上 下
34 / 100
心の基板

第34話 伊緒、懸命に説得を試みる。

しおりを挟む
 伊緒いおは一斉試験を受けている時を遥かに超える真剣さで考えを巡らせ、なんとかシリルを納得させようと思った。

「あ、ああ、ええと…… 無駄の反対語ってなんだっけ」

「有用、有益」

「ああ、そう、そうか、ありがと…… で、ええと、それで愛は無駄とか有益とか、そういった物やお金みたいな測り方なんて出来ないでしょ。丸損な愛とかお買い得な愛やお値打ち愛とか。それにお金や長さや重さみたいに単位とかがあるわけじゃないしさ。愛は何センチ以下で無駄な愛になるのかな」

「……」

「それと、さっきから言ってたけど、シリルは自分の心をまがい物だと思ってるの?」

 膝に顔を埋めたまま小さく頷くシリル。

 シリルがどこまでちゃんと聞いてくれているか分からないが、それでも伊緒は必死になってシリルを説得しようとする。

「じゃぁ、シリルの心ががまがい物だとして、そのまがい物が好きなあたしは無駄な事をしてるのかなやっぱり。ねえ、あたしのこの気持ちも無駄なまがい物?」

 伊緒のその問いにぐっと目を閉じて声を絞り出すシリル。声帯部にある高精度スピーカーから発せられるその声はまるで人間のように微かに震えていた。そしてその言葉の内容は本心から出たものではない事は伊緒にも容易にわかった。

「……そうよ。だから私とはもうお付き合いしない方がいいの」

「無駄だってシリルは言うけれど、例えそうだとしてもあたしは全然構わないんだけどね。だからあたしはシリルから離れない。離れたくない」

「もうやめて…… どうして? 何も得るものがないの。何の意味もないのよ」

 自分の気持ちを汲んでくれず、一方的な価値観でもって付きまとおうとする伊緒がシリルには理解できず苛立つ。独善的でさえあると感じた。自然と眉間にしわが寄る。
 一方で伊緒は、知能や感情や心が人工物由来であることに起因する自己肯定感の低さにより、自分の殻に閉じこもろうとするシリルを何とか止めたかった。

「例え得るものがあるかどうかを測れたとしても、そんなの本当にどうでもいい。得るものがあるかなんてあたし自身が決めることだよ。それに意味なんてのも要らない。そんなの全然要らない。シリルを好きだって気持ちだけが一番要る。あたしにとってはそれだけあればいい。シリルにだってそれをとやかく言う権利なんてないからね。これはあたしの気持ちの問題」

「でも私には無駄なことに時間を費やす伊緒を見過ごすことなんかできない。私の心では伊緒に何もしてあげられないのよ」

 午後の光を反射してゆらゆら揺らめく水面を眺めるシリル。その表情を人の心の専門家が見たら、自己評価の低さやアイデンティティの欠如に苦しむ少女のそれを想起するかもしれない。
 伊緒はシリルの方を向いて少し真剣な表情になる。人を好きになるという大切な気持ちをもっとシリルに分かって欲しい。

「だから何もいらないって。シリルが好きなあたしがいて、そして今ここにシリルがいてくれる。それだけでいいんだ。何かを得るとか、利益や有益な何かが欲しくて人を好きになるんじゃないんだから」

 ここでシリルに片想いをしていた頃の自分を思い出し、思わず苦笑いがこぼれる伊緒。

「あ、でもまあその人に好きになってもらわないとめちゃくちゃ辛いんだけどね、片想いはほんと辛いや、へへへっ」

 シリルはそれに何の反応を見せずプールを眺めながら力なくまた否定的な言葉を口にする。

「でも私、きっと不完全なまがい物の心できっと伊緒を苦しめるわ」

「今までそんなことはなかったよね。それがまがい物じゃないって証明にならない?」

「……これからの話よ」

「それにね、もしシリルがあたしを苦しめるんだとしても、全然構わないんだ。それこそあたしの望むところ」

「えっ」

 少し驚いて膝に顎を乗せたまま伊緒の方を向くシリル。

「望むところって言ったら大げさかな? でもそれが人を愛することだと思うから。愛することって甘い事ばかりじゃないと思うし」

「……」

 シリルは黙って考え込む。私は伊緒のせいで苦しんだとしたら、それを甘んじて受け止める事が出来るだろうか。伊緒からつらく当たられるとか、伊緒のせいで躯体に傷がつくとか。要はそういうことなのだろう。私はそれを受け入れる事が出来るのだろうか、と。それが人間の愛なのか。人の心なのか。シリルには解らない。

「それに、そんな風に思い悩むシリルはすごく心が豊かなんだと思う」

「あ」

 伊緒の言葉に、人間で言えばはっとするシリル。

「あたしなんてバカだからさあ、全然考えたことないよそんなすごいこと。あたしより全然豊かで完全な心かも知れないよ、シリルの心って。あはは」

「……」

 また黙り込んだシリル。しかし、よくよく観察していなければわからないくらいの一瞬、ほんの少しだけシリルの表情に光が差したように見える。

「それにさ、結局、『完全な心』なんてものを持ってる人間もアンドロイドもきっといないよ。シリルは自分の心について高望みし過ぎなんじゃないかと思うな。あと、考えが硬いんじゃない? ふふっ」

 なんだろう、私の悩みは思ったほど深刻なものではないのかもしれない、とシリルはほんの少しそう感じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【百合】彗星と花

永倉圭夏
現代文学
一筋の彗星となって消えゆく一羽の隼とその軌跡 全72話、完結済。六年前、我執により左腕を切断したレーサー星埜千隼。再接合手術には成功するものの、レーサーとして再起の道は断たれた。「虚ろの発作」に苛まれ雨にそぼ濡れる千隼に傘を差しだしたのは…… (カクヨムにて同時連載中) 鷹花の二人編:第1話~第22話 疾走編:第23話~第58話 再生編:第59話~最終第71話 となっております。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

【完結】【R18百合】女子寮ルームメイトに夜な夜なおっぱいを吸われています。

千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。 風月学園女子寮。 私――舞鶴ミサが夜中に目を覚ますと、ルームメイトの藤咲ひなたが私の胸を…! R-18ですが、いわゆる本番行為はなく、ひたすらおっぱいばかり攻めるガールズラブ小説です。 おすすめする人 ・百合/GL/ガールズラブが好きな人 ・ひたすらおっぱいを攻める描写が好きな人 ・起きないように寝込みを襲うドキドキが好きな人 ※タイトル画像はAI生成ですが、キャラクターデザインのイメージは合っています。 ※私の小説に関しては誤字等あったら指摘してもらえると嬉しいです。(他の方の場合はわからないですが)

性転換マッサージ

廣瀬純一
SF
性転換マッサージに通う人々の話

【R18】無口な百合は今日も放課後弄ばれる

Yuki
恋愛
※性的表現が苦手な方はお控えください。 金曜日の放課後――それは百合にとって試練の時間。 金曜日の放課後――それは末樹と未久にとって幸せの時間。 3人しかいない教室。 百合の細腕は頭部で捕まれバンザイの状態で固定される。 がら空きとなった腋を末樹の10本の指が蠢く。 無防備の耳を未久の暖かい吐息が這う。 百合は顔を歪ませ紅らめただ声を押し殺す……。 女子高生と女子高生が女子高生で遊ぶ悪戯ストーリー。

【完結】【R18百合】会社のゆるふわ後輩女子に抱かれました

千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。 レズビアンの月岡美波が起きると、会社の後輩女子の桜庭ハルナと共にベッドで寝ていた。 一体何があったのか? 桜庭ハルナはどういうつもりなのか? 月岡美波はどんな選択をするのか? おすすめシチュエーション ・後輩に振り回される先輩 ・先輩が大好きな後輩 続きは「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」にて掲載しています。 だいぶ毛色が変わるのでシーズン2として別作品で登録することにしました。 読んでやってくれると幸いです。 「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/759377035/615873195 ※タイトル画像はAI生成です

高校生とUFO

廣瀬純一
SF
UFOと遭遇した高校生の男女の体が入れ替わる話

さくらと遥香

youmery
恋愛
国民的な人気を誇る女性アイドルグループの4期生として活動する、さくらと遥香(=かっきー)。 さくら視点で描かれる、かっきーとの百合恋愛ストーリーです。 ◆あらすじ さくらと遥香は、同じアイドルグループで活動する同期の2人。 さくらは"さくちゃん"、 遥香は名字にちなんで"かっきー"の愛称でメンバーやファンから愛されている。 同期の中で、加入当時から選抜メンバーに選ばれ続けているのはさくらと遥香だけ。 ときに"4期生のダブルエース"とも呼ばれる2人は、お互いに支え合いながら数々の試練を乗り越えてきた。 同期、仲間、戦友、コンビ。 2人の関係を表すにはどんな言葉がふさわしいか。それは2人にしか分からない。 そんな2人の関係に大きな変化が訪れたのは2022年2月、46時間の生配信番組の最中。 イラストを描くのが得意な遥香は、生配信中にメンバー全員の似顔絵を描き上げる企画に挑戦していた。 配信スタジオの一角を使って、休む間も惜しんで似顔絵を描き続ける遥香。 さくらは、眠そうな顔で頑張る遥香の姿を心配そうに見つめていた。 2日目の配信が終わった夜、さくらが遥香の様子を見に行くと誰もいないスタジオで2人きりに。 遥香の力になりたいさくらは、 「私に出来ることがあればなんでも言ってほしい」 と申し出る。 そこで、遥香から目をつむるように言われて待っていると、さくらは唇に柔らかい感触を感じて… ◆章構成と主な展開 ・46時間TV編[完結] (初キス、告白、両想い) ・付き合い始めた2人編[完結] (交際スタート、グループ内での距離感の変化) ・かっきー1st写真集編[完結] (少し大人なキス、肌と肌の触れ合い) ・お泊まり温泉旅行編[完結] (お風呂、もう少し大人な関係へ) ・かっきー2回目のセンター編[完結] (かっきーの誕生日お祝い) ・飛鳥さん卒コン編[完結] (大好きな先輩に2人の関係を伝える) ・さくら1st写真集編[完結] (お風呂で♡♡) ・Wセンター編[不定期更新中] ※女の子同士のキスやハグといった百合要素があります。抵抗のない方だけお楽しみください。

処理中です...