53 / 85
第53話 仮病、純潔、身の内に滾らせる炎
しおりを挟む
僕は開口一番厳しい口調になった。
「おい、仮病は使うな」
姉はうっすらと目を開けた。
「判る?」
「判らんわけなかろう。さっきみたいな症状の出る病気じゃない」
姉は薄く照れ笑いをして、顔の半分ぐらい毛布を引き上げる。そんな仕草もすごく可愛い。だが僕は心を鬼にした。
「そんなにキスが嫌だったか」
「えっ?」
「そんなに樋口さんとキスするのが嫌なのか、って言ってんだっ」
「そんな事ない。そんな事ないよ。ただびっくりしちゃって……」
「びっくりなんて顔じゃなかったぞ。あんなに真っ青になって怯えた顔をして…… なあ、樋口さんとそういう約束になっているのか?」
「別に約束なんか……」
「やっぱり好きあって結婚したんじゃないんだよな。どんな理由があるんだ」
「言わない。言わないよ」
「このっ。言わなきゃ会場で僕がぜんぶぶちまけるぞ。そして樋口さんとキスでも何でもするんだな」
「やめてっ」
姉は毛布から顔を出して叫ぶ。
「冗談じゃない。僕は本気だ。そもそも最初っから何もかもがおかしかったんだ。いきなり不自然に僕を突き放したりして」
姉は観念したのかベッドに横たわったまま唇を戦慄かせて震え声で訴える。
「全部あなたのためなの」
姉は毛布の下で小さな溜息をついた。
「僕のため?」
じゃあ僕のために姉は望まぬ結婚をしたとでも言いたいのか? なんで? どうして? 意味がわからない。
「この結婚がどうして僕のためになるんだ。訳が分からないっ」
「そうしないとっ、そうしないとあたしたちが一緒に暮らさなくちゃいけなくなるでしょっ」
「それがどうしたって言うんだ」
むしろ僕たちにとっては良い事のように思えた。
「そしたらあなたあーちゃんと結婚できなくなっちゃう……」
姉は両手で顔を覆って霧雨が降るように泣き始めた。そうか、姉さんは姉さんなりに僕のことを考えていてくれたってわけだ。だが今回ばかりは裏目に出たな。
「姉さん」
「……」
「彩寧は何十年だって待ち続けると言ってくれた」
「えっ……?」
思わず顔から手を放し僕の方を見る姉。
「だからこんな茶番劇必要なかったんだ…… 姉さん、少し先走りすぎちゃったんだよ」
「そんな……」
「姉さんさ、樋山さんとどんな『契約』を結んだの?」
「……」
「肉体関係やキスはもちろん、介護上必要な接触以外は触れる事すら許さない、とかそんなとこかな」
姉はギクッとした表情になる。図星か。
「僕の代わりに姉さんの介護をできそうな人を見つけてきて篭絡したのか」
「違う! 違うの! 最初に言い寄ってきたのはあの人なの! だから、だからあたし……」
「その気持ちを利用した、と」
「そう……」
僕は少しだけ樋山さんが可哀想になってきた。どれだけ想っても触れる事すらかなわない。実直な純情を利用される樋山さん。その辛さは僕の想像をはるかに超えているだろう。
「それにしてもお触りさえ禁止だなんてひどすぎるな。さすがに樋山さんが可哀想に思えてきた」
すると姉がうわ言のように呟いた。
「だって…… だって…… あたしは…… あたしの全部は……」
僕を見つめる姉の眼の端から止めどなく涙が溢れ出す。唇を噛み震わせて声にならない嗚咽が漏れる。その儚げな姿すらも胸が潰されるほどに美しい。僕はさめざめと泣く姉に深く魅了された。
「せめてファーストキスだけはっ、ファーストキスだけでもっ……」
僕は涙で潤んだ姉の黒い瞳に吸い込まれていく。
「それさえもっ、それさえも叶わないってゆうんならっ、あたし死ぬまで純潔を守るしかないじゃないっ!」
吸い寄せられるように姉の枕元に跪く。姉が白い長手袋をはめた手を伸ばしてくると僕はそれを無意識のうちに掴んだ。長い事見つめ合う僕たち。
「姉さん……」
「愛未って言って」
「愛未……」
つないだ手を振りほどいた姉が突如飛びかかって体当たりでもするようにして抱きついてきた。僕が思わずよろめくほどの勢いだった。
「おい、仮病は使うな」
姉はうっすらと目を開けた。
「判る?」
「判らんわけなかろう。さっきみたいな症状の出る病気じゃない」
姉は薄く照れ笑いをして、顔の半分ぐらい毛布を引き上げる。そんな仕草もすごく可愛い。だが僕は心を鬼にした。
「そんなにキスが嫌だったか」
「えっ?」
「そんなに樋口さんとキスするのが嫌なのか、って言ってんだっ」
「そんな事ない。そんな事ないよ。ただびっくりしちゃって……」
「びっくりなんて顔じゃなかったぞ。あんなに真っ青になって怯えた顔をして…… なあ、樋口さんとそういう約束になっているのか?」
「別に約束なんか……」
「やっぱり好きあって結婚したんじゃないんだよな。どんな理由があるんだ」
「言わない。言わないよ」
「このっ。言わなきゃ会場で僕がぜんぶぶちまけるぞ。そして樋口さんとキスでも何でもするんだな」
「やめてっ」
姉は毛布から顔を出して叫ぶ。
「冗談じゃない。僕は本気だ。そもそも最初っから何もかもがおかしかったんだ。いきなり不自然に僕を突き放したりして」
姉は観念したのかベッドに横たわったまま唇を戦慄かせて震え声で訴える。
「全部あなたのためなの」
姉は毛布の下で小さな溜息をついた。
「僕のため?」
じゃあ僕のために姉は望まぬ結婚をしたとでも言いたいのか? なんで? どうして? 意味がわからない。
「この結婚がどうして僕のためになるんだ。訳が分からないっ」
「そうしないとっ、そうしないとあたしたちが一緒に暮らさなくちゃいけなくなるでしょっ」
「それがどうしたって言うんだ」
むしろ僕たちにとっては良い事のように思えた。
「そしたらあなたあーちゃんと結婚できなくなっちゃう……」
姉は両手で顔を覆って霧雨が降るように泣き始めた。そうか、姉さんは姉さんなりに僕のことを考えていてくれたってわけだ。だが今回ばかりは裏目に出たな。
「姉さん」
「……」
「彩寧は何十年だって待ち続けると言ってくれた」
「えっ……?」
思わず顔から手を放し僕の方を見る姉。
「だからこんな茶番劇必要なかったんだ…… 姉さん、少し先走りすぎちゃったんだよ」
「そんな……」
「姉さんさ、樋山さんとどんな『契約』を結んだの?」
「……」
「肉体関係やキスはもちろん、介護上必要な接触以外は触れる事すら許さない、とかそんなとこかな」
姉はギクッとした表情になる。図星か。
「僕の代わりに姉さんの介護をできそうな人を見つけてきて篭絡したのか」
「違う! 違うの! 最初に言い寄ってきたのはあの人なの! だから、だからあたし……」
「その気持ちを利用した、と」
「そう……」
僕は少しだけ樋山さんが可哀想になってきた。どれだけ想っても触れる事すらかなわない。実直な純情を利用される樋山さん。その辛さは僕の想像をはるかに超えているだろう。
「それにしてもお触りさえ禁止だなんてひどすぎるな。さすがに樋山さんが可哀想に思えてきた」
すると姉がうわ言のように呟いた。
「だって…… だって…… あたしは…… あたしの全部は……」
僕を見つめる姉の眼の端から止めどなく涙が溢れ出す。唇を噛み震わせて声にならない嗚咽が漏れる。その儚げな姿すらも胸が潰されるほどに美しい。僕はさめざめと泣く姉に深く魅了された。
「せめてファーストキスだけはっ、ファーストキスだけでもっ……」
僕は涙で潤んだ姉の黒い瞳に吸い込まれていく。
「それさえもっ、それさえも叶わないってゆうんならっ、あたし死ぬまで純潔を守るしかないじゃないっ!」
吸い寄せられるように姉の枕元に跪く。姉が白い長手袋をはめた手を伸ばしてくると僕はそれを無意識のうちに掴んだ。長い事見つめ合う僕たち。
「姉さん……」
「愛未って言って」
「愛未……」
つないだ手を振りほどいた姉が突如飛びかかって体当たりでもするようにして抱きついてきた。僕が思わずよろめくほどの勢いだった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
アンドロイドクオリア ~機械人形は小さな幸せを祈る~
沼米 さくら
ライト文芸
パツキンでガラの悪い不良女が、純朴なおもらしアンドロイド少女を拾う話。
電子工学技術が発達した世界。アンドロイドは人々に便利な「人権のない道具」として重宝されていた。
人間にはできないような遊びにも使われる、壊れても自動修復で治る、いくら壊してもいい、動いてしゃべる機械人形。
そんな世界で、一体の少女型アンドロイドが、ゴミ捨て場に転がっていた――。
結構ありがちな不良女×純朴アンドロイドの、ちょっとだけ哲学的な百合です。
全話執筆済み。一週間毎日投稿します。
カクヨム、ノベルアッププラス、小説家になろう、pixivにも掲載します。
契りの桜~君が目覚めた約束の春
臣桜
ライト文芸
「泥に咲く花」を書き直した、「輪廻の果てに咲く桜」など一連のお話がとても思い入れのあるものなので、さらに書き直したものです(笑)。
現代を生きる吸血鬼・時人と、彼と恋に落ち普通の人ならざる運命に落ちていった人間の女性・葵の恋愛物語です。今回は葵が死なないパターンのお話です。けれど二人の間には山あり谷あり……。一筋縄ではいかない運命ですが、必ずハッピーエンドになるのでご興味がありましたら最後までお付き合い頂けたらと思います。
※小説家になろう様でも連載しております
モデルファミリー <完結済み>
MARU助
ライト文芸
【完結済み】日本政府が制定したモデルファミリー制度によって、日本中から選ばれた理想の家族に7億円という賞金が付与されることとなった。
家庭内不和で離散寸前だった世良田一家は賞金のためになんとか偽装家族を演じ続けることに合意。
しかし、長女・美園(16才)の同級生、進藤つかさが一家に疑惑を持ち始め、揺さぶりをかけ始める。
世良田一家は世間を騙し続けられるのか?!
家族愛・恋・友情、ドタバタファミリー物語。
【家族メモ】
元樹(父)、栄子(母)、勇治(長男)、美園(長女)、誠(末っ子)、ケンジ・タキ(祖父母)、あんこ(犬)
余命2年の私と、寿命2週間の君。
空秋
ライト文芸
余命宣告を受けた雛芥子(ひなげし)の前に、ある日突然ミズキと名乗る青年が現れる。
見ず知らずの彼と過ごす時間は何故か雛芥子の心を満たしていく。
しかし、ミズキと出会って2週間がたった日にミズキが亡くなってしまう。
ミズキの訃報に大きな衝撃を受ける雛芥子。
ミズキの死が受け入れられず、ミズキと初めて出会った病院のロビーへと向かうと、そこには亡くなったはずのミズキの姿があって…
佰肆拾字のお話
紀之介
ライト文芸
「アルファポリス」への投稿は、945話で停止します。もし続きに興味がある方は、お手数ですが「ノベルアップ+」で御覧ください。m(_ _)m
----------
140文字以内なお話。(主に会話劇)
Twitterコンテンツ用に作ったお話です。
せっかく作ったのに、Twitterだと短期間で誰の目にも触れなくなってしまい 何か勿体ないので、ここに投稿しています。(^_^;
全て 独立した個別のお話なので、何処から読んで頂いても大丈夫!(笑)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる