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第十一章
レオンハルトの精霊(六)
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ルシアナに声を掛けられた精霊は、背筋を伸ばすと「なに!?」と言葉を返した。その勢いに小さく笑いながら、「改めて」と続ける。
「まずはお礼を。精霊様のおかげで怪我を治すことができました。このような格好で申し訳ありませんが、本当に……」
言いかけて、ルシアナは改めて自分の姿勢を確認する。
非常に今更ではあるが、レオンハルトの膝の上に座り、がっちりと腰を抱え込まれた状態で話をするというのは、さすがに非常識だ。
レオンハルトの隣に移動しよう、と体に力を入れたものの、レオンハルトの拘束は緩まず、むしろより強く抱き寄せらせた。
「……あの、精霊様とお話をしたいので放していただけませんか?」
「このままでも話せるだろう?」
「ですが、このような格好では失礼にあたるかと……」
「あっ、おれは気にしないよ、ルシアナ! レオンハルトはルシアナを膝に乗せるのが好きだし、そのままでいいよ!」
(まあ……)
少し迷ったすえ、ルシアナは体の力を抜いた。
このままでいいわけはない。そう思いつつも、レオンハルトと精霊がこう言っているのだから、今このときだけはいいか、と結論付け、「では」と精霊に目を向ける。
「このような格好で申し訳ありませんが、改めてお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました」
胸に手を当て頭を下げれば、「ううん!」と勢いのいい声が返ってくる。
「さっきベルも言ってたけど、ルシアナの怪我は元はと言えばおれのせいだから。ルシアナもベルも、悪いことはしないってわかってたはずなのに、おれが怖がっちゃって……えっと、これベルにはもう言ってあるんだけど……おれ、精霊が苦手で」
思いがけない言葉に目を瞬かせると、彼は精霊界にいたときの出来事を話してくれた。
彼の両親にあたる水の精霊と風の精霊には他にも子どもがいたが、両方の属性を引き継いで誕生したのは彼だけだったこと。
複数属性を持った彼は、単一属性の他の兄弟たちと馴染めず、彼の両親も複数属性の子どもを持て余したこと。
その結果、孤立してしまったこと。
(精霊にとっての“家族”は、動物の“群れ”に近いとベルが言っていたわ。弱ければ、他と違えば、追い出されると。……そこは、人も変わらないと思うけれど)
ベルにそう聞かされたときは、自然そのものである精霊も、存外生物のような一面を持っているのだなと思うにとどまった。
しかし、こうして排斥された当人から話を聞くと、知性のある偉大な存在が何故そんな稚拙なことを行うのだろう、と疑問に思えてくる。
(いえ、答えは決まっているわ。精霊は、わたくしたちが思っているより閉鎖的なのよね。ベルはそれが嫌で人間界を漂っていたと言っていたけれど……この方も、結局馴染めなくて人間界に出てきたのかしら)
その疑問の答えは、続く精霊の言葉で得られた。
「――それで、他のみんなはどんどん覚醒していくのに、おれだけずっと覚醒できないままで……。結局、それが決め手だった。おれたちは人間とか他の生き物と違って、親に何かを世話される必要はないんだ。マナさえあれば生きていけるから。だから、兄弟たち全員が覚醒していなくなったら、両親もいなくなった。精霊は、番は大切にするけど、子どもはそうじゃないから。それはおれもわかってるから、仕方ないと思った。むしろ、それなら俺も番を見つけようって……けど、おれを受け入れてくれる精霊はいなかった」
遠い過去の出来事を思い出すように、彼はぽつりぽつりと話を続けていく。
「水の精霊は、緑が混じってるからっておれのことを敬遠したし、風の精霊は、緑が混じっててもほとんど水の精霊だからって敬遠した。火と地の精霊は、これ以上属性を交わらせるつもりかって、ろくに話もできなかった。精霊界は広いから、もっといろんなところに行けばまた違ったんだろうけど……そんな気も起きなくて、おれは人間界に来たんだ」
「精霊様……」
思わず、同情するような声が漏れ出た。レオンハルトの精霊はそれに嫌な顔をすることなく、ただ困ったように笑ってみせた。
「もう昔の……人間からすれば何百年も前の話だよ。おれはその何百年を、ずっとマナ石の中で眠って過ごしてたからすぐに思い出せるけど……本当に、昔の話。正直、眠りから覚めて……というか、起こされて、加工されて、剣に嵌められて、レオンハルトのところに来てからのほうが、おれとしては辛かったよ。力を貸してあげたかったのに、全然できなかったから」
レオンハルトの精霊は大きく息を吐き出すと、どこか申し訳なさそうな眼差しをルシアナに向けた。
「おれは、自分が混じり物だってことが受け入れられなかった。そのせいで覚醒できなくて、本来使えるはずの風の力も使えなかった。けど、あの日……二人がおれを覚醒させようとしてくれた日、初めて風の力を使えたんだ。咄嗟のことで、ほぼ無意識だったし、ルシアナを傷付けるものだったけど。けど、あれがきっかけで、おれは覚醒することができた。だから、本当は……本当は、おれはルシアナを傷付けたから、お礼なんて言っちゃいけないんだけど……ありがとう、ルシアナ。おれに、覚醒するきっかけをくれて」
腰に回されたレオンハルトの腕に、わずかに力がこもる。
窺うようにレオンハルトを見れば、彼は変わらず複雑そうな視線をルシアナに向けていた。
その眼差しを受け、もしかして、とルシアナは考える。
(レオンハルト様は、先にこのお話をお聞きしていたのかしら。わたくしが質問をしているからとは言え、精霊様はずっとわたくしに向けててお話ししていらっしゃるし……この部屋に来ることも精霊様が望まれたことだと、精霊様自身がおっしゃっていたもの。その可能性は十分にあるわ)
ベルが出てくる少し前、レオンハルトは精霊に向かって複雑な表情を向けていた。その理由は、精霊本人が言っていた通り、男形の精霊である彼と距離が近かったことが理由かと思ったが、それだけではなかったのかもしれない。
そう考えると、レオンハルトが頑なにルシアナを膝から下ろさない理由も、なんとなく想像できた。
(万が一にも、また傷付けられることがないよう……そうなっても守れるように、このような体勢をとっているのかしら)
これはただの勝手な推測だが、何故かそんなような気がした。
ルシアナはかすかな笑みを口元に浮かべると、安心させるようにレオンハルトの腕に手を重ね、精霊に向け柔和に微笑んだ。
「意図して行ったことではありませんが、結果的に精霊様とレオンハルト様にとって良い結果をもたらせたのであれば、それ以上の喜びはありませんわ。精霊様もご存じの通り、わたくしはレオンハルト様を愛しております。わたくしにできることであれば、どのようなことでもして差し上げたいくらいに」
そう言ってレオンハルトを見上げれば、レオンハルトは眉根を寄せながら、ルシアナの頭に額を寄せた。そんなレオンハルトの頭を撫でていると、精霊が柔らかな声でルシアナを呼んだ。
精霊に目を向ければ、彼はルシアナにとってはとても馴染みのある表情を浮かべ、こちらを見ていた。
「ありがとう、ルシアナ。本当に。レオンハルトの番が、ルシアナでよかった。それを、おれはずっとルシアナに伝えたかった」
温かな眼差しには、確かな愛情が見て取れた。それはルシアナに向けられたものではなく、レオンハルトに向けられた、精霊の愛だ。
子どもの姿をしているのにとても大人びた、どこか達観したような表情は、古い友人であり、大切な家族でもあるベルの姿を思い起こさせ、ルシアナは出会ってから初めて、彼も悠久の時を生きる精霊なのだと実感した。
「まずはお礼を。精霊様のおかげで怪我を治すことができました。このような格好で申し訳ありませんが、本当に……」
言いかけて、ルシアナは改めて自分の姿勢を確認する。
非常に今更ではあるが、レオンハルトの膝の上に座り、がっちりと腰を抱え込まれた状態で話をするというのは、さすがに非常識だ。
レオンハルトの隣に移動しよう、と体に力を入れたものの、レオンハルトの拘束は緩まず、むしろより強く抱き寄せらせた。
「……あの、精霊様とお話をしたいので放していただけませんか?」
「このままでも話せるだろう?」
「ですが、このような格好では失礼にあたるかと……」
「あっ、おれは気にしないよ、ルシアナ! レオンハルトはルシアナを膝に乗せるのが好きだし、そのままでいいよ!」
(まあ……)
少し迷ったすえ、ルシアナは体の力を抜いた。
このままでいいわけはない。そう思いつつも、レオンハルトと精霊がこう言っているのだから、今このときだけはいいか、と結論付け、「では」と精霊に目を向ける。
「このような格好で申し訳ありませんが、改めてお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました」
胸に手を当て頭を下げれば、「ううん!」と勢いのいい声が返ってくる。
「さっきベルも言ってたけど、ルシアナの怪我は元はと言えばおれのせいだから。ルシアナもベルも、悪いことはしないってわかってたはずなのに、おれが怖がっちゃって……えっと、これベルにはもう言ってあるんだけど……おれ、精霊が苦手で」
思いがけない言葉に目を瞬かせると、彼は精霊界にいたときの出来事を話してくれた。
彼の両親にあたる水の精霊と風の精霊には他にも子どもがいたが、両方の属性を引き継いで誕生したのは彼だけだったこと。
複数属性を持った彼は、単一属性の他の兄弟たちと馴染めず、彼の両親も複数属性の子どもを持て余したこと。
その結果、孤立してしまったこと。
(精霊にとっての“家族”は、動物の“群れ”に近いとベルが言っていたわ。弱ければ、他と違えば、追い出されると。……そこは、人も変わらないと思うけれど)
ベルにそう聞かされたときは、自然そのものである精霊も、存外生物のような一面を持っているのだなと思うにとどまった。
しかし、こうして排斥された当人から話を聞くと、知性のある偉大な存在が何故そんな稚拙なことを行うのだろう、と疑問に思えてくる。
(いえ、答えは決まっているわ。精霊は、わたくしたちが思っているより閉鎖的なのよね。ベルはそれが嫌で人間界を漂っていたと言っていたけれど……この方も、結局馴染めなくて人間界に出てきたのかしら)
その疑問の答えは、続く精霊の言葉で得られた。
「――それで、他のみんなはどんどん覚醒していくのに、おれだけずっと覚醒できないままで……。結局、それが決め手だった。おれたちは人間とか他の生き物と違って、親に何かを世話される必要はないんだ。マナさえあれば生きていけるから。だから、兄弟たち全員が覚醒していなくなったら、両親もいなくなった。精霊は、番は大切にするけど、子どもはそうじゃないから。それはおれもわかってるから、仕方ないと思った。むしろ、それなら俺も番を見つけようって……けど、おれを受け入れてくれる精霊はいなかった」
遠い過去の出来事を思い出すように、彼はぽつりぽつりと話を続けていく。
「水の精霊は、緑が混じってるからっておれのことを敬遠したし、風の精霊は、緑が混じっててもほとんど水の精霊だからって敬遠した。火と地の精霊は、これ以上属性を交わらせるつもりかって、ろくに話もできなかった。精霊界は広いから、もっといろんなところに行けばまた違ったんだろうけど……そんな気も起きなくて、おれは人間界に来たんだ」
「精霊様……」
思わず、同情するような声が漏れ出た。レオンハルトの精霊はそれに嫌な顔をすることなく、ただ困ったように笑ってみせた。
「もう昔の……人間からすれば何百年も前の話だよ。おれはその何百年を、ずっとマナ石の中で眠って過ごしてたからすぐに思い出せるけど……本当に、昔の話。正直、眠りから覚めて……というか、起こされて、加工されて、剣に嵌められて、レオンハルトのところに来てからのほうが、おれとしては辛かったよ。力を貸してあげたかったのに、全然できなかったから」
レオンハルトの精霊は大きく息を吐き出すと、どこか申し訳なさそうな眼差しをルシアナに向けた。
「おれは、自分が混じり物だってことが受け入れられなかった。そのせいで覚醒できなくて、本来使えるはずの風の力も使えなかった。けど、あの日……二人がおれを覚醒させようとしてくれた日、初めて風の力を使えたんだ。咄嗟のことで、ほぼ無意識だったし、ルシアナを傷付けるものだったけど。けど、あれがきっかけで、おれは覚醒することができた。だから、本当は……本当は、おれはルシアナを傷付けたから、お礼なんて言っちゃいけないんだけど……ありがとう、ルシアナ。おれに、覚醒するきっかけをくれて」
腰に回されたレオンハルトの腕に、わずかに力がこもる。
窺うようにレオンハルトを見れば、彼は変わらず複雑そうな視線をルシアナに向けていた。
その眼差しを受け、もしかして、とルシアナは考える。
(レオンハルト様は、先にこのお話をお聞きしていたのかしら。わたくしが質問をしているからとは言え、精霊様はずっとわたくしに向けててお話ししていらっしゃるし……この部屋に来ることも精霊様が望まれたことだと、精霊様自身がおっしゃっていたもの。その可能性は十分にあるわ)
ベルが出てくる少し前、レオンハルトは精霊に向かって複雑な表情を向けていた。その理由は、精霊本人が言っていた通り、男形の精霊である彼と距離が近かったことが理由かと思ったが、それだけではなかったのかもしれない。
そう考えると、レオンハルトが頑なにルシアナを膝から下ろさない理由も、なんとなく想像できた。
(万が一にも、また傷付けられることがないよう……そうなっても守れるように、このような体勢をとっているのかしら)
これはただの勝手な推測だが、何故かそんなような気がした。
ルシアナはかすかな笑みを口元に浮かべると、安心させるようにレオンハルトの腕に手を重ね、精霊に向け柔和に微笑んだ。
「意図して行ったことではありませんが、結果的に精霊様とレオンハルト様にとって良い結果をもたらせたのであれば、それ以上の喜びはありませんわ。精霊様もご存じの通り、わたくしはレオンハルト様を愛しております。わたくしにできることであれば、どのようなことでもして差し上げたいくらいに」
そう言ってレオンハルトを見上げれば、レオンハルトは眉根を寄せながら、ルシアナの頭に額を寄せた。そんなレオンハルトの頭を撫でていると、精霊が柔らかな声でルシアナを呼んだ。
精霊に目を向ければ、彼はルシアナにとってはとても馴染みのある表情を浮かべ、こちらを見ていた。
「ありがとう、ルシアナ。本当に。レオンハルトの番が、ルシアナでよかった。それを、おれはずっとルシアナに伝えたかった」
温かな眼差しには、確かな愛情が見て取れた。それはルシアナに向けられたものではなく、レオンハルトに向けられた、精霊の愛だ。
子どもの姿をしているのにとても大人びた、どこか達観したような表情は、古い友人であり、大切な家族でもあるベルの姿を思い起こさせ、ルシアナは出会ってから初めて、彼も悠久の時を生きる精霊なのだと実感した。
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