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第十二章
城内探索・一(四)
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レオンハルトはルシアナの手を取って立ち上がると、小さく咳払いをする。
「次は執務室に併設された書庫に案内しよう。貴女の執務スペースからは少し遠くなるが」
言いながら、レオンハルトは部屋の右側、レオンハルトの執務机があるほうへと移動する。
(……ふふ)
いまだ赤みの引かない彼の耳をちらりと見上げたルシアナは、小さく笑みを漏らすと、つなぐ手に力を込め、視線を前へと向ける。
本棚の隣にある簡素な木製の壁を開ければ、そこには本棚だけでなく引き出しのついた棚も多く並べられていた。
「紙の束をまとめただけのものも多いから、そういう資料は引き出しにしまわれている。俺がこの地を賜ってからの資料は黒い取っ手の引き出しに。それ以前――ここがルドルティ王国の王都だった時代の資料は銀の取っ手の引き出しにしまわれている。部屋の奥から手前に向けて新しくなっているから、この辺りの引き出しはまだ空だな」
レオンハルトが試しに引き出しを開けると、少しツンとした木の香りが鼻腔をくすぐった。
「いい香りですね」
「この棚の材料となったラリーカという樹木の香りだな」
「ラリーカ……初めて聞く植物ですわ」
「旧ルドルティ周辺にしか自生してないからな。旧ルドルティは北方の中でも最北に位置していて、特に寒さの厳しい土地だ。ラリーカはそういう土地でのみ根を張り成長できると言われている。まぁ、そもそも、この辺りで自生できる樹木はラリーカのみなんだが」
「まあ。そうなのですか?」
思わず窓の外へと目を向けたが、吹雪の影響か外は真っ白で、ほとんど何も見えなかった。レオンハルトは、そんなルシアナに小さく笑みながら「ああ」と頷く。
「この地で自生できる植物自体それほど多くないんだ。果物や野菜など、食用になるものは直に植えても枯れるだけで……。俺が産まれる前の話だが、餓死者も少なくなかったそうだ」
「……現在は、問題なく食糧を得られているのですか?」
「ああ。食用植物を育てるための特殊な温室を魔法術師協会に依頼して建ててもらってな。農業を生業にしている者が誰もいなかったから最初は失敗もあったらしいが、現在は問題なく供給を行えている」
「……よかったですわ」
ほっと安堵の息を漏らしたルシアナに、レオンハルトは眉尻を下げると、その頬を優しく撫でた。
「旧ルドルティは本当に不毛の土地でな。皆が飢えることなく食事をできるようになってから、まだ百年も経っていないんだ。……貴女からしてみれば信じられないことかもしれないが」
「そのようなこと……」
ない、とは言えなかった。
トゥルエノ王国は、このクリーマ大陸において、国としては最も古く長い歴史を持つ大国だ。歴史が長いということは、それだけ豊かで安定した国家運営が行えているということでもある。
何百年も前ならいざ知らず、たった百年ほど前まで飢餓の心配をしていた、というのは、なかなかに信じがたい、衝撃的な言葉だった。
何より、自分が生活の根幹に関わる食糧事情について、まったくの無知であったこともショックだった。
(わたくしがこちらに来て学んだのは“シュネーヴェ”のことばかりだわ。レオンハルト様は“ルドルティ”の方で、レオンハルト様の領地はルドルティの元王都なのに……)
旧ルドルティ王国についてもっと学ぶべきだった。
旧ルドルティ王国の出身者に、もっと話を聞くべきだった。
(わたくしは、この土地の領主の妻なのに……)
「申し訳ございません、レオンハルト様。勉強不足で、何も知らなくて……」
情けなくて、自然と顔が下を向く。けれどすぐに上を向かされ、唇が重ねられた。
レオンハルトはそのままルシアナを抱き締めると、頬や額に口付けを繰り返していく。
「そんな顔をしないでくれ、ルシアナ。勉強不足だなどと、そんなこと思っていない」
「ですが……」
「カントリーハウスでは他にも学ぶことが多くあっただろう? 社交にもとても力を入れていたし、貴女は十分すぎるほど頑張っていた。だから、そんな風に思わなくていいんだ」
レオンハルトは柔らかな微笑を浮かべると、もう一度唇に口付けてくれる。それにほっと息が漏れるものの、ルシアナの心は晴れなかった。
いまだ思い悩んだような表情を浮かべるルシアナに、レオンハルトは両手でルシアナの頬を包み込むと、そのまま優しく揉み始めた。
「知りたいなら、これからゆっくり知っていけばいい。気になることがあれば、俺が都度教える。代わりに貴女は、トゥルエノのことを俺に教えてくれ。俺も、トゥルエノについて多くのことを知っているわけじゃないから」
な? と目を細めたレオンハルトに、ルシアナは数拍置いて、小さく頷いた。
「……レオンハルト様は、わたくしを甘やかすのがお上手すぎますわ」
「ありがとう。嬉しい褒め言葉だ」
心底満足そうに微笑むレオンハルトに、ルシアナはふいっと顔を横に向ける。
毎回毎回レオンハルトにうまく乗せられ、乗せられていることがわかっているのに逆らえないことが少々悔しかった。
(決して嫌ではないけれど……わたくしも本心では喜んでしまっているけれど……!)
いつも自分ばかりが翻弄されてしまうことが、どうにも悔しい。
(いつかわたくしだって……レオンハルト様にたくさん甘えていただけるような……いえ、問答無用でたくさん甘えられるような人になってみせるわ……!)
顔を背け、拗ねたように唇を尖らせたまま、ルシアナは密かに決意する。
ふん、と気合いを入れるルシアナがどう見えたのか、レオンハルトはそれに小さく肩を揺らすと、素早く顔を覗き込んで、少々強めに唇を吸った。
(……!)
突然の衝撃にルシアナは驚き、目を見開く。視線が絡んだ先で、彼はどこかいたずらに微笑んでいた。
「……っ」
初めて見るレオンハルトの表情に、一瞬で鼓動が速くなる。心臓の音と連動するように、唇のじんじんと痺れが強くなっていった。
戸惑い、ときめき、全身が熱を持っていく。
顔中が赤くなっていくのを感じながら、ただ呆然とレオンハルトを見つめていると、彼はわずかに口元を緩め、ルシアナの耳元に口を寄せた。
「ここはギュンターや補佐官も利用するんだ。だからこれ以上は、今は我慢してくれ」
小さなリップ音とともに顔を離したレオンハルトに、ルシアナはただ小さく頷き返すことしかできなかった。
「次は執務室に併設された書庫に案内しよう。貴女の執務スペースからは少し遠くなるが」
言いながら、レオンハルトは部屋の右側、レオンハルトの執務机があるほうへと移動する。
(……ふふ)
いまだ赤みの引かない彼の耳をちらりと見上げたルシアナは、小さく笑みを漏らすと、つなぐ手に力を込め、視線を前へと向ける。
本棚の隣にある簡素な木製の壁を開ければ、そこには本棚だけでなく引き出しのついた棚も多く並べられていた。
「紙の束をまとめただけのものも多いから、そういう資料は引き出しにしまわれている。俺がこの地を賜ってからの資料は黒い取っ手の引き出しに。それ以前――ここがルドルティ王国の王都だった時代の資料は銀の取っ手の引き出しにしまわれている。部屋の奥から手前に向けて新しくなっているから、この辺りの引き出しはまだ空だな」
レオンハルトが試しに引き出しを開けると、少しツンとした木の香りが鼻腔をくすぐった。
「いい香りですね」
「この棚の材料となったラリーカという樹木の香りだな」
「ラリーカ……初めて聞く植物ですわ」
「旧ルドルティ周辺にしか自生してないからな。旧ルドルティは北方の中でも最北に位置していて、特に寒さの厳しい土地だ。ラリーカはそういう土地でのみ根を張り成長できると言われている。まぁ、そもそも、この辺りで自生できる樹木はラリーカのみなんだが」
「まあ。そうなのですか?」
思わず窓の外へと目を向けたが、吹雪の影響か外は真っ白で、ほとんど何も見えなかった。レオンハルトは、そんなルシアナに小さく笑みながら「ああ」と頷く。
「この地で自生できる植物自体それほど多くないんだ。果物や野菜など、食用になるものは直に植えても枯れるだけで……。俺が産まれる前の話だが、餓死者も少なくなかったそうだ」
「……現在は、問題なく食糧を得られているのですか?」
「ああ。食用植物を育てるための特殊な温室を魔法術師協会に依頼して建ててもらってな。農業を生業にしている者が誰もいなかったから最初は失敗もあったらしいが、現在は問題なく供給を行えている」
「……よかったですわ」
ほっと安堵の息を漏らしたルシアナに、レオンハルトは眉尻を下げると、その頬を優しく撫でた。
「旧ルドルティは本当に不毛の土地でな。皆が飢えることなく食事をできるようになってから、まだ百年も経っていないんだ。……貴女からしてみれば信じられないことかもしれないが」
「そのようなこと……」
ない、とは言えなかった。
トゥルエノ王国は、このクリーマ大陸において、国としては最も古く長い歴史を持つ大国だ。歴史が長いということは、それだけ豊かで安定した国家運営が行えているということでもある。
何百年も前ならいざ知らず、たった百年ほど前まで飢餓の心配をしていた、というのは、なかなかに信じがたい、衝撃的な言葉だった。
何より、自分が生活の根幹に関わる食糧事情について、まったくの無知であったこともショックだった。
(わたくしがこちらに来て学んだのは“シュネーヴェ”のことばかりだわ。レオンハルト様は“ルドルティ”の方で、レオンハルト様の領地はルドルティの元王都なのに……)
旧ルドルティ王国についてもっと学ぶべきだった。
旧ルドルティ王国の出身者に、もっと話を聞くべきだった。
(わたくしは、この土地の領主の妻なのに……)
「申し訳ございません、レオンハルト様。勉強不足で、何も知らなくて……」
情けなくて、自然と顔が下を向く。けれどすぐに上を向かされ、唇が重ねられた。
レオンハルトはそのままルシアナを抱き締めると、頬や額に口付けを繰り返していく。
「そんな顔をしないでくれ、ルシアナ。勉強不足だなどと、そんなこと思っていない」
「ですが……」
「カントリーハウスでは他にも学ぶことが多くあっただろう? 社交にもとても力を入れていたし、貴女は十分すぎるほど頑張っていた。だから、そんな風に思わなくていいんだ」
レオンハルトは柔らかな微笑を浮かべると、もう一度唇に口付けてくれる。それにほっと息が漏れるものの、ルシアナの心は晴れなかった。
いまだ思い悩んだような表情を浮かべるルシアナに、レオンハルトは両手でルシアナの頬を包み込むと、そのまま優しく揉み始めた。
「知りたいなら、これからゆっくり知っていけばいい。気になることがあれば、俺が都度教える。代わりに貴女は、トゥルエノのことを俺に教えてくれ。俺も、トゥルエノについて多くのことを知っているわけじゃないから」
な? と目を細めたレオンハルトに、ルシアナは数拍置いて、小さく頷いた。
「……レオンハルト様は、わたくしを甘やかすのがお上手すぎますわ」
「ありがとう。嬉しい褒め言葉だ」
心底満足そうに微笑むレオンハルトに、ルシアナはふいっと顔を横に向ける。
毎回毎回レオンハルトにうまく乗せられ、乗せられていることがわかっているのに逆らえないことが少々悔しかった。
(決して嫌ではないけれど……わたくしも本心では喜んでしまっているけれど……!)
いつも自分ばかりが翻弄されてしまうことが、どうにも悔しい。
(いつかわたくしだって……レオンハルト様にたくさん甘えていただけるような……いえ、問答無用でたくさん甘えられるような人になってみせるわ……!)
顔を背け、拗ねたように唇を尖らせたまま、ルシアナは密かに決意する。
ふん、と気合いを入れるルシアナがどう見えたのか、レオンハルトはそれに小さく肩を揺らすと、素早く顔を覗き込んで、少々強めに唇を吸った。
(……!)
突然の衝撃にルシアナは驚き、目を見開く。視線が絡んだ先で、彼はどこかいたずらに微笑んでいた。
「……っ」
初めて見るレオンハルトの表情に、一瞬で鼓動が速くなる。心臓の音と連動するように、唇のじんじんと痺れが強くなっていった。
戸惑い、ときめき、全身が熱を持っていく。
顔中が赤くなっていくのを感じながら、ただ呆然とレオンハルトを見つめていると、彼はわずかに口元を緩め、ルシアナの耳元に口を寄せた。
「ここはギュンターや補佐官も利用するんだ。だからこれ以上は、今は我慢してくれ」
小さなリップ音とともに顔を離したレオンハルトに、ルシアナはただ小さく頷き返すことしかできなかった。
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