう。『あたしたちは特別な姉弟』なんだって。だからいいんだ。その一言だけで。僕たちはきっと誰よりも強い絆で繋がっている。その言葉ひとつだけで構わないし、何よりも嬉しい」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説
宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。
美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!!
【2022/6/11完結】
その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。
そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。
「制覇、今日は五時からだから。来てね」
隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。
担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。
◇
こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく……
――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる