茜川の柿の木後日譚――姉の夢、僕の願い

永倉圭夏

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第56話 姉との通話

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 僕と彩寧は駅前の居酒屋に行き、酒にはめっぽう強いはずの僕は人事不省になるまで酔った。彩寧の肩を借り、彩寧の運転で僕の部屋の目の前にあるカーシェアの駐車場に車を停めた彩寧は僕を助手席から引きずり下ろし担ぎ僕の部屋にぶち込む。そのまま帰るかと思いきや水を汲んでくれたりネクタイを外してくれたりとかいがいしく面倒を見てくれた。だが僕はありがとうを言う力さえ残されていなかった。
 彩寧は朝までいてくれようとしたが僕は痛い頭を抱え、気だるい身体を引きずってそれを固辞した。今日という日に限っては僕一人で姉を送りたかった。僕はなんだかんだと理由をつけ、心配そうにしている彩寧には帰ってもらった。

 午前四時ソファの上で突然僕は起床した。くしゃくしゃになったスーツを着たまま引き出しからワインを持ちだして開けベランダに出る。しゃがみ込んで窓に背中を寄りかからせる。
 しゃがみ込むと同時に、突然の春の朝風に僕の髪はくしゃくしゃに乱される。姉がふざけて僕の頭を掻きまわした時のようだ。
 東の空に微かにオレンジ色の日が差す黎明。僕はワインをラッパ飲みで流し込んだ。喉を鳴らして飲み干すと手の甲で赤くなった口を勢いよく拭う。こんな無様な飲み方は初めてだ。姉が結婚式を挙げたというだけでこの有様だ。僕は自嘲する。と、同時にウエディングドレスを着て上気した切ない顔で僕を見つめる姉も思い出す。思い切り抱き締めた時の感触を、その早い鼓動を思い出す。あの時、あのわずか二ミリを距離を僕たちが越えていたら。すんでのところで彩寧が声をかけてくれたのは良かったのだろうか、それとも。そう思うと僕は胸が焼かれるような思いがする。これは決して酒のせいではなかった。
 この空を、そしてこの空に浮かぶ有明の月を、姉もまた見ている。間違いない。なぜだか僕には確信があった。だって、僕たちは特別な姉弟なんだ。そうだろう。
 その瞬間ポケットの中のスマホが鳴動した。こんな非常識な時間に通話してくる奴はひとりしかいない。僕は画面も見ないで出る。

「もう、出るの遅い」

「なんだよこんな時間に」

「ねえ今何してる?」

「ベランダで外見てる。もうすぐ太陽出るところ」

「やっぱり、姉ちゃんもおんなじ。姉弟だけあってすることも考えることはおんなじだね」

「樋口さんは?」

「披露宴でも二次会でもいっぱい飲まされたからがーがー寝てる。ゆーくんと違って下戸だもん」

「そか」

 僕はまたワインをラッパ飲みする。げっぷが出る。

「ね? 飲んでるの?」

「ワイン。飲まずにいれるか、こんなめでたい日にっ」

 最後は吐き捨てて言った。

「……」

「姉さんこそなんでこんな時間に起きてきたんだ? やっぱ樋口さんと同衾したくない?」

「同衾なんかしないよ。ベッドも別。寝室の端と端に置いてる。安心して」

「へえ~、安心ねえ……」

 またワインを飲む僕。

「ねえ飲み過ぎじゃない?」

 珍しく姉が僕を心配するような声を出した。

「心配ご無用。僕は樋口さんなんかと違って酒は強いんだ」

「ねえ、ゆーくん……」

「なに?」

「こんな形の結婚だけど、ゆーくんにとっては絶対必要な結婚で、何も知らない人たちからたくさんの祝福を受けて、私もたくさんのありがとうを言って……」

「それがなに?」

「だけど、だけどっ、ゆーくんにはっ、優斗にはあたし何ひとつ言ってなかったの。一番お礼を言わなくちゃいけない人なのにっ。小っちゃい時からずっとあたしの面倒を見てくれて、世界中のすべての人の中で誰よりも一番あたしを大切にしてくれた人。あたし、あたしっ、どんな言葉でお礼を言っても言い尽くせないっ」

「泣いてるのか?」

「泣いてないっ」

 鼻をすする音が聞こえる。

「無理してお礼なんか言わなくていいんだ」

「えぇっ」

「姉さん良く言ってたろう。『あたしたちは特別な姉弟』なんだって。だからいいんだ。その一言だけで。僕たちはきっと誰よりも強い絆で繋がっている。その言葉ひとつだけで構わないし、何よりも嬉しい」
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