茜川の柿の木後日譚――姉の夢、僕の願い

永倉圭夏

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第25話 最初で最後の

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 朝食の時間、まだ僕の胸に顔を埋め浴衣を涙で濡らす姉に、優しく声をかけた。

「姉さん。そろそろ朝食の時間だから。食べられる?」

 泣き腫らした目の姉が痛ましくも愛おしい。何が何でも守りたくなる。

「ん、行く」

 光を失った眼で僕を見つめ返す姉。普段着に着替えて食堂へ向かう。ブッフェ形式の朝食を案の定姉は取り過ぎた。

「食べ放題だからってとりすぎ」

「あ……」

 こんなに落ち込んでても食欲はあるんだな。そう思うと僕は少しおかしくなった。

「ふふっ」

「なに」

 不満そうな姉の顔。

「前にもこんなことあったよね」

「前?」

「ほら東京のビジネスホテル」

「あ」

「もう十年近く前? 変わらないなあ、って」

「……そうね ……クスッ」

 久しぶりに姉が笑った。

「うん。そのほうがいい」

「えっ」

「笑ってる姉さんの方がずっといい。ずっと…… その、きれいだ」

 僕が懸命になって絞り出した言葉を聞いた姉は不意打ちを食らったかのようにびっくりした顔になり、次に真っ赤になった。そして何やらぶつぶつ言いながら黙々と食べ始める。

「さ、最初に緑黄色野菜を食べると糖の吸収が…… 冷麺とじゃじゃ麺とわんこそば食べ比べも……」

 取り過ぎた料理を少し持て余し気味にしていた姉は、何を思ったのかふと箸を止める。さっきまでのただ寂しいだけの表情じゃなく、どこか異質な、感情をなくした空虚な顔立ちになる。光を失った瞳で僕を見つめた。まるで僕に救いを求めるかのような眼だった。それは初めて見る異様な相貌だった。僕は一瞬たじろいだ。

「あたし…… あたしきれいなんかじゃない…… 醜いの。醜くて醜くて卑しい女なの……」

 意表を突かれた僕は少し驚いて聞き返す。

「えっ、どういうこと。姉さんは醜くなんてないしましてや卑しいだなんて」

 すると姉は視線を落とし大きくゆっくり頭を振ってまた箸を動かし一口ずつ摘まんでそっと食べはじめた。姉があんな表情を見せたのは後にも先にもこれが最初で最後だった。
 朝食を食べ終わった姉はまだ寂しげな様子だったが、それでもまた少し血色を取り戻し元気も出てきていた。それだけで僕は本当に嬉しくなる。

 チェックアウト前にもう一度個室露天風呂に一緒に入る。そのあとは荷物をまとめて売店をうろつく。姉も僕も何も買わない。例えば両親や彩寧に買ったとしても、色々根掘り葉掘り聞かれ面倒だからだ。

 会計時僕も無理を言って少し出した。どうやら思った通り相当高額なプランだったようだ。姉は朝食後少しばかり元気を取り戻したものの未だしおらしく口数も少ない。声をかけても力なく微笑む。ほとんど見た事のない表情だったが、その面差しですら美しく僕は息を呑む。
 駐車場で僕が運転席に座ると、姉がまるで幽霊のようにすうっと助手席に収まる。

「じゃ、どこか行きたいとこある?」

 俯いて力なく首を振る姉。力なく呟く。

「んん、いい……」

「えっ、いい? いいって?」

 僕は驚いた。と同時に、これだけのふさぎ込みようを見たら当然なのかもしれないとも思う。僕はなだめるように優しく声をかけた。

「姉さん、最後なんだよ。最後くらいは笑って終わらそうよ」

「……ううん、もういい。あたしもう帰りたい……」

「そんな事言わないでさ。僕、ほんの少しでも姉さんといたいんだ。だめかな?」

「あたしと…… いたい?」

「そう、いたいんだ。いい?」

「ん。そういうことならいい。わかった」

「じゃ、科学館に行こうか」

「科学館?」

「プラネタリウム見に行く」

「うん、楽しみ」

 姉は全く楽しくなさそうに寂しく笑った。

 僕らは科学館にいってプラネタリウムを見る。子供向けのプログラムだった。僕は姉の手をそっと握った。姉の方を見ると天空を眺める事もなく、暗がりの中でじっと切なげに僕を見つめていた。僕が握ってきた手を姉は弱々しい力で握り返してくる。そのあとは子供に混じってサイエンスショーなどを見る。ここでの姉は童心に帰った様子を見せ、化学の実験を子供に混じってにこやかに眺めていた。微かに甦った姉の笑顔を横で見ながら胸をなで下ろす僕だった。

 歴史文化会館でチャグチャグ馬っ子や巨大な山車を眺める。盛岡城の城下町の発展についても展示をしげしげと眺めた。

 その後は恒例となった「柿の木参り」。また僕が後ろから抱きつく形で長い間じっと眺めていたが不思議と暑くは感じない。姉は僕の腕を力なく掴むばかりだった。
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